2020年6月9日火曜日

平凡な毎日。平凡が幸せ。自分の信念を貫けば、それで、いい

コロナの関係で、何か月ぶりだろう、「書道」が始まった。久しぶりに、先生が来られる。「この日を、待っていました」。お互い、えみが、こぼれる。7人が、書を楽しんだ。
★私が書いたのは、4文字と「梅雨」だった。「我、思う。昔の人を追想する」「永らく、ここに、こうを想う=永く孝行を尽くすことを、時に銘じる」「ばんこの、こうふう=古代の高尚な風格」。そして「梅雨」
★墨で、古語の漢字を書くと、なにやら身の引き締まる思いがする。それだけ文言には、チカラがある。世は変われども、心に流れる思いは、いっしょではないか。古人への思い。孝行を尽くしたか。風格の尊重。立派な生き方を望む、それが人情だ。
★山の施設から、3人が老いて、ホームに入居した。その中の1人、昭一さんも書道に来て、私の横で、「初めて、字を書いた」と喜んだ。字のヘタ、ジョウズ、問題にしない。自分の個性で、自分の字を書けば、いい。「挑戦してみよう」その心意気が大事です。先生も丁寧に、ホメたり、支えたり、声をかける。そのほほえみに、やる気が出る。ホームの生き方は、戦いでなく、幼い気持ちに戻る事です。
★右が「昭一さん」。左は「森さん」。少年、青年、壮年と、歳を重ねても、施設の土地の家で暮らした。牛飼い、農業、森林の手入れ、土木作業などで働いた。後は、教会で祈る。神父さん、シスターの声を素直に受け入れる。全く、社会に染まらないで育った純真な心の男子です。
★ホームは元気な男子が少ないから、期待される。食堂の掃除や、屋外の作業なども喜んで、この顔でカラダを動かしている。この2人、いや3人とは、ナン十年も知っている。「トマさん」「トマさん」と手をあげて近寄ってくる。「こっちまで、こころ、あたたかく、なるよ」

2020年6月8日月曜日

「赦し」に、こだわる。1枚のメモ。父親の手の動き。原爆の感想

自室の椅子に座って、手の届きやすい棚に、これらのメモや、資料、活字の切り抜きなど、入った小箱を置いてある。殆ど、ホームに来る前に、集めたものです。いま、「赦し」に、こだわるなか、「はなし」の束に、こんなメモを見つけた。
★ホームに入居する前の話(年月日あり)です。朝、5時半に、民放のテレビで見た。小学生の男の子が、何者かに、傷つけられ、殺された。警察が、犯人をつきとめ、公園に連れ出したが、逃亡し、ビルの屋上から、自殺した。殺害された父親の後ろ姿の話。「なんで、うちの子が」。怒りと、恨み。父親は、たまらない。犯人自殺と聞いて、あやまってもらえないと絶望した。
★すると、母と、兄が来て、玄関で、土下座して、あやまった。仏壇で、あやまって、ほしい。男の子の、笑って、手を『V』に突き出している写真の前で、母と兄は、泣いて、泣いて、あやまった。
★その時、父親は言う。写真の〇〇(名前)は、言っているようだった。「お父さん、もう、許して、あげてよ」。自分は、知らず、知らずのうちに、兄の背中を撫でていた、と。(ウラへ)
★メモのウラを返せば、「怒って、当然。憎んで、当然。それは当然なんだと認めた上で、しかし許した人も居る」と書いていた。父親が、犯人の兄の背中を撫でる記憶が僅かに思い出される。父親の手の動き、ナミダながらにしか見れない場面だった。
★実は、メモには、一線が引いてあって、次の文章があった。日付は、次の日になっている。民放のテレビが、カメラと共に来た。カトリック信者の被爆者を取材したい。原爆にあった時、どう感じたか。発言してほしい。
★私は言った。信者だって、怒った、憎んだ。しかし我々の先祖は、迫害されても、憎まず、怒らず、耐え、受けた。そういう人たちも居た。だから、この原爆の苦難を受けとめて、耐えて、これからは未来へ向けて、明るく、がんばろう、そう思ったが、もちろん、打ちひしがれた人も居た。それは当然のとこだ。
★これが、私の考えだが、テレビに映るのは、拒否した。テレビは、残念と言いつつ、帰って行った。
★これで1枚、うら、おもてのメモは終わっている。

