長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年10月31日木曜日
朝から、予約の診療へ。朝食の時、ライモンドにも食事を。
2013年10月30日水曜日
ジンセイは短い。生きること、大切にしたい。ムダに生きるな。
朝がた、ラジオの深夜便を聞いた。86歳だけれども、明るくゲンキな声で語るお年寄り。「腎臓のガンで、片方を取った。大変な手術だった。そのあと、ボウコウ・ガンにも罹る。電気メスで切り取った」。聞きながら、オレと同じだ。ジンゾウ、取って、ボウコウも、病む。ラジオで語る人は、アンパン・マンの作者、やなせ・たかしさんだった。もう亡くなったけれど。生前の声だった。ラジオで、やなせさんは、生きていること、謳歌している。歌も自ら作詞・作曲し、自分で、大声で歌っていた。「すばらしい、ヒトやな」。やがて、5時になる。いつもの通り、ゲンキに起きた。身支度をして、真っ先に、聖堂へ行く。5時45分から、共同の祈りが始まる。祈ると、心が洗われ、やる気が出てくる。「生きているって、なんと、すばらしいことか。歌も唄えるじゃないか。祈りも出来るじゃないか。アッ、ハ、ハ、ハ。笑えるじゃないか。いい、ことタイ」。思わず、つぶやいた。ホンネを言うと、80代も半ばになると、1日1日が、とても惜しい。月日が過ぎ去るのも、また早い。いま振り返って、若い頃を思えば、ほんとうに、時間のムダ使いをしたモンだ。後悔するよ。ニンゲンは限られた時間を生きるなんて、思わなかったよ。時はエンエンとつづくものとばかり、勘違いしていた。そうだ、な。若いとき、何をするか。勉強するよ。外国語を覚えるよ。ジンセイ、やりたいことは、いっぱい、あったのになあ。今からも、ボチボチ、やるか。★「ピン、ポン」と鳴って、韓国の巡礼者が、23人入ってきた。2013年10月29日火曜日
聖コルベ館に反響もある。手紙も来る。感謝も届く。見ている。
2013年10月28日月曜日
病める女性、ルルドへお参り。本場のルルドへ行きました。
ロザリオ祭に、関西から、1人の女性がお祈りに来ました。病気を病んでいる方です。「小崎サン、おぼえていますか」と言われて、1ヶ月ほど前のことを思い出しました。娘さんと、2人で来た女性でした。大変な病気で苦しんでいます。いま、治療をおこなっている。前々から、聖母の騎士のルルドにお参りに来ていましたが、お水を飲みに、汲みに来ました。娘さんが、「フランスのルルドへお水を汲みに行きます」と言われた。そして今日、またお母さんが1人でやって来た。「小崎サンから背中を押されて、ルルドへ行ってきました」「え?フランスへ、ですか?」「ハイ。息子が、フランス語を勉強しているので、息子と2人で行きました。お恵みを沢山いただきました」。女性は、病気の養生をつづけています。病気は、お医者さんに言わせると、とても深刻だそうです。でも、女性は今のところ、痛みや、苦しみはないと言っています。骨にも転移があるそうです。手術は出来ない。抗がん剤の治療をしていますが、幸いに、クスリが特別に好く効いている。何とか、生きたいと願っています。女性は明るく、信仰をもって、マリアさまにもお任せしています。ブログを読んでくださる皆さん、女性のために祈ってください。お恵みは必ず現れるでしょう。希望をもって、祈りましょう。女性は「小崎サン、また来ますから」と言って、帰られました。病気は、1人1人違うので、希望はあります。奇跡もおこるかも知れません。最善を尽くすのが、神さまのみ旨です。女性のことは忘れないでしょう。
2013年10月27日日曜日
恒例のロザリオ祭。秋晴れのもと、多くの参詣者で賑わう。
2013年10月26日土曜日
古い写真を、懐かしく見つめた。命日は韓国に。いま祈ります。
亡くなった人、いつになっても、忘れない。10月19日が命日だった。忘れていたわけではない。ちょうど、韓国を旅行中だった。あれから、きょうは、1週間になる。神父さんに、その人のてめ、ミサをお願いした。もう今年で、45年になる。1枚の古い写真を取り出した。裏に、エンピツで、「陽なたぼっこ」とある。1064年11月2日。右より、アグネス・シスター。深堀おばあさん。ガブリエル・シスター。山田おばあさん。ジョン。名前が書いてある。シスター・アグネスが、その人。この写真の4年後に、亡くなった。心臓病であった。1968年10月19日、享年、40。同じ歳であった。心の優しい、看護の技術に長けたシスターであった。生涯を、神にささげた。両親や、兄弟は、みな、カトリックではなかった。亡くなった人は、身近に居る。見守ってくれる。そう信じたい。
