長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年5月2日木曜日
韓国への旅・2日目。広安里のビーチでゆっくりと過ごした
ホテルの部屋は、16階であった。窓からの、広安里ビーチをスケッチする。1日、窓を見ていると、いろいろな変化が分かってくる。朝は、左側から、真っ赤な朝陽があがる。大陸の太陽は、バカでかい。少年の頃、北朝鮮で見た太陽も、そうであった。とにかく大きいのだ。懐かしいなあ、と思う。砂浜が美しい。朝、早くから、トラクターが出て、時間をかけて砂を整理している。夜になると、海にかかる大橋に、赤や、緑、青などの電灯がつく。これが、また幻想をさそう。ちょっと、飛行機で飛んで、僅かな時間でクルマで来ると、景色が一辺する。こんなに変化があるんだな。文化も違う。人も違う。ふしぎな感じがする。★朝食はホテルのバイキングだから、いいとしても、昼まし、夕食に何を食べるか、これに迷う。今度の旅は、介護をしてくれる白浜忠美(ただみ)さんと一緒。2人旅であった。結局、夜は、ステーキを食べた。固い肉だった。ジャスミン茶はおいしかった。9.200ウオン。2日目は、昼は、サシミ定食を食べる。サシミ、にぎり、サンマの焼きサカナのお腹の太いのには、びっくりした。煮サカナ、茶碗蒸し、テンプラなど、2人で、7万ウオン。夜は、野菜スープと、スパゲッチィで簡単にすませる。6万ウオンだった。6千円になる。キムチや辛い食材は遠慮する。腎臓に良くないからな、と自覚する。お酒も飲まない。尿が沢山でている。旅行のときは、困ったものだ。器具が悪いのか。暖房のリモコンが作動しない。ボーイさんを呼んで、取り替えてもらう。部屋には、風呂がない。韓国人は風呂に入らぬらしい。シャワーだ。日本人向きではない。ガマンする。6階に大きなサウナがあるが、入りたくない。こうして静かな夜はふけていった。★写真は、泊まったホテル。19階がレストラン。16階に部屋があった。ホテルを出ると、すぐコンビニもある。生活に便利である。日本の漢字の看板は全くない。
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