2020年5月9日土曜日

登明「話の小箱」★捨てる人あれば、拾う神あり。ミサで祈る

海辺のある集落に、ある宗教が入って、布教をはじめた。
その宗教の布教師は、「神さまを祭るには、他の神さまや、宗教画は、まかりならん」と言った。
話を聞いた男は、「まかりならんじゃ、仕方あるまい」と、家に古くから飾っていた『最後の晩さん』の美術画を、額もろとも海岸へ運んで、どこかの茂みに捨てようとした。
そこへ、たまたま通りかかったお婆さん。「あれ、こんなキレイなものを、どうして捨てなさる?」
「もう、いらんようになったから」
「まあ、まあ、もったいない」とお婆さん。美しい色つきの絵を眺めて、「わたしに、ゆずって、くだされよ」
男は、「捨てるも、くれるも、同じことじゃ。家に無ければ、いいのだから」と渡して去った。
お婆さんは、額を大事に、家に飾った。時々、その絵を見詰めては、こう考えた。
「ふしぎな絵じゃなァ。真ん中のお方が、おエライんじゃろう。何を、この12人の方々は、話しているんだろう。男ばかりで食事をするなんて、みょうなモンな」。ああ、もったいないと、お婆さんは、額を見上げては、念仏を唱えた。
やがて、そのお婆さんは、病気になった。見舞いの客が来て、「これは、な。最後の晩さんの場面で、キリストさまが、弟子たちに、愛の形見をわけているところ」と説明した。
「それじゃ、そのおエライお人のお話が、聞きたいよ」とお婆さんは、しきりに「教会の神父さんを呼んでくだされ」と、こんがんした。
「かくして、お婆ちゃんは、洗礼のお恵みを戴いたんです」と、洗礼を授けた深堀神父さんは言う。「そして、お婆ちゃんは、元気になったよ、ハ、ハ、ハ」
それからは、ますますお婆さんは、ガクブチを宝のように、大切にしたのだった。
★最後の晩さんは、「ご聖体の制定」。主イエスによる最初の「ミサ」ですね。「ミサ・ご聖体」によって、2千年前の主イエスと、今の私たちは「つながり」があり、秘跡に主の現存が感じられます。
★コロナの影響で、いま、教会では、修道者たちだけによる「ミサ」が捧げられている。
★いつもの通り、4時半に起床。5時20分、教会へ。濱田神父さん、高原修道士が既に居る。トマが席に座る。やがて次々に、神父さん、修道士が来る。
★今朝は、瀧神父さんが、トマの傍へ寄って、「9の日だろう。お母さんのため、ミサで祈るからな」と言った。「ありがとう」。8月9日が原爆の日。『9』は、月・命日にあたる。こうして瀧神父さんはトマの両親のためミサで祈ってくれる。
★朝食のとき、お礼を言うと、瀧神父さんが言った。「(ミサを挙げられない)トマのためには、修道名の(2月)『5』日と、『9』の日。他にも、修道名の毎月の日、高原修道士は、(6月)24日に、橋口修道士は(3月)19日に、西山神父さんは、(4月)24日に、いつも祈っているよ」
★そこまで、ミサで意向を願って祈っている瀧神父さんを思えば、ホームに居ても、すばらしい祈り者の奉献生活をしているな、と感銘した次第でした。
★きょうは、午後から、「母の日」の集いがある。職員さんの「出し物」が出るかな、楽しみだね。

