2013年9月30日月曜日

カラだの診療に、さまざまな課題がある。ゲンキを出そうよ

予約の泌尿器科へ。「10月に入って、ステントの入れ替えをしましょう。そのために、血液検査、胸のレントゲン、腹のレントゲンを撮りましょう。ほかに、なにか、気になることは、ありませんか」とお医者さん。「3週間まえから、カゼ気味で、セキが出て、タンが出ます」と申し出た。内科の女性・医師の診察へ回される。「胸のCTを撮りましょう。タンを取ってください」。CT室へ。結果は、「前のと比べて変わりない。右の胸の、ここのところに、ウミがたまっている」。そんな言葉を告げられると、悲しくなる。いまの状態で、精いっぱい。昔の結核の跡でしょう。さわらない方が、いい。「ゲンキを出せ」と自分に、言い聞かせる。女医さんが「呼吸器の専門医に診せましたか」「いいえ、まだ、です」「1度、専門医に診てもらいましょう」「ハイ」「では、あした」。やっと、開放された。病院の診察は、どうしても長くなる。朝、8時40分に聖コルベ館を出て、戻ったのが、12時40分だった。4時間かかったわけです。それでも無事に戻れたのが、ありがたい。午後から、介護の入浴になっている。★きいろい、まんじゅしゃげ。食堂の向かいに咲いている。★ブログを読んでいる女性が語った。「ライモンド(ネコ)、月に1度ぐらいは載せてください」

2013年9月29日日曜日

サヨナラ。ルーマニアの神父さん、東京で、ガンバってネ

会の集まりが、終わって、みなさん、帰ります。ルーマニアのイシトク神父さん、東京に帰って、日本語、頑張って、じょうずになってください。「来年は、いっしょに、ルーマニアへ行こう」「ルーマニア、きれいな教会、たくさん、ある」「たのしみだな」。この度、イシトク神父さんは、いつも、トマ修道士のソバにいた。心の通う仲間ができたよ。フランシスコ会の修道士は、共同意識が大切だからね。共同体です。みんな、兄弟です。才能は違うけど、認め合っています。自分を抑える、霊的生活も必要です。内面の思いが、深くなる。そのためには、お祈りだね。「数日、共に暮らして、なにか、おもしろいこと、あった?」「ウーン、そうだな。信頼の気持ちだけ、だね」。イシトク神父さんは、東京の日本語学校で、いま学んでいる。だんだん、じょうずになるよ。笑われても、ドンドン使って、前向きに希望を持ちなさいね。★この歳まで、修道士を勤めて、良かったと思います。自分のチカラでは、ない。多くのヒトの支えが有った。だから、今が、ある。そう思うのが、好きです。これ、ホントだから。



2013年9月28日土曜日

最後のシメはお祝い。司祭金祝と修道誓願75周年。喜び。

会の集いの終わりは、2人のお祝いであった。神父さんと、修道士さん。お2人を囲んで、記念の写真を撮った。白い服が、神父さんたち。黒い服が、修道士たち。人数は少ない。前列、左側に立っている。注目すべきは、フランシスコ中村安五郎修道士さんです。下の写真が、そうです。コルベ神父の時代に入会した。コルベ神父と2ヶ月ほど、いっしょに生活した。コルベ神父のヒゲで、アタマをこすってもらった。長年、聖母の騎士の受付を務めた。「心の優しい、カオも優しい、修道士さん」です。★戦争中、15歳の少年だったとき、中村修道士のお世話になり、下宿先を探してもらった。中村修道士に命じたのは、当時の院長、ミロハナ神父さんでした。中村修道士は、浦上天主堂のすぐ下に、洋服店でした、宿を探してくれた。食料は配給だったから、泊まるだけ。店には、身障者の女性がいた。食事は、大学病院で付き添え婦をしていた母のところで食べた。入院患者のベッドのそばで食べた。そんな貧しい思い出もある。中村修道士から、かわいがってもらった。フランシスコ中村安五郎修道士さん、ありがとう。


2013年9月27日金曜日

会の集まり、4日目。サシミと、会話で、盛り上がった。

朝から、カメラが、見つからない。気にして、探して、周っても、ないね。夜になり、会の集まりも、いよいよ大詰めになり、夕食会となった。聖コルベ館ホールに、会食が準備された。会計係の松下修道士が、サカナ市場に出かけて、サシミ用のヒラスと、キビナゴを買い求めてきた。彼が腕をふるって、さばいたのが、このお皿です。「きれいや、なあ」。写真を撮りたい、カメラは?そう思った途端、「あったゾ」。ホールのイスにカメラが見つかった。なんで、そこに、あったのか。わからない。早速、撮ったのが、この写真です。夕食会は賑わった。写真も撮ったが、ここには載せない。そのなかで、1枚の写真を載せます。みんな楽しんでいます。フランシスコ会では、兄弟と呼びます。仲が、いいんです。写真、前の列、左がイシトク神父さん(ルーマニア)、小崎修道士、右が奄美大島出身の神父さん、後ろ左、五島出身の神父さん、右がベトナ出身の神父さんです。国や、出処が、多種多様です。そこが、また、いいんですね。笑いや、会話は、えんえんとつづきました。「トマさん、カオ、若くて、ゲンキや、ね」と言われた。うれしかったよ。「後、片付けがあるから、この辺で、終わろうや」。若者は、はたらく。老いは、去るのみ。★修道士であることを意識して、もっと、身を引き締めんと、いかんな。




