長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月9日金曜日
アダムさん、神に召されて、修道士は寂しくなる
12月8日は無原罪の聖母マリアの祭日であった。この日の未明に、1人の修道士さんが神に召された。阿野修道士さん、享年、70.阿野さんは修道士の霊名を「アダム」といった。修道士になったときに付けてもらった名前で、普通、阿野さんというよりも「アダムさん」の名で親しまれていた。主に、学生や寮の指導に当たっていた。ボーイ・スカウトでも活躍した。最初は神学生の勉強を励んでいたが、学業半ばで、修道士になるよう転向した。そのとき迷いも有ったが、ポーランド人司祭から、「目立たない道にこそ、神さまの御前で大きな光栄になります」と教えられて、進んで修道士の道にまい進し、神のみ旨を果たした。少なく食べて、マラソン毎日、贅肉は全く無く、すらりとした体格をしていた。そのアダムさんが日々、肺活量を失い、少しも歩けないようになったとき、私たちはおどろいた。「あの、アダムさんが、なぜ?」。亡くなる3日前まで修道院で意識のはっきりした状態で過ごし、「ありがとう」「ありがとう」と周りの修道者に感謝して、病院へ入院し、肺炎のため生涯を終えた。修道士が少ない現在、アダムさんを亡くした哀しみ、痛手は大きい。「トマさん、大丈夫ね」。会う度に、声をかけてくれていた。1度存在したものは消滅することは無い。肉体は燃え尽きるとも、人格(ペルソナ)は神の御前で、尽きることなく生きつづける。それが私たちの信仰です。
修道士アダム様の為にお祈り致します。
返信削除無原罪の聖母マリア様の祭日
神様に召されるに相応しい
ブラザーでいらっしゃったのですね。
小崎さんのお辛さお察し致します。
写真を拝見して、あっと思いました。赤羽でのレクイエムミサかと思いますが、何回かお姿、お顔を拝見した記憶がございます。すらっとした方でした。お祈り申し上げます。R.I.P.
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