長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月19日木曜日
コスモスの写真の後、女性のご主人は亡くなった
人生、様ざまな苦しみがあるなかで、愛する人に死に別れるほど辛い試練はない。それでも聖母マリアでさえ、十字架のもとで深い哀しみがあった。京都の女性。私にルルドの水を頼んだが、愛するご主人は9ヶ月で神に召された。水が、人間の命を養う大切な流れであるように、ルルドの水は、聖母マリアさまの恵みをご主人に注いだに違いない。イノチに生かされた、と信じた。「あなたのご主人は、キリストさまの平和のうちに召されました。慈しみ深い神さまは、ご主人の優しい心と信仰を知っておられます」。私には、それしか言いようがなかった。言葉は言いやすいが、現実はきびしい。困難や病気に襲われたとき、『苦しみは神の喜びに変わる』と理屈的には考える。これは単なる言葉で、喜びを真に体験するのは極めて難しい。例え苦しみや痛みに責めさいなまれても、どん底にあっても、「ああ、神さま、苦しみが有る今こそ、あなたは私に御眼を留めてくださるのですね」と思うなら、感じるなら、それがホンモノの信仰であろう。人は神から出て、神に帰る存在である。私たちは、そう信じて生活し、生きてきた。神さまのお呼びが、いつ有るやも分からない。コスモスの花の説明に、「主人は毎年、秋になると、京都の亀岡にあるコスモス畑へ行き、何種類ものコスモスの花にカメラを向けるのが楽しみでした」とあった。ご主人の平安を祈っている。
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