2013年11月30日土曜日

11月も終わります。寒い日がつづきます。ゲンキを出そう。

11月も終わります。12月8日は、無原罪の御宿りの聖母マリアさまの祭日です。その日を迎えるにあたって、今日から、9日間のお祈りが始まります。今朝、ミサの後で、皆さんで祈りました。ここに1枚の聖絵を載せました。けがれなき聖母マリアさまを囲んで、多くの聖人・福者が描かれている。はっきり、どの人が誰かは、分からないが、聖母無原罪の信仰を養護してきた人たちでしょう。★聖母マリアは、原罪もない、自罪もない。神さまのお恵みで、全く、罪も汚れもない御方であると、特に、コルベ神父さまは主張し、生活も、人生の中にも、取り入れておられた。教皇ピオ9世は、1954年、信仰箇条として発布された。★けがれなきマリアさまの祭日を迎えるにあたって、9日間、毎日、短い祈りで、いいですから、唱えるようにお勧めします。マリアさまに祈れば、きっと神さまにお恵みを取り次いでくださるでしょう。コルベ神父は、絶えず「マリア」「マリア」と呼吸をしていた。それを語るコルベの弟子、ミロハナ神父も、常に「マリア」と挨拶していた。苦しい時、痛む時、「マリア」と呼べば、少しは楽になるかも。


2013年11月29日金曜日

3年前の写真です。3年も経ったら、変わりますね。顔も。

歳も、80代になると、年ごとに足腰も弱くなり、顔の表情も変わってきます。若さが、抜けていく感じです。これも自然の成り行きですね。現実は、受け入れるしか、ない。島原のオバマ温泉、定宿・富士屋さんへ通っていた頃の写真です。輝いていたね。富士屋さんには、もう10年近く、お世話になっています。自分で軽を運転して、気軽に通っていた。最近は、もう、クルマの運転もあきらめました。温泉場の近くに、色づいた紅葉の林があった。散歩すれば、心も、なごむ。「生きているからには、いい思い出を沢山つくろう」。時々、そう思います。せっかく、この世に生まれてきた。幸せとは、いい思い出をイッパイ作った人でしょう。田舎へ行けば、地元の人が、自分の土地しか知らなくても、小さな生き甲斐を持てば、幸せにマンゾクして、リッパに生きていける。そういう生き方もあるように思います。「生まれてきて、よかった、と1度は思え。そう言えぬジンセイなんて、ツマランたい」。自分に、いい聞かせて、おります。★どうすれば、この地で、この環境で、幸せになれるのでしょうか。生きていて、良かった、という感謝ですよね。才能も、人それぞれに違う。しかし自分のコップがあって、十分に水が満たされれば、コップは満足するでしょう。生かされている喜びが、幸せなんです。

2013年11月28日木曜日

病院周りに、入浴の介助。要支援・2です。寒波が来る。

昨日は、病院デー、でした。3つの科を回った。①30分、早めに聖コルベ館を開けて、予約の泌尿器科へ。お医者さん「お変わりないですか」「ムー」と、唸って、「変わりナシです」。お医者さん、パラパラと、数字を記した薄い紙をめくって、「12月の予約を決めましょう」「ハイ、よろしく」。それだけで診察は終わった。「ガンです。ステージ3です」と言われて、5年が経過している。その間、なぜか、ガンの気持ちがしない。抗がん剤も打たないし、レントゲン治療もしない。あのままで治癒したのか。次いで②呼吸器内科へ。胸に聴診器を当てて、ていねいに、胸の内部の音を聞いてくれる。最近、このようなお医者さんは居ない。「違った音が聞こえる。炎症があります」。処方箋をもらって、これも終わった。③タクシーで移動。心臓・血圧内科へ。心電図を撮る。「異常、ありません」「口が渇きます」と訴える。高齢化の故だろう。聖コルベ館に戻ったのが、1時半ごろだった。昼食の焼きサカナを食べる。次いで、木曜日だから、入浴の日になっている。2時30分から、3時30分まで、正味、1時間。介護のヘルパーさんが、熱心に手伝ってくれる。「やっぱり、サッパリ、なりますよ」。介護のへルパーさん、おめでたいことがあった。初めての子どもを授かった。「そりゃ、おめでとう」。女の子でした。「かわいい、だろう」「ハイ、これ」と、携帯から見せてくれる。ほんとに可愛いね。赤ちゃんは、どの子も同じだ。「名前は?」「未空」と書いて、「ミク」って、言ったようです。
 
 


2013年11月27日水曜日

ベトナム人のシスターと両親の喜び。信じる心は1つです。

ベトナム人のシスターが、2人、それぞれ、お父さん、お母さんといっしょに、聖コルベ館を訪ねた。喜びイッパイの皆さんです。「5年前に、長崎へ来ました」。修道女会へ入会して、先ず2年間は、日本語を勉強しました。その後、志願期や、修練期を過ごしながら、神さまからも、周りの人たちからも、沢山のお恵みを受けて、この度、初めての誓願を立てたのです。「神さまに召されること」「神さまを愛する人になること」。幸せですね。ウイウイしい、2人のシスターは、喜びに溢れて、元気に、輝いていました。2人のお父さん、お母さんも長崎へ来るのには、大変だったそうです。でも、心配していた娘です。長崎で、先日、荘厳な、娘の誓願式に参列し、大きな喜びを得て安心しました。後は、お祈りで応援しましょう。ブログの皆さんも、祈ってください。★思えば、コルベ神父とベトナムは、ご縁がある。長崎へ来る途中で、船の都合で、ベトナムの港に寄港した。上陸し、教会で祈り、ベトナム人の司祭とも交流している。写真も残っている。ベトナム人のシスターたちよ、コルベ神父のように、愛のためイノチを捧げる人になってください。修道者の道は、けわしいです。「道の向こうに、きっと、幸せは、ある」。こんな言葉が好きだね。