2020年6月7日日曜日

「赦せない」。だが悪と、悪を行なう人は区別する。回心を祈ろう

スズメが、しきりに鳴く。戸を開けると、3羽のスズメが、さえずっていた。スズメは、良か、な。日ごとの糧で満足し、恨みなく、憎みも、ない。
★今の世の中は、「許さん」「赦せない」ことばかり。人間の社会は汚れている。一昨日、「カトリック教報」の6月号の一面を読んで感激した。「回心と赦し」との表題があり、広報委員の記事で、全面に書いている。その中の、次の一文に強い感動を覚えた。赦しについてだ。「『赦し』とは悪を『許可する』という意味では決してない。『赦し』とは、たとえ自らが悪を被っていても、なおよいわざを行ない続ける生き方である」。これを読んだ時、「これは、すばらしい」と思わず叫んだ。
★早速、カトリック・センターの広報部の知り合いの女性に電話すると、教会の神父さんだという。夕食後に、思い切って、その神父さんに直接電話をした。「記事に感動しました。感謝します」。神父さんは、おどろき、よろこび、電話の話は、しばらく続いた。「例え、自分が悪を被っても、尚かつ、よい業を行ないつづける生き方」。心に染み入る、すばらしい言葉じゃないですか。
★神父さんは喜んでくれて、「人間には、よい業をしたい、美しさへの思いが、あるでしょう」。私も「根底には、愛の業をしたい、あります」。納得し、安どした。
★今日は、日曜日。朝食の後、瀧神父さんの部屋を訪ねて「赦し」について話し合った。教会は「悪と、悪を行なう人を、区別する」。悪は許さない。許容しない。しかし悪を行なう人、その人のためには、ゆるし、回心を祈る。
★私が原爆の丘で、赦せなかった重症の先輩工員を、あの時、助けてやったら、これは赦しになる。今、それが可能かと言えば、まだ、わからない。迷うだろう。
★コルベ神父の話をもちろん出した。コルベ神父は、ナチから、過酷な、ひどい仕打ちを受けた。それでも、反抗しない。回心のため祈る。回心して欲しい、そういう優しい目で見る。「なぜ、コルベ神父にそれが出来たのか」。英雄的な行ない、それがコルベ神父には、あった。普通の人は出来ない。そこに惹かれる。
★加害者と、被害者の問題だ。被害者は自分を守る。相手には、恨み、憎しみ、仕返し、到底、許せない。「許そう」と例え分かっていても、感情が付いて行かない。
★瀧神父さんは言った。「悪い行ないをする人は、アクマの手先になっている。アクマから取り戻す。回心のため祈る。誰にも出来ること、ナチの所長も回心したと聞いている。祈る、祈ったり、みんなのために祈っていたら、テキを愛しなさいに、つながりますよ」