2013年10月25日金曜日
食卓、にぎわす、柿。ああ、おいしいよ。食して、満ち足りる。
食卓に、いくつもの柿が並び始めた。「上の、木から取った、柿だよ」。この辺り、柿の木が多かった。「何本、あるとね」「2本、けっこう、なっているよ」。天然のものは、かっこうは、イマイチだが、うまさは、いいね。みな、よろこんで食している。★昨日は、この道で良かったのか、など記したが、それは迷いです。騎士誌に、もう何年も、毎月、書いてきたのを見ても、これだけの出会いがあったのです。足跡があったわけです。過去は振り返るな、とは言いますが、時には過去を思い出すのも、いい。人のジンセイって、そんなに大それた痕跡はないですね。平凡に暮らすのも、いいでしょう。★沖縄の小学生たちが、9月に、聖コルベ館へ見学に来たが、感想文が送られてきた。小学生が書く文には、心が揺らされる。返事に、手作りの、絵ハガキを、各人あてに、まとめて送ったから、いま頃、着いて、喜んでいるだろう。平和を愛する人になってほしいよ。
2013年10月24日木曜日
折々に、助ける人が居たから、今が、ある。湧き起こる、感謝。
歳も、85、にもなれば、考える。オレのジンセイ、この世に生きて、これで良かったのか。修道士になって、迷っては、いけませんね。それは、わかります。ムリしないで、平凡に、考える。マンゾクだったのか。どうせ、ニンゲンのイノチには、限りがあります。「良かった」と言って、幕を閉じれば、それで、よし。韓国・明洞(ミョン・ドン)聖堂は赤レンガの造りで、リッパでした。戦争のときも壊れなかったのでしょうかね。建物は、かわりませんね。ただ写真が撮りにくかった。逆光線になるのです。朝の9時頃の写真です。一段と、高いところにあります。登り坂は、工事中でした。ホテルから聖堂まで、タクシーを使いました。なぜ、小崎修道士が、この歳まで、生かされたのか。それは分かりません。ただ、折々の、困難なこきにも、助ける人がいたんですね。ありがたい。あの人、この人。助けてくれた。だから、今が、ある。そんなことを今朝は考えました。明洞聖堂の内部には、両壁の上のところに、回廊があります。回廊がある教会は、由緒ある建物です。長崎でも、回廊があるのは、そう沢山は、ない。黒島天主堂、田平天主堂、青砂が浦天主堂、これぐらいでしょう。韓国の旅も、この教会の祈りで終わりました。いつも、祈りは、あります。神さま、ありがとう。今年は、これで旅をおしまいにします。あち、こち、回ることが出来ました。健康を与えられて、きょうも、感謝です。
2013年10月23日水曜日
韓国のワンちゃん、仲よく。キムチの匂い、ない?大丈夫だよ。
2013年10月22日火曜日
韓国・修道士のコーヒーは、気持ちを、落ちつかせた。
2013年10月21日月曜日
チャンポン食って、旅は終わった。いい思い出が出来た。
2013年10月20日日曜日
韓国・ソウル、3日目。明洞聖堂でミサ。夕方、長崎へ帰る。
2013年10月19日土曜日
韓国・ソウル滞在、2日目。聖コルベに、修道服、ホットする。
2013年10月18日金曜日
韓国・ソウルへ、1日目。ソウルの夜は、冷房で、寒かった。
2013年10月17日木曜日
生きているからには、いい思い出を沢山つくろう。やるぞ。
今年は、あっち、こっち、と小まめに、旅をした1年でした。5月は、韓国へ。7月の夏休みは、東京・赤羽へ。広島にも行った。8月は、黙想の家へ。湯布院へ。出会いも、あった。周ると、さまざまな感想も湧いてきます。「仲間たちに囲まれて、いいカオしているでしょう。幸せだよ。欲は無いしね。エガオがあれば、マンゾクです。すっきり、さっぱり、苦しみは、共に苦しめば、小さくなる。楽しみ、喜びは、共に喜べば、大きくなる。1日の労苦は、それにて足れり」。それで、いいです。★今年、最後の旅ですが、アシタから、2泊3日で、韓国・ソウルへ行きます。長崎空港から、ソウル行きが出ている。便利ですよ。同行は、介護の白浜さん(男性)にお頼みしました。目的は、韓国の聖母の騎士会への訪問です。どんな旅になるか、楽しみです。気温は、ソウルは少々、寒いようですね。ゲンキで行きます。いい話題が出るか、期待してください。