2013年11月26日火曜日

よく、まあ、書くことが、あるね。時には苦労する。

時々、言われます。「よく、まあ、毎日、ブログを書くことが、あるね」。記録の意味もあって、ブログ(日記)を、毎日、楽しみながら、書いているワケだが、もちろん、何を書こうか、と迷う日はあります。昨日が、そうでした。起きて、祈って、食事して、聖コルベ館に出て、あっと言うまに、お昼になった。午後から、入浴した。夕べのロザリオ、祈り、安らかに眠る。これらは毎日の出来事の連鎖です。いわば生活です。それら日常・茶飯事を書いても、魅力には感じない。時には、仕事に困難がくることもある。カゼ引きで休むこともある。それらも生活の中です。★生活の中で考えさせられること、なぜ人間は苦しむのか、なぜ自分だけが病み伏すのか。生きること、愛すること、信じること、人間の弱さや、愚かさ、迷いも、悩みも、はげしい怒りも、それらに悶え悩むのが、人生なのです。生活するには、ある程度の収入が必要です。しかし、ある賢人は言った。「金持ちになったからと言って、3倍も、4倍も、幸せになれない。金持ちも、ぼた餅は、4つは食えない」。時々、この言葉を思い出しています。「生活を書くのでなくて、人生を考えたい。それが狙いどころです。★歳をとって、ゆっくり暮らせるかというと、そうではない。予想外の苦しみや、悩み事が、波のように押し寄せてくる。今朝は、祈りのときも、眠たくて、苦しんだ。困難や、苦しい体験が、人生の勉強になる。


2013年11月25日月曜日

11月も、終わりの週に入る。早いモンだね、人生の流れ。

早い、ですね。あと、1ヶ月したら、正月ですよ。今年は、『み』の年だった。その前が、『辰』どし。タツ年は、自分の年だから、いい事あるよ、期待していたら、全然、ダメだった。6回も入院して、苦労した。まあ、しかし、この苦しみも、自分にとっては、お恵みになったやも知れない。「ダメ、ダメ」とは、言うまい。のり越えて、『吉』としたい。今年は、夏休みで、東京・赤羽にも行ったし、韓国にも、2度渡った。黙想も、皆さんと一緒に、共同で果たすことが出来た。『巳』どしは、本当に良かったよ。ヘビは嫌われるけどね。★『こんな話・あんな話①』ずっと、前の話だが、あるお祝い日に、シスターから、男子の神学院に、お祝いの小箱が届いた。あけてみると、大きなガマ(カエル)が入っていた。神父さんはビックリして、傍の聖母マリア像を、たった今、打ち割るところだった。しかし、よく見ると、オモチャの、ガマだった。「何ンだ。おどろかすなよ」。それから何ヶ月か経った、あるお祝い日に、今度は、神学院からシスターへオミヤゲが届いた。シスターは「フ、フ、フ。仕返しだわ」。みんなが集まって、箱をあけてみると、「ああ、やっぱり」、小さなヘビが出てきた。「こんなモノ」と、つかんだヒョウシに、ヘビが動いた。「キャアー」。本物の、15,6cmの小さなヘビだった。よく、田舎の男の子が、こんなヘビをポケットに入れて、かわいがっているのを見る。シスターたちは、腰を抜かさんばかりに、おどろいた。驚いたのは、ヘビの方だよ。シスターの服装を見て、「つかまったら、大変」と、部屋の片隅に、隠れて消えた。今でも忘れないハナシだよ。


2013年11月24日日曜日

夢を失ったら、イカン。まだ、まだの、自信を持て。

老人になって、①いちばん寂しいことは、仕事がなくなること。朝、起きて、「よし、今日は、これを、やるぞ、がんばるぞ」と、気合が入らなければ、寂しいよ。幸い、聖コルベ館のお勤めがあり、居るだけで、お役に立つのだから、幸せモンです。次、②いちばん悲しいことは、周りの人はから、相手にされないこと。ムシされる、これは、キツイですね。あ、うん、のうちに通じないと、悲しくなる。③いちばん、みにくいことは、過去にしがみつくこと。「むかしは、こう、だった」「あの頃は、良かったなど」。あんまり言い過ぎると自慢話になり、皆さんからイヤがられる。④楽しいことは、まだ社会に役立つニンゲンであると、自覚できることです。「老人よ、大志を、抱け」。叫びたいね。⑤美しいことは、若い人たちのジャマにならぬよう、若者たちの益になるよう「陰のチカラ」を発揮すること。そして⑥いちばん、尊いことは、死をも、恐れない信仰をもつことでしょう。「まだ、まだ、花は開くぞ」と思って生活したい。確かに、現実は、難しい、それは言えます。★昨夜は、夕食のとき、ビールやお酒が出て、会話は盛り上がっていた。当方、⑦耳が遠い。⑧話のネタを思い出せない。それらの現実が、皆さんの話の中にウマク入れない、それを反省しました。

2013年11月23日土曜日

中学生たちへの返事のカード。手作り。コメントが難点だ。

数日前に、関西の修学旅行・中学生たちを迎えたが、お礼の色紙が4枚送られてきた。早速、返事を書こう、と手製のカード5枚を用意した。問題は、カードの裏に書くコメントの文章です。これが割と、難しい。中学生たちに、ゲンキが出る言葉が、いいでしょう。こんなのは、どうかな?「人生には、夢と希望が大切です。元気にあいさつ、明るいえがお、夢に向かって熱く走ろう」なんて、いいでしょう。「人生、ときどき、落ち込むことがある。自分を見失うことなく、勇気をもって、立ち上がろう」「自分を律し、正直に、生きる」。また「友情と愛が、いちばんの宝」、こんな言葉も好きだね。自分に、どのような特徴があるか、分からない。それで個性の発掘だよね。ちょっとしたアイデアも必要ですね。少しでも抜きん出る特色があれば、それを伸ばすと、「おお、いいぞ」と皆さんからも喜ばれる。★もう1度、少年時代に戻れるなら、何に重点をおくか。そうだな。泳ぎが出来ること。将棋がさせること。挨拶が出来ること。カラオケの歌が何曲でも唄えること。考えてみると、これらは今からでも出来るのに、ああ、肝心の「夢に向かって、熱く走ろう」それが、無いんだね。


