長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月10日火曜日
会食の席で感じた2つのこと。落ち込むな、上がれ
挨拶がニガ手。どうしても、うまく、まとまらない。今度も満足しなかった。従姉(86歳)のご主人が亡くなる。修道服を着て、通夜、葬式で祈り、火葬場へも同行した。その後、会食があった。従姉とご主人の間に、子ども6人と、孫、ひ孫、合わせて40人が集まった。当然、食前の祈りの先唱を指名される。簡単に「修道士の自己紹介」と、「主よ、この食事を通して、私たちにアスへの恵みを与えてください」。それだけでいいのに、うまく舌が回らない。後に後悔が残り、申し訳ない気持ちになった。「ダメだな、心しても、やっぱりダメだ」。私の席は、従姉の隣。めったに会わない従姉が言った。「幸ちゃん(私のこと)が6歳のとき、朝鮮からお母さんと浦上へ帰ってきた。バアちゃん(従姉の母、私の母の姉さん)のところへ来て、幸ちゃんが、ウチ(バアちゃんや従姉の家族)のことを手製の新聞に作って、戦地へ行っている兄へ送って喜ばれた。バアちゃんが言ったよ。幸ちゃんは、ヨカ(いい)アタマば、しとる」。結局、何らかの文才があったということだ。この話は私は覚えないことであった。初めて、この席で聞いて、「ああ、よかったな。思い出が1つできた」と喜んだ。この日、挨拶はダメでも、ヒカルものは、やっぱり有った。ジンセイって、こんなものですね。
小崎さんの文章は
返信削除リズムを感じ生き生きとしています。
何時も読むと元気が出ます。
文才は神様からの賜物ですね。
小崎さんはその頃から何か持ってたんですね。。
返信削除それが現在につながっていると思います。