長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月27日水曜日
長崎のキッテ。ルーマニアの2家族へ。韓国から。幸一君
長崎で出しているキッテです。大浦天主堂あり、浦上天主堂あり、めがね橋、グラバー邸もある。平和祈念像や、アカいお寺、じゃ踊り、ランタン祭り、長崎ミナトの明かり、などなど、いいですねえ。ルーマニアの2つの家族に、色紙で得たおカネ、200ユーロ、200ユーロ、2組を送りました。きっと喜んでくれるでしょう。送金のとき、中央郵便局で買ったのが、この長崎のキッテです。★韓国のテーグの李大司教さまから、3度目のご招待のお手紙が届いた。5月4日に、永井隆博士の如己(にょこ)の会があるので、来てくれませんか。ありがたい、お誘いです。行きたいのは、山々ですが、さて、行けるかなあ。悩んでおります。★田川幸一君のお母さんから、お礼の手紙がきました。「長崎までの乗り物、自分のチカラを試したい、冒険をしてみたい、電車やバスの長旅になった。修道生活や、他の聖職者の方との触れ合いも、楽しかった。心地よいものを受け止めた。(志願院に)顔見知りの人やギターをしている人がいて、自分と同じような事をしている神学生の高校生が長崎にいた、と言っている。土曜、日曜と、長崎の教会では、やっぱり、みんなよく祈っていて、いいなあと改めて感じた。ペンギン館やハウステンボスは一緒に行っていただき、とってもお元気で楽しかった。すし屋で大トロを食べて、あの味と感触は説明できないわあ、と自慢していた。大きな自信と安らぎとお恵みを受けて、成長の糧になったと思います」★幸一よ、大学出たら、神学生になって、神父さんになって、オレの跡を継ぎなさい。期待しているぞ。
私もこれ、3枚買って1枚は保管しています♪
返信削除代母さんへは浦上天主堂、おしゃれな女友だちへはグラバー園とか、貼るときに考えるのが楽しかったです^^