もう、ずいぶん、むかしの話ですが、五島の福江の町を歩いていると、道端に、小さな石塔のレリーフがあった。そのレリーフの1つに、「カンコロ・モチ」を干している風景が描かれていた。心引かれて、スケッチしたのが、上の絵です。
★さつま・いもを、ふかして、うすく切る。それを日当たりのいい場所で、棚をつくって、干す。干した物に、モチ米を入れて突く。それがカンコロ・モチです。イモを、そのまま切って干すのは、焼酎になる。イモが収穫される時期になると、五島や、外海で見られる風景です。本物のカンコロ・もちは、ウマイ。観光用の餅とは味が違います。
★「トン、トン」と、ノックして、女性が自室に入ってきた。「カンコロ・モチば、食べさするから」と差し出した。焼きたてのモチ。「2切れで、いいよ」。3切れ、くれた。これが五島のホンモノのカンコロ・モチです。このアツさに切り、焼いて、少し、こがして、ホカ、ホカのを食べると、ウマイね。
★子供の頃は、よく食べた。カンコロ・モチの味は忘れない。米が余り取れない農村では、カンコロ・モチを常食にした。貧しかったのです。これで腹を満たした。これで育った。汗も、ナミダも浸み込んでいる。先祖から伝わった味だね。
★外海の父親の実家は、学校に上り下りする通り小道にあった。ゆでたカンコロを干していると、学校の子供たちから、よく食べられた。被害にあったものだ。覚えている。山地に家があり、米は取れず、カンコロ・めしを食べて生をつないだ。昭和初期の暮らしを考えると、戦後は何とゼイタクな暮らしか。長く生きるという事は、様々な食を経験する。
★とにかく、きょうのカンコロは、おいしかった。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2020年1月6日月曜日
2020年1月5日日曜日
カシアノ修道士の命日。偲んで祈る。おいしい「ハンバーグ」思う
人生に痕跡を残す人は、そう沢山は居ない。今日は、カシアノ・ティティヒ修道士さんの命日です。1988年に逝かれた。32年になる。享年85。
★トマは小長井町の修道院で療養中で、徒歩4、5分のみさかえ司祭館で逝去した。「葬儀は、花も言葉も要りません」。カシアノさんの願いだった。
★早いですね、32年。もう、そんなに年月が経つのか。昨日のことのように、カシアノさんの思い出は心に強く残っている。
★写真は、マリア像のそばで、やさしく微笑むカシアノさん。晩年の頃です。マリアさまが大好き。聖ヨゼフも大好き。日々、お仕事の合間に、唯々祈り、熱烈に神へのお取次ぎを祈っていた。トマは神学生の頃から、カシアノさんには特に目をかけてもらった。人生に、貴重な思い出があるのは、ありがたい。生涯を、神さまに奉献したカシアノ修道士さんの最後は、聖ヨゼフに抱かれ立派でした。
★カシアノさんは、ポーランドで修道会に入会した時、コルベ神父から「炊事場へ行きなさい」と言われた。以来、長崎へ来ても「炊事場の仕事」。トマは、神学校に入って、カシアノさんの料理で育った。中でも忘れられないのが、カシアノさんの「ハンバーグ」です。トマは精肉店の息子だよ。肉汁は出ない。カリッとして、肉の感触が伝わる。これが、おいしかった。うまかった。これまでハンバーグは沢山食べたけれど、カシアノさんの、あの一品には及ばない。どうやって作ったのか。もう1度食べたい。
★カシアノさんにも若い頃があった。「コルベ神父・渡来廿五周年」と書いてある。1930年が来日ですから、1955年、戦争が終わって10年です。カシアノさんも、こんなに若かったんですね。