2020年6月6日土曜日

「タンジョウ・カイ、だよ」。踊り、ごちそう、歌で盛り上がる

6月の誕生会。毎月、毎月、ごくろうサン。ごちそうが、出る上に、職員さんの「出し物」も出る。
楽しみにして、おりまする。
「こんどは、なん、ね?」
ドリフの「8時だよ、全員集合」。それば、ね。「タンジョウ・カイだよ」に変える。「志村ケン、いかりや長介の、あれね。あれ、いつ頃の年代かな」「80年代かな」
★この日ばかりは、全員が、同じ食堂に集まった。園長神父さんの挨拶があるでしょう。6月、誕生日を向かえる皆さんは、5人だった。「パッピバスデイ」。拍手が、1人、1人、名前を呼ばれる毎に、起こる。「歳をとるって、うれしかバイ」
★祈りがあって、「カン、パァーイ」。園長神父さんの、ひと声。入って来ました、3人むすめ。看護師さん、調理の職員さん、介護の職員さん。にぎやかだな。おもしろいな。踊る。オドル。うまく写真が撮れない。え顔が、いいね。「そんな、いい顔で、看護も、調理も、介護も、頼みますよ」
★職員さん達が総出で、配膳をする。「牛肉は、長崎和牛だよ」と栄養士さん。お赤飯に、サシミが、いいんだな。ケーキまで付いているよ。エビも、あった。老人は、食べるのが楽しみだからね。食欲があるうちが、ゲンキさ。
★食事の終わりは、自慢の歌。瀧神父さんも、手を挙げて、マイクを求めた。童謡を歌った。童謡が、いちばん、いいね。こうして、今月の誕生会を無事に終わりました。めでたし。めでたし。

2020年6月5日金曜日

登明「話の小箱」2匹の犬『火の国テリア』。悲しみのイヌ祈る

突然、教会の前の通りで、イヌの悲鳴がおこった。
アイルランド人の神父さんが、飛び出してみると、哀れ、神父さんの愛犬ジョン(7歳)が、タクシーにひかれて絶命していた。
「おお、どうしよう」と、神父さん、アタマかかえて絶句。
「まあ、かわいそうに、いいイヌだったのに」と、教会のお手伝い(昼・夕の食事をつくる)さんはナミダし、神父さんは落胆した。
その後、あまりにもお手伝いさんが寂しがるので、「また、代わりのイヌがほしいね」と神父さん。
死んだジョンは、『火の国テリア』といい、外国産の血統を持ち、真っ黒い毛並みの、品のいいイヌだった。
「今度も、火の国テリアが、いいね」と、同じ血統の黒犬を所望し、望みがかなって連れて来られたのが、手のヒラに乗るような小犬であった。
「まあ、かわゆィわ、ね」と、お手伝いさんがハカリにかけてみると、450グラムあった。神父さんは、このイヌに「レックス(王様)」と名づけた。
レックスは、かしこいイヌだった。神父さんは、大層かわいがり、車に乗せて連れて回る。やがて体重3キロ、体長50センチのイヌに成長した。
ところが、ある日、突然、今度は、神父さんが思わぬ事故にあった。
教会の子供たちを連れて、海水浴に行った神父さんは、波にさらわれて急死した。享年65。神父生活35年。神父さんは、額縁に入って、教会へ戻って来た。
その写真をみるや、レックスは、いきなり飛びついた。吠えたり、額を噛んだり、ジーッと座って眺めたり、何日も、何日も、写真と、悲しそうな対面の日がつづいた。
やがて、もの言わぬ神父さんにアキラメたのか、今は、お手伝いさんが額縁の前で祈る時、レックスも横に座って、「お祈り、しとります」
それでも、王様の目は、悲しいです。