2013年11月22日金曜日

日に、何度でも、祈る。真理のヒカリを、すべての人に。

日に、3度。食事の前に、祈ります。修道者・仲間と、みんなで、いっしょに、楽しく食事が出来るのは、本当に喜びです。同じ生活ですからね。更に、祈ります。「主よ、あなたも、ここに、傍(そば)に来てください。共に食事を致しましょう」。これは、切実な祈りです。修道士にも、それぞれ課題は、ある。①心が、軽くなる。②カラダが、ゲンキになる。③仕事が、ウマクいく。④楽しい語らいで、人間関係も好くなる。⑤主、イエスがソバに居られるなら、どれほどチカラ強いことだろう。それを信じるためには、1つの真理を考える。イエスという御方は、単なる歴史上の人物だけじゃない。イエスは神の御子であり、復活された。復活して、今も生きておられる。その真理を信じるならば、全身に、気運が高まるのを、覚えます。信仰によって、復活されたイエスが、私たちのソバに共に居られるのが、分かるだろう。だから今朝も祈りました。「主イエスの復活を称えて、祈ります。この1日を、真理のヒカリで照らし、希望に満ちるものとしてください」「神よ、真理のヒカリを、総ての人に」

2013年11月21日木曜日

中学生たちから、感謝の色紙。短い言葉にチカラあり。

聖コルベ館に、平和学習にきた中学生男女、100人余りの皆さんから、お礼の色紙が送られてきた。各クラスの写真を貼って、感想を述べている。「戦争の話を聞いた」「大切な話をありがとう」「平和の大切さを知った」「コルベ神父の話をありがとう」「貴重な体験をありがとう」など、一般的に、受けた恵みを記しているが、でも、2年3組、27人は、「決意」だけを記していた。この書き方が、よかったと思う。自分の、これからの目標、決意である。①現実から、逃げない。イヤな宿題から逃げない。朝の眠気に負けない。イヤな人にも、優しく。友だち、家族を大切にする。②困っている人がいたら、助ける。③人を素直に許せる人になる。④心の広い大人になる。これらの取り上げ方が、心を打たれた。短い言葉だが、迫力がある。中学生たちには、夢がある。「夢に向かって、熱く走ろう」。これら中学生たちに、お礼のカードを準備している。これには短い言葉もある。色紙はアルバムに大切に保存しよう。「今のワタシには、短い言葉に興味があるんです」

2013年11月20日水曜日

島原・オバマ温泉へ。2日目。セキ・声枯れ。中止で、医院へ。

昨夜、食べた富士屋さんの夕食です。左、上から、アジの生き作り、カワハギの生き作り、中央は、牛肉のテンプラ、右側、えび・塩焼き。それらが、おなかを満たした。長崎人は、アジ、カワハギのサシミといえば、喜んで食べます。牛肉のテンプラも、揚げ方が難しい。長年、食べている内に、満足できる「揚げ方」になった。これだけ食べれば、十分です。★今朝、起きると、すぐに藤下さんへ携帯から連絡をした。「けさ、長崎へ戻りたい。迎えを頼みます」。2泊の予定が、1泊だけで、引き上げた。「また、12月にお世話になります」★長崎へ着くと、罹り付けのお医者さん・クリニックまで送ってもらう。下車して、藤下さんに別れた。診察。カゼ・クスリをもらった。水・クスリがあった。「めずらしいね。子どもの頃は、よく水・クスリを飲んだ。なつかしい」。耳鼻科で、耳の治療をして、その足で、サンパツをして、3時過ぎに聖コルベ館へ戻った。1日だけの、オバマ温泉でした。「ノド枯れして、声が出ない。祈りの先唱にさまたげがある」

2013年11月19日火曜日

島原・オバマ温泉へ。1日目。体調が良くない。セキが出る。

1週間ほど前から、「カゼ気味かな?」の思いがあった。最初に、やられるのが、気管支で、痛みが、胸にくる。ノドにくる。はっきり分かります。若い頃は、「何もしなくても、好くなっていた」。ところが、歳を重ねると、そうは、いかない。自然には、治癒しない。自然・回復力の低下のためです★島原・オバマ温泉へ行こう。オバマは温かい。温泉の温度は、105度。お湯が溢れて、地面そのものが温かい。カゼも好くなっていた。治癒した経験もある。そこで出かけました。久しぶりの温泉・定宿でした。左側、湯けむりが出ている所が、いつも泊まる部屋です。宿屋の女性が、「久しぶりですね」。「ハイ、韓国や、東京へ出かけたから、ごぶさたです」「おゲンキそうで、良かったですね」。★この度、温泉へ連れて行ったのは、藤下さん(学校時代の教頭先生)です。途中、ポーランド人修道士、入院中のローマンさん(100歳か?)を見舞いました。ベッドに休んでいた。見るなり、「おお、トマ」。覚えていた。嬉しかった。さて、定宿・富士屋さんへ着くと、ゆっくりと、温泉に浸かった。「いい湯だね」。どうも活力が出ない。早めに休んだ。夜中に、セキが出て、苦しくなる。気分がよくない。せっかく温泉宿に来たが、迷いが出た。「あしたは、長崎へ帰ろう。医者に行って、養生をしよう」

