毎月、オバマ温泉へ湯湯治へ行く際に、途中に、小さな赤い教会がある。この教会の歴史は割と古く、今の教会は、戦後まもなくで、天主堂建築で有名な鉄川与助さんが建てた。私は、この教会にまつわる、いい話を知っている。近くの農家に、結核で苦しむ娘さんがいた。もう、このまま死ぬのだろうか。彼女は寂しく思って、教会に手紙を出した。神父さんが訪ねてみると、娘さんは弱っている。可愛そうだ。幸い、近くに中国を追われたカナダ人のシスターが居た。神父さんはシスターに助けを求めた。この地には水道もない。濁った水しかない。シスターは大きな魔法瓶にお湯を入れて、そのお湯で娘さんの体を洗ってあげた。愛を感じて、娘さんは洗礼を受けた。彼女は読書が好きだった。近くの農家に、同じく結核を経験した青年が居て、娘さんのことを聞き、寝て読める読書台を作ってやった。それがご縁で交流が始まり、2人の結核は快癒し、結婚して、青年も洗礼を受けたという。この小さな教会にまつわる、こんな話を、むかし、聞いたことがある。そういう思いを抱きながら、その教会に寄ってみた。娘さんは今なお健在で、信仰をつづけているという。しかしダンナさんは亡くなった。私は彼女に会いたいと願ったが、「触れないで、ほしい」との願いだった。ザンネンに思いつつ、ある日、この小さな教会を訪ねてみた。女性の話は聞けなかったが、主任司祭のブリ神父さんに話が聞けた。その神父さんの話を、2月号に書いた次第です。案外、良く書けているな、と自分でも満足した文になっている。いい話に出会うと、また書く意欲が湧いてきます。気持ちも、すカーッとなる。大げさに言えば、生きるチカラが、みなぎってくるのです。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年12月27日木曜日
ボツ、ボツ、書いています。小さな記事。でも満足だね
毎月、オバマ温泉へ湯湯治へ行く際に、途中に、小さな赤い教会がある。この教会の歴史は割と古く、今の教会は、戦後まもなくで、天主堂建築で有名な鉄川与助さんが建てた。私は、この教会にまつわる、いい話を知っている。近くの農家に、結核で苦しむ娘さんがいた。もう、このまま死ぬのだろうか。彼女は寂しく思って、教会に手紙を出した。神父さんが訪ねてみると、娘さんは弱っている。可愛そうだ。幸い、近くに中国を追われたカナダ人のシスターが居た。神父さんはシスターに助けを求めた。この地には水道もない。濁った水しかない。シスターは大きな魔法瓶にお湯を入れて、そのお湯で娘さんの体を洗ってあげた。愛を感じて、娘さんは洗礼を受けた。彼女は読書が好きだった。近くの農家に、同じく結核を経験した青年が居て、娘さんのことを聞き、寝て読める読書台を作ってやった。それがご縁で交流が始まり、2人の結核は快癒し、結婚して、青年も洗礼を受けたという。この小さな教会にまつわる、こんな話を、むかし、聞いたことがある。そういう思いを抱きながら、その教会に寄ってみた。娘さんは今なお健在で、信仰をつづけているという。しかしダンナさんは亡くなった。私は彼女に会いたいと願ったが、「触れないで、ほしい」との願いだった。ザンネンに思いつつ、ある日、この小さな教会を訪ねてみた。女性の話は聞けなかったが、主任司祭のブリ神父さんに話が聞けた。その神父さんの話を、2月号に書いた次第です。案外、良く書けているな、と自分でも満足した文になっている。いい話に出会うと、また書く意欲が湧いてきます。気持ちも、すカーッとなる。大げさに言えば、生きるチカラが、みなぎってくるのです。
いいはなし、輝いている人との出会いは気持ちの上書きをしてくれます。
返信削除それまでのいろいろがなくなるわけではないのだけど、何かが解決するわけでもないのだけど・・・でも良い気分になりますね。
すカーッとする。・・・以下同文。
小崎さんの言葉は(文章は)私の気持ちにそんな上書きをしてくれます。
明日も楽しみにしています。