2013年9月26日木曜日

会の集まり、3日目。この若者の訪問は、忘れない。

1日じゅう、つづいた集会が、やっと終わった。最後は、ミサ。15分ほどの休みがあった。ホットしていると、1人の若者から呼ばれた。関西からの旅行者。「ここには教皇さまと、マザー・テレサが来たんですよね」「ハイ、そうです」「教皇さまの写真は資料室に飾ってあったが、マザー・テレサの写真がなかった」。そう指摘されて、苦しいまぎれの答え。「いい写真がないのです」。彼は「インドの施設を訪ねた」という。聖堂・玄関のソファーに、向かい合って、座った。「ここは初めて?」「ハイ」「きっかけは?」「遠藤周作の長崎巡礼の本です」。教会に興味があるという。さっぱりした表情の男性。「仕事は、なに?」と聞くと「少年院、勤務です」。ちょっと意外。更に聞いていいのかなあ、「大学は?」「一ツ橋」。格好良く思えたので、更に踏み込んだ。「卒論は、なんですか?」「ゼツボウ、です」。「ギョ」彼は、哲学者の名前を挙げたが、覚えなかった。男子・少年院に勤めて、9年。年期は入っている。「ジンセイ、一番、大切なことは、なんですか」。すると、「怒るにしても、ホメルにしても、愛情が大切です」「あなたの家庭は、恵まれていた?」「幸い、家庭は恵まれた」。話しているうちに、ミサが始まった。リッパなカメラに目がいく。「写真、撮って。ワタシも撮る」。アクシュして、別れた。「日記に載せるからね」。短い時間だが、心に残った。下の写真は、ミサの場面。カメラは、しっかり持っていたのだが、次の朝、カメラが手元に無いのに気づいた。「無い、ない」と、4つの部屋を、くまなく探したが、どうも、ない。★思いがけない、5つめの部屋から、見つかった。カメラの行方不明は、男性とは関係ないのです。
 

2013年9月25日水曜日

会の集まり、2日目。与えられるヒントに、深く感動する

写真は、前からは、写しません。後ろからだけ、撮りました。午前も、午後も、同じ、教会のホールで行なわれた。めざすテーマは「福音に生きる」。父なる聖フランシスコの時から、今に、つながる生き方です。聖書の(旧約)創世記が取り上げられた。光や、星や、植物、動物、創造される。ニンゲンも。人間には神のイノチが入っている。どの人にも。困った人にも、むずかしい人にも、愛する人にも、みんな。それらを受け入れる。そこから今日の課題は、父なる聖フランシスコの「太陽の歌」です。創世記と太陽の歌をすり合わせる。フランシスコは、兄弟、ヒカリよ。姉妹なる水よ、動物よ、植物よ、そしてキョウダイなる皆さん、と心から呼びかけるじゃないですか。それを創世記から合わせて、導き出す。そう言われれば、知りたい、知りたいと思うじゃないですか。創世記から、大きなフクロで、困った人も、むずかしい人も包んでしまえば、温かくなるんじゃないか。どこに居ても、人間の世である限り、マサツはあり、苦労する人間関係は、あるのです。それを受け入れて、むずかしいですよ、それで、兄弟と呼べる聖フランシスコの兄弟・つながりになる。「バイ・返しは、しません」。きょう、学ぶ課題です。

2013年9月24日火曜日

来ーたッ。イシトク神父さん、オレと同じだ。キョウダイさ。

東京で、日本語の勉強をしているペトロ・イシトク神父さん(ルーマニア人)、来ーたッ。長崎で、修道会の集まりが、4日間にわたって、行なわれる。「やあ、また、ひさしぶりだな」。イシトク神父は、すぐに聖コルベ館へ挨拶にきた。兄弟だよ。スランシスコの兄弟だからね。喜び合って、しっかり、アクシュをした。今日は、朝から、集会で、忙しかった。ゆっくり出来たのは、夜の7時過ぎ。3度の食事のときは、いつも、すぐ前の席で食べた。食器の片付け、運んでくれた。ミサ、祈りのときも、近くの席にいた。「来年は、イシトク神父さんと、いっしょに、ルーマニアへ行こう。1週間の巡礼の旅だ。それまで、しっかり、日本語、じょうずになってね」「いっしょに、行く」「イモウト、チェチリアの家族で、ルーマニアの食事、たのむよ。楽しみにしているからね」。イシトク神父さんは満足そうに、ニコニコ、笑っていた。


