東京から来た2人の女性に聞いた。「なぜ、そんなに長崎巡礼にこだわるのか」。2人が言うには、自分たちはテーマが決まっている。それは「聖母の騎士、浦上、大浦、外海、日本26聖人」。観光地などは行かない。はっきりしている。そして毎月、学習会を開いてきた。「なぜ、そこまで?」。2人が言う真意は、こうだ。自分の教会は、信徒も少なく、さびしい。周りの人も、その日、暮らし、楽しければ、それでいい。普通に、生活に追われている。私たちの考えは、不幸であっても、病気であっても、それは与えられたもので、意味がある。み旨を感じる。そう受け止めると、人生がガラリと変わる。そういう意味の答えが、長崎には有るんです。浦上に、四番崩れ、原爆、永井博士、お告げのマリア修道会、岩永マキ、聖母の騎士にはコルベ神父、外海へ行くと、バスチアンさま、ド・ロ神父、それらの人たちの中に、意味有る人生がある。信仰者の苦しみは、主イエスと共に苦しみ、祈ることで、永遠のいのちに導かれる。神において希望がある。私は、松下修道士さんの運転で、2人を枯松神社や、バスチアンさまの隠れ屋敷(写真はバスチアンさまの隠れ屋敷のイメージ・外海にある)に案内した。伊藤武子さんは、苦しみの中にも、希望のうちに耐え、病気に負けず、最後まで長崎巡礼を望みながら、神に召されたと、事実を語って聞かせた。
私も同じ思いで、長崎巡礼に行きました。
返信削除そういう思いを満たしてくれるのが、長崎です。
言うだけではなく、実際にそういう生き方を見せてくれた人たちが、長崎にはたくさんいるからです。
今日は、主の昇天の祭日でした。
復活祭の日のミサの説教で、神父様が、
「今日から、イエズス様が地上にとどまっておられる、昇天までの間に、イエズス様と出会うように。」
という宿題を出されましたが、
私は、長崎巡礼中に、いろいろなゆかりの場所にいる時や、
修道士さん、千草さんと祈っている時、
また山崎さんのお宅を訪れた時に、
そこにイエズス様もおられたような気がします。
その意味で、復活節に長崎に行くのは、意義深かったです。
最期にカトリック信者の底力を見せて下さった武子さんが、
天国でコルベ神父様にお会いになって、
永遠の安息を得られますように。
はじめまして、私もこの記事のお二人と同じの共同体(教会)の信徒です。
返信削除亡くなられたT子さんは、共同体の中で良く働き、人との交流を大切にされた方です。ですから、病床にあったT子さんのために多くの方の祈りがありました。
「親友」と言われる方たちとの狭い関係だけではない事をお伝えしたく、コメントを書かせていただきます。
彼女は死を目の前にして、ご家族にはもちろんのことお見舞いの方たちに、それぞれに記憶に刻まれる会話やメッセージを残してくれました。
私の場合は、ご復活の卵を手渡した時、その卵を大事そうに胸にもっていき「私も本当に復活したい」と目を閉じ、祈りというよりももっと強く念ずるように見えました。そして私が手を握り「私たちはすべてを無くしたとしても、最後までキリストが共にいたくださることを信じていようね」と言うと、彼女のその言葉をくりかえすように「最後の最後までイエス・キリスト信じ、キリストと共にいたい。」と今度は目をしっかりと見開き私を見つめました。「彼女の信仰宣言」であると私は厳粛な気持ちで見つめ返しました。その彼女の瞳を忘れません。彼女はこのように共同体のメンバーにそれぞれの心に、何かを伝えて逝かれました。
お二人がおっしゃるように、私たちの共同体は小さいのですが、ある意味深い信仰があると思っています。一見「その日暮らし」に見えても、それはちょっと当てはまらないかもしれません。人それぞれの置かれた場で、人とつながりそこから生まれる楽しさや苦しみ、また矛盾だらけの社会事象を見れば、理不尽さに怒りさえ覚え、でも何もできずにいる無力さを抱えて祈り続けるなど、見れば見るほど多くの事が見えてきます。
多分今の私たち共同体にかけていることは、それら感じたこと考えてことを「信仰的な目と知恵で分かち合う」ことなのだと思います。それが、ここ3年位できずにいます。神父ご自身が分かち合いの大きさをご存知ないのです。信徒ひとり1人が経験した信仰の宝物を分け合うことができれば、個々の信仰の成長と共同体の成長があるはずと私は考えています。それができない今、T子さんのご家族にとても残念なことではないかと思っています。