長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年1月31日金曜日
積極的に良いこと、すれば、勝手なことは、なくなる。
2014年1月30日木曜日
温泉、3日目。具雑煮を食べて、長崎へ帰る。よかった。
午前中に、長崎へ帰ります。この度は、島原へ行って、具雑煮(ぐ・ぞう・に)を食べました。写真のナベ料理です。サムライ戦争のときや、庶民の生活が貧しかったとき、何でも入っている、栄養のあるもの、そのようなつもりで、この具雑煮を食べたそうです。島原のお城のまえに、食事処があった。お昼どき、満席で、繁盛していた。みなさん、観光客ですね。誰もが、具雑煮を食べている。「島原へ来たら、具雑煮でしょう」。合言葉です。具雑煮に入っているものは、少しずつですが、次の通りです。鶏肉、大根、にんじん、サトイモ、白菜、ごぼう、しいたけ、油揚げ、高野豆腐、丸い餅、タマゴ、カマボコ、切りこぶ、など沢山入っている。量は、少しずつ入っているから、食べやすい。想い出になる味でした。★おかげさまで、今月も温泉に浸かって、ゲンキが出て、さあ、また、がんばりましょう。午前中に、聖コルベ館へ帰って来た。「おお、あかるいカオ、しているな」。そう言われれば、うれしいよ。普通は、「あれ、食べた」「これ、食べた」と言いません。しかし、この度は、「かき、おいしかった」と言いました。具雑煮は言わなかった。普通の生活が始まる。午後、ゆっくり眠った。やっぱり疲れているのか。夕方、スッキリした気持ちで、夕べのお勤めを祈りました。「生かされて、今日も祈り、幸せを感じています」
2014年1月29日水曜日
温泉、2日目。島原へ出かける。オヒナさん。キリシタン。
2014年1月28日火曜日
島原・オバマ温泉へ。1日目。有明海のかき、食べる。
2014年1月27日月曜日
診察へ。入院の日を決める。お前の人生、耐えるしかない。
気持ちは、重いです。泌尿器科の予約の診察へ。お医者さんは言った。「そろ、そろ、ステントの入れ替えをしましょう」。暦を見ながら、「2月5日は?」「いいえ、それは外してください」(日本26聖人の祝日で、修道名のお祝いです。何が、何でも、その日は、ねえ)「6日は、どうですか?」「じゃ、その日に決めますか」。決定。2月6日、午後、手術室へ。その夜は入院する。「血液検査と、胸と腹部のレントゲンを撮ってください」。レントゲン室へ。胸の撮影は慣れている。ところが腹部。台に仰向けに寝て、白衣の男性が、おなかを押さえて、「吸うてェー、吐いてェー」と言って、操作機械へ走って去った。「吐いた、はイイけれど、息が続かない。噴出したよ。ハイ、もう1度頼みます。今度は、機械の傍で、声をかけてください」。初めての経験だった。★老いても、病んでいても、表むきは、ニッコリ笑って、ハイ、イラッシャイ。その掛け声で行きたいね。自分は、自分という「者」を、いちばん、よく知っている。今の自分も。過去の自分も。★知識を語るよりも、体験を語る方が、人の心にひびく。体験ですよ、強烈なのは・・・そう思います。2014年1月26日日曜日
ライモンド、居ない。心配の声、多々あり。早く出て来い。
食事のとき、神父さんが突然、言った。「ライモンドが、帰って来たよ。トマさんに、知らせなければ、と思った」「エッ、ほんとう?」「ユメ、見たんだよ」(なーんだ)。ライモンドが居なくなったと、日記に知らせたら、6人からコメントが入っていた。びっくりですよ。ライモンドにファンが居るのは、知っています。それにしても、この反響には、おどろきですね。ライモンド、みんな心配しているよ。①「どこに居るの?元気な姿を見せてほしいよ。(匿名さん)」。②「どこに居るの?帰っておいで。(コルベさん)」。③「何年も留守をして、元気に帰ったネコもいる。希望を失わないで。(てれじあさん)」。④「たぶん、縄張りを追い出されたのでしょう。帰ってきたら、院内で飼ってください。(みどりさん)」。⑤「ルルドに居ないでしょうか? erikoさん)」。⑥「心配です。どこかで温かく過ごせているといいんだけど。(まゆみさん)」。ライモンド、ほれ見ろ。こんなに、みんな心配しているぞ。「出て来い、出て来ーい。待ってるぞ。神父さんも、ユメにまで見て、心配しているぞ」。迷えるヒツジじゃ、ない。ネコ君よ。2014年1月25日土曜日