2013年11月18日月曜日

昨日のつづき。努力しても、開かない花もある。でも楽しい。

昨日の日記に、3つのコメントが入っていた。読んでくれて、ありがとう。コメントは次の通り。①コルベさん「え?短時間で出ていく、考えられない」。②茨城さん「次は、展示に向き合いますように、祈ります」。③ひらめさん「いろいろな出会い、楽しそう。誰かが、来て、誰かは、駐車場」。あれから、赤い消防車を写真に撮りに行った。やっぱり格好、いいね。その後、消防署員が来て、「ありがとう」と、赤い車は去った。寂しいなあ。あと、誰も来ないよ。寒いからか、な?。午後になっても、来ない。夕方になって、来ない。閉館少し前に、来たよ。母と、息子さんの2人づれ。「コルベ神父さまの前で、お祈り、しました。ありがとう」と礼を言う。なにやら意味がありそう、だが、何も聞かない。とにかく、ニコニコほほ笑んで、意識して、不思議のメダイを2個づつ渡した。「お祈り、していますからね」。ひじょうに喜んでくれる。更に「ハイ、アクシュ」。2人は、ますます感激。オレの手で、いいならと、しっかり、手を温めてあげた。そして今日は、午前中に、修学旅行の女子中学生たちが、120人見学に訪れた。明るい日となった。ジンセイ、雨の日もあれば、晴れる日もある。努力しても、全部に花が、咲くわけでもない。泳ぎが好きでも、全部が選手には、なれない。花は咲かなくても、楽しさがあれば、それでよい。喜びもあれば、それでマンゾクするよ。人生、小さな愛でも、十分に生きていける。


2013年11月17日日曜日

聖コルベ館に勤める幸せ。居場所がある。ここは任せなさい。

日曜日。司祭や修道士の皆さんは、忙しい。各教会へ出払って、残って朝食に居たものは、3人でした。休みの日だから、ゆっくりしたい。そんな気持ちもあります。聖コルベ館は年中無休です。9時前になったら、自室を出かけました。聖コルベ館を開ける。お勤めが出来るのは、幸せです。居場所は、ここ。居座りが、いいですよ。さあ、今日は、誰が見学に来られるか。来ても、来なくても、楽しみになる。★ほら、ここまで書いたら、まさに、「ピン、ポン」と鳴ったよ。「来たーッ」。若い女性が、1人。柄(え)の付いた荷物を引きずっている。「見せてください」「ああ、どうぞ、どこから来ました」「下から来た」「イヤ、そうじゃなくて」「東京です」「コルベ神父、知っている?」「本を読みました」「女の一生」「ハイ」「ゆっくり見てください」。ここまで書いて、トイレに行って、あと説明してあげようかと思ったら、「ゴロ、ゴロ」と荷物を引きずる音がする。顔を合わせると、玄関の扉を押している。「ハヤーイ。もい、いいの?」「ハイ、参考になりました」。あっと言う間に、去って行って、がっかりしました。「あんなに重たい荷物を引きずっていたのにね」★ここまで書いたら、また「ピン、ポン」。入って来たのは、消防署員。「自治会に用件があるので、2時間ほど停めさせてください」「ああ、いいですよ」。庭に、赤くて、小さな消防車がおとなしく、あった。


2013年11月16日土曜日

まだ冬は来ないのに、さむーィ。負けるなよ。活力だ。

①修道士は、祈るのが、仕事です。②高齢者、85歳、冬、寒さに、弱い。③「小崎サンですか?」。訪ねて来る人、ゆっくり話そう。今朝は、この3つを思いました。朝、5時の時報が知らせると、すぐ起きる。いつもながら、身支度して、聖堂へ。お祈りするのが、修道士のお勤めです、と覚悟している。当然です。大きな声を上げて、政務を唱えると、アタマの健康にも、よい。「生かされて、今日も、祈る」。ありがたい。お恵みを感じます。しかし、まだ冬でもないのに、寒さが、こたえる。子どもの頃は、「風の子、雪ン子」と言ったが、歳をとると、カラダの脂が無いのか、さむーィ。「暖房、入れてくれんね」。そう願う心が、自分でも情けない。聖コルベ館に、時々、「小崎サンですか?」と問うて来る人がいる。これも、ありがたいことです。も少し、ゆっくり話をしてみよう。★去る10月に、静岡の女子高校生たちが、学習にきた。代表者からお礼の手紙が届いた。「小崎サンの話を聞いて、大切なものを失う悲しみが切々と伝わってきて、胸が苦しくなった。大切な人を失ったら、わたしは、きっと、生きていけません。他人が必要だと思いました。人の別れは、いつ起こるか、わかりません。わたしは、強い人というのは、他人を許すことの出来る人だと思いました。1日1日を大切に、悔いのないよう、過ごします。★さっそく、女子高校生に返事を書いた。カードを2枚、納めて、封をとじた。きっと、喜んでくれるだろう。

2013年11月15日金曜日

秋がなくて、いっぺんに冬が来たよ。ああ、寒い。困るな。

寒さが、つづきます。秋が、なくて、冬が、いきなり来たようです。花の色も、冬らしいですね。食堂を出た、屋外に咲いていました。①立っていると、足が痛みます。足の、ヒザの後ろあたりが、張れぽったくて、苦労している。この間は、高校生たちへの話が2つあって、立って話をしていると、足がパン、パンに、ふくれ上がった。歳をとるって、大変なんですね。②もう1つ、歳をとって大変なのは、寒さです。からだが、温まれない。これは困ります。昨日は介護のヘルパーさんが来て、入浴させてもらった。ありがたい。温か、でした。「からだ、だいじょうぶ、ですか?」「ええ、まあ、横ばい、です」。出会いを、楽しむ。日記を書いて、楽しむ。騎士誌に原稿を書いて、楽しむ。3つの楽しみが、あるわけです。こころは、重くない。いつも、軽やか、です。★来週は、ひさしぶりに、オバマの温泉へ行こうと予定しています。