★カシアノさんは、コルベ神父と一緒に長崎で生活したことを誇りに思っていた。自分が敬愛する司祭が、福者へ、聖人へ成ったのですからね。コルベ神父の思い出がイッパイあったでしょう。
★コルベ神父は、言う事と、行なう事に、矛盾がなかった。「言行一致」です。愛が一杯あった。信仰があった。信念があった。それで苦労は多々あったが、付いて行った。
★沢山の事を知らなくても、真実を知れば、事足りるでしょう。充実した人生を送れるでしょう。「神さまの御旨をどのようにしたら分かるか」「神さまの導きをどうしたら理解できるか」。カシアノさんの命日にあたり、祈っています。
★トマは小長井町の修道院で療養中で、徒歩4、5分のみさかえ司祭館で逝去した。「葬儀は、花も言葉も要りません」。カシアノさんの願いだった。
★早いですね、32年。もう、そんなに年月が経つのか。昨日のことのように、カシアノさんの思い出は心に強く残っている。
★写真は、マリア像のそばで、やさしく微笑むカシアノさん。晩年の頃です。マリアさまが大好き。聖ヨゼフも大好き。日々、お仕事の合間に、唯々祈り、熱烈に神へのお取次ぎを祈っていた。トマは神学生の頃から、カシアノさんには特に目をかけてもらった。人生に、貴重な思い出があるのは、ありがたい。生涯を、神さまに奉献したカシアノ修道士さんの最後は、聖ヨゼフに抱かれ立派でした。
★カシアノさんは、ポーランドで修道会に入会した時、コルベ神父から「炊事場へ行きなさい」と言われた。以来、長崎へ来ても「炊事場の仕事」。トマは、神学校に入って、カシアノさんの料理で育った。中でも忘れられないのが、カシアノさんの「ハンバーグ」です。トマは精肉店の息子だよ。肉汁は出ない。カリッとして、肉の感触が伝わる。これが、おいしかった。うまかった。これまでハンバーグは沢山食べたけれど、カシアノさんの、あの一品には及ばない。どうやって作ったのか。もう1度食べたい。
★カシアノさんにも若い頃があった。「コルベ神父・渡来廿五周年」と書いてある。1930年が来日ですから、1955年、戦争が終わって10年です。カシアノさんも、こんなに若かったんですね。
★カシアノさんは、コルベ神父と一緒に長崎で生活したことを誇りに思っていた。自分が敬愛する司祭が、福者へ、聖人へ成ったのですからね。コルベ神父の思い出がイッパイあったでしょう。
★コルベ神父は、言う事と、行なう事に、矛盾がなかった。「言行一致」です。愛が一杯あった。信仰があった。信念があった。それで苦労は多々あったが、付いて行った。
★沢山の事を知らなくても、真実を知れば、事足りるでしょう。充実した人生を送れるでしょう。「神さまの御旨をどのようにしたら分かるか」「神さまの導きをどうしたら理解できるか」。カシアノさんの命日にあたり、祈っています。
2020年1月4日土曜日
普段の生活に戻った感じ。トマは今年もコツ、コツと日記を書く
ホームの3階の廊下の端に、折り紙で作った、小さな御降誕の場面が置いてある。
★誰が作ったのだろうか。「去年も、あった」という。以前、ホームにはシスターも働いていた時代があった。シスターの作品かも知れない。
★クリスマスも、お正月も、早くも遠ざかっていった。普段の日常が始まる。トマは、ボツ、ボツ、日記を書く。その姿勢は、くずすまい。時代と共に、世の中は便利になった。トマが持っているのは、ガラケイと、パソコンだけです。変わらぬムカシのままの生活の有りようだね。
★ホームの医務室の廊下に、小さなサンタさんが、沢山つけている。これは、クリスマスの頃、慰問の歌を披露したグループが作ったそうです。かわいいですよね。やっぱり、人の心を動かすのは、目には見えない微妙な伏線でしょう。
