2016年12月31日土曜日

終わり良ければ、すべて良し。今年も今日が最後です

 2016年、平成28年、今年も今日で終わりとなる。ミサの前に、司祭から、「神さまから沢山のお恵みをいただいた。感謝しましょう」と、うながされた。「本当に、そうだ」と感じております。
★「終わり良ければ、すべて良し」。今年最後に、島原のシスターの家・修道院に泊まったのは、本当に一年の締めくくりのお恵みになった。嬉しかったよ。
★修道院は、島原城のすぐ近所にあった。広場があり、最近、出来た、木造、平屋の建物で、右側に、聖堂がある。朝、ミサから帰って、シスターと共に、「教会の祈り・朝の祈り」の詩篇を一緒に歌い、祈ったが、感動的で、胸は喜びであふれた。車で、別れるとき、4人のシスターたちは、横に一列に並んで、手を振っていてくれた。私には、この4人が天使にすら思えた。
★島原を出て、天草に渡れば、フェリーの到着場所に、親友の幸男さんが出迎えてくれた。彼の先導の車に付いて、本渡のカトリック教会へ着いた。主任の渡辺神父さまに出会った。幸男さんの奥さんも来られて、皆さん、一緒に、昼食のご馳走になった。
★この2日間、すっかりホームのことは忘れていた。この調子なら、長崎の聖コルベ館を宿にして、看板・修道士として、巡礼に来る人たちの応対に出来るな、そんな気がした。「高原さん、ホームに部屋を残しておいて、聖コルベ館で働くから。時々、ホームに帰る」なんてジョウダンを言ったが、ホームに帰ると、やはり、ここしか、住めないようです。
★下の写真、左は、島原の教会です。日本の殉教者に捧げられており、堂内のステントグラスが美しい。島原の殉教者や、4人の天正少年使節などが色鮮やかに描き出されている。右は、天草・本渡の教会です。私の両脇が、幸男さんご夫妻。後ろが渡辺神父さま。

2016年12月30日金曜日

島原の旅。成功・感動。歓迎を受ける。天草へも渡る


今度の1泊2日の旅は、最高の思い出になりました。島原のシスターの家で、島原教会主任の山田神父さま(写真・右)とご一緒に、4人のシスターから、歓迎と、心のこもった食事をいただきました。左は、谷村神父さま。真ん中のカガミに写っているのが、シャッターを押した高原修道士さんです。
★シスターの家で、1泊しました。手厚い「おもてなし」を受けました。家には、温泉もあるのです。高原さんと一緒に入りました。
★次の朝は、島原教会で、ミサを祈り、山田神父さまにお別れし、シスターの家に戻って、朝食をいただきました。お別れして、今日は、口之津からフェリーで、車ごと、天草へ渡りました。天気は晴朗で、本当に、これまで度々渡ってきた天草灘に、満足しました。
★ホームには、夕食前に、無事に帰りました。数々の出会い、教会訪問、心身の自信など、大きな収穫がありました。ありがとう。

2016年12月29日木曜日

初めて、1泊2日の休みに出かけます。良い思い出を

ホームの馬小屋です。玄関の所に飾っています。立ち止まって祈る姿も見られました。御降誕祭も終わりました。あと、今年も、3日です。ホームでは餅つきが行なわれて、既に餅もいただきました。
★「おゲンキ、ですか?」「ハイ、おかげさまで、元気にしております」。今年も無事に過ごすことが出来て、ホッと、しています。
★高原修道士さんから提案があった。「トマさん、島原のシスターの修道院では、宿泊する部屋があるそうです。泊めてもらえるそうです。1泊どまりで行きませんか」。すぐ返事しました。「ああ、いいね。泊まりに行きたいね」
★シスターの修道院へ高原さんが連絡すると、「どうぞ」という返事。谷村神父さまと、高原修道士と、小崎修道士の3人で、きょう、これから出かけます。
★私がホームに入って、はや、2年2ケ月になります。その間、入院を除くと、これまで1度も外泊をしたことがなかった。今度が初めての宿泊になります。「今年も終わりだし、元気があるうちに、1泊どまりで出かけてみよう」。気持ちが、なんだか、ウキ、ウキしています。いい写真が撮れると、いいんだがなァ。
★島原まで、車で、1時間ほど、かかるでしょう。先ず、島原カトリック教会へ行って、主任神父さまにご挨拶する。教会でお祈りをして、それから少し離れたシスターの修道院へお世話になる予定です。「いい旅になるように、導きと、恵みを祈ります」

2016年12月28日水曜日

入江さんのご家族が訪問する。自慢のお孫さんです

長崎ベンには、「た・ま・がった」という言葉がある。びっくりした。おどろいた。それ以上のおどろき、腰を抜かさんばかりの、びっくり、それが「たまがった」。実に今度は、それでした。
★親友の喜びは、自分の喜びでもある。仲のよい入江さんのことは、度々日記にも書いた。朝から、共にミサで祈り、3度の食事は隣り合わせで食べ、午後からはロザリオ。一緒に入浴もして、親しくしている。その入江さんに、家族が面会に来られたのです。
★日頃から、家族の話は聞いていました。お母さんは、武蔵野音大のピアノ卒で、お父さんは、東京芸大・大学院卒(オーボエ)の、今は福岡で自衛隊の音楽隊・隊長。それに音楽一家に育った息子さん、つまり入江さんのお孫さんになる。入江さんは、口ぐせのように言っていた。「自慢ではないが、こげん(こんなに)勉強した者は、おらん」。そのご家族が来られたのです。
★私も入江さんから声をかけられて、ご家族の皆さんとお話しすることが出来た。お孫さんから聞いたのは、「30歳になる」「モスクワで、4年間、ひとり暮らし」「料理は出来るようになった」「7月に帰国した」「来年の4月から、東京芸大に勤める」。そういう普通の会話でした。
★家族の皆さんが帰られて、この日記で紹介しようと、ホームの事務室で、検索してもらうと、「た・ま・がった」。これですよ。入江さんの言う通り、「こんなに勉強した者はいないだろう」
★「入江一雄・ピアノ」を検索してみてください。もう、ここには書けません。すばらしい経歴です。東京芸大付属音楽高校を経て、同大学、同大学院を首席で卒業。在学時に、7つの賞を受賞。日本音楽コンクール・ピアノ部門第1位、併せて、5つの受賞。助成を受けて、モスクワ音楽院研究科に在籍する。7月に帰国されたのだった。
★入江さんは私に、こう言った。「こういう子供がいる。何かの記事に、アンタが、載せてよ」。私のヒザをポンと叩いて、「お願いします」