2013年9月23日月曜日

20年前の温かさを思い出した。小さな愛でも、一生、残る。

10年たっても、20年たっても、継続して、応援してくれる人が居るのは、嬉しいです。運動会で出会った女性たち。子供たちの運動会や、正月、劇の集い、卒業式など、必ず、学校に来て、励ましてくださった。今でも、こうして、つづけておられる。小さな集団だが、大きなパワーがある。近寄って、お礼を申しました。つづける、なかなか出来ないことですよ。昔を懐かしんで、いっしょに写真を撮りました。「幸せの薄い人を、助けよう。いっしょに、悲しみ、喜び、共にしよう」。恵みを分かち合うのは、生きていく上で、慰めになる。「ああ、あのように、心温かい人が居りました」。愛の思いは、いつまでも、残る。小さなキズも、一生、残る。


2013年9月22日日曜日

山の空気で、清気を養う。賑やかな半日だった。よかった

山の学校の運動会へ。賑わいました。小学生と、中学生を合わせて、16人の小さな学校です。シスターや、神父さんの姿も見えました。老人ホームのお年よりも参加、町の子供たちも一緒です。学校の児童よりも、大人が多い運動会でした。一般の人のための、パン食い競争。「そんなに、揺らすなよ。パンが、噛めないよ」。こんな時は、誰もが、熱中する。福袋釣りというのもあった。修道士は、出場しなかった。遠慮したよ。足元、フラフラだからね。でも、いいカオしているでしょう。山から吹いてくる風が、なんとも言えぬ心地よかった。この学校で、6年間、子供たちと生活した。あの頃は、70人前後の児童がいた。この運動場を、毎朝、子どもと一緒に、ランニングした。3周、4周は走っていた。6年たって、1回きりになった。この学校を去って、22年になる。学校に居た時は、バブルの頃でね。ケイキがよかった。去った時に、バブルがハジケた。世の移り変わりなんて、わからないものです。いま、こうして見ると、もう、かつての華やかさは、ない。しかし人の心の楽しさは、変わりなかった。昔の知人、先生にも会えたしね。聖コルベ館から、クルマで、1時間15分かかる。


2013年9月21日土曜日

聖コルベも見た中秋の名月。こんげん月は、えっとなかバイ

昨夜、寝るときの気持ち。何が、気落ちしたのか、知らないが、「うるさいな。楽にしてくれ。あれ、イカン。これ、イカン。やぐらしか(長崎ベンで、イヤじゃの気持ち)」だった。生きていくには、いろいろ有りますからね。こんな考えは、前向きじゃ、ないね。1晩、眠って、今朝、起きたときの気持ちは、「だいじょうぶ。シンパイいらないよ。神さまに、ありがとう、言いましょう。周りの人にも、ありがとう、言いましょう」。そのように変わっていた。メモに書いた。部屋を出る。廊下は、暗い。窓から、外を見ると、こうこうと、明るく輝く月があった。「わー、きれか、なあ」。中秋の名月だよ。本当の名月は、昨日の月だった。昨日も、見えた。リッパな月だね。思わず、口元で、こんな歌が出た。「こんげん、月は、えっと、なかバイ」。(こんなに、美しい月は、めったに、ないぞ)。確か、カミの句があった、思い出せない。そのまま聖堂へ。5時45分から、共同の祈りが始まった。祈りが終わって、朝食のとき、「こんげん月は、えっと、なかバイ」と言うと、隣の修道士さんが、本当の歌を教えてくれた。「わりたちも、みんな出てみろ、今夜こそ、彦サンやまの、月はよかバイ」。コルベ神父が土地を求めた、彦山(400m)に懸かる名月である。コルベ神父も、かつては見たであろう。きっと、天国に、思いを馳せたに、違いない。
 


2013年9月20日金曜日

聖コルベの鐘は、鳴りつづける。愛と平和を長崎の空へ

今年は、日本・国中で、水害や、タツマキが起こって、被害があって、タイヘンでした。お見舞い申し上げます。聖母の騎士も、カミナリが、ドカンと、鐘の塔に落ちて、アンゼラスの鐘を動かすコンピュウターが、やられました。「カラン、カラン」と鳴るアンゼラスの鐘が、日に3度鳴ります。朝、6時、昼、12時、夕方、6時。「鳴ることは、鳴るけど、音が、低音になった。困ったね」。鐘の由来を申し上げます。今から、およそ30年前、創立者コルベ神父さまが、聖人の位に挙げられた。おめでたいことです。それを祝って、リッパな鐘が、はるばるローマから送られてきた。それが、この鐘です。3回鳴って、ちょっと休んで、また3回鳴って、休んで、3回鳴って、休んで、それから連打する。これをコンピュウターで操作するわけです。鐘が狂えば、困ります。しばらく鐘が休んでいたが、やっと、鳴るようになりました。音のヒビキが大きくなった。天変地異とはいいながら、大切なコルベ神父さまの鐘ですから、守ってくださいよ。鐘には、コルベ神父さまのお姿も刻まれている。タイセツなんだから、ね。
 