2013年11月14日木曜日

秋田の涙のマリアさま。実は30年ほど前に訪問していた。

去る10月21日、月曜日に、ルーマニアから、聖コルベ館に、33人の巡礼者たちがきた。彼らは、「これまで世界中の、10の巡礼地を回ってきた。次の27日に、秋田にお祈りに行く」と告げた。それを機会に、秋田のマリアが気になったのです。「そういえば確か、テレビに出たのがあったな」と思い出した。調べてみると、ソニーのベーター・テープに収録したのを見つけた。1981年6月19日の日付けになっている。しかしベーターだから、見る機械がないから、見れない。そこでカメラ店へDVDへの変換を頼んでおいた。それが出来上がったのです。あらためてテレビで見ると(22分)、確かにマリア像の目から涙が出ている。テレビは、木彫の製作者や、木の性質の専門家に問い合わせていたが、不思議としか、言いようがない、と伝えた。テレビに写ったリストによると、第1回の涙は、1975年1月4日。この日、3回、流れて、58人が見ていた。テレビの放映のときは、第98回で、1981年1月6日、18人が見ていた。涙は、101回、1984年まで出ている。修道士が訪問したのは、1984年7月22日、日曜日であった。10数枚の写真を撮った。これがその写真である。訪問の記事は書かなかった。素朴な家が建っていたが、いまでは、ずいぶん変わっているだろう。涙は確かに出ていたが、それが何故起こったのか、わからない。カトリック新聞によると、ルーマニア人が訪問した27日には、大きな祈りの集いがあったと報じられていた。


2013年11月13日水曜日

神奈川の女子高校生180人。平和の花を沢山、咲かせよう。

大勢の女子高校生たちが聖堂に着席しました。代表者が出て、修道士に言った。「『17歳の夏』の本を、全員が購入し、読みました」。こんなに大勢の若者が、17歳を読んでくださること、ありがたいです。「感謝します」。次いで、高校生たちは、全員で、歌を2つ、合唱した。1つは「ハレルヤ」です。すばらしい歌唱力でした。修道士は、目をつぶって聞き入った。途中で、ちょっと、目をあけると、全員の目が修道士を見つめている。「ヒヤー」と、若い目に押されて、また目をつぶった。いよいよ話が始まる。この時は、皆さんの目をしっかり見渡しながら、話を進めていった。話の中心は、コルベ神父の身代わりの愛だが、「お礼を求めない愛」の言葉を忘れて、言わなかった。ザンネンです。平和、ヘイワ、へいわ、と叫びながら、なぜ人類は平和になれないのか。平和になるには、許す心が必要です。相手が叩いたら、叩き返す。仕返しする。それでは平和は来ない。その反抗を、どこで断つか。勇気が今、要求されている。だが、これは実際は、中々むずかしい。そこに現実、難点がある。それでも最後の締めくくりの言葉は、こう、でした。「助ける人になりなさい。困難が来ても、逃げない人になりなさい。許す人になりなさい。平和は、人の心に、愛の花を沢山、咲かせた時に来る」


2013年11月12日火曜日

名古屋の女子高校生たち、コルベ神父の生き方を学ぶ。

質問があります。高校生たちが来る前に、質問状が送られてきた。毎年、この学校は来ている。もう30数年になるだろう。旅行が終わってから、冊子を発行している。①コルベ神父は教徒に教えるときに、大切にしていたことは何ですか。②コルベ神父の行動の動機は何ですか。③コルベ神父の長崎での活動は、どんな影響を与えたか。④コルベ神父の行動から、愛とは、何だと思いますか。⑤コルベ神父が教えを説くとき、大切にしていたことは何ですか。⑥コルベ神父はナチスの政策を、どのように考えていましたか。⑦コルベ神父が亡くなると、悲しむ人がいるのに、身代わりになったのは、愛のある行動だったのでしょうか。⑧『女の一生』第2部に、コルベ神父を登場させたのは、どうしてか。⑨コルベ神父はアジアへの布教を重視していましたが、どうしてか。⑩コルベ神父は聖母マリアを尊敬していましたが、どうしてか。以上は、修道士に突きつけたテストみたような問題でした。考えさせられるよ。

2013年11月11日月曜日

どうです?いいカオしている?苦しみあっても、恵みもある。

ビンセント神父さん、明るいカオしているね。アメリカ人の神父さんだよ。昨夜は、いっしょに、町で、夕食を食べました。沖縄で働いていたんだよ。もう引退かね。若い時もあったさ。ビンセント神父さんは、聖コルベ館の初代・館長だからね。ボクが、2代目。マザー・テレサ・シスターさんが聖母の騎士に来られたとき、写真をみると、シスターの直ぐそばで案内した。英語を話すからね。名誉あるお役目だった。ボクが山の施設の学校の校長だったとき、中学生のクラスに、英語の授業を週1で頼んだ。長崎から、50km。ビンセント神父さんは、オートバイに乗って、さっそうと、やってきた。中学生たちに教えてね。効果はあるんだね。中学生の女の子は、英語をしゃべるようになって、海外交流にも出かけていった。ボクも、今からでも、エイゴ、習おうかな。イヤ、むずかしいね。中学生の頃は、鬼畜米英(きちく・べいえい)の教育を受けたモンさ。ごめんね。人類は、仲良くするのが、イチバンです。平和、ヘイワを願います。ビンセント神父さんとは、いっしょに暮らしています。「グット、モーゥニング」。いつも、あいさつ、しています。