2020年6月4日木曜日

長崎名産「茂木・びわ」。終戦直後の「びわ」は、サイコーだった

戦争が終わって、2、3年の頃、神学生の、高一か、高二の頃であった。まだ、その当時は食料不足が、つづいていた。大勢の学生を食べさせるには、ポーランド人の修道士も苦労した。主食の米のメシは、小さなブリキのお椀に、摺り切りに入っていた。後は、サツマイモだった。
★ところが年に1回、6月13日になると、必ず遠足があり、聖母の騎士から、茂木まで歩いた。舎監のロムアルド修道士がいつも一緒だった。何キロ、何十キロあるか、わからない。それでも神学生たちは、喜んで歩いた。語りながら、しゃべりながら、笑いながら、とにかく歩いた。あの頃は、悩みなんて、少なかったなァ。
★茂木に着くと、ロムアルド修道士が、農家の人が作っている「びわ」を注文した。当時の「びわ」は、竹を細く、長くして、それで編んで、カゴに仕上げた。そのカゴに、ビワが一杯入っていた。ロムアルドさんは言った。「君たち、食べれるだけ、食べなさい」。そりゃ、喜ぶわね。「食った」「食べた」。腹イッパイ食べた。最高だった。こんな日が、1日だけ、あるんだよ。思い出すね。
★当時の「びわ」は、まだハウス栽培など、なかった。天然の樹木に熟した「びわ」だったから、その「おいしさ」は抜群だった。「びわを見ると、あの当時の事を思い出すね」。帰りは、びわで満腹になったハラを抱えながら、笑顔で歩くのだった。
★我が人生にも、幸せな時も、愉快な時も、あったな。
★「金持ちになったからと、いって、三バイも、四バイも、幸せに、なれない。金持ちも、ボタモチは、四つは、食えない」(マンガ家・水木しげる)

2020年6月3日水曜日

尊敬できる「父親」を持つ家庭は幸せ。とーちゃん、がんばってね

女性の職員さんから頼まれていた「父の日」に向けての言葉を墨字で書いた。
★「父のヒザ、固いが、温かい」。お父さんが、ヒザを組んで座っている。その上に、子供が乗る。「とーちゃん」と甘えるイメージです。「父(トー)さんは、家の大黒柱」。とーちゃんが居ないと、家族は、しっかりしない。これもイメージ。「父の教え、正しく、生きよ」。赤子が誕生した時、父は思うだろう。「ああ、オレは、父になったんだ。かわいい、この子は、元気に、清らかに生きて欲しい」。誰もが、父は、そう願うだろう。これもイメージです。
★トマには、父親の記憶がない。人生は、父親の不在から始まった。7歳で、父は病没する。母から聞いた記憶によると、父の病気は胆石だった。今なら手術で簡単に治るのに、北朝鮮の土地がら、手術も出来ず、痛みに苦しんで逝った。父の匂いも、足音も、温かさも、厳しさも、全く知らない、覚えていない。父を知らない人生は、どのような影響を残すのか。
★修道士になったが故に、父親の経験もない。だから、父というイメージ、想像しか、トマの人生には、ない。赤子の、あの柔らかい肌を、ヒザの上で、我が肌で感じた経験がない。それなのに、「父の、言葉」を書いて下さい、と頼んでくる。
★父の温もりを知らないことは、人生のソン(損)だと思っている。父と、将棋を指したかった。(神学校では将棋が流行した)。父に、泳ぎ方を習いたかった。(夏休み、五島の海で、イヌかき)。父と、キャッチボールを一緒にしたかった。魚釣り、マキ割り、舟の太いヒモ(紐)の結び方、つまり生きる知恵と技術を習得したかった。それを教えるのが、父親の務めじゃないですか。だいぶん、ソンをしていると悔やみます。
★その代わり、のんだくれの、かけごとの好きな、ぼーりょくをふるう、父のイメージもない。父が、居れば居ったで、事件や、憎しみのある家庭もある。父といえども、人と、人の関係が成り立つかどうか。家庭でも、信頼の出来る隣人に成りきるには、どう有るべきか。
★「ぐーだら」な父親のおかげで、沢山の子供たちが傷つき、痛んでいる現実がある。悲しい事だ。子供は、親の所有物ではない。血と肉が「つながる」だけの縁ではない。心が「つながる」結びがなければ、家族に平和と、幸せはない。
★世界の政治家のトップが、国を超えて、良いパパになるよう望みます。全世界の父、バチカンのパパさまは、国を超えて、総ての人が幸福になるよう、早くコロナが収束するよう祈り、願っておられます。「全世界の父、パパさま、お健やかに」