2020年5月8日金曜日

昔の「●」が、今の「●」に「つながる」。ふしぎな、ご縁がある

毎日、日記を読んでいる男性から、「拙守求真」と書かれた手ぬぐいが1枚、送られてきた。左側に、3行の文字があるが、折って隠しています。
★「拙」は、自分への「へりくだり」。「守」は、守る。「拙守(せっしゅ)」は、未だ不備のある守りのこと。それを「真」。まこと、ほんもの、真実へと、「求」めつづける。求真(きゅうしん)求道の熱意がこめられている。
★自分は、まだまだ不備だが、前向きに努力すれば、真実に近づくことが可能であろう。一途な、心のこもった言葉だと、理解しました。
★この男性は、小一から剣道を習い、60年近く経った今、合格率14%の、剣道七段に合格しました、と喜びの手紙が入っていた。「七段」審査は厳しく、7度目の挑戦でパスしたそうです。それは大きな喜びだったでしょう。「拙守求真」は、私たちの歩みにも、当てはまる言葉、教訓ではないでしょうか。「剣道七段拝受記念の手拭い」は、ありがとう。「おめでとう」を申し上げます。
★実は、上の写真を載せるのは、ためらいがありました。男性の許可も頂いていないし、勝手にこう評して、いいのだろうか。でも、どうしても載せたいという、背中を押される出来事が手紙にあったのです。
★もう何十年前の出来事でしょうか。長崎の聖母の騎士で、生徒を連れて修学旅行へ行き、「小崎さんのお話を聞きました」というのです。「中三の生徒たちは、小崎さんの修道士の服に、まずびっくりしました。そしてお話の後に、皆は深く感動していました。学校で書かせた感想文には、平和がいかに大切なのかを強く感じていたようです。私は、一人一人の文章を読んで、小崎さんに感謝しました」
★この手紙、この手ぬぐいを手にして、そこには深いご縁があった。いま又、日記を読まれている事や、時々は「コメント」も書いて下さっておられることを知って、見過ごすわけには、いかないでしょう。
★何十年前の「●(点)」が、いまの「●(点)」に、一ツの線となって、知らない間に、知らない所で、「つながり」をみせている。そういう不思議さが、事実、あるんですね。喜びを書きたかったのです。
★誰もが、常に、真実を求め、自らは「へりくだって」、相手を大切に、生きていく。その思いは「キモ」に銘じたいが、なかなかの苦難があります。

2020年5月7日木曜日

子供の遊びを見た後、いきなり知能テスト。何とか切り抜ける

ホームの庭で、子供の声が聞こえる。ベランダから見た。「高原修道士じゃ、ないか」。学校が休みなので、近所の子供と一緒に、遊んでいるのだろう。
「高原さん、がんばれ」。なにやら、困った様子にも見える。今どきの子供をあやつるのは、難しい。ボール遊びのようだが、ウマク運(はこ)んで、いないらしい。こんな時、スムーズに、潤滑油になるのは「お菓子」だね。
★「おーィ、アメば、やるぞーォ。こーィよ」。大きく手を振った。3人は、ベランダの下に、駈け寄ってくる。アメ袋を、2つ見せた。「どっちが、よかな?」「ポナップル」。そちらを、手放した。「おお、高原さん、いい顔している」
★突然、自室をノックして、看護師さんが入って来た。「なに?」「覚悟は出来ていますか?今から、(知能検査)しますよ」「え?今から、するの?野菜の名前、憶えていないよ。あした、してくれる」「ダメです。今から、します」と、ゴザに座り込んだ。
★(この検査が、一番イヤだね)。まず「きょうは、何日か?」から始まる。きょうは、何日か、記憶しないで生きているからね。すぐ新聞を見た。6日だ。よし。早速、始まった。
★きょうは何年何月何日ですか?ナン曜日ですか?(きょうは、掃除があったから水曜日だ)。歳は幾つですか?ここは何処ですか?3けた、数字を言いますから、逆に言って下さいね。今度は、4ケタになります。梅・犬・自動車。後で聞きますからね。100から、7引いて?ハイ、また7引いて。次は5つの品物を見せます。ハサミ、時計、ボールペン。(この3つは、目の前の箱に入っているので覚えた。大丈夫だ)。カギ。(ポケットのカギをにぎる)。10円玉。(小銭入れが、あそこにあるな)。ハイ、いよいよ野菜の名前を言ってください。(このとき、妙に、ペラ、ペラと出る)。ああ、もう、いいですよ、と制止されて、「ハイ、マンテンでした」。(92歳、ことしも合格した次第)でした。
★「人生、何が、まわって、くるか、わからない。『ああ、ソーナノ』。そうなのよ。ダ協して、受け入れて、いくのが、チエ者だ」