2016年12月27日火曜日

高原修道士さん、ありがとう。感謝の一膳でねぎらう

ホームの職員の皆さんには大変お世話になっています。おかげで私たちは安心して暮らしが出来ています。
★なかでも、特にお世話をかけているのが、修道士の高原職員さんです。入江さんの提案で、「高原さんを、ねぎらおう」と、外食に出かけて、しばし憩いのときを過ごしました。高原さんが運転するので、お酒は飲めない。ノン・アルコールで我慢してもらった。入江さんは、ゆっくりと焼酎を楽しんでいました。私は、小瓶のぶどう酒を半分飲んで、顔が真っ赤になって、入江さんから笑われた。2人の女性も同行した。写真を撮ったときには、1人は、もう車のなかに居たので、写っていない。残念です。
★ホームに入って、2年と2ヶ月。この間、どれだけ高原修道士・職員さんに心配、介護をかけたことか。同じ修道会の修道士仲間でもあるが、私の「わがまま」を越える温かい心情で、面倒を見てくれました。病院行きには、いつも高原さんのお世話になった。ホームに連れてきたのも、彼だった。
★これからは、もっと、もっと、心配をかけたり、お世話になるでしょう。もちろん、職員の皆さんのお世話には十分になっています。
★今年の御降誕祭には、馬小屋の聖なる幼子を見つめて、こんな事を考えた。人は、生まれた時は赤ちゃんとして、皆いっしょだが、死ぬときは、それぞれ全く違う。聖母マリアさまは「あなたの心は刺し貫かれるでしょう」と予言されていたが、それでも十字架の下にたたずむとは全く思いもしなかったでしょう。コルベ神父も、長崎時代に苦労はされたが、まさか収容所の餓死牢で終わりを遂げるとは思いもしなかったでしょう。ホームで、うらやむような安らかな平安に満ちたなかに死を受け入れた人もいる。
★人は、どのように人生を生きて、どのように死を迎えるのか。馬小屋の聖なる赤ちゃんを見るごとに、十字架のイエスに篤い思いを寄せながら、「神よ、み旨のままに、これからも導いてください」と祈らずには居れなかった。

2016年12月26日月曜日

あわただしい御降誕祭でした。鳩サブレが届いた話

振り返って見れば、今年の御降誕祭は、あわただしい日々となりました。急に、足がふらつき、倒れるのでないかと、恐れをなした。「倒れたら、アウトだ」「ヤバイぞ」。一瞬、実際に、そう思ったのです。救急車で、運ばれる。幸い、「様子を見ましょう」で終わった。
★そして、胃カメラも行なった。今の医療は進歩していて、鼻の穴から、クダを入れる。カメラを入れる。入れる時、鼻が痛むだけで、胃のなかでの操作は、何も感じないで終わった。
★迎えた御降誕祭。その時の写真です。左から、入江さん、大曾神父さま、わたし、です。こころ的に、落ち着かない日々でした。
★クリスマスのお祝いの昼食会については、昨日の日記に書きましたが、踊りもありましたので、写真を入れます。
★鎌倉から、著名なお菓子の「鳩サブレ」が届きました。差出人は、知らないお名前の男性で、携帯番号が記してある。早速、夜に携帯で、話しました。「お会いしたこと、あるんでしょうか?」「いえ、いえ、違います」「最近、日記にコメントしてくださる方ですよね?」「そうです」と、次のように話してくれました。
★10月頃に、九州へ用件で行ったときに、長崎まで足を伸ばした。1日半の滞在。カトリック・センターに泊まった。「大浦へ行きましたか?」と尋ねられた。「いいえ」と言うと、「行ってごらんなさい」。それで大浦へ行った。そこで、コルベ神父さまのことを知って、小崎さんへ行き当たったのです。
★ネットで調べてみて、日記を読ませてもらい、いろんな事を知りました。「沢山の人が見守っておられるので、いつまでもお元気にしていてください」。それで「鳩サブレ」が届いたわけでした。
★これまでが殆どが、聖コルベ館での出会いが元で、日記を読んで下さる人が殆どでしたが、この人のことを知って、聖コルベ館抜きでも、コルベ神父さまを通して、小崎を知ってくれる人も居られるのを非常に感謝した次第です。それを今日は書きたいでした。「鳩サブレ」は、ありがとう。

2016年12月25日日曜日

御降誕祭。おめでとう。聖なる赤ちゃんは何を語る?

昨夜は、イブのミサ。今日は、ホーム全体のミサ。御降誕祭、おめでとう。昼食はお祝いの会でした。もちろん、職員さんによる出し物も出た。踊りも、2つほど有った。寸劇は、「泥かぶら」。泥まみれの大根の話です。
★30数枚の写真を撮った。どれを載せていいのか、悩みます。最後に、サンタクロースと、2人の天使が登場して、2袋の大きなプレゼントを各人に手渡して、皆さんは大いに喜んだ。
★泥かぶら、というのは、顔の見にくい女の子が居て、そう呼ばれ、イジメられ、悩んでいた。そこへ不思議な老人が現われて、諭すのです。
★きれいになりたい方法を教えよう。「自分の顔に恥じないこと」「どんな時にも、にっこり笑うこと」「人の身になって、助けてあげること」。女の子は、それを実行した。困っている少女を助けてあげた。それが元で、顔は美人になり、心は清くなり、優しさと、愛で、村人から慕われる存在になった。
★馬小屋の聖なる赤ちゃんも、私たちに、ほほえみながら語っている。愛と喜びと、平安と清さを。後は、ただ実行あるのみです。

2016年12月24日土曜日

サンタがやってきた。クリスマス・イブ。胃カメラ調べ

軽快な音楽にのって、サンタクローズが外部からやってきた。東長崎の教会の皆さん、30人ほどが、今年もホームのお見舞い、訪問に来られて、1時間ほどにわたって、クリスマスの歌や、水戸黄門、上を向いて歩こう、長崎の鐘など、他にもソングを歌って、楽しませてくれた。心も、ウキ、ウキ、ホームの重たい空気をいっぺんに吹き飛ばすほどの賑わいでした。皆さん、上手だな。聖母の騎士の赤尾院長神父さまも仲間として来られて、精一杯、歌われていた。昨日のことです。
★今日は、朝から正常の起床。4時45分に起きて、教会へ。朝の祈りから始めました。歩行も順調です。
★今日は、クリスマス・イブ。楽しい日です。でも、私にとっては心の重い日となった。朝食抜きで、朝から、高原修道士さんの運転で、長崎のクリニックへ診療に向かった。予約の胃カメラの日でした。この際、からだについては、医師の言われた通りにしています。絶食して、備えました。大学病院から医師が来られて、カメラを操作、診察しました。別に異常はないそうです。
★終わったのが、午後1時過ぎ、昼食は、近くのイタリア・レストランで食べました。
★夜は、聖なる夜です。「清し、この夜」です。7時30分から湯江カトリック教会で、お祝いの御降誕祭の行事、ミサが行なわれます。