2013年9月19日木曜日

沖縄の小学生が、やってきた。聖堂で、平和を歌い、祈った

沖縄のカトリック小学校の、6年生の修学旅行。80人が、明るいカオで、やってきた。みな、ゲンキだよね。沖縄から、遠いね。楽しみだね。「いい、旅の思い出を、イッパイ、つくりなさい。友だちと、仲良くね。それだけ、だよ」。朝、イチバン、9時前には、到着した。小学生だからね、優しく語ったよ。こちらが、ゲンキをもらうね。男の子1人と、女の子1人が、いっしょに、こっそり近づいてきて、「パンフレット、ください」という。ルルドの説明を差し上げた。ついでに、マリアのメダイも渡した。とてつもなく喜んだよ。「誰にも、言うなよ」「ウン」。これが、たまらないんだね。きっと、沖縄に帰ったら、打ち明けるよ。うれしさは、かくしきれない。「ひょっと、したら、あの子たちは、マリアさまから、導かれるかも」。そうも思ったよ。旅は、出会いなり。喜びなり。恵みなり。


2013年9月18日水曜日

1日は、バタバタと、過ぎる。ちょっと、停まって、考えよ

先日(9月6日に、湯布院へ向かうときに寄りました)、巨大・つり橋へ行った時の写真です。いいカオ、しているので、載せました。もったいない、写真だからね。こんな広い所へ来ると、気持ちも爽やかになる。いつも、こんなカオしていると、いいね。「さあ、なんでも、来い。苦しいことも、キツイことも、待っているぞ。負けないぞ」なんて、カラ元気。カラ元気でも、いいと思うんです。で、ないと、やって行けないよ。広々とした、デカイ、心になりたいよ。★ところで今日は、ブログの記載が遅くなったが、なにか有ったのか?午前中は、町に出かける。あれ、これ、するうちに、もう、夕方ちかくになった。1日、1歩、しっかり、歩もう。


2013年9月17日火曜日

老人の日も終わった。年寄りは、ガマン、ガマンの日々です

鳥取のナシ。「二十世紀」。鳥取のみどりさん、送ってくださって、ありがとう。リッパな梨です。みんなで、喜んでいただきます。今年は、山陰地方は、水害や、台風で、タイヘンでしたね。電話でお聞きしたら、「幸い、被害はなかった」そうですね。また、いつか鳥取に行けたら、いいな、思っています。★いま、食堂に集まる人が、10人居ります。共同で、お祈りをし、仕事をして、生活をしていますが、ニンゲンの暮らしですから、若干、温度差はあります。例えば、早朝、起きると、真っ先に聖堂へ行く。どよんだ空気がある。窓を開けると、新鮮な外の空気が、さっーと入り込んでくる。これが気持ちがいい。ああ、生きているな、と感じるわけです。ところが若い頃は、気分・さわやかになって、それで良かった。いま老人になると、ちょっと違う。ナマ・カゼは、肌に吹かれると、敏感に感じるんです。その上、当方が、カゼでも引くと、声が出ない。これが又、苦しい。カゼ気味は、金曜からだから、もう5日経つのに、まだ調子が出ないのです。とにかく老人にとっては、ガマン、ガマンの連続です。ガマン、しなけりゃ、生きられない。

2013年9月16日月曜日

素朴なお花だが、心をうるおす。愛が、人を引きつける

老人の日だから、と言って、閉館直前に、お花を持って来てくれた女性がいた。この女性は、5年ほど前に、知り合ったのですが、ボクが入院すると、お見舞いに来ます。父の日とか、老人の日など、お花を持って来られる。復活祭、クリスマスになると、クッキーや、お菓子を差し入れてくださる。ご縁を大切にして、コツ、コツと、励ましてくださるのです。キリストの愛ですよ。バプチストの信者さんで、熱心に信仰を守っておられる。その信仰にも、愛の行為にも、感心させられます。決して、気持ちを抜かないんですね。ボクなら、メンドウとの気持ちも、時には湧いてくる。それが、この女性の場合、全然、変わらない。覚えてくれています。ありがたいですよ。もし、ボクに、宗教がなく、心が空白であったら、女性の教会へ行きたくなるでしょう。いくらリッパな教えでも、愛の行動がなければ、何の魅力もないでしょう。素朴なお花が、大きく人の心をうるおします。★困難なことは言うまいと、思うのですが、4日前から、カゼ気味で、ノド、気管支、胸をやられる。声が出ないのが、苦しいです。祈りの先唱も、うまく出来ない。イラ、イラですが、我慢して、耐えるしか、ないですね。


2013年9月15日日曜日

敬老の日。教会で、お祝い。「お若いネ」「ダイジョウブ?」

日曜日。教会で、一足さきに、敬老の日を祝った。75歳以上。30人ほどが居た。1人、1人、名前を呼ばれて、主任司祭から、愛の贈り物をいただく。皆さんが、いただいた後、「トマさん、代表して、お言葉を」「ええ、ワタシが」「頼みます」。そこで前に出て、次のように語った。「ありがとう。1年、1年、いただいて、今年は85歳になった。でも、まだ頑張らなくては。1番、前に、「平山さん」、90歳以上ですよ。負けては、おられない。後期高齢者になって、うれしい言葉は「お若いネ」と言われることです。ゲンキが出ます。頑張ろう、気持ちになる。イヤな言葉は「ダイジョウブ、か」。大丈夫では、ないですよ。あっち、痛い。こっち、苦しい。でも、困難や、痛みは、置いていて、明るく振舞いたい、それが老人の願いです。好きなことを、しなさい。おいしいものを食べなさい。いい思い出を、沢山、つくろう。老人の楽しみです。信仰も、忘れないでね。心境、一言で、語れば「生かされて、きょうも、いのります」。みんなは、拍手をしてくれた。