2020年5月6日水曜日

「マスク」を沢山いただく。壁に当たれば、助ける人がいる

数日前に、「マスクが、ない」と載せたところ、コメントに、「いや、いや、そんな寂しいこと、言わないでください」とあり、コメントの男性から、ごらんの「マスク」が届きました。ありがとう。感謝します。
★ホームでは、みな、マスクをしています。コロナの前は、玄関や、出入り口に、マスクの箱ごと置いて、自由に使っていました。特に「インフルエンザ」に気をつけていた。老人ばかりの所帯ですから、感染すると危険になる。マスクが不足するなど、全く感がなかった。
★コロナになってから、最初は「医務室」から貰っていた。しかし店にも、スーパーにも、マスクは無くなり、「ください」と言うのも、遠慮がちになる。みな、思い思いに、白や、色とりどりの「マスク」を使っている。
★コメントで、「マスク」を送ってくださった男性は、「サバ缶」で、住所と名前が、分かりました。2年前に、突然、ホームに訪ねて来た。わざわざ来てくださった。お顔を見て、写真を撮って、「みやげが、ないので、近くの花屋で買いました」と、シクラーメンの鉢物をくださった。住所も、名前も告げずに、アッと言う間の別れでした。昨年、東京・丸の内で、ポーランドの集いがあり、「写真展」を出した。見に来て下さった。それでお名前が分かった。
★ホームに居ると、自由に動けない。行動に制限される。これも不自由の1つです。買い物は職員さんに頼んでいる。この度の「マスク」は、生活に安心をもたらします。「ああ、よかったな」が気持ちです。
★「壁に当たれば、そこに助ける人がいる」。これもお恵みと感謝します。「生かされている、いのち・かんしゃ」「お礼を求めない、愛」「悪に負けない、勇気」。誰かが、トマを、見ている。見られて、いる。

2020年5月5日火曜日

「こどもの日」。あの元気な子は、いま、どうしているのだろう?

「こどもの日」。ホームの庭の一角に、「鯉のぼり」が、ゆるやかな風になびいて、静かに、ゆれる。
★老人ホームに居ても、子どもを見つめる日。イジメられていないか、明るい顔をしているか、親の言う事を、よく聞くか。そんな事を言う者は、古いといわれるかも知れない。だが、誰でも、子どもは素直で、清らかに、健康に育つように願っている。
★令和2年の正月は、コロナの事は、全く予想もしなかった。突然、恐怖の嵐が、じょじょに襲いかかる。全世界は、瞬く間に混乱の渦につつまれた。その急激な変化を思う時、今の子どもたちが成長した時代に、思いもよらぬ災難が襲いかかるやも、知れぬ。今の子どもたちは、学校にも行っていない。何という社会の変異か。
★聖コルベ館に居た頃、親さんに連れられて、1人の男の子が入ってきた。元気のある男の子は、好きだね。つい、つい、こっちも、のってくる。いっしょに、手足を動かして、踊りまくった。その時、撮ったのが、この写真だった。「こどもの日」に、きょうは、ここ子のことを思い出したよ。
★あれから何年が、経っただろう。ホームに来てからも、この男の子から、昨年も、今年も、トマに年賀状が届いた。子供の成長は、早いね。昨年の正月には、「僕は今年、中三になります。お体に気をつけてください」と自筆で書かれていた。今年も年賀状はきたが、コメントはなかった。確か、今は高校一年になったはずだ。5月なのに、学校に行けなくて残念だろう。
★出来れば、あの男の子に会いたいと思う。声を交わしたいと思う。老人は、高校生に何を告げたいか。
★人には、才能、能力、可能性があるよね。君は、何が好きなのか。夢があれば、それに向かって「アクセル」を踏もう。健康に気をつけて、己に、足れ。「ブレーキ」だね。突っ走るなよ。あとは「ハンドル」さばきさ。他者のために奉仕する方向に、回すのも忘れるなよ。受けた「いのち」を大切に、生きているからには、いい思い出を沢山つくろう。それが幸せ、さ。