2016年12月23日金曜日

自分の体は、他人には分からない。大事にしなさい

金と、銀との折り鶴、2羽。大阪の孝子さん(99歳)から送られてきた「折り鶴」です。一筆、添え書きがあり、幸せを祈る気持ちが伝わりました。ほかに、愛情込めた手編みの黒色チョッキが入っていた。
★今朝は、「甘えては、ならぬ」と心して、教会へと足を運んだ。少し、遅れる。共同で、「教会の祈り」が始まっていた。普通、私も一緒に唱えるのだが、黙って、祈りを聞いていた。左側と、右側が、交互に、ゆっくりと唱えている声に、魅せられる。「私も、これからは、祈りは、ゆっくりと、合わせて唱えよう」。そんな気持ちが湧く。ミサでは、未来への神の導きと、耐えていくチカラを祈った。
★ミサが終わって、信徒から、「自分のからだは、他人には、わからん。大事に、せんば、ね。ムリ、せん、ごと」と言われた。何人からも、「大丈夫だった」と声をかけられる。「おおげさで、申しわけありません」
★朝食のとき、隣の席の入江さんに、「今日は、オレ、風呂は、やめとく、けん、ね」と伝えた。「ウン、わかった」。うなずいた。
★10時半頃だった。突然、入江さんが私の部屋に現われて、びっくりした。様子見に来たのかと思ったら、「オレも、今日は、風呂は、やめとった。キリエさんも、入らん、と言うて、おる」。何やら、いつしか、3人に信頼関係が出来たのを感じた。結局、私が入らないので、常連の2人とも、入浴を犠牲にしてくれるという。私は、嬉しさもあって、「ハッ、ハ、ハ・・・」と軽快に笑ったよ。
★今日は、こんなドラマを思い出した。杖をついて、コツ、コツ歩くジイちゃんが居て、「歳をとって、いいこと、ない。早く、お迎えが来ないかな。死にたいよ。特攻で死んだ仲間の処へ行きたいよ」。それを聞いた孫の若者が、ジイちゃんを安らかに死なせたいと、体力を落として、安らかに死ねるように、最高の手助けをする計画を立てた。車椅子を使って楽をさせ、階段があれば、ジイちゃんを背負って、石段を登った。これで段々と衰えて行くだろう。うまく、やっていると思ったところが、ある日、誰も居ない家の廊下を、杖なしで、「スーィ、スーィ」と平然と歩いているのを、偶然見た孫の若者はショックをうける。ジイちゃんは隠れた所で、特攻精神で、カラダを鍛えていたのだった。
★老人といって、甘えかしたら、イカン。しかし、ムリを、させても、イカン。その折り合いが難しい。歳をとれば、そんな事ばかり考えております。

2016年12月22日木曜日

救急車で、脳外科へ。オレは、どうなる?帰りなさい

昨夜のドキュメント。
★5時15分から夕食。歩いて、食堂へ。自分でご飯をついで、20歩ほどの自分の席へ。そのとき、何がが違う。尋常でない。アタマがふらつき、普通に歩けない。「倒れるかも・・・タイヘンだ。アタマが切れたら、アウト」。一瞬、そんな気がよぎる。
★5時30分、席につくと、気持ちが落ち着いた。周りの人と一緒に、食前の「十字架」を記して、食事は全部、食べた。「十字架」をして、席を立ち、歩き始めると、「普通じゃない。これはアタマに何か、あるぞ」。歩けない。食堂で食器を洗っていた高原修道士さんを呼んだ。「調子が悪い。ふらふら、する」。高原さんが、すぐ車椅子を持ってきた。看護師さんが来る。自室のベッドに休んだ。寒気がした。看護師さんが、ライトで、両目を見た。
★6時。「今夜は、様子を見よう」と自分は言ったが、不安は残る。看護師さんが、ホーム専属の医師に知らせ、次いで、脳外科へ尋ねた。「そぐに、救急車で来なさい」。職員は入院の準備をすぐに整えた。
★6時30分。車椅子で、玄関へ。暗闇のなか、赤い点滅の救急車がホームの玄関に着いて、作業が始まった。救急車に寝たまま乗せられる。諸検査がある。目をつぶって、内部は見たくない。看護師さんが同乗。揺れは、さほど大きくなかった。
★7時10分。医院に到着。上を向いたまま、寝せられ、第1の部屋で、問診がある。両手のシビレなし。両足も上がる。点滴を打たれる。第2の部屋で、胸部、腹部のレントゲン。第3の部屋で、20分ほどかけて、アタマの輪切りの写真を撮る。異様な音が、ひびく。辛抱するしかない。
★医院の看護師さんが「いま、何時?」「8時です」の声が聞こえた。
★午後8時10分。第4の部屋に入る。脳外科の医師から、丁寧な説明が、ホームの看護師さんと高原修道士さんに告げられた。ベッドに寝たまま、自分も医師の説明を聞いた。以前、転倒して、この医院で、脳の写真を撮っていた。それも合わせながら、「脳に異常は見つからない。首から上は大丈夫です。原因があるとすれば、この人は色々な病をしているので、それらの神経が組み合わさって、異常が出ているのかも知れない。様子を見て、何か有れば、再診してください。きょうは、帰ってよろしい」
★8時40分。脳外科医院を出る。高原修道士さんが運転し、看護師さんが横に付き添う。「なんにも、なくて、よかったね」「看護師さん、夕ご飯、食べていないよね、高原さんも」
★9時20分。ホームに帰ってきた。
★その夜ほど、ぐっすり眠ったことがないくらい疲れが取れた。
★朝、祈り、ミサを欠席した。ホームの一部で大騒ぎになって、入江さん、明子さん、ほか、いろんな仲間が心配してくれた。朝食、昼食は、自室で食べた。「夕食は、食堂へ行きます」。お騒がせして、申し訳がありません。

2016年12月21日水曜日

去年と、今年の、ジャケット。北海道から、有り難う

2枚の写真を並べました。左は、2015年12月14日。去年の今頃の私です。右は、2016年12月21日。1年が経った今日の写真です。どこに、注意して見てほしいと思いますか。
★それは、上着です。ジャンバーじゃ、ないし、何と呼ぶのですかね。送られてきた箱を見ると、「フリース・フルジップ・ジャケット」を記してあった。同じ品物です。「去年は、濃紺を送り、今年は、黒色を選びました」。送ってくださったのは、北海道・札幌の裕子さんでした。「ご配慮、ありがとう」。昨年と、同じ場所で撮りました。