2013年9月14日土曜日

平和のアクシュ、聖コルベの「お礼を求めない愛」を伝えよう

この写真に、題をつけるなら、「アクシュ」だね。先日、来た女子高校生たちの1群。帰りしなの、とっさの、出来事です。向こうに、女子高校生たちは、立ち去ろうと、している。残りの学生が、数人いた。「アクシュ」といえば、よろこんで手を差し出した。コルベ神父さんからイノチをもらった男性を、ポーランドまで訪ねていって、帰りしなに「アクシュ」をしたことを思い出した。男性から受けたコルベ神父の愛。それを貰った修道士は、今度は、日本の若者に、アクシュをして、伝えている。そんな気持ちでした。女子高校生は喜んでいましたよ。「ジンセイには、困難や、苦労がイッパイある。それらの苦労や、困難を語っても、仕様がない。それよりも、うれしい事、励みになること、そんな事を語りたいです」。これが、なかなか気が付かないんだね。トッサの、勝負さ。瞬時を逃すな。手の温もりに託して、コルベ神父の「お礼を求めない愛」は、伝わるよ。

2013年9月13日金曜日

原稿、書きで、悩んでいます。毎月だからね。タイヘンです

文章を書くって、やっぱり、むずかしいですね。書くぞ、という意欲が、必要です。内容が、ある程度まとまったら、よし、書くぞ、と、こういう気持ちになる。騎士誌に毎号、4ページの小さな記事を書いています。題を、並べてみると、このようになった。題は、10文字ある。ユビで数えて、決めるんですね。うまく、10に、納まらないと、ね。いろいろ考えます。いま、11月号を考えている。これが、なかなか、題が決まらない。大分の湯布院へ出かけた小さな旅を書こうとしたが、息がつづかない。いまは『お・も・て・な・し』で、世間は沸いている。『世界にまことの平和を』。こんな題も、いいですね。だが、むずかしい。何に、ピントを置くかで、悩みます。文章を書くなら、ゆっくり、安らかな気持ちで、ペンを運びたい。午前9時に、聖コルベ館へ出てきて、ブログを書いていたら、すぐ時間が経ってしまう。それに見学者が来れば、もう午前中は、文章は書けない。午後は、3時までは自室で、休んでいます。昨日から、カゼ気味か、ノド、気管支がモヤモヤする。そうそう、いま、題は、『聖コルベのルルド今昔』を考えています。1回は、書かなければ、いけない内容ですから。

2013年9月12日木曜日

マリアの御名の記念日。修道士たちはマリアの御名で挨拶した

「マリア」「マリア」と、修道士たちは、(修道院内で)、会う度に、挨拶の変わりに、マリアさまの名前を呼び合いました。コルベ神父さまの時代の習慣でした。美徳と、思われる習慣です。戦争が終わっても、長い間、聖母の騎士修道院では、お互いが、部屋や、道で、会う度に、マリアの名前を呼び合って、挨拶したのです。最近も、食堂で、その習慣は、残っています。今朝は、ミサのとき、「マリアの御名」の記念日を祈りました。マリアさまの御名を洗礼名に頂いている女性は沢山おられるでしょう。★最近、食堂で、ここの、土地の歴史が話題になった。家を建てるとき、人骨や、動物の骨が出てきたのです。コルベ神父さまが、ここの土地を購入するとき、16人の地主がいて、条件が大変厳しかった。前に、土地を買う人も、2人ほど居たが、骨が出てきたので、止めた。1坪、1円。それでも、7.000坪。7.000円は、大金でした。コルベ神父さまは、ポーランド・聖母の騎士からの送金を当てにして、一辺に、支払えない。何回かに分けて払った。地主たちは、期限に遅れたら、返金もしないし、土地も渡さない、と言い張った。聖母の騎士を見守る善意ある司祭や、信徒たちが心配して、「コルベ神父さん、おカネ、大丈夫ですか」と念を押していた。コルベ神父さまの答え。「マリアさまが、お望みならば、おカネは送ってきます。お望みでないなら、送ってきません。ワタシの心配することでは、ありません」と、泰然自若としておられた。そして、おカネは、ちゃんと、間に合うように、送られてきたのです。食堂での会話の結論は、「マリアさまが、望まれた土地です。だから、おカネは、とどいた。この土地は、聖母マリアさまが、望まれて、ここに家を建てた明白な所なのです」。コルベ神父さまの証明付きですからね。