2020年5月4日月曜日

「ひかり・みどり・いのり」が、長崎県の標語。ヨカとこバイ

きょうは、「みどり」の日です。
「みどり」といえば、やっぱり「樹木」の色ですよね。ホームの自室の廊下側の窓から見た「みどり」の風景です。
★戦争が終わって間もなく、病気で、小長井町の、山のなかの修道院で暮らしました。家族から離れた男児施設があって、周りは森や林でした。その頃、森、林のなかには、「こ・じゅう・けい」という鳥(キジより、少し小さめの鶏)がいて、修道院の近くで鳴くんですよ。「チョット、来い」「チョット、来い」(本当に、そう鳴いた)。鶏の姿も見ました。追いかけて行くと、「来いよ、コーイ」と呼ぶ。更に、追いかけると、今度は、「ビンボー・ニン」「ビンボー・ニン」と、からかって鳴くんです。もう最近は居なくなった。むかしの思い出は懐かしいよね。
★まじめな話。長崎県では、「ひかり」「みどり」「いのり」を標語にしています。長崎は、日本の西の果てにあるから、陽が長い。「ひかり」に満ちている長崎です。「みどり」は、自然に恵まれ、環境を大切にするという意味がある。長崎は平地が少なく、山地や、四方は海に、豊かな自然があります。そして「いのり」。これは誰にでもピンと分かるでしょう。キリシタンの祈り、平和への祈り、核兵器を無くする努力の祈り、長崎に、ぴったりの言葉です。祈りを忘れちゃイカンよ。
★「みどり」の日に当たって、「ひかり」も「みどり」も「いのり」も大切にしたいものです。ゴロ合わせが、いいじゃないですか。いまは、コロナで移動は禁止ですが、収束したら、ぜひ「長崎へ」
★ちょうど、きょうの昼食は「チャンポン」でした。長崎、特有だね。長崎は、中国と交流があり、縁が深かった。チャンポンは、メンの中に、野菜、かまぼこ、貝類など、栄養豊富な具が入っている。混ぜ合っている。この「混ぜる」のを、チャンポンという。
★中国人が、長崎に住む中国の学生に、栄養をつけてもらおうと考案したのが、チャンポン。今では長崎人のおなじみの料理になった。チャンポンは気軽に食べる。
★瀧神父さんのドンブリには、沢山のメンが入っていた。好んで食べる。栄養士さんがメンのサラをかかえて、「神父さん、どう?入れましょうか?」「いや、もう、沢山、入っているから、いいよ」「あら、そうなの」
★ついでながら、「水墨画」も、中国から入った。「長崎南画」の独特な手法に描かれるようになった。トマも、本格的に、長崎南画の先生について、5,6年、習った。掛け軸を、長崎・市展に出した時期もある。「みどり」の日が、チャンポン、長崎・南画まで及んだ。えらい、こっちゃ。

2020年5月3日日曜日

瀧神父さん、トマ修道士、仲よくホームで暮らしております

もう、初夏だね。
★瀧神父さんが、トマに頼んだ。「トマ、マスクを送ってくれた人がいてね。メールで、ありがとうと送りたいから、写真をとってくれないか。玄関の『つつじ』の所が、いいよ」
★瀧神父さんのスマホで「マスク」姿を撮った。2人から、マスクを送ってもらったそうで、マスクを変えて、2回、撮った。マスクを送った人は喜ぶだろう。小さな喜びが、ホームには、ある。
★トマ修道士には、マスクを送ってくれる人はいない。寂しさは、あるよ。まあ、シンボウだ、ね。なんとか、なるよ。
★瀧神父さんとホームで暮らすようになって、まる3年になる。「トマが、先に入っていたから、来たんだよ」と言われる。いつも、朝、ミサの時は、顔を合わせて、元気を確かめる。食卓も、一時は離れたが、また隣同士になった。修道者同士、話は、はずんでいる。食堂に、いちばん最後まで残って話こむのは私たちだ。安心感が、あるんだね。
★今朝、食事のとき、トマは言った。「いま、コロナが、国境を越えて、全世界に広がっている。目に見えない、恐怖の細菌だよね。その広がりを思う時、トマは考える。もし、原爆か、水爆か、核兵器が爆発したら、目に見えない放射能が、コロナのように、全世界に広がるんじゃないかって、ね。コロナと核兵器を重ね合わせて、そう思えるんだよね」
★瀧神父さんが、「トマは、原爆を体験しているから、そう思えるんだな」と応じた。
★トマが更に言った。「いまの世の中は、科学や技術の進歩で、すさましい発展を遂げている。確かに、私たちも、その恩恵にあずかっている。しかし心は、どうか?考えるね。人間として、思い合い、いたわり合いの人間として、根本の、心の豊かさ、発展は有るといえるか。余りにも憎み合い、殺し合い、奪い合いが多い。むしろ世界は病んでいるのでないか。自国主義ではなく、物質の追求でなく、肌色が違う人たち、みんなが、国境を取り払って、人間として、同じです、同格ですと、その意識を高めて、人間に戻る時じゃないですか」
★瀧神父さんが、ウン、ウンと、うなずいて、「トマ、きょうのブログに、それを書け」
★トマは「イヤ、まだ、書けないよ」と言ったものの、書いてしまった。
★一日も早いコロナの収束を願っています。身を徹して、危険を顧みず働く医療従事者に感謝します。亡くなった人たちの冥福を祈ります。
★「人生は、短い。その短い人生を、憎しみをもって生きるのは、いちばん悲しいことです。許し、許されて、平和に生きるのが、幸せでしょう。だが、それは、なかなか難しい。でも、希望は持っていたい。人間だもの。もっと、もっと、全世界の人が、平和で、平等、幸せになり、お互いに思いやりと、励ましが、多くなりますように」