★今年も、トマは、コツ、コツと、パソコン日記を書いていきます。大した内容でないかも知れない。自分のために書いているのです。ホームで生きて、残る人生、どうなるのか。
★見詰めるだけでも価値はあるでしょう。自由に日記を書かせてください。日記を書く以外の便利さのなかには、もう入れそうにない。結局、その人の生き方だと思います。パソコン日記でも、出会いがある。つながりがある。よろこんでくれる人が、どこかに居られる。また何かが開けるかも知れない。ポツ、ポツと、作ってくれた小さなサンタさんも、心にはホホエミをうながしてくれる。見る人は、見ているんですね。ありがとう。
★誰が作ったのだろうか。「去年も、あった」という。以前、ホームにはシスターも働いていた時代があった。シスターの作品かも知れない。
★クリスマスも、お正月も、早くも遠ざかっていった。普段の日常が始まる。トマは、ボツ、ボツ、日記を書く。その姿勢は、くずすまい。時代と共に、世の中は便利になった。トマが持っているのは、ガラケイと、パソコンだけです。変わらぬムカシのままの生活の有りようだね。
★ホームの医務室の廊下に、小さなサンタさんが、沢山つけている。これは、クリスマスの頃、慰問の歌を披露したグループが作ったそうです。かわいいですよね。やっぱり、人の心を動かすのは、目には見えない微妙な伏線でしょう。
★今年も、トマは、コツ、コツと、パソコン日記を書いていきます。大した内容でないかも知れない。自分のために書いているのです。ホームで生きて、残る人生、どうなるのか。
★見詰めるだけでも価値はあるでしょう。自由に日記を書かせてください。日記を書く以外の便利さのなかには、もう入れそうにない。結局、その人の生き方だと思います。パソコン日記でも、出会いがある。つながりがある。よろこんでくれる人が、どこかに居られる。また何かが開けるかも知れない。ポツ、ポツと、作ってくれた小さなサンタさんも、心にはホホエミをうながしてくれる。見る人は、見ているんですね。ありがとう。
2020年1月3日金曜日
正月3日目。長崎から白浜さんが来た。韓国と仲良くしたいね
正月休み、と言って、聖母の騎士でお手伝いをしている白浜忠美さんが来た。
★話題は、最近、韓国と仲が良くない。しかし、6年前は、韓国大邱(テーグ)の教会に呼ばれて、白浜さんの介護で、韓国の人たちにお世話になった。
★韓国・大邱には、永井隆博士の「如己の会」がある。パウロ永井先生の「如己愛人」を目標にしている。一般学生に、新聞で募集して、優秀な作品に賞を与え、長崎市の「如己堂」に招待する会だった。
★その入賞・祝賀祭に呼ばれた。トマも永井先生の思い出を語った。通訳をしたり、滞在中のお世話をしてくれたのが、崔玉植(名誉)教授だった。
★崔先生の、熱のこもった接待に、本当に感動した。感謝した。あの細やかな奉仕忘れようがない。あんな素晴らしい愛情のある韓国人と仲が良くないとは、考えても有り得ない。崔教授はソウル大学・物理学科を卒業して、オーストリア・ウイーンに6年間留学し、日本語も達者だった。
★2018年3月、長崎に来て、聖コルベ館を訪ねたが、トマは会えなかった。その後、間もなく故人となられた。もう1度、韓国に行って、友情を深めたいと思うが、残念です。白浜さんがホームへ連れて行こうかと提案したが、時間がありませんと、2人だけの再会でお別れした。
★その後、間もなく崔先生は、逝かれたと聞いた。そう言えば、写真では少し細っておられる。