緊急報告・ライモンド、行方不明。事故か、事件か、捕獲か。
2014年1月24日金曜日
県の振興課から取材に来る。カメラ・マンが撮影した。
2014年1月23日木曜日
大阪のオバアサン。また又、母親愛の荷物が届く。
夕方、すべての祈りが終わって、夕食前に、全員が庭の聖ヨゼフのご像の許に出て、「戦争中の保護と、無縁者のために」祈りを捧げている。今どき、辺りは真っ暗、昨日、祈っていると、郵便屋さんのバイクが登ってきた。祈りが終わるまで待っていた。「小崎サンに、小包です」。誰からだろう、と思いきや、あの大阪のオバアサンだった。16日の日記に書いたのに、また、あの大阪のバアサンからですよ。「もう、送らなくて、いい、と伝えているのに、母親の心だよ」と感じ入る。★荷物を開いてみると、肌着の上下、靴下、手編みの敷物、それに紀州・竜神・特産の「梅干」が入っていた。小川農園の梅で、「深山(みやま)の梅」の名が付けられている。梅の看板を、オバアサンが書いて、喜ばれたそうだ。97歳のオバアサンだよ。多才だよ。じっとしているオバアサンじゃ、ない。アタマがさがるよ。細かい字の手紙と写真が入っている。「書いた物、編んだ物、その内に、形見になるでしょう。『美人薄命』に非ず、まだ生きています。美人でないから・・・(笑い)」と達筆の字で書いている。負けるよ。オバアサンは美人だよ。いつまでもおゲンキでいて、ほしいよ。★孝子さんは、1917年4月24日の生まれです。生きることを楽しんでいる愛するオバアサンだよ。2014年1月22日水曜日
韓国の大司教さまと、若い司祭の皆さん、巡礼に、お恵みあれ。
2014年1月21日火曜日
心を癒し、ゲンキを与える色紙です。お金はルーマニアへ。
2014年1月20日月曜日
正月に、2度来たコルベさん。教会行きの念願を果たした。
2014年1月19日日曜日
ポーランドの赤ちゃん、かわいいよ。家族の幸せ、祈る。
2014年1月18日土曜日
出会いも、花が咲けば、うれしい。青年に良き導きあれ。
2014年1月17日金曜日
お祝い事の夕食。明るいカオの皆さん、長生きしてね。
2014年1月16日木曜日
大阪オバアーサンの紙袋。真心こもった贈り物。コウサンです。
2014年1月15日水曜日
人生、日々、過ぎるのが、早やし。アッと言う間の1週間。
1週間が経つのが、早いですね。『月曜日』は、介護ヘルパーさんによる入浴の日でしょう。2人の男性が、交代できてくれる。昨日の写真の男性と、今日の写真の男性です。お世話になっています。ていねいに、よくがんばってくれます。おかげで助かります。楽しみでもある。『火曜日』は、夜、夕食が終わって、共同の休憩がある。休憩室に皆が集まる。テレビは消して、会話を楽しむ。飲み物も出ます。皆が、心が通じ合うのは、喜びです。『水曜日』は、聖ヨゼフの日であるのを、意識する。聖ヨゼフの連祷を祈ります。夕べの祈りが終わって、食事へ行く前に、聖ヨゼフのご像の前に皆が集まって、祈ります。無縁者のためにも、祈ります。『木曜日』は、また入浴の日です。楽しみです。『金曜日』は、十字架の道行の祈りがあります。聖堂内の「道行の額」を黙想しながら、祈りを唱えて、移動して回ります。寒い冬は、祈りも、こたえます。『土曜日』は、フランシスコ会の「聖母マリアの7つの喜び」のコンタツの祈りを唱えます。修道服に下げているコンタツです。『日曜日』は、主日のミサに祈り、仕事はお休みですが、聖コルベ館は、年中無休です。見学者との出会いを楽しみます。こうして、早や、月曜日が来るのです。★生かされています。だから感謝します。祈ります。賛美します。「日々の行ないに於いて、み旨を果たします」。★今朝、考えました。ジンセイは、才能で、綴る。小さな才能、優れた才能、みんな、もっている。才能とは、湧き出るもの。次から、次へ、湧き出るもの。ああ、おもしろいな。そんな才能、おまえサン(自分のこと)、あるか、な。
2014年1月14日火曜日
希望をもって、ニンゲン、生きる。介護、お世話になる。
2014年1月13日月曜日
人生の好転を、青年は語った。受ける恵みに、与える愛。
2014年1月12日日曜日
沖縄の旅。思い出。これぞ司祭なり。歩くのがタイヘン。