2013年9月11日水曜日

来たーッ、女子高校生たち。イノチの大切さを学ぶ。修学旅行

2クラス、60人がやって来た。静岡の女子高校生たち。高校2年生です。感心、感動の学校です。なぜ、って、高校生になったとき、修学旅行を目標に、全員が、『長崎オラショの旅』を購入して、みんな読み上げた。内容の分かち合いも、したそうです。うれしいじゃないですか。ありがたいです。聖母文庫の本を読んで、準備して、修学旅行にそなえる。リッパな行為です。その上、長崎へ来て、実際に、著者の修道士の話を聞きました。当方の、話す方も、チカラが入る。順調よく語りました。「楽しい思い出をつくりなさい」。優しく、親切に迎えました。旅行で思い出になるのは、出会いですよね。長崎の修道士に出逢った。いい印象を受けたでしょうか。「自分で、生きていると思うなよ。生かされている。いつ、それに気が付くかが、問題です。生かされて、カンシャ。人のために何かを尽くそうとする気持ち。ニンゲンには、そういう気持ちも、ある。悪に負けるな。コルベ神父は餓死の地下室で、最後まで生き抜いた。生かされて、人のために尽くす、悪に負けない、この3つが、基本です。コルベ神父の名前を覚えてください」。資料館の見学が終わって、気持ちが大いに嬉しかったので、聖コルベ館の玄関で、全員で写真を撮った。こんなにして写真を撮るのは、初めてでした。すばらしい写真になったよ。

2013年9月10日火曜日

記録は、益(タメ)になる。33年前に描いたスケッチです

大分のトラピスト修道院には、すでに、行ったことが、ある。だから、懐かしかった。スケッチが残っていた。記録は、やっぱり、タメになるんだなァ、と思う。スケッチのなかには、いろいろな情報がメモっている。スケッチは、1980年9月17日の日付。建物は、1980年7月11日に落成、と書かれているから、出来上がって、2ヶ月しか経っていない。土地の広さは、61ヘクタール。1ヘクタールは、3.000坪。坪、250円。くわしいなァ。当時は、司祭、3人。修道士、4人。計、7人が居た。聖堂で、修道者が座るイスが、カッコウいいね。★今朝の黙想。聖務の共同祈願から、思い、祈りました。「聖霊によって、すべてを生かし、愛する心を与えてくださる」。聖霊というと、どうも、特異な信仰のように感じられる。あまり、なじめない。しかし、よく注意しておると、聖霊への呼びかけは、度々、有るんですね。「聖霊よ、来てください」とか、「聖霊よ、信じる心を満たし、愛の火を燃やしてください」など。そこで、もう少し、聖霊について知りたいと思いました。聖霊と聞いても、違和感を感じないように、信仰を固めるべきでは、ないでしょうか。「信仰と、愛を、強めて、ください。信じること、愛することが、むずかしい今の世のなかです」


2013年9月9日月曜日

印象に残った同年輩の神父さん。祈りは、チカラなり。

今度の旅で、印象に残ったのは、トラピスト修道院の神父さん。人里、離れた山の、広大な緑の地で、黙々として、祈っている。修道院を訪ねて、敷地内で、素朴な修道服を着た修道者に出会ったとき、なぜか、ホットしたよ。「ボクも、聖コルベ館では、努めて、修道服を着ていよう」と瞬間、思った。「神父さん、何年生まれ?」「昭和3年」「ええ、ボクと同じだ。何月ですか?」「6月」「あれ、ボク、3月。上だね」「ハハハ」。どうやら、誰でも、齢(よわい)80も半ばになると、耳が遠くなるね。神父さんも、苦労されたんですね。ジンセイ、いろいろ、苦労もイッパイあるさ。「十字架を背負って、しっかり、歩こう」。アタマの上に、古びた十字架が目についた。修道者は幸せモンだよ。神さまと、共に居るから。「毎朝、何時に、起きますか?」「3時半」「まいりました」。起きて、すぐに、聖務日課のお祈りが始まるという。みんなが、寝ている間に、神さまに祈るわけだ。「祈りは、チカラなり」。同年輩の神父さんから、パワーを、もらいました。

2013年9月8日日曜日

湯布院、3日目。祈りのないハタラキは、空しいよ。

湯布院の教会での、朝のミサの祈り。近所に、シスターの修道院が、2つある。聖歌を歌い、熱心に祈る。若いシスターも居りますよ。祈りが終わって、一旦、外に出たシスターのうち、1人の老人のシスターが又、戻ってきて、「小崎登明サンですか?」「ハイ、そうです」「記事、読んでいますよ。たいへん、でしたね」と慰めてくれる。湯布院の教会は、小さいですが、創立、42年になります。場所は、国道から、由布岳寄り、静かな場所にある。今度の湯布院の旅の目標は、祈りに、大きなチカラがある、それを認めたかったのです。「祈りは、個人の願いだから、それよりも、実質、行動の奉仕や愛」と、尊重されるオモムキがある。「そーか、な」。これが感想です。湯布院の教会に、『フランシスコの道』という手作りの冊子が置いてあった。記事の一節に、次の文を発見した。「もし、あなたが、祈りの人でなかったら、誰も、あなたが、神さまのためだけに、働いているとは、思わないでしょう」(ベトナム人の、トウン枢機卿)。いくら働いても、自分のために働くことになる。ムダなことです。自分の働きは、何も無い。神さまが、働かれる。そう思ってこそ、実りが有る。それが信仰でしょう。今度の湯布院の旅は、小旅行ですが、さわやかな実りがありました。★それにしても、大川甚吉神父さんが、よくよく、奉仕をしてくれた。帰りも、長崎まで、運転で、送ってくれた。こんな親切な、理解のある神父さんが、居るのか。「ありがとう」「トマ、途中で、倒れるのでないか、心配したよ。ジンゾウ、ハレツ、どうするんだよ。無事で、よかったな」「ハハハ」。片道、220Km。午後3時に、聖コルベ館へ帰った。