2016年12月20日火曜日

神と共に歩く。苦しい時には、神が背負ってくださる

道ばたの花を見て、「ワー、キレイ」と、誰かが言った。足を止めて、見ると、陽の光に照らされて、「確かに、全体が、きれいだ」。そう感じて、デジカメで撮った。何の花か、わからない。でも、一瞬、この花々には、こころを惹きつける何かが、あった。「通り過ぎれば、見れずに、おしまい、だったのに・・・」
★送られてきた冊子に、こんな意味の話しが載っていた。波打ち寄せるキレイな海辺の砂浜。そこに、2人の足跡、4つの印が点々と残っていた。それは、自分と、一緒に歩くイエスの足跡だった。ところが、ある所に来ると、1人分の足跡、2個しか、なかった。あの時が一番、苦しい時期だったのに、なぜ、1人分なのか。それは、苦しい時は、イエスが自分を背負って、歩いてくれた足跡だった。人は、いつも、神イエスと共に歩いている。苦難のときは、イエスが苦しむ自分を背負って、歩いてくださる。勇気を持とう・・・そういう内容であった。(これは世界的に有名な「足跡」という詩だそうです)
★気かつくか、見過ごしてしまうか、の問題です。立ち止まって、花に目を留めるか。苦しいとき、悩むとき、どうにもならないとき、イエスと共に歩んでいる、神は、傍に居られる、共に苦しんでくださる、そのように気がつくか。見過ごして、ただ、嘆き、苦しむか。現実に、見えない出来事を自分の体験にするのは困難なことです。
★老人とは、何なのか、時々考えます。頑固さがある。一徹さもある。それが有るから生きてこれた。もう少し若い頃には、主が共に居られる。主が共に歩んでくださる。そういう気持ち、信仰を体験をしたこともあった。歳、老いてくると、現実に固執して、それらの体験が難しくなるような気がする。老人とは、現実のみに、今の自分に固執しているように思う。
★午前中は、年賀状を書くのに、時間を費やした。午後、ロザリオから帰ると、戸に張り紙があった。「帰ってきたら、職員に連絡してください」。何事か、と思って連絡すると、「年賀状のお手伝いをしましょうか」と言われた。ああ、ここは老人ホームだな。「ご親切に、ありがとう。まだ、大丈夫です、また、ね」

2016年12月19日月曜日

明子さんのお宅で昼食。楽しい雰囲気のひと時でした

今朝、ミサの後で、「ゆるしの秘蹟」を受けました。信徒も、10人ほど、受けました。明日も、つづいて信徒のための秘蹟があります。皆さんも「こころの清さ」で御降誕祭を待ちます。
★人は、神さまから出て、神さまへ帰る。いま、突然、神さまの御前に立ったら、自分の「こころ」魂は、受け入れて戴けるか、そんな気持ちで、「秘蹟」を受けるのです。
★気持ちを良くしたところで、昼食は、明子さんのお宅によばれました。集ったのは、谷村神父さま、明子さん、シスター(以前、ホームで職員を勤めていた)、それに写真に写っていないが、手前に、ヨゼフ橋口修道士と、わたしが居ます。まあ、「忘年会」というか、明子さんの招待でご馳走になったのです。いつもお世話になっています。助けられて生きているわけです。
★話題は、ホームのことや、橋口修道士が外海の黒崎で生まれたので、わたしも黒崎だし、子どもの頃の貧しい思い出が出て、その中でも「母親」の信仰が家族を支えていたことなど、楽しい雰囲気のひと時がつづきました。長居はしません。早めに散会しました。
★明子さんには、週、2度、水曜日と、金曜日のロザリオの後、わたしの自室に来られて、お互いに話し合います。途切れる事無くつづいています。
★橋口修道士のお母さんは、9人か、10人か、子どもを持って、41歳で亡くなったと聞いて、びっくりしました。わたしの母は、45歳だった。一人っ子と、兄弟姉妹が多い修道士さん、そりゃ多い方が幸せと思いますよ。「一人っ子だから、可愛がられたんでしょう」って、言われても。

2016年12月18日日曜日

身なりを整えて、今度は「こころの清め」。御降誕祭

毎朝、肌着を数枚、着替えます。朝食へ行くときに、洗濯場に寄って、小さなカゴに入れた肌着やパジャマを置いていきます。すると、早いときには、昼食前に、仕上がって部屋に届けてくれます。ありがたい、受ける恵みです。
★洗濯場の職員さんから、午前中、「ずっと、部屋が閉まっていたが、具合でもお悪いの?」と声を掛けられた。「いいえ、散髪して、風呂に入っていたのです」「あら、そう・・・」
★理髪屋さんが来られて、散髪があった。これで、すっきりした身なりを整えて、御降誕祭と正月を迎えられる。残るのは、肝心な「こころの清め」です。「ゆるしの秘蹟」を受けよう。
★神への信頼と、祈りの欠如。欲望のいろいろ。隣人に対する振る舞い。気晴らしのために、近くの弱い人に、突っかかることが、あるのです。不正な金銭の浪費、など。自己の頑固さもある。
★コルベ神父は、「祈り、苦しみ、犠牲、共同生活」と教えました。苦しみに意義を持たせよう、ということでしょう。苦しみは、やって来るもの。犠牲は、自分で行なうこと。自分を抑えて行かないと、和は保たれない。「人間には、欲望もあるが、聖なるものへの憧れがあるのも事実です。欲望にまみれながら、聖なるものへ手を差しのばす、それが信仰への道と思います」
★きょうも、皆さんで、ロザリオを唱えました。「平和のために、貧困で苦しんでいる人たちのために」

2016年12月17日土曜日

「主は来ませリ」。ポーランドのクリスマス・カード

ポーランド。北欧の国ポーランド。ええ、行きましたよ、10回も。なつかしいですね。コルベ神父さま、ゼノ修道士さんの国です。ここから、はるばるニホンへ来たのです。ポーランドはカトリックの国です。クリスマス・カードが届きました。豪華な聖絵ですよ。印刷もキレイ。横の長さ、19cm。
★送ってくれたのは、親友のクラクフ在住のコンラードさんです。8回お世話になりました。通訳もあったし、警護もしてくれた。コルベ神父さまから命を助けられた男性(そのときは老人になっていた)にも一緒に会いに行った。
★ワルシャワの中央通りに、教会があって、ショパンの心臓が壁に埋め込まれている。ポーランドの教会で祈ると、何だか違った雰囲気、イタリアとは違う風を感じるんですね。ポーランドへ行ったのは、夏でしたから、冬の景色や庶民の生活は知りません。寒いでしょうね。
★コンラードさん、ありがとう。お元気ですか。知りあって、30数年、もう歳をとられたでしょう。独学で日本語をマスターして、ニホンとの交流に勤めた。コンラードさんは忘れません。家族、お国も、幸せな御降誕祭を迎えてください。ホスチアの交換もポーランド式です。
★ホームの生活では、今日は、耳鼻科に耳の治療に行きいました。明日は、教会の、4本目のローソクに点灯し、4本全部が輝きます。もう、間もなく、クリスマス・イブ。