2013年11月10日日曜日

神奈川から2人の女性。会えて嬉しいと、いい思い出残した。

出会いの喜びがあった。午後、自室で休んでいると、聖コルベ館から呼び出しの電話。神奈川から、2人の女性が見学に来ている。ぜひ、お会いしたい。そこで聖コルベ館へ。①「読んでから来ました」。小崎サンの「出会い旅」「オラショの旅」を愛読しました。ぜひ長崎へ巡礼したい、との思いで来た。2人ともカトリック。洗礼は、1人は4年前、1人は3年前。同じ教会で仲がいい。②「1泊2日で訪ねて来た」。パック旅行を利用。長崎駅に着いたのは、昼過ぎ。大浦天主堂から、聖母の騎士へ。③「会えて、嬉しいです、と女性は感激」。じゃあ、ハイ、アクシュ。打ち解けて、話し合った。洗礼を受けた動機は何ですか?子どもの頃から教会は知っていたが、人生、苦労を重ねるうちに、信じられるものがほしい。友人と共に、教会へ。イエスの愛の心に近づきたい。歳のことも考える。④「夜のミサへ行きなさい」と勧める。土曜日の夜は、浦上天主堂でミサがある。お祈りに行きなさい。⑤2人から「よいコースを教えられた」。明日は?と尋ねると、1つのバス・プランを教えられた。「え?こんなコースが、あるの?」。エースJTB九州オプショナル・プラン。朝、9時に長崎駅を出て、日本26聖人上陸地、西海橋、横瀬が浦、中浦ジュリアン、外海を回って、5時20分には長崎駅へ戻る。次いで空港まで送ってくれる。「こんな便利なコース、初めて、知ったよ。いいねえ」。パック旅行の個人プラン。2014年3月末まである。パックの旅は安くて、便利だね。★「いま、幸せでなければ、あすも、幸せには、なれない」。2人に出会って、何だか、幸せであった。ところが、夜中、大雨が降った。朝、起きても、雨は音を立てて、降っている。「あの2人、かわいそうだな」。幸いなり、8時頃には、空は曇りだが、雨はすっかり止まってしまった。おう、恵みが、あったぞ。

2013年11月9日土曜日

発見。生月の隠れキリシタン。大天使聖ミカエル。珍しい。

新聞で見つけた。珍しい発見なので、日記に載せた。右側は、現在、描かれている大天使聖ミカエルの絵だが、隠れキリシタン時代には、新聞のように描かれていた。日本風のイメージである。これを今日、取り上げたのは、実は、自著『西九州キリシタンの旅』に詳しく書いているからです。日本に、最初にキリスト教を伝えたのは、聖フランシスコ・ザビエルだった。聖人が鹿児島に上陸して、島津の殿様から初めて布教を許されたのが、9月29日の大天使聖ミカエルの祝日だった。(聖ミカエルへの信心は古く、9世紀から、この日に祝われてきた)。また聖人が生まれたスペインのザビエル城は、大天使聖ミカエルに捧げられていた。ザビエルは、日本にキリスト教が広まり、発展するよう聖ミカエルに祈り、日本の布教の保護者に定めた。★聖書によれば、大天使聖ミカエルは、神に反逆した悪の天使(悪魔)と戦って、彼らを地獄へ落とした軍の総帥と記されている。現在の、平戸のカトリック教会は、1931年、昭和6年に建堂されたが、大天使聖ミカエルに捧げられている。平戸や生月の信徒たちは、大天使聖ミカエルの信心を、大切にして、祈り、代々子孫に伝えていったのであろう。★人の心には、天使の声・勧めもあれば、悪魔のささやきもある。それに打ち勝つには、謙遜な祈りと、神への信頼が大切と思う。自分のチカラに頼ると、負けてしまうだろう。

2013年11月8日金曜日

手作りのシオリ、94枚が届く。恵理子さん、有り難う

9月5日の日記に、大分県の恵理子さん作の栞(シオリ)を載せた。あの時の恵理子さんのお便り。「日記を読んでおります。日記の中から、言葉と、絵を合わせて、自作のカード(栞)を作りました。使ってください」と、20数枚送ってくださった。ビックリしました。届いた栞は、出会ったシスターさんたちに贈って、喜ばれた。ところが数日前に、再び、同じ恵理子さんから、大量の、94枚ものシオリが、届きました。ごらんのカード(栞)です。カードを並べてみて、興味があるのが、恵理子さんが、どのような言葉を選んだか、ですね。知りたいところでも、ある。★言葉は短いが、チカラがあるんですね。だから、こういう短い言葉に惹かれます。「親切な、対応は、快い、思い出を残す。出会いは、恵み」「どんな逆境でも、希望と、勇気で、今を、生きる」。こんなのも、いいね。「痛ィーテッ、イヤーダッは、生きている証拠、耐えるのは、今、でしょ」言葉は、切磋琢磨している。★シオリは、何かに挟んで、時々、眺めると、ゲンキが出るでしょう。有効に使いたいと、楽しみにしています。裏は、どうなっているか、というと、聖コルベ館の赤印が押してある。★全然、想像もしなかったのに、大分県の恵理子さんが、ある日、ポーン、と贈ってくれた。偶然の出会いによって、小さな喜びが湧き起こった。喜びは、沢山の、ほほ笑みとなって広がる。あるんだな、そんなことが。だからジンセイは、毎日が、おもしろい。楽しい日々が、過ごせる。


