長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月10日水曜日
5日前の別れ。平穏に、修道士は、神の御許に旅立って行った
今月の1日、島原半島・オバマ温泉へ行く途中で、病院に、先輩の修道士を見舞った。安らかに、寝息をたたて、休んでおられた。自分で食事の摂取ができない。胃ろうは断り、点滴の栄養だけでイノチをつないでいた。痛みはなく、横たわっていた。耳元で、「アンドレアさん、アンドレアさん、トマだよ。聖母の騎士のトマですよ」と告げると、寝息をやめて、閉じていた両目をパッチリと開いて、こちらを見た。「ああ、わかっているんだな」。言葉は交わせなかったが、心の交流ができて、慰めとなった。看護師さんが寄ってきて、枕辺の「タマゴ」と「天使の絵」を取り上げて、「これ、何ですか?」と聞いた。「復活祭です」と答えたが、意味は通じなかった。(イースターといえば、よかった)。看護師さんが言った。「崎辺さんは、名前を呼んでも返答してくれない。アンドレアさんというと、応じてくれます」。アンドレアの意味も分からないらしい。それを聞いて、「さすがは、アンドレアさんだ。徹底している」と思った。「誰が、一番、価値のある生き方をしているか。神さまの国に行ったら、わかる。この世の価値と、神の価値は、違うもんね」。アンドレア崎辺修道士の言葉だった。あの出逢いから、5日めに、神に召された。痛みなし、平安のうちに、静かに旅立って行ったであろう。善人の死は、安らかだ。自分も、あのように、召されたいと願う。死も人生のうちだ。誰もが、自分の死について、考えておくべきであろう。
アンドレア修道士様の為にお祈りさせて頂きます。
返信削除模範的な修道士として生きられたこと
神様はご存知ですものね。
小崎さんの送る言葉にブラザーも喜ばれたことでしょう。
アンドレア修道士様が
安らかに召されたことに慰めを受けました。