2013年9月7日土曜日

湯布院、2日目。トラピスチンに、19人。祈るシスター

女性のための観想修道院、トラピスチンです。クルマが停まっているでしょう。あれが、大川甚吉神父さんの軽・四輪駆動です。これで回りました。大分の、山の中の、静かで寂しい場所、出てきたシスターに最初に聞いたのが、「いま、ナン・ニン、ですか?」。返って来た人数が、19人。びっくりしました。そんなに、沢山。生涯を、このような人里離れた場所で、祈り三昧に過ごすこと、これは特別なお恵みなしには、誰もが出きる生活ではない。シスターたちの祈りが、カトリック信仰の大きな土台になっているのを感じます。「隣人愛だ、奉仕だ、ボランティアだ、と言っても、祈りの無い働きは、無意味です」。それを、今度の小さな旅で、認めたいのです。下の写真は、聖堂です。シスターたちの祈りの場所です。祈りの台に納まって、毎日、何度にも分かれて、聖務日課を歌っている。応接間で、大きなツブの、ブドウを食べさせてもらった。「シスターが作りました。2本、木があります」「ええ、おいしい」。大川神父さんは、シスターたちが作ったクッキーを沢山買って、車に積み込んだ。

2013年9月6日金曜日

湯布院へ。1日目。日本一の、大型つり橋で、足元フラフラ

大川甚吉神父さん、81歳。湯布院(大分県・温泉あり)の教会の神父さんです。「ボク、見納めに、湯布院へ行きたいよ。日本一の大きい、つり橋、渡りたいなァ。頼むよ」とお願いすると、わざわざ湯布院から、聖コルベ館まで、迎えに来てくれた。「やあ、すみません」。湯布院から長崎まで、片道、高速で、220Km離れているのです。それを、軽の四輪駆動で、迎えに来た。九州を、横断するワケです。2泊3日の旅の始まり。ボクの第一の願いは、日本一長い、つり橋を渡ることでした。ヒトだけが通る、つり橋。イメージとしては、丸太の橋かと思いきや、コンクリートのリッパな橋でした。長さが、390m。高さが、170m。両脇に、2つの滝もある。眺めが、すばらしい。気持ちが、デカク(大きく)なりますよ。くよくよ、考えるなよ。でも、ね。飛び込む人も居るそうです。警備員が、何人も、橋の上を行き交い、警戒している。第一の望みを果たして、湯布院の教会へ落ち着いた。教会内に、温泉がある。70度前後の湯が、豊富に出ている。疲れを癒しました。「トマのためなら」と万全の愛を注いでくれた、優しい大川甚吉神父さん。小神で、中学生の時からの、親友です。

2013年9月5日木曜日

美装カードが届いて、びっくり。ありがとう。また作ってね。

郵便で、キレイなカードが、20数枚、送られてきて、あけて、びっくり、こんなに素晴らしい贈り物。毎日、ブログを見てくださる方に、いろんなアイデアを持っている方が居るんですね。感心しました。ありがたかった、です。うれしかった、です。手紙が添えられていた。大分県の恵理子さんです。「昨年の8月5日、聖コルベ館を訪ねました。登明サンがブログに書いて、写真まで載せてくださって、うれしい気持ちでした。同封のシオリは、登明サンのブログから勝手にダウンロードして、作りました。著作権の侵害ですが、でも登明サンだけにお送りするのだから、許してくださいね。お許しがあれば、もっと作ります」。さっそく、その夜に、電話をかけて話しました。「恵理子さん、ありがとう。よかったですよ。作って送ってください。協力します。聖コルベ館に来た見学者に、記念に差し上げると、喜ばれるでしょう。未来が、明るくなりました」。恵理子さん「ああ、よかった。作りますよ。期待してください」。シオリよ、小さなカードだが、大きな喜びを与えるよ。ベリ・グット。(ウラには、アヴェ・マリアの祈りがある)