★韓国で、旅の最後に、「崔先生、大変お世話になりました。先生が居なければ、こんな素晴らしい旅は出来ない。釜山空港にお迎えに来てくれて、クルマの世話から、食事の世話、食べるものも、ちゃんと配慮しておられる。和食、韓国食、中華料理、キジのシャブシャブ、みんな配列がいいよ。感心だな」と言うと、崔先生「ボクは、やりたくないんだが、命令だよ。李・大司教さま(写真・中央が李・大司教さま、その後ろが崔先生。トマと白浜さん)が、全部、仕込んでおられた。ボクは、それを果たすだけです。ボクは、何もしないよ」と謙遜された。
★「崔先生は、愛情深い、エライ教授だよ。それに教授の日本語には参ったよ」と言うと、崔教授が「シャクを起こさないように」「なんの、こと?」と不審に思っていると、「シャク」とは、癇癪(かん・しゃく)のシャクだった。
★そう「カン・シャク」は、やめようよ。今日は、白浜さんが来て、韓国のことを思い、親切だった崔教授や、李・大司教さまを懐かしく心温かくなった。韓国の人と、隣の国だもの、仲よくなりたい、そう祈り、願う正月だった。
★話題は、最近、韓国と仲が良くない。しかし、6年前は、韓国大邱(テーグ)の教会に呼ばれて、白浜さんの介護で、韓国の人たちにお世話になった。
★韓国・大邱には、永井隆博士の「如己の会」がある。パウロ永井先生の「如己愛人」を目標にしている。一般学生に、新聞で募集して、優秀な作品に賞を与え、長崎市の「如己堂」に招待する会だった。
★崔先生の、熱のこもった接待に、本当に感動した。感謝した。あの細やかな奉仕忘れようがない。あんな素晴らしい愛情のある韓国人と仲が良くないとは、考えても有り得ない。崔教授はソウル大学・物理学科を卒業して、オーストリア・ウイーンに6年間留学し、日本語も達者だった。
★2018年3月、長崎に来て、聖コルベ館を訪ねたが、トマは会えなかった。その後、間もなく故人となられた。もう1度、韓国に行って、友情を深めたいと思うが、残念です。白浜さんがホームへ連れて行こうかと提案したが、時間がありませんと、2人だけの再会でお別れした。
★その後、間もなく崔先生は、逝かれたと聞いた。そう言えば、写真では少し細っておられる。
★「崔先生は、愛情深い、エライ教授だよ。それに教授の日本語には参ったよ」と言うと、崔教授が「シャクを起こさないように」「なんの、こと?」と不審に思っていると、「シャク」とは、癇癪(かん・しゃく)のシャクだった。
★そう「カン・シャク」は、やめようよ。今日は、白浜さんが来て、韓国のことを思い、親切だった崔教授や、李・大司教さまを懐かしく心温かくなった。韓国の人と、隣の国だもの、仲よくなりたい、そう祈り、願う正月だった。
2020年1月2日木曜日
正月2日目。静かなホーム。炊事場で働く人たちの底チカラ
ホームの食堂に飾られた「賀正」。お餅も、マリアさまも、御子さまも、生け花も置かれている。健康と、幸せを祈る心は、みな一緒です。ホームには目立ったお客さまも見えず、静かな正月でした。
★初風呂に入りました。ゆっくりと、湯に浸かれるのが喜びです。バリ、バリ、働いて、活躍して、名をあげ、財を築いた著名人が、最後に、机の上の一杯のカップの飲み物を、やっとこ飲める身柄になった、人間とは、そういう存在だ、と聞いたことがある。動ける内は、自分のことしか考えない。他者への奉仕が、何より尊い。
★「『箸入れ』の折り紙、ありがとうね」と、栄養士さんにお礼を言った。(9回、折っていた)。すると、日記に「炊事場の人たちの写真、載せたのね?」と聞かれた。「あした、ね」と答えた。その写真が、これです。
★「炊事場で働く人は、何人いると、ね?」「9人、いる。お休みの人も居るからね」。この人たちのお陰です。炊事場の中で働くから、ほとんど顔も名前も知らない。炊事場の人たちの働きが、ホームの底チカラになっている。隠れた所のチカラが、大きな支えです。
