2012年10月11日木曜日

黙想4日目。信仰年が始まる。長崎教区では告白のすすめ

黙想の家から見た、長崎の港の夜景です。長崎では、年に何度も、海に花火を打ち上げる。山手の聖母の騎士からは見えない。「ここからなら、花火がよく見えるでしょう?」と、家の者に聞くと、「よく見えます」とうなずいた。レンゾ神父さんの専門はキリシタンだから、黙想の話のなかで、その時代の信徒や、修道士たちの愛の活躍の説明もあった。10月11日、今日から、「信仰年」が始まります、との説明も。長崎教区では、赦しの秘蹟を受けるように勧めている。黙想中なので、レンゾ神父さんに告白する。「『気づき』が生活の華です。あの人の愛に、気づき、彼の思いやりに、気づく。気づきは、心を開いている証拠。気づきは、人を豊かにする。神さまの愛に、気づく。主が、ここに居られることの、気づき。イヤなヤツが来たな、でも、待てよ、エガオで迎えてよろう、なぜ?あることに、気づくから。バッグのなかに、古いノートが入っていた。平成元年の、年の黙想のメモだ。20年前の記録になる。懐かしくて、興味深く読み返す。「神の愛の、証拠が欲しい」なんて、書いてある。告白しながら、泣いたことも書いていた。50代半ばから、60代だから、意味シンだ。いろいろ有ったよ。レンゾ神父さんが言ったな。「それでも、神さまが、私だけに対する呼びかけ、自分だけのものがある。罪や、落ち度も、自分の1部であった」。神さまの愛は、深い。甘えて、落ちることは赦されない。

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