長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月8日月曜日
大阪から軽で、来る。貧しくても愛があれば、幸せです
午後、自室から聖コルベ館へ出ると、庭で、目の前を、軽自動車が、よろよろと、坂を登ってきた。まるで疲れたような車だった。ナンバーは「なにわ」。大阪じゃないか。「あれ?クルマで来たのかな」。しばらくすると、館内に入ってきた。5人家族。若いご夫妻と、3人の子どもたち。5人、みな、カトリック。5年前に、奥さんが、何かに惹かれるように、教会へ。3人の子たちと一緒に、洗礼をうけた。後で、ダンナさんも洗礼をうける。休みを利用して、ダンナが「長崎へ行きたい」。奥さんも「聖母の騎士へ行きたい」。軽で、15時間かけて、やってきた。奥さんは霊名「マキシミリアナ・コルベ」。とにかく、聖母の騎士へ行きたい。「よーく、来たね」。セルギウス修道士の名も、トマさんとも、呼んだ。「騎士誌の読者です」「15時間、走って、何回、休憩?」「4回かな」「高速を来たんでしょう?」「いや、下の道。2号線と、3号線」「しかし、また、よく来たよねえ」「もう、帰ります。仕事があるから」「写真、とらせてよ」。この写真、見てごらん。ちょうど、並び方も、平和なリズムがある。愛があれば、貧しくても、いいよ、ねえ。そんな感じも家族だった。こちらも癒されたよ。「帰りは、高速?普通の道?」「決めていません」。家族は、ルルドのお参りして、帰って行った。
先日は大変お世話になりました。
返信削除写真の当人でございます。
頂いた本ですが、一番下の息子は
2回も3回も繰返し読んでいました。
実は我が家にはテレビがありません。
テレビが壊れてから、もう5.6年程経ちます。
妻の意向でそれ以来無いのです。
おかげで、家族のの会話が増えました。
子供達は本が好きになり、よく読んでいます。
賢い子供になるといいなぁと
(親バカの希望です)
ありがとうございました。