長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年5月11日土曜日
韓国の旅の介護役・白浜忠美さん。荷物運びにアセ流す
「あなたが、居たから、事は、スムーズに、運んだ。無事に、終わって、うれしいよ」。今度の韓国の旅で、忘れてはならないのが、介護役の白浜忠美(ただみ)さんの働きです。彼の介護役が居なければ、実現しなかったでしょう。1人では、決行できる旅ではない。旅に先立ち、荷物は、出来る限り、少なく持とう。2人とも、リュックを背負い、手に1個の手提げをさげる。計、4個。みやげは、カステラ3個。永井博士の「みどり夫人昇天の図」150枚。これだけで行こうと決めた。白浜さんは韓国は初めてです。何でも、めずらしい。同行して、彼の隣に居て、白浜さんの興味は、職業柄(今まではクルマの運転を勤めていた)「韓国のクルマのスピード(出しすぎ)と、道の広さ(狭いですね)、それに、山に生える樹木」だった。いま白浜さんは、ルルドの清掃を勤めている。植木などを手がけている。だから樹木に目が行くわけだ。「トマさん、スイ、スイ、早く歩かないでください。ゲンキなんだからね」と、グチをこぼす言葉もチラ・ホラ聞いた。2人の旅だから、頼もしかった。白浜さんのいい所は、何でも出された食事は完食することです。みんな、平らげるので、韓国の人は喜んだ。結構、韓国のお酒も飲んだよ。★写真は、大邱の山、殉教者の隠れ家の遺跡で写した。
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