2016年12月16日金曜日

待降節が始まって、祭壇のローソクが、3つ点く

今の時期、カトリック教会では、「待降節」といいます。御降誕祭を迎える準備です。どこの教会でも、祭壇の近くに、4本の大きなローソクを飾ります。日曜日ごとに、1本、2本と、点灯していきます。
★写真は、湯江教会の祭壇の前に飾られた、4本のローソクです。毎日、3本目に火がつけられ、主の降誕が近いのを示します。ロザリオのとき、陽があたって、ステンド・グラスが投影して、きれいな風景なので写しました。
★朝は、いつも4時45分に起きる。身支度をしていると、もう暗い廊下を、2人の女性が教会へ向かっている。小さな声で、「おはよう」という。「はやい、な。まけるよ」。5時20分に、自室を出て、教会まで歩いて、100歩。この歩くときの足の調子で、からだの不具合がわかります。
★教会の中には、司祭、修道士、車椅子の男性も、信徒たちが何人か居る。時間になると、じょじょに増えます。教会の「朝の祈り」は、5時40分から始まる。祈るのは、大きな喜びです。6時に、大きな鐘がなり、ミサが始まります。これが毎朝の出来事です。幸せです。
★入浴は、毎日は入りません。介護される人の入浴もあるので、職員さんたちも大変な仕事です。私たちは、週に3回入っている。いつも、朝の9時から入浴が出来ます。入る仲間は、いつも、3人。入江さん、キリエさん、わたし。最近は、背中を流してくれるのは、キリエさんになった。入江さんが、脇の洗い場で「ごめん、な」
★ホームで老人たちの生活を見ていると、感心することが多い。老いてくると、人生観や宗教観も変わってくると思う。これまで生きてきた。神の導きがあったと信じている。苦しみがあっても、それも神のみむねの中にあった。

2016年12月15日木曜日

静岡のひろみさん。クリスマス・ソングの送り主です

小さな贈り物でも、心を大きく和(なご)ませる。「郵便です」と、厚みが有る、四角い、大き目の白い封筒を渡された。あけてみると、クリスマス・ツリー(写真)だった。静岡・浜松の「ひろみ」さんからです。
★立ててみた。22cmあった。プッシュを抑えると、7つ、8つの色の電気が点滅し、クリスマス・ソングが流れる。良い写真を撮ろうと、デジカメで、15枚も撮ったが、うまく、光が入らない。この写真が一番いいものです。
★入っているリズムは、20曲。「ジングルベル」から始まって、「きよしこの夜」「もろびと・こぞりて」から「アヴェ・マリア」まで入っている。ひとり、自室に居て、聞くのは、もったいないよ、と思う。ありがとう、「ひろみ」さん。
★ひろみさんに出会ったのは、もう、6、7年になるか。聖母の騎士のルルド参りに来られた。あれから、ご縁がつづいている。特にホームに来てから、手紙はもちろん、木のコップなど送って、慰め、励ましてくださる。
★キリストの聖心の感動は、弱い人、貧しい人、病める人、苦しんでいる人の中に居られるということです。拍手喝采を受ける人ではなく、偉い人、お金持ちではなく、「この小さな者に、一杯の水を与えなさい」「傷つき、苦しんでいる旅人を宿屋へ連れていきなさい」「招待されたら、末席につきなさい」「宴会を開くときは、貧しい人、お返しが出来ない人たちを招きなさい」。その教えに、心を魅せられるのです。
★クリスマス・・・神の御子が、「あかちゃん」としてお生まれになった。この神秘性は、成長して、宣教されるキリストさまにつながっている。プッシュを押して、「ひろみ」さんのソングを聞こう。温かい、愛の心で、主の御降誕祭を迎えたい。

2016年12月14日水曜日

「ジーッ」と、手を見る。パワーのアクシュ、有りや否や

「ハイ、イラッシャイ」「ウハッ、ハ、ハ・・・」「パワーのアクシュ」
★聖コルベ館に居たときは、毎日、使った言葉だよ。なつかしいなァ。
★今は、手を見る。パワーが、あるだろうか。
★ニンゲンは変わらない。気持ちも変わらない。例え、使わない日があろうとも、「やるぞ」という性格は変わっていない。
★ホームで、「ハイ、イラッシャイ・・・ウハッ、ハ、ハ・・・ハイ、アクシュ」なんて言ったら、「クル、クル、パーになったぞ」と言われるかも知れない。
★だが、いい気持ちじゃないか。言いたいよ。もう一度。
★パワーのアクシュは、平和の握手だよ。

2016年12月13日火曜日

新車を買った。電気自動車。ドライブ、行きましょう

藤下先生が、「新車に乗り換えました」と、車を見せにやってきた。1週間ほど前のことです。「いま、山の修道院へ行って、神父さまに清めてもらった帰りです」。とっても、嬉しそう。「いい、クルマじゃ、ないですか」「電気自動車ですよ」と自慢する。私も一緒に喜んだ。「電気とは、珍しいね」。車に乗った先生、エンジンをかける。静かな音で、稼動した。「さすーが、だね」
★電気自動車といっても、電気だけで動くのではなく、ガソリンも入れる。ガソリンで走りながら、電気を蓄電する。電気でも走れる。だからガソリンの燃費がよい。リッターで、35Kmは走れるという。「いくら、したの?」と、ネダンを聞いたが、ウン百万円か、いま、よく思い出せない。長年、勤め上げて、退職した先生の日課は、愛犬の散歩と、このクルマのドライブらしい。奥さんは、もう亡くなった。
★「この車、ドライブ、頼むよ」「いつでも、いいですよ」。藤下先生は、椿原の学校時代の仲間です。お互い、知り尽くした間柄です。遠慮することは、ありません。
★連絡し合って、「ドライブは、今日しよう」と決めた。計画は立てていました。近くの薬局でシャンプーの買い物をして、諫早へ向かう。写真屋へ寄って、プリントの注文をして、耳鼻科で治療して、お昼は、福田屋でウナギを食べる。帰りに、写真屋で、写真を受け取って、3時のロザリオまでには帰ってくる・・・、そのつもりだったが、残念、雨で中止しました。
★ロザリオを祈って、いま自室に戻ってきたところです。雨が、しょぼ、しょぼ、降っています。

