★「話は、どうだった?」。夜、電話で、トマの知人で参加した女性の印象を聞くと、「疲れた感じ、倒れるのではないかと、心配した。体調が良くなかったのか、小崎さんの話の活力がなかった。メモを取る女性の姿を見た。メダイ、騎士誌、カードを配った。トマさんらしい配慮を感じた。普通の人なら、そこまでは、しないでしょう」
★カードをお願いした恵理子さんから、出来上がったカードの束に、1つの言葉が添えられていた。「アウシュヴィッツのコルベ神父様、長崎の原子野に居たトマさん、あの地獄に、神は居られたのか?・・ということを思う時、私はお2人から、神は居られた・・と思えます」。トマには、この恵理子さんの言葉が心に1つの閃光を走らせた。★神の声も聞こえない。天使の姿も全く見えない。神は居られるのか?反対に、神は居ない、は良く体験する。それは原爆であり、アウシュヴィッツ。これらは人間の仕業だった。それならば、こんな体験は無いのか。「人間って、こんなに優しいのか。ならば神さまって、どんなに優しいのだろうか」。人間の仕業、愛の中に、神の愛と優しさを知る。神は、原爆の丘にも、アウシュヴィッツにも、居られたに違いない。
お話された内容を日記にも書き起こしていただき、ありがとうございます。ブリ神父様の次の宣教地でのご活躍をお祈りします。
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