2013年11月7日木曜日

ゲンキな中学生たちから、チカラをもらうよ。悪に負けるな。

関西から、中学生、100人が修学旅行でやってきた。振り返れば、今年も、いろんな学校がやってきたが、この中学生たちは、感心するほど、聖堂での態度がよかった。先ず聖堂の入口で、列に並んで、1人、1人が、ていねいにお礼をしながら、静かに入ってくる。全員が揃うまで、みな静かに席で待っている。中学生って、やんちゃじゃないですか。それが神妙にしている。先生に聞くと、学校にも聖堂があって、このように静かに入る習慣が出来ている、という。「たいしたモンだね」。こちらも、話にチカラが入るよ。中学生たちに混じると、彼らから、若いパワーをもらうね。ゲンキがでるよ。古いアルバムを見ていたら、この中学校は、1984年から聖コルベ館に来ている。もう30年だよ。生徒は先生になって、この学校に勤めて、生徒を指導して参加している。来る学校もリッパだが、それを受けてきた我々も、長い歴史があるなと、あらためて感じた。「困った人を、助ける人になりなさい」「困難が来ても、逃げるな。逃げても、解決しない」「世の中には、イヤに思うニンゲンも、居る。受け入れるのは、なかなか難しい。解決できないときは、1人で、考えこまない方が、いい」。中学生たちは、今夜は稲佐山から、夜景を眺めるという。ちょっと、雨模様だね。きれいに見えると、いいね。「いい思い出を、沢山、つくれよ」
 


2013年11月6日水曜日

見学者が熱心に見れば、空腹も何んのその。満足します。

昨夜の6時半から、7時半まで、聖コルベ館を見学した、インド人司祭の皆さんです。別れしなに写真を撮ったとき、1人が言った。「ブログに載せるの?」。どうやら『日記』を知っているらしい。「ええ、まあ」とお茶をにごしていた。ここに載せることにしたのは、1つのストリーを見つけたからです。★実は昨日は、歯科医院の予約診療が、11時半からだった。遅いよ。とうとう昼ご飯は、食べずじまいだった。耳鼻科や、ふとん屋へ寄って、3時近くに帰った。しばらく休んで、お祈りが始まる。ロザリオと聖務日課のお勤めを果たした。修道士は祈らなければ、食べられない。6時半から夕食となった。「昼、食べていないから、夕べは、ゆっくり、十分に食事が出来るだろう」。期待して、食卓に付いていたら、すぐに、チャイムが鳴った。「遅くなったけれど、ぜひ見学させてほしい」とのお願いです。「ああ、ザンネン」が心のなか。席を立って、聖コルベ館へ向かった。★入館無料の聖コルベ館は、年中無休で、盆も正月もない。なぜ、って、同じ敷地に生活しているからです。毎日、9時に開館し、5時に閉まる。ただ、その前後は、祈りのお勤めがあるから、開けられない。それに小崎修道士は、祈りも、食事も、共同のお勤めを欠かすのを嫌がっています。しかし昨夜は、インドからの司祭と聞いて、開けました。1人がインドからのお客さん。オーマンで働いている。日本旅行10日間。46歳。フランシスコ・カプチノ会。2人は友だちで、日本に長年、在住。修道士は、お客さん司祭に聞いた。「コルベ神父、知っていますか」「前に読んだ。宣教師。インドにも行った。生涯に、感動。友のため命をささげた」「最も大切なこと、何ですか」「聖人から学ぶこと。伝える人になることです」「聖人とは、どんな人?」「福音を生きる人」。資料の並ぶ各場所で、旅の司祭は自分を入れて写真を撮っていた。夜、遅かったが、彼らは、ゆっくり、ていねいに見てくれた。それで十分です。とうとう夕食は、食べなかったが、満ち足りた気持ちで、安らかに眠った。今朝の体重、0.1kgだけ減っていた。


2013年11月5日火曜日

むかし撮った写真に寄せて。海辺の祈り。真理の港へ

むかし、海辺の教会の写真を撮った。向こう側に、教会があって(よく見ないと、わからない)、それに添って、漁船が浮かんでいる。その手前には、女性たちが、捕れたサカナ「イリコ」を干していた。懐かしい写真だ。この風景は、忘れない。いつも、心に残っている。これには「海辺の祈り」と題をつけて、次の話を書いた。「フランスの青年が、フランスでも最もカトリック信仰が熱心なブルターニュ地方を旅した。ホテルの主人から、「海岸へ行って、漁師たちの出漁の様子を見なさい」と勧められる。見慣れた光景と思いつつも、海辺へ出てみた。すると漁師たちの信仰の深さに感動する。彼らは、出船にあたって、海岸にひざまずいて、祈るのであった。「おお、神よ、我が船は小さく、大海は広い。海のさなかにおいて嵐吹かば、わが船は必ず沈没せん。されば全能の神よ、我が小さき舟をまもり給え」。それを見た青年は、自分で祈りをつくって、唱えることにした。「全能の神よ、わが頭脳は小さく、知識は海の如く広い。かの海は、狂乱怒涛の如くして、我にとりて危うきなれば、神よ、我を守りて、安全に、真理の港へ導き給わんことを」。フランス青年は、その日、以来、「真理の港へみちびき給え」と祈りつづけた。それに応えて、神は、導き給うた。やがて、青年は司祭となり、日本へ宣教へきた。在日数十年、「巧みな日本語で、日本の文化人を魅了し、筆舌の活動をつづけたカンドー神父こそ、その人であった」。カンドー神父さまは著名な宣教師だった。「我々も、天国の港へ無事にたどり着けるようブルターニュの漁師に倣って、日々、祈り求めよう」