沖縄の神父さん。有馬マテオ神父さんです。白いスータンを着て、司祭の意識をちゃんと守っておられる有馬神父さんです。だいたい同じ年令の神父さんです。42年前、グラフの編集者として、沖縄が復帰したとき、開南カトリック教会で、初めて会った有馬神父さんです。そのときからお互いに覚えるよう、知り合いになりました。この度も訪ねていった。司祭は、こうでなければ、と敬服しています。司祭の服を着て、ちゃんとして、おられる。いいですね。トマも修道服はいつも着けようと思います。★さて、沖縄の旅は、少々、自分のチカラに自信をつけた。聖コルベ館に、ジーッとして、居座っていても、いい。あるときは飛び出して、さまざまな事を経験すれば、また新しい出会いもあれば、体験もある。1年1年、がんばろうと思う。★要・支援・2のトマさんです。入浴の介助ヘルパーには来てもらっている。入浴時は、危ない。沖縄旅行中、3度、危険なことがあった。①空港バスの段が高い。お年寄りには、上り下りが、きつかった。転びそうになる。転んだら、タイヘン、みじめだよ。②海中の塔で、30段、下りは、いいが、上るのに苦労した。「倒れたら、どうしよう。救急車は、来ないぞ」。心臓、パク、パク、危険だった。ホント。③海軍の塚。ここは50段。すごい階段が有るのを知って、おりるのは、ためらった。「ここまで来たからにゃ」と、覚悟を決めて降りて行った。★海中・塔へ行くのに、かなりの距離を歩く。幸い、そこには小さく、赤いバスが居って、それで運んでもらって、楽しんだ。もう歩くのがタイヘンなんです。★一応、これで、沖縄の旅は完結にしよう。旅は終わった。さあ、普通の生活を始めるぞ。「トマ、疲れたかと思ったら、ゲンキなカオして帰って来た」と食卓で言われた。食卓の仲間には、こちらから、挨拶だけは、忘れない。「おかげさまで、いい旅、ありがとう」。今朝は、考えた。宗教の役割は何んだろう。①永遠のいのちに導かれる。もちろん、それも、ある。②自分が持っている弱さや、罪を清め、悪習を正して、聖人になる。聖性です。ほかに、何が有るか。③弱い人、貧しい人、困っている人、孤独の人、それらを助ける。それも、あるのでしょう。こうして再確認するのも、いいと、思った。
2014年1月11日土曜日
沖縄の旅。思い出。皆さんと、霊能者の話で盛り上がる。
沖縄の皆さんと、楽しく昼めしを共にした。以前から知っているので、再会を喜び、話もはずんだ。笑い、語り、また笑い、盛り上がっているなかで、誰かが、宜保・愛子(ぎぼ・あいこ)の名前を出した。沖縄出身の、霊能者です。沖縄では、有名なんですね。もう亡くなりました。なぜ宜保さんの名前が出たか、分かりません。トマ修道士も、そう言われてみれば、思い出したことが、あったので、次の話をして、更に盛り上がったのです。★宜保さんは、10年ほど前になるか、有名でした。テレビにも出ていた。霊を感じる女性です。霊が見えるらしい。また透視術も持っている。部屋に入ると、右側に、額縁がある・・・なんて、当てるのです。★ある日、聖コルベ館に女性が、20人ばかりの女性群を連れて、入ってきた。「あれ、どこかで見たことのある女性だよ」。思い出した。テレビで親しい宜保さん、霊能者だった。連れの女性群は、親衛隊らしい。「どうぞ、どうぞ」と聖コルベの部屋へ案内した。粗末な机があり、これまた粗末なイスがある。イスを引いて、「どうぞ、お座りください。コルベ神父のイスです」。普通の見学者は、「ええ?座って、いいんですか?」と誰もが、喜んで直ぐ座る。ところが宜保愛子さんは、ジーッと、イスを見つめていたかと思うと、ひざまずいて、イスを抱きしめた。すると、ギョッ、部屋の電灯が消えたのだ。真っ暗くなった。「さすが、霊能か?」。びっくりしたよ。しばらくして、立ち上がると、電灯がついた。「ホレ、ホレ、点いたぞ」。宜保さんは言った。「コルベ神父さまのように、身代わりの愛は出来ませんね」。・・・・さて、昼食のとき、食卓で、この出来事を言うと、「あのね、機械の故障で、電気のスイッチを切ったよ」と印刷担当の修道士が言うじゃないですか。・・・・と、ここまで、あの沖縄の皆さんに言うと、「バクショウ、爆笑」で大笑いしたのでした。宜保さんの霊能を信じかけていたのに、ああ、思いは砕けた。沖縄のヒトには、話題が多いね。そのとき撮った宜保愛子さんの写真です。冥福を祈ります。2014年1月10日金曜日
沖縄の旅。 思い出。捨て犬と、ピカの名をもつワンちゃん。
2014年1月9日木曜日
沖縄4日目。沖縄観光に尽力したお父さん。夜に長崎へ。