2016年12月12日月曜日

書道。振り返れば、あと3週間で、今年も終わります

生きるって、なんでしょうか。一日、一日を、無事・平穏に過ごすだけです。怒ることもない。泣くこともない。これと言って、任務もありません。ただ、アタマの回転が、ゆるやかになってる。何事も起こらない毎日がつづくのが、幸いです。
★書道の日、「正月」や、「もち」などの墨字を書きました。「今年も、もう、3週間で終わりだよ」「早か、ね」と、そんな声を聞きました。ホームに居たら、時の流れが速い気がします。
★何事もなく、一年が終わろうとしています。単調な生活と思えるが、それでも行事があったり、ステントの入れ換えで入院もしたし、訪問者も国の内外から来たり、いろいろと、ありました。今は、一年、一年を、生きて行こう、そんな感じです。一生懸命、生きれば、それでよい。
★きのう、訪ねてきた、8人のグループの中で、1人の女性が、言った。「長崎の聖コルベ館の玄関に、聖句入りの、墨絵、『ぶどう』の掛け軸がかかっていますね。あれ、もらえませんか」。しばらく考えて、「いや、あれは、ね」と返事した。あの掛け軸を書いた頃は、筆力もあったよ。
★また、聖母の騎士から電話があって、「聖コルベ館の墨絵、『ぶどう』をほしいと」と言っている。「誰ですか」「外国人のようです」。尋ねると、ポルトガル人の男性だった。「ダメですと、断ってください」
★ホームで書いている書道を思うと、「小学生には、負けまいぞ」と、そんな気持ちで筆を楽しんでいます。「静夜」「神聖」「和顔」など、書けば、心も収まります。

2016年12月11日日曜日

登明サン、おカオ、見に来た。まだ忘れられていない

「小崎登明さん。忘れていません。聖母の騎士誌に載っていた記事を、楽しみに読んでいました」。長崎市から、2人の男性と、6人の女性が、「お見舞いに来ました」と、突然、やってきた。
★先ずは、応接室で、「どういうメンバーですか?」「在世フランシスコ会です」「教会は、どこですか?」「いろいろ、ですよ。大浦、中町、大山などです」。在世フランシスコ会とは、社会で暮らすカトリック信者の修道会で、全世界に大勢の会員が居り、修練もあるし、修道者の心で生活している。「よく、まあ、訪ねて来たモンだ」と感心した。
★皆さんの歳を聞くと、昭和5年生まれの男性から、昭和22年、戦争が終わった頃に生まれた女性まで、幅広い年代だった。「私は、昭和3年」というと、「お若い」と言われた。
★湯江教会にお連れして、ロザリオを一連唱えた。その後、ホームの2階へ導き、私の部屋も見せた。「これだけ、あれば、充分じゃないですか」と満足はいただけた。私は、「自分たちの老後も真剣に考えなさい。足腰をしっかりして、転ばないように気をつけなさい。誰も見取る者が居なくなれば、早いうちに、ここのホームに入りなさい」と勧めた。
★今夜の泊まりは、「いこいの村」だという。「ああ、それなら、山に見えるでしょう。あれ、ですよ」。今日は、空は薄い青色だが、晴れのよい天気だった。「ゆっくりお湯につかって、ご馳走食べて、人生楽しみなさい」。軽自動車、2台を、最後まで手を振って見送った。
★おみやげに、やわらかいお菓子を多数に持ってきた。「皆さんで食べてください」。ありがとう。事務長さんにお渡しした。多分、今夜の夕食に添えて、出るだろう。

2016年12月10日土曜日

からだ、ふら、ふら。おかしい。でも、今日は良し

きのう、巡礼に行った大村の教会の庭に立つイチョウの木です。先ずは落ちている葉っぱの美しさにデジカメを向け、それから木を仰ぎ見ました。
★昨日は、朝、起きると、すぐ、何やら、からだに異常を感じた。ふら、ふら、する。歩けない。なにかが、おかしい。身支度をして、暗い廊下を歩くと、足が定まらない。歩きながら、首を、右、左に向けると、まっすぐに歩けない。「こりゃ、たいへんだ」
★ミサのとき、座っておれば何ともない。しかし聖体拝領へ行く足取りは、遅くて、ゆらゆらして、祭壇まで行くのが、精一杯だった。「なにか知らん、気乗りがしない」
★入浴の日になっていた。風呂に入ろうか、止めておこうか。「湯の中で倒れたら、どうなるか」。迷ったが、ふらふらしながら、お湯につかった。
★午後からは教会巡りに行くという。止めようか。普段通りに、参加した。帰りの途中で、「道の駅」で休憩し、皆さんは買い物をしていた。私は、生産者の名前と日付けがついた小ツブの「イチゴ」を買った。「イチゴ」の匂いが好きなんです。300円でした。
★からだと、アタマが連続しているらしい。いま考えていることは、「現在」の心やからだの状況です。具合は、どうなのか。「過去」に何を成したか、いまでは余り問題ではない。むしろ「未来」に興味がある。これから老いて、どのように、からだの状況に変化が起こり、命の最後を迎えるのか、一抹の不安があります。
★とにかく、「今」を、一日、一日、過ごすのが、課題です。
★今日は、朝から、正常に戻りました。「なにか、血圧に、関係があったのかな」

2016年12月9日金曜日

大村の教会へ巡礼ドライブ。温かい歓迎を受ける

 ホームには、月に1度、「野外活動」といって、午後から小型バスで、ドライブがあります。外の空気に触れるのも楽しみです。気分、転換にもなる。
★今日が、その日で、午後から、15人が、2時間30分の外出でした。行先は、大村の植松のカトリック教会です。およそ、ホームから45分ほどかかった。
★教会に着くと、主任神父さまが出て来られて、案内くださり、お話を聞いて、馬小屋の前で、神父さまも入れて、全員で写真を撮り、帰りには、お菓子のおみやげまで下さった。神父さまの心の温かさを感じました。
★大村は、キリシタン時代、大村のお殿さまが洗礼を受けて、一時期、キリスト教会が栄えた時代がありました。しかし禁教令が発すると、2代目お殿さまは背教して、キリシタンを弾圧しました。市内の各所に、殉教者の苦境の場所があります。教会でも、町でも、キリシタンたちを偲びながら、安息の祈りを捧げました。

