長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月17日火曜日
ズバリ、ひと言。心に残る。修道士のマトを得た言葉
共に祈る仲間の修道士。フラテル(兄弟)と呼ぶ。祈りも一緒。食事も一緒。その一緒の兄弟が、老年になり、歳をとったというので、老人ホームへ入った。昨年の11月に、テストとして入居し、その間、市役所へ手続きをしたが、ついに正式に入居が決まった。修道士の生活一筋、60年。偉いモンですね。黙々として、掃除をしたり、食器を洗ったり、働く修道士は光っていた。時おり、ズバッと言って、みんなを引き締める。食事処では私の隣の席だった。ある年のアシジの聖フランシスコの祭日だった。司祭が、説教で、滔々(とうとう)とフランシスコについて20分ほど語った。しかし申し訳ないが、さらさらと流れて、心に残るものは無かった。昼食のとき、何かのキッカケで聖フランシスコの話が出た。「私は、こう思うんですよ」と、隣の修道士が口をはさんだ。「貧しさ、それは問題でないんです。フランシスコが望んだのは、神への愛、『我が神よ、我がすべてよ』。これですよ」。ズバリ言った。みな笑ったが、このひと言、たった30秒の説教は、私の心を揺さぶった。『我が神よ、我がすべてよ』。その真意は何なのか。体験の心境はどんな事なのか。疑問が湧いた。疑問の湧く話には、手応えがある。その30秒の話は、フシギと翌日まで余韻を残していた。いや、もう10年ほどになるのに、彼が老人ホームへ去っても、いま思い出す。
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