長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月21日木曜日
ある日の、3時間の心の動き。思いは総て消えていく
1人の若者が、祭壇の前に進み出て、神に奉仕するとの「誓願」を立てた。参加者の皆さんは、彼を祝福し、祈り、聖歌を唄い、喜びをあらわした。記念の撮影がおこなわれ、その後で、祝賀会がお祝いされた。1人の修道士はそれらの式に与りながら、胸のうち、思いは色々と交差していた。①奉献の誓いの姿を眺めながら、ニンゲンは自分を無にしても、純粋な心情に生きる時もあると感じた。②思いは、12世紀の師父聖フランシスコに馳せていた。現実に、貧しさに生き、平和と喜びに生きた人がいた。その心に強く引かれる。③お祝いの席には、お偉い方々が、多数、参加されていた。修道士は、1歩下がって、小さくなっていた。しかも老人でもある。出番は無かった。④しかしジメジメした気持ちはない。「記念写真を撮りますよ」と言われれば、率先して皆さんと同調して、並んで待った。⑤祝賀会が始まった。興味は、「カンパイの音頭の口上」だった。指名された司祭は、上手に、笑わせながら、手短にやって、のけた。「さすが、だな」と感心した。⑥料理は豪華だった。上等のブドウ酒もあったが、飲まず、お茶を飲んだ。白身のサカナの握りずし、4個を食べ、ビーフ・シチューを食べ、それだけで終わった。⑦会話は、人の中を泳いで、話しかける積極性は、遠慮した。窓際のイスに腰掛け、寄ってきた数人と語った。これが午前11時から、午後2時までの、3時間の心の動きだった。誰にも、打ち明けない心の揺れだった。★⑧散会した後、パソコンで、フェース・ブックを教えるという。この日、開いた。
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