2016年12月8日木曜日

無原罪聖マリアの祭日。日米開戦の日。平和を祈る

今日は、2つの大きな意義がある日です。教会では、聖務日課の祈りと、ミサは、無原罪の聖マリアの祭日を祝いました。コルベ神父に深い関係がある祭日です。
★食事のとき、隣の席の入江さんが、私に、「今日は、聖母の騎士では、大きなお祝い日だろう?」と聞いた。「そうです」と答えた。
★コルベ神父は、無原罪の聖マリア、「けがれなき聖母マリア」をこよなく愛し、マリアに奉献し、聖母の道具となって、「マリアからイエスへ」の心で生涯を貫いた。
★「マリア」「マリア」を呼吸して生きておられた。修道院の各部屋に、無原罪の聖母マリアのご像を安置し、祈りました。手紙を書くときも、先ず、「マリア」と書いてから、文を記した。神学生や修道士にも、そのように必ず書くよう習慣づけた。修道院内の挨拶も、お互い、「マリア」だった。
★今日は、もう1つは、アメリカ、イギリスなどと戦争が始まった日です。真珠湾攻撃による開戦の日です。入江さんに聞いた。「開戦の日、どこに居ったの?」「聖母の騎士に居った」。入江さんは言う。「初田も、川渕も、竹山も、兵隊に行ったろう?」「ウン、行った」「江口や、浜田は、兵隊には行かなかった」と、入江さん。
★「あんたは、兵隊で、どこに行った?」「満州・・・初田は看護兵だった」。食事のとき、そのような会話を交わした次第です。思えば、初田も、川渕も、竹山も、無事に兵隊から帰り、江口も、浜田も、全員が神父さまになって、この聖フランシスコ園でも、皆さんが園長を勤めている。
★入江さんの「満州行き」に興味を感じた私は、午後のロザリオの後で、ソファーに座り、話を聞いた。「満州に兵隊に行って、よくぞ助かったね」。入江さんは、次のように語った。
★聖母の騎士から、兵隊は、広島の機関銃隊に入った。関東軍になって、満州に渡る。隊長から可愛がられて、成績も上がった。ところが聖母の騎士から手紙がしょちゅう来る。最初に、「マリア」「マリア」と、来る手紙に必ず書いてある。「なんじゃ、これは・・・外国の名前なんか書いて・・・」。ダメだ、と言わんばかりに、格下げになった。
★「もう、負けると分かったんだろうね。終戦、2ヶ月前に日本へ戻った」。200人ほどの中隊は、愛知県の山の中のお寺に住んで、木を切る作業をしていた。終戦になるとき、盲腸になり、入院していた。聖母の騎士から、ロムアルド修道士さんが迎えに来た。修道服を着せられ、大曾神父さまと一緒の修練だった。修練の途中で、聖母の騎士を去った。誓願は立てていなかった。
★コルベ神父の「マリア」が、入江さんの兵隊時代、「マリア」で格下げになったとは・・・私は、「そんなことも、あるのかヨー」と大笑いをした。気持ちが、すっきりした日でした。

2016年12月7日水曜日

博士論文に、カエルの話。母親は火に燃えて死んだ

オーストラリアの若者・研究者から、手紙が届いた。いつぞや私を訪問して、原爆の話を聞き、また電話をかけてきた男性だった。
★「オーストラリアから『今日は』をつたえたいです。『グダイ』と私たちが、いつも言います」
★1枚の日本語の手紙が入っていた。
★「大学の研究で、カトリック信者の被爆者とオラルヒストリーでのインタビユーを中心としての歴史を英語で書いているところです。論文も終わりに向かっています。小崎さんの話と、次の3つの資料を入れたいです。同意書を送ってください」
★その3つというのが、①母親の写真と、以前、日記に出ていた「かえるの話」。②手描きの聖母の騎士の地図と、原爆投下の日に歩いた道の地図。③マンガ「焼けたロザリオ」の絵のある部分だった。
★私が感心したのは、日記(ブログ)で見つけた「かえる」の話だった。4年前の2012年8月9日の日記で、よく見つけたものだと思う。
★カエルの話は、母親から聞かされた。「ひとつも言うことを聞かない、子どものカエルがいた。母親カエルが、山へ行きなさいと言えば、川に行く。川に行けと言えば、山へ行く。勉強しなさいと言えば、遊びに行く。こまった子カエルだった。お母さんカエルは、だんだんと歳をとって、やがて死ぬ日がきた。山に埋めてほしい。しかし、山と言えば、川に埋葬するだろう。川と言っておけば、山の安全な所に埋めてくれるに違いない。それで母親カエルは、死んだら、川に埋めてね、と言い残した。母親を失って初めて自分の我がままに気がついた子カエルは、ゴメンね。と、ほんとうに、川の近くに埋葬した。だから雨が降ると、カエルが、ケロ、ケロ・・・と悲しそうに泣くんだよ」
★そのように話してくれた母親は、原爆の火に包まれて死んだ。子カエルは、ケロ、ケロと、71年が経っても、泣いている。

2016年12月6日火曜日

聖フランシスコ園創立記念日。紅白おマンジュウ

「祝」「祝」と書かれた紅白の大きなおマンジュウ。ホームの創立記念日です。喜んで食べました。おいしい「お饅頭」でした。
★もともと、ホームはおマンジュウ屋さんとご縁が深い。お葬式の後には必ず、おマンジュウが出るからです。事務長さんの話によると、そのマンジュウ屋さんとは違うらしい。毎年、記念日に納めてくれるお饅頭屋さんは別で、お家の方も、このホームに入っていたそうです。
★この日、お祝いの昼食メニューは、お刺身に、えび天の巻き寿司、大きな大根に牛肉が乗ったもの、お魚の汁と、果物でした。
★聖フランシスコ園の歴史は、戦後、すぐに始まった。私が、20代の頃、結核で、山の修道院で療養していた。そのとき、山道を登れば、そこに「養老院」があった。昔は、そう呼んだのです。当時、記事にも書いたことがある。
★その記事を見つけた。2ページの短い文で、「3畳ほどの部屋で、1人前、1日、40円の県庁からの支給で成り立っている。79歳の目の不自由な老人は、僅かな小遣いをもらって、キザミ・タバコも、1袋が4日分。切れると辛い。老人は、タバコ盆をキセルで、コツ、コツと叩いて、低い声でうなり始める。・・・SOS・・・SOS・・・。神父さんが来ると、、さっきから、こうして信号を発しているが、通じない。憐れなものよ。老人は深いため息をつくと、こう言った。食物は、肉体の糧、御聖体は、霊魂の糧、タバコは、精神の糧じゃ。タバコがないと、精神が乱れる」
★その後、山を下った町に、老人たちは移転した。今の場所に建物が出来て、正式に役所から認可された。名前が、「聖フランシスコ養老院」といった。
★その後、養老院は「園」に変わった。50年近くになる。大勢の司祭や、修道士や、シスターや、職員が働いて、ホームをつないできた。その流れで、今がある。紅白の大きなおマンジュウを食べるのに値します。
★各部屋では、禁煙。喫煙室が設けられている。
★以前の園には、元気な老人が多かった。まだ歳も若かった。しかし今は、80代、90代の老人が多くなり、長寿を保っている。