2013年10月16日水曜日
小学生の皆さんへの話は、ファイトだ、ゲンキだ。いいな。
2013年10月15日火曜日
連休は、訪問者が多い。女性が、親しく話しかけてきた。
2013年10月14日月曜日
「コーちゃん」と本名で呼ばれてハッとなった。うれしいよ。
2013年10月13日日曜日
日曜日のミサ後、交流の話。午後3時30分、無事に帰る。
2013年10月12日土曜日
博多へ出かけます。1年忌のミサ、墓参り、会食。故人を偲ぶ。
2013年10月11日金曜日
カラダを洗って、身も心もキレイに、再・出発だよ
病院から帰って、介護のヘルパーさん(男性)が来て、助けを受けながら、入浴し、気分を落ち着かせた。ヘルパーさんから、カラダを、丹念に、洗ってもらった。恥も、外聞も、ないですよ。病気だから、仕方がありません。特に、腰の周り、「消毒、しますから、ね」と手術室で声かけられて、冷たい液で、塗って、塗りまくられた。辛抱ですよ。それを思い出しながら、洗って、洗って、すっきりと、なった。「よし、また、気分を入れ替えて、何事もなく、平常心で、お勤めを果たすぞ」。騎士誌の11月号が、発行された。今月は、「聖コルベのルルド」について書きました。1度は書いて置きたいと思っていた課題です。ルルドには、大勢の参詣者が、黙々と、登っては、お祈りをして、お水を飲み、ポリ・容器に汲んで大事にして帰ります。コルベ神父のお水です。そのイワレを書きました。自分ながら、よく、まとまっているとマンゾクしています。読んでください。思い出してください。★あしたは、親戚の年忌のミサ、墓参りのため、早朝から、1泊2日で、列車で、博多へ出かけます。ご心配なく。日曜日に帰ります。2013年10月10日木曜日
無事に、退院しました。ホットする。聖コルベの許がいい
2013年10月9日水曜日
入院します。熱が出なければ、あした、帰れるでしょう。
これから病院へ向かいます。きょうは、どういう1日になるか、分かっています。午後から、手術室に入るでしょう。入ってから、出るまで、黙って、忍耐して、ガマンして、時間が過ぎるのを、耐えています。もう、同じ手術室に、何度お世話になるか。数えません。ステントを入れ替えて、生きて行けるのなら、それで、いいじゃ、ありませんか。老いが来ることは、カラダの部分が衰えていくことなんです。お祈りください。帰ってから、この文は、継ぎ足します。★松下修道士さんが、車で送る。昼食、なし。点滴が始まる。午後、赤尾神父さん、保護者として来る。1時30分、点滴を持って、歩いて、手術室へ。頭上、後部の時計を見る。1時37分、マスイ開始。1時42分、「カメラ、入れます。ちょっと、痛いよ」「クチを、あけて、大きく、イキを、して」。その時の、心境。イメージは、海の上に漂う泳ぎのカラダ。背泳ぎのカッコウ。あれ、ですね。波間に、ゆだねる、全く、そんな気持ちです。1時50分、「終わりました」「早やーッ」。ベッドに寝せられ、手術室を出る。2時に、病室へ帰る。あとは、着替えて、静かに休みます。「熱が、出ないように」。赤尾神父さん、安心して、帰る。お医者さんが、5時に来る。「ボウコウはキレイでしたよ」。夕食は、あり。点滴が終わったのは、午後7時だった。これで、すべては完了した。神さまに、カンシャ。みなさんに、感謝。
2013年10月8日火曜日
68年前、この道に入った記念日です。今日も長崎は雨だった
忘れません、この日は覚えている。原爆に遭って、家を失い、母を失い、傷心の17歳の少年。おじさんの家に居たが、肩身が狭い。これから、いかに生きるべきか、決断を攻められていた。「自分で生きる」「いかに生きるか」「何を選ぶか」。雨の日だった。「今日は、ナガサキは、雨だった」。歌の文句じゃないけれど、悲しいよ。雨って、悲しいね。傘もなく、少年は、ぬれてね。哀れなモンさ。聖母の騎士の大きな扉に立った。引くヒモがあってね。それを引くと、奥の方で、「カラン、カラン」とカネがなる。ドカ、ドカと、クツの音が大きく響いて、ポーランド人の修道士が大きな姿をあらわした。それが、ゼノ修道士だった。白いヒゲがあってね。青い目は優しかった。「オー、坊ーや、お母さん、どうしました?」「ゲンバクで、死んだ」「カナシイ、ネ」。ゼノさんは青い目に手をやった。「入りなさい」。ミロハナ神父に会って、「小神学校で、勉強しなさい」。それが、68年前の出来事だった。「この道に入って、68年。聖人への道は遠い」と書きたいが、キザになるので、書きません。それより、トコヤへ行って、サッパリした。それで、ええでしょう。まだ、まだ、がんばります。