2013年11月4日月曜日

パソコンの調子が良くない。考えも、まとまらない。

連休の3日目になった。見学客が、少ない。寂しい思いをしている。資料室から、古い騎士誌を取り出してみた。1965年の騎士誌の合本だった。この年から、5年間、騎士誌の編集を手伝っている。当時、騎士誌の値段は、1部、15円。郵便料金が、6円だったから、実質、9円の騎士誌代だった。それでも、3万7千部発行されていた。子どもの頃から、家庭の新聞を作ったり、雑誌の編集に興味があった。だから、この頃から、毎号、身辺記事を書いている。編集長は、坂谷神父さん(故人)で、2人は気の合う仲だった。村岡神父さん(故人)の、クルマの事故を書いている。炭鉱の町・潜竜(せんりゅう)で、駅から少し外れたところに、トンネルがあった。トンネルを出たすぐのところに踏み切りがあった。その踏切で、クルマが汽車とぶつかった。鉄のカタマリの機関車に、50mも押されて、止まった。ふしぎなことに、きれいに押された格好で、横転していない。普通なら、横転か、跳ね飛ばされるのだが、クルマへの衝撃は、激しかった。機関車からクルマが外れない。おんぶされた形になっていた。枕木が3本、浮き上がって、ポッキリ折れる。「乗っているニンゲンは、大丈夫か」。村岡神父さんは、無意識のうち、アタマをモタ、モタと持ち上げて、がっくり、気を失った。40分たって意識が戻った。そのとき言った言葉が「やっぱり、汽車は、強かった」。警察署長は、神父さんにキツク説教したそうだ。「注意するんですぞ。神父さんだから、助かった。普通の人間なら、とても、命なんか、ありゃせん」

2013年11月3日日曜日

巨人が負けると、塩なし料理。いつも思い出される修道士。

昨夜、野球の日本シリーズがあった。楽天と、巨人。あと1勝すれば、楽天が優賞。地元・仙台の球場で、試合は盛り上がった。強いものには、応援しない。弱いものに、応援したくなる。それが気性だから、仕方がない。当然、楽天に勝たせたい。いよいよ試合が始まった。テレビを見ていた。「おお、いいぞ」。楽天が、点を入れる。「よし、よし」。しかし試合の中途で、巨人が点をいれて、雰囲気が逆転した。「ああ、もう、試合は、見られない」。負けた試合を見ると、心臓によくない。結局、やっぱり巨人は強いな。底チカラが、ある。最初は負けていても、最後は必ず勝つのが、巨人。だから巨人は、スカン。あとの試合は、どうなったか、見なかった。楽天の逆転は、ないだろう。今朝、早朝のラジオで、楽天が負けたと、知った。「ああ、やっぱり、ザンネンだったな」。日曜日。ミサが終わって、朝食の食卓に、6人がいた。「巨人が、勝ったね」。野球の話が出た。食卓には、ほとんど野球の話は出ないのだが、今朝は、めずらしく出た。長崎では、巨人の話が出ると、その、つながりで、必ず、1人の修道士さんの名前が出る。巨人のダイ・ファンで、彼は炊事の担当だったが、巨人が負けると、おかずに影響した。手元が狂って、塩を入れない。入れたかと思ったら、2倍も、3倍も入れる。当時、食卓には、20人以上の数があった。巨人が勝って、困るのは、みんなだった。今朝の食卓にも、その修道士さんの名前が出たというわけだ。「彼は、71歳で亡くなった。いま生きておれば、87歳になる」「ああ、もう、そんなに、なるか」。今朝は、巨人が勝ったことで、その修道士さんが思い出された。外海出身の、話題の多い修道士さんだった。

2013年11月2日土曜日

死者から多くの恩を頂いた。祈りで心をつないで、感謝。

11月2日は、カトリックでは、死者の日を祈ります。朝、ミサと、聖務日課で祈りました。多くの人と死に別れがあった。父の病死。母の原爆死。伯父さん、叔母さん、ポーランド人の修道者たち、最近では、親友の死もあった。数え切れない人の死を見送っている。どれほど多くの恩を受けたことだろう。コルベ神父からイノチをもらった男性は言った。「恩は、もう、あの人には返せない。ならば、別の人に、別の所で返していく」。この言葉には真実がある。★死んだ人のために祈るが、大事なのは、生きていることだろう。生き抜くことだ。ジンセイって、何だろう、と考える。85にもなって、振り返って思うと、結局、人生は、「①出会いであり、②才能を伸ばすことであり、③幸せになる、それに尽きる」この3つに集約される気がする。沢山の人に出会ってきた。いい出会いは、幸い、傷つく出会いは、痛み悲しい。持っている才能を伸ばして、自分を確立していく。好きこそ、ものの上手なれ、という。人生は、幸せでありたい、誰もが、そう願っている。それでも、幸せは、各人の価値観によって、異なるだろう。派手な生き方、好まない。質素で、いい。それでも、本当の幸せを求めたい。何処に、ある?幸せは、心の安らぎと、祈って、希望を持つ信仰にあると、いまは思っています。


2013年11月1日金曜日

11月は死者の月。支えてくれたヨシエさんは神に召された。

1枚の写真が送られてきた。裏の日にちを見ると、2005年8月14日。聖コルベの祭日に写している。よく考えてみると、この日、管区をあげて、聖コルベが長崎へ上陸した75周年をお祝いしていた。セルギウス修道士さんは、まだ健在であった。聖コルベの思い出を語った。フランシスコ中村修道士さんも、長崎で頑張っていた。いまは老人ホームで静養している。写真の青色の服、岩本ヨシエさん、今年の7月に、91歳で亡くなった。セルギウスさんの左側が、娘の八智子さん。ヨシエさんが神に召されたのは、大きなチカラ落としであった。もう40年程前に、広島から、オラッショの旅に参加された。それがご縁で、長い付き合いがつづいていた。ヨシエさんは全くお医者さんに罹ったことがない。でも今年、カラダの調子が思わしくなく、お医者さんへ行くと、腹水がたまったいた。ご本人も、お腹に水が溜まるようでは、先が短い、と言っておられた。それから、もう神さまに召されるのを覚悟しておられたのであろう。信仰について、「わからん、わからん」と言っておられたが、安心した最後だったと、娘さんが知らせてくれた。11月に入った。この月は、カトリックでは死者の月と呼ばれて、祈ることが勧められる。最近、亡くなった方が多く居られる。彼らの平安を祈ります。