2016年12月5日月曜日

ビンセント神父さまの、さっそう・バイク姿。やるぜ

「ビンセント神父さま、別れるのは寂しいよ」。私の自室に別れに来ました。
★思い出は沢山、あります。私が勤めていた、長崎の聖コルベ記念館の前の担当は、ビンセント神父さまだった。私が跡をついだのです。
★そう、こんな思い出がある。長崎時代、ある年のクリスマスのとき、ビンセント神父さまは、本物の馬小屋を、聖コルベ館の横につくって、マリアさま、ヨゼフさま、ホンモノの赤ちゃんをワラに乗せて、お祝いしました。暗闇のなかで、御誕生の部分の聖書も読みました。そういえば、その時の本物の動物は、何だったのかなァ、小馬だったか、小牛だったか、それは記憶がない。実際に実行した、あの時の印象は、今でも忘れない。
★人里離れた山に養護施設があって、その施設の児童・生徒たちだけが通う、私立の椿原小・中学校があった。小さくても、意義がある立派な学校だった。私が勤めていた頃は、小・中の児童・生徒を合わせて、100人が学んでいた。
★学校は、長崎から車で、1時間30分はかかる。私は、中学校の英語の特別講師に、ビンセント神父さまをお願いして、週に、1、2回、勤めてもらった。学内で、英語のスピーチ大会も開いこともある。ビンセント神父さまのお陰で、英語が好きになって、上達した女子生徒も居た。当時の英語の女性教師は、夏休みを利用して、ビンセント神父さまと一緒にアメリカへ、ホームステイをして英語を磨いた。公立の中学英語教師の試験をクリアして、公立の先生になって活躍しています。
★その頃のビンセント神父さまの、さっそうとしたバイク・姿です。なぜ私がこの写真を持っているのか。大切に残していた。確か、この姿で、椿原の学校には通ってくれた。こんな時代もあったなァと、感慨無量です。この写真をビンセント神父さまに見せました。
★ビンセント神父さまは、無線のハムも交流し、仲間も居ります。
★椿原の学校は閉校になり、建物は平地になった。「つわものどもが、夢のあと」です。

2016年12月4日日曜日

アメリカ人ビンセント神父さまは帰国される。寂しい

アメリカ人のビンセント神父さまが、80歳になって、日本での宣教を終えて、アメリカへ帰国します。その一行が、ホームにお別れで、寄りました。
★写真は、左から、松尾修道士さん、東京の修道会本部付きで、この度の旅行のお世話をしています。以前は、ホームでも勤めたことがあるので、彼が歩くと、皆さんから、愛想のよい声がかかります。
★真ん中が、ビンセント神父さまです。若い頃は、185cmあったそうです。長い間の宣教は、お疲れさまでした。よく頑張りました。神さまが、お報い下さるでしょう。アメリカへ帰国して、シスターが経営するホームで休みます。
★右側が、アメリカからお迎えに来た神父さまです。彼に付き添われて、アメリカへ帰ります。
★ビンセント神父さまは、18歳のときに、「人びとに、神キリストさまの信仰による本当の幸せを、教えたい」と、コンベンツアル修道会の神学校に入りました。27歳で、司祭になる。31歳で、鹿児島県の奄美大島に宣教に来ました。
★以来、50年近く、奄美はもちろん、沖縄でも、長崎の聖母の騎士でも活躍しました。12年間、フィリピンの神学校で、指導をした経験もあります。
★長崎の聖母の騎士では、神学生の担当だった時期もあった。その頃の学生が松尾修道士さんでした。ビンセント神父さまと、神学生たちは、時々、このホームにも訪問していました。だからホームの職員さんの中には、ビンセントさんを覚えている人も居る。「お別れは、寂しい、ね」
★アメリカへ帰られても、いつまでもお元気で、長生きされて、日本のこと、忘れないでください。健康と、平安を祈ります。
★ビンセント神父さまと、わたしの思い出もあります。あした、書きましょう。

2016年12月3日土曜日

月に1度の楽しい誕生会。出し物は、忍者・体操

毎月の初・土曜日の昼食は、皆さんが集って、その月の誕生日をまとめて祝う「誕生会」です。皆さんが、楽しみにしています。今月は、お2人、そのお1人は、100歳になる女性でした。
★「パッピ、バスデイ」と唄いながら、拍手をしながら、園長神父さまと職員さんが、小さな灯と、花束と、プレゼントを渡します。カンパイがあって、出番は、職員さんの出し物です。楽しみに、話題にしていますよ。
★「きょうの出し物は何ですか」「忍にん体操です」。忍者の格好で、ゲンキが出る楽しい健康体操のご披露です。舞台で、踊るというか、体操を披露しました。「いつ頃から、のですか?」「いま、はやっていますよ。ネットで見つけました。伊賀市が本元で、忍者の姿で、足腰の強化です」。忍者だから、どこの、ダレか、わかりませんね。
★昼食のごちそうは、ナベものでした。牛肉、豚肉、魚の組、など、5つに分かれて、いただいた。私は牛肉のすき焼きナベでした。

2016年12月2日金曜日

老いても、苦労はあります。それでも生きています

先日、雲仙温泉に行ったとき、食事処・入浴荘の入口にあった「イヌの置物」です。ホンモノかと間違えました。かわいいので、バスに乗る前に写しました。でも、考えてみれば、「もの言わぬイヌは、お家があっても、悲しいですね」
★ホームに入る前の住所は、長崎市だったから、突然、長崎市役所から1人の女性職員さんが、「生活状況」の調査に来た。まあ、事務的に、二言、三言、問いかけるのですが、気楽な会話でも、当方にとっては、複雑な思いもあります。
★「生活されていて、困ることは、ありませんか」「何か、心配ごとは、ありませんか」「周りの人とは、どうですか」「おカラダの調子は、いかがですか」
★ホームの職員さんたちは、からだが不自由な人には、ほんとうに、よく、面倒を見ていますよ。わたしのカラダは、きついです、と言っちゃった。おなかの中に、クダが入っていて、これを取り替えるのが、4ヶ月から5ヶ月ごとに行ないます。これが、キツイ。歳も、歳だし、いつまで、つづくのか、不安になる。いつまで体力が、持てるのか・・・なんて、ムダなことを、グチって、しまった。それを聞いただけで、お帰りになりました。
★文句は、言わぬ。もの言わぬイヌに、なりたいよ。そういう気持ちで今は生きております。

2016年12月1日木曜日

女子高校生からのお礼の手紙。感謝で、イッパイ

一通の手紙が届いた。開いて、びっくり。いまどきの女子高校生が、こんな美しい字を書いている。それには感心した。美しい手紙は、慰めと、励ましを与えてくれる。
★この、2年間、ホームに入ったから、1度も修学旅行生に語り部をしたことがなかった。それが、11月の上旬、ふと、「やりたい」気持ちが湧き出て、実行したのが、関東から来た女子高校生だった。修学旅行でなくて、「校外学習」というそうだ。女子高校生の、代表者からのお礼の手紙だった。
★字もきれいだし、話した内容も的確に捉えている。まじめに聞いていたんだな、素直にそう思った。文面には、次のように、あった。
★「十七歳の夏」を読ませていただき、とても感動しました。お話をうかがえると知ったときは本当に嬉しかったです。
★この校外学習で、私は「感謝」の心を学びました。私を育て、愛してくださった、すべての方々、訪れた地で出会った、すべての方々への感謝の思いで、いっぱいです、と書いてあった。
★私も、いいことを、したな、と感謝した。小さな話でも、大きく響き、女子高校生たちにとって、一つの出発点になるかも知れない。語り部で、私が話した終わりの言葉は、ポーランド語の「ジンク-エン」(ありがとう)だった。