2013年10月7日月曜日
ポーランド語から、おたく・アニメの雑誌が送られてきた。
ポーランドから、1冊の雑誌が送られてきた。知らない人からだが、名前は「ヴァニタチ」さんです。手紙は、日本語で書いてある。「おたく・アニメ」の雑誌なんて、こりゃ、なんだ。おたく、って知らないよ。そういう時代で、なかった。伝播は早いね。ポーランドでも、オタクの気風が流行しているんだ。雑誌をあけると、いま・ふう、というのであろうか、目の大きな、足が細い、髪がイカス、男性、女性が描かれている。我々の年代は、ちょっと、ヘンな感じがする。「なぜ、ボクに?」と疑問に思ったら、自伝・マンガ「焼けたロザリオ」が、ポーランド語に訳されているが、今、向こうの若者に読まれているらしい。雑誌の記者、ヴァニタチさんが、「焼けたロザリオ」を紹介するポーランド語の文を載せているのだった。2ページにわたる。何、書いているのか、内容は分かりません。ヴァニタチさんは、今年の1月から日本語を勉強した、と書いているが、リッパな文になっている。感心するね。まあ、いずれにしても、若者たちに、おたく、といえども、コルベ神父や、戦争、原爆、平和のことが浸透すれば、ありがたいと思う。それで、いいんじゃないですか。ヴァニタチさんには、返事を書かなくては、でしょう。おたくの日本語雑誌は有るんでしょうか。マンガは、どんな本でしょうか。2013年10月6日日曜日
茂木といえば、ニ見(ふたみ)です。料理もオイシイでした。
2013年10月5日土曜日
3つの色紙の文面に人気がある。描いて、送ってください。
となり町の女性が訪ねて来た。時々、電話をかけて、時間通りに、訪ねて来る。日記を読んでいるから、消息をよく知っている。韓国へ行きましたね。東京へも行きましたね。「ハイ、ハイ」。この間、カードが載っていたが、文章がよかったのが、3つあった。色紙に、その文章を入れて、描いてくれませんか。「誰に、あげるの?」「いや、自分で持つのです」。その3つの言葉というのが、次の通りです。①今は辛いけど、道の向こうには、幸せがある。『ブドウの絵』。②苦しみは、のちに、愛の喜びに、変わる。『ボタンの絵』。③ほんとうの愛に出会えば、苦しみ痛みは、のり越えられる。『バラの絵』。こうして描いたのが、③の色紙です。ボタンも、バラも、むずかしい。この絵のバラも満足には描けていない。ヘタは、ヘタでも、修道士が描いたと思って、カンベンしてください。3枚を早速、送った。手紙を、添えた。「時々、姿をみせてください。十分な解決のパワーは持ちませんが、寄り添う気持ちはあります。まだまだ長い人生です。例えいま落ち込んでいても、その状態は長くはつづかない。そう思って前へ向かって歩んでください。幸せ、祈ります。色紙は、あなたを覚えている」
2013年10月4日金曜日
イタリア・アシジの聖人、聖フランシスコに、平和への祈り。
師父・聖フランシスコの祭日です。少年の頃、平和の使徒、聖フランシスコに憧れて、この道に入りました。思いは、いまも変わりません。師父・聖フランシスコの前では、気持ちは単純になります。昨夜から、トランジトゥスといって、聖フランシスコが「姉妹なる死よ」と言いつつ、亡くなる、天へ召される場面の追憶がありました。式のなかの共同祈願で、「聖なる父よ」と呼びかけ、この言葉を祈る願いがありました。聖フランシスコといえば、平和です。だから、師父に倣いながら、何物をも持たないで、きれい、サッパリの身なりで、愛と、従順のうちの、清い心を固めながら、歩んでいこう、あらためて、そう祈りました。道は、遠いかも、知れない。倒れるかも、知れない。それでも、指針はハッキリしている。少年の頃の純な気持ちを、貫いていきたいと、思いました。聖フランシスコへ向かうと、ホットします。アシジの丘を思い出すよ。★従順って、何だよ?決められた目上に、全く従うことです。これが難しい。相手は、ニンゲンだからね。でも、ニンゲンに従うのでは、ない。神さまに、従う。これが信仰です。修道生活です。従順で、いちばん、光っていたのは、コルベ神父でした。ポーランドの修道者から、度々、聞かされた模範です。聖フランシスコの特に強調していました。従えば、うまく、行く。
