長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月12日金曜日
人生とは何かと問えば、この心境にある。志を遂げて帰ろう
ある本で読みました。お医者さんの指摘です。この言葉は、「小学唱歌」の「ふるさと」の歌詞にあるそうです。「こころざしを、はたして、いつの日にか、ふるさとへ、帰らん」。いま、この心境ですね。ジンセイとは、何か?と問われれば、この言葉を臆面もなく挙げるでしょう。生きる意味は、なんぞや?ジンセイ、生きていいのか。悩むときも、ある。その答えは、これですよ。志を果たして、自分が生きた証を立てようではないか。人のために尽くすのも、いいだろう。自分を精進するのも、いいだろう。ヒト、それぞれに、生き方が、ある。★先日、京都から、初老の夫妻が聖コルベ館に来た。手に「長崎オラショの旅」を持っている。サインもあったので、びっくりした。ダンナさんはカトリックで、しばらく教会を離れていたが、また戻った、と言った。そこで、「なぜ、帰れたのか?」と聞くと、答えた。「もう、歳をとってきたので、自分を律したい」。その言葉が、気に入った。ニンゲンって、心の底辺の、どこかで、「自分を正したい」という心情があるんですね。奥さんは、カトリックでないと言われたが、率先して、話しかけてくるし、気安さを感じた。喜んで、帰られた。「いつの日にか、ふるさとへ」。つまり、神さまの元へ、帰りましょう。それで十分です。★いま、悪いことが、起こっていても、いいことも、付いてくるよ。希望を失わないように、しよう。
当該京都からの訪問者です。
返信削除生まれて→生きて→死んだ ではなくて
「こころざしをはたして、いつの日にか ふるさと(神様の元)に帰らん」
信者としてのこころざしを果たし
「自分が生きた証を立てようではないか」
小崎修道士様は、まさに私の心境をとらえて下さいました。
ありがとうございました。