2014年1月8日水曜日
沖縄3日目。喜びの出会い。悲しみの壕の見学。執念だった。
2014年1月7日火曜日
沖縄2日目。司祭の会食と、海中の塔へ。神秘の海よ。
2014年1月6日月曜日
沖縄へ。1日目。42年前の復帰を思いつつ。平和の旅。
2014年1月5日日曜日
ライモンド、お祝いだぞ。ごちそう、あげるから、ね。
2014年1月4日土曜日
元日、第1号の入館者は、三重県の青年、熱意に、負けたよ。
2014年1月3日金曜日
初・漁です。大きなタイだよ。松下修道士さんの快挙。ウマイ。
2014年1月2日木曜日
年賀状は、これです。ゲンキ、大きな声、今年の目標です。
トマ修道士の年賀状です。これまでは、スイセンや、ウグイス、ツバキなどを賀状に書いてきましたが、今年は白黒・写真を載せました。高校生たちに、話をしているスナップです。もう、この歳になると、どのような1年にするか、考えます、これがホンネです。3年後、5年後の計画は立てない。今年をセイ・イッパイ生きる。それで、いいでしょう。「この道を行けば、長く生きる」。これホント。正月だけれども、5時に起きた。身なりを整えて、洗濯機を回して、昨夜、干していた洗濯物を乾燥機にかけて、3階の自室を出た。暗い、長い、廊下を歩きながら、「ココロ」を感じるんですね。皆さんも、心を感じること、ありますか。廊下の先に、エレベーターがある。「ゲンキを出そう」「声を大きく出そう」。周りが、年寄りが多いので、聞こえないんですね。「なに?」「ウン?」と必ず問い返される。「ヤグラシか」。長崎ベンで、うるさい。手間が、かかる。そんな意味です。だから、大きな声で、一呼吸、おいて、発言する。これ効果がある。★誰かが、言った。「トマさん、お母さんが、見守っているんだね」「いま生きていたら、100歳以上でしょう」「そう、です」。子どものとき、母から、厳しく言われたのは、寝る時は、ちゃんと自分の服をたたみなさい。折って、重ねて、枕元に置いて、眠った。海外と言う事情もあった。いつ、なんどき、何ごとが起こるか分からない。いまでも、そのことを思い出すよ。★53.7kgの体重が、年末だ、正月だ、で、55.9kgになった。こりゃ、たまらん。少し減量しよう。食欲に、負けるな。生きるって、いろいろ有るよ。★1月6日から、3泊4日で、ひとりで、沖縄へ正月休みに出かけます。沖縄の稲国・助祭さんに連絡しました。「おせわ、たのみます」2014年1月1日水曜日
2014年、平成26年、ウマの年。元日。おめでとう。
新しい年を迎えて、お喜び申し上げます。おめでとうございます。夜中の12時から、ミサで祈りました。神さま、この1年、祝福を与えてください。神の御母マリアさまの祭日でもある。教皇フランシスコは、新年のメッセージを出されて、内容は特に、兄弟愛を強調しておられる。司祭が、そう言われるのを、聞きながら、考えていた。なぜ、兄弟を、隣人を、素直に助けられないのか。①意見が違うと、イヤだ。②計算が合わないことは、手を出さない。③労力を惜しむ。まあ、それらが壁になって、実践は難しくなる。「入院したとき、誰が助けに来たか。誰が痛みを共にしたか。考えてみただけで、わかる。結局、誰も来ないよ。だから人間は孤独です。孤独を自覚して、耐えていくしか、ない。隣人愛といっても、さえずるだけに、終わっていないか。そのようなことを、正月だが、考えていた。反省すべきと、思います。計画を、支点を変えてみる必要を感じます。★なには、ともあれ、新しい年です、喜びましょう。生きていることを、喜びましょう。いま、生きているのは、意義のあることです。生まれてきて、良かったと言える人生にしたいですね。よいジンセイを築きましょう。人は1人では、生きられない。★滝神父さん、お屠蘇、注いでくれんね。ハイ、飲んで。正月のお花も食卓に飾った。もう、3年、こんな写真を撮ったね。さあ、揃ったよ。カンパイだ。新しい年に幸せあれ。★夜中のミサが終わった。聖堂を見渡すと、いつも正月に必ず来る家族が見えた。笑顔で近づく。「ああ、いらっしゃい」。もう10年前になるか。正月、同じ席に、最初は、男性1人が来ていた。そのうち、女性を連れて来た。嫁さんになった。何年かして、娘の赤ん坊を抱いてきた。次々の年、男の赤ちゃん、抱いてきた。今年は、家族4人、娘はもう中2だよ。男の子は小4だった。こんな家族って、すばらしい。