2013年9月4日水曜日

映画「少年H」を見に行く。少年よ、自立し、決断せよ

映画を見に行く。「少年H」という奇妙な題である。太平洋戦争が始まる少し前、昭和16年の春から、小5の少年を通して、この物語は神戸を舞台にスタートする。家は、洋服店。父と、母と、妹の4人家族。母親が、「H」と大きく描いたセーターを着せてやったことから、その名で呼ばれた。やがて戦争が開始され、市民は銃後にいても、戦雲のなかに巻き込まれていく。ご真影(天皇・皇后を祭る社)や、二宮尊徳、スパイの監視など、この家族は、キリスト教の信者の一家だった。欧州から逃れてきたユダヤ人の服を修理したことで、外国と密通していると官憲に疑われ、拷問にあう。家族は熱心に信仰するが、迫害もされる。だが、くじけない。中学生になると、軍事教練で鍛えられる。ビンタを叩かれる。少年といえども、苦難の連続だ。やがて昭和20年3月、神戸は大空襲に見舞われ、全部が焼け野原となる。映画セットの家屋を全部、実際に燃やした。一家は家を失ったが、幸い、家族は無事だった。戦争を通り越して、平和が訪れる。「少年よ、いまこそ、自立し、決断するのだ」。自分で足で、しっかり踏ん張って、生き抜くときがきた。苦難を通り越して得た自由の日だった。「この少年を見ていると、自分の少年時代に重なってくる」。少年には、明るい未来がある。焼け野原の市街は、原爆の浦上の丘と同じ風景だった。自分も、あの原爆の丘で、実際、大きな決断を余儀なくされた。映画の終わりに、自分はポーランドの司祭や修道士にお世話になったことを思い、あの優しい修道者たちの顔、顔が、次々に浮かんできた。あのとき、自分は、よく、この道を決断したと思う。足に巻くゲートルが懐かしかった。行進して、よく、歩いたもんだ。少年は今、我々に何を訴えるのか。過去の戦争という苦難を通って、今の繁栄がある。映画の少年が、いまの時代に生きたなら、「ああ、我々の苦労の愚かさよ」と、ナミダを流すに違いない。

2013年9月3日火曜日

福島の、愛と平和のお母さん、93歳で、神に召される。

悲しい知らせがあった。福島の、偉大なお母さんが神に召された。93歳であった。亡くなる2ヶ月前に描いたのが、マザー・テレザのお姿だった。ニンゲンが生きるとは、どういうことだろうか。男の子、6人と、女の子、3人を産み、育て、男2人を修道士に、女2人シスターに、仕上げて、自分は「シオンの丘」を建てて、ルルドも自作し、祈り三昧、孤独老人や、身よりのない人を助けた。マザー・テレザの心で、つらぬいた。「クニさん」の偉いところは、目立たないで、看板を立てないで、黙々と愛と平和を実行した。そして「神に感謝」。福島の子供たちの家から、通知があって、びっくりした。2度、福島を訪問した思い出も、ある。人生とは、こうで、なければ、ならぬ。右の手で、するところ、左手に知らせては、ならぬ。じみつに、ちゃく、ちゃくと果たして、93歳だよ。尊敬するニンゲンを挙げれば、「クニさん」が、すぐに浮かぶ。5年まえ、突然、福島の「クニさん」から、リンゴが1箱送られてきた。「え?なんで?」と思ったが、なにかの心境があったのか、今になって、思います。永遠の安らぎを与え給え。

2013年9月2日月曜日

大学の卒論に「コルベ神父」を選んだ若者。真実を見つめよ

東北から、1人で、若者がやってきた。「小崎サンですか。最近、騎士誌を読んで、また、ブログも見ています」と言う。「長崎のコルベ神父」と「身代わりの愛」を持参。ありがとう。「10数年前に、両親と、小学生だった自分は、いっしょに来ました」「やあ、なつかしい」「ワタシは覚えていないが、母が、小崎サンとお話したこと、よく覚えています」「ひょっとしたら、サインが有るかも」。サイン帳を探したが、残念、名前は無かった。「いま、大学4年です。卒論に取り組みます。テーマに『コルベ神父』を選びました」「ああ、よかった。がんばってね」「ハイ」。うれしいじゃないですか。コルベ神父を勧めたのは、担当・教授だった。「えらい先生だね」「なにか、ヒントになること、語ってください」。小さい録音機を机に置いた。修道士は、ペラペラと、語り始めた。まず自立だね。お父さん、お母さん、お世話になっている。しかし、いつまでも、ダメだよ。自立の精神で、コルベ神父のように愛の深い人生に立ち向かっていく。愛は、すべてを包むからね。愛は、厳しいものだよ。完全に奉献して、完成する。「ハイ」。若者はカトリックの洗礼を受けている。こころ優しい学生だった。「卒論、仕上がったら、また、おいでよ」。この若者のことは、覚えておこう。数日して、手紙がきた。「小崎サンのアドバイスを生かして、論文をしっかり仕上げます。またお話しに来ます」


2013年9月1日日曜日

今年も、3分の2は過ごしてしまった。ゲンキで、この秋も

入浴の介護をしてくれるヘルパーさんです。黙想の家から帰って、体力的に、疲れました。戻った日の午後、いつものヘルパーさんが来て、入浴させてくれた。おかげで、キレイさっぱりとなり、さわやかになり、その夜は、ゆっくり、十分、眠りました。ゲンキを快復しました。黙想の家で、湯布院から来ている大川神父さんに、「近々、湯布院へ連れて行ってほしい」と頼みました。この旅を楽しみにしています。湯布院の家には、温泉もあります。トラピスト修道院へも行きたい。大分には、「昭和の町」もあるので、その雰囲気にも、ひたりたい、そんんな気持ちで、今年の秋を楽しみにしています。きょうから、9月で、今年も早や、3分の2は過ごしてしまった。