師父・聖フランシスコの祭日です。
2013年10月3日木曜日
ライモンド、時々、載せます。ゲンキ、しているか。幸せか。
2013年10月2日水曜日
60年ぶりに、騎士誌を返します。観想シスターの手紙より。
カルメル会のシスターから、次の手紙があった。「戦争の末期に、ある人が、東京は空襲で危ないと、古さとの長崎へ帰ると、カルメル修道院に別れを告げた人がいた。その後、消息が不明になった。原爆で亡くなったのか。カルメルのシスターは、その人のために祈り、また原爆で亡くなった人のために祈った。それから原爆の記事を集めるようになった。最近になって、持ち物を整理したい。騎士誌が出てきた。小崎サンの名前で、記事が出ている。いま毎月、騎士誌で小崎サンの記事を楽しみに読んでいる。そこで、この騎士誌を小崎サンへお返しします」。騎士誌は今よりも小さなサイズで、古びた感じがする。昭和28年の7月号であった。2つの記事を書いていた。ちょうど結核で苦しんでいた頃で、「孤独と不安」。内容は難しい言葉ばかりが並び、何を言っているのか、わからない。青クサかったのですね。もう1つは、原爆の記事。名前は「彦山八郎」になっている。シスターは原爆の記事で、この騎士誌を残し、小崎の名前から、返したのであろう。手紙はカルメルのシスターだから、幼いイエスの聖テレジアに就いても書いてあった。「教皇さまは、ブラジルのリオへ行かれたとき、ご自分でカバンを持たれた。初めてのことで、記者が問うと、中身は、ヒゲそり、聖務日祷書、スケジュール表、小さきテレジアの本です、と答えられ、聖テレジアが大好きです、と言われた。カルメル・シスターたちを喜ばせました」と書かれていた。★テレジアは修道院の中にだけ有って、病気に耐え、小さなことに忠実で、神への愛に燃え、若くしてイノチを捧げたが、すばらしい宣教者の保護者にもなった。★うちの修道士の阿野さんも、胸の苦しい病気に耐えながら、修道会のため捧げますと、強く生きた。近くにも模範がある。人は、苦しみに意味を見い出したとき、幸せを見つけるだろう。生きている限りは、苦しむものです。きょうも、あかるく、聖コルベ館に勤めている。2013年10月1日火曜日
10月1日は、幼いイエスの聖テレジアの日。長い1日だった。
9月は去った。9月分の日記を活字に起こして、読み返す。感想は、「病いにありながらも、けっこう、いろいろ楽しんでいる。それで、よし、としよう」。書くことに、生き甲斐を感じている。10月が始まった。ミサのとき、司祭が言った。「幼いイエスの聖テレジアの記念日です。テレジアの洗礼名を頂いた人は沢山いる。それらの方々のために祈りましょう」。朝食後、テレジアと関係はないが、トイレへ行ったら、便座に、真っ赤な血が、4,5滴ついていた。びっくり、だよ。「こりゃ、ヤバイ」。ベンからか、ニョウからか、迷った。落ち着いて考えると、尿から、らしい。午前中、呼吸器科の診察日になっている。早めに出かけて、泌尿器科へ立ち寄った。血のことを、訴える。「ステント交換が近いから、クスリだけ飲むように」言われた。前にも血が出たが、おそらくステントが内臓をこすって、血が出ているのだろう。こういう状態がつづくのか、思えばイノチが短くなる。次いで、呼吸器科へ回る。お医者さんは、聴診器を胸や、背中へ当てて、ていねいに診てくれた。背中の傷をみて、おどろきの声を発した。CT画像から、右肺に、石灰化した部分が、肺の一部を囲んでいるのが分かる。そこにウミが溜まっているらしい。あっちも、こっちも、痛んでいるが、イノチには別状はない。生かされている限り、カンシャして、生きよう。耳鼻科へ寄って、耳の治療をした後、スパゲッティを食べて、果物屋へ寄る。クリと、ザクロを買った。聖コルベ館へ戻ると、午後は自室で休む。夕食の食卓に、数枚の手紙が来ていた。その中に、カルメル会のシスターからの手紙があった。「10月は、ロザリオの月、10月1日は、幼いイエスの聖テレジア、10月15日は、アビラの聖テレジアのお祝いがあります」と書かれていた。そして古い聖母の騎士誌が出てきた。