★朝、ミサのとき、大村の「みさかえの園あゆみの家」のシスター2人が参加した。1人はポーランド人。2人には先日、お世話になった。「何ごと?」「あいさつに、きた」。ポーランド人シスターに、ポーランド語版の「焼けたロザリオ」(マンガ)をプレゼントした。「もらったクッキーのかわりだよ」「ジンクーエン」
★初風呂に入りました。ゆっくりと、湯に浸かれるのが喜びです。バリ、バリ、働いて、活躍して、名をあげ、財を築いた著名人が、最後に、机の上の一杯のカップの飲み物を、やっとこ飲める身柄になった、人間とは、そういう存在だ、と聞いたことがある。動ける内は、自分のことしか考えない。他者への奉仕が、何より尊い。
★「『箸入れ』の折り紙、ありがとうね」と、栄養士さんにお礼を言った。(9回、折っていた)。すると、日記に「炊事場の人たちの写真、載せたのね?」と聞かれた。「あした、ね」と答えた。その写真が、これです。
★「炊事場で働く人は、何人いると、ね?」「9人、いる。お休みの人も居るからね」。この人たちのお陰です。炊事場の中で働くから、ほとんど顔も名前も知らない。炊事場の人たちの働きが、ホームの底チカラになっている。隠れた所のチカラが、大きな支えです。
★朝、ミサのとき、大村の「みさかえの園あゆみの家」のシスター2人が参加した。1人はポーランド人。2人には先日、お世話になった。「何ごと?」「あいさつに、きた」。ポーランド人シスターに、ポーランド語版の「焼けたロザリオ」(マンガ)をプレゼントした。「もらったクッキーのかわりだよ」「ジンクーエン」
2020年1月1日水曜日
ホームのお正月。歳を重ねてもゲンキあり。職員さんにはカンシャ
★ホームで暮らして、6回目の正月がきた。最初は、孤独、寂しさ、落ち込み、があったが、それでも次々と出番が求められて、元気も、希望も、盛り上がってきた。
★ホームのお正月はどうでしたか。朝食には、お赤飯と、カズノコも出ました。朝、10時からは、教会で、新年のミサで祈りました。車椅子の人たも参加しました。昼食には、職員さんたちの新年挨拶があり、お屠蘇も飲みました。「よっぱらったよ、という女性」。昼食には、お雑煮、黒豆など、お祝いの食事をいただきました。
★お正月だよ。職員さんたちも、自分の家で、家族と一緒に正月を迎えたいでしょう。子供たちも来る家族もあるでしょう。それをホームに勤務して、ホームの人たち、70人に食べさせる、介護する、大変なお仕事です。苦労や、犠牲を思えば、ここにもアタマがさがります。炊事場で働く、日ごろは、内輪に居て、私たちには姿を見せない職員さんの紹介もありました。
★もっとも感心したのが、この「箸入れ」の折り紙です。これ、ツルの折り紙ですよ。ツルがアタマをもたげている。割り箸をはずして、折り紙を、ソーッと広げると、四角い紙になるのです。「器用に、折っている。誰が、折ったの?感心だよ」「栄養士さん」。この細やかさな心情には、参りました。忙しいのに、そこまで、やるの。ニンゲンって、気持ちだよ。心だよ。さかのぼれば、愛情だね。
★トマにも、何枚かの年賀状が届いた。その中の1枚に、次のメモが書いてあったよ。「91歳日記を拝読し、入るなら聖フランシスコ園だよ決めています」(茨城県の男性より)
2019年12月31日火曜日
令和元年、今日で終わる。日々日記を書いて、感謝と希望で生きる
2019年、令和元年、最後の日になった。平成から、令和へ。時代は変わった。災害が多い年だったが、ホームは平穏・無事に過ごした。改築された新しい広い自室に移る。
★教皇フランシスコさまが長崎を訪問された年でもある。教皇ミサには参列できなかったが、テレビで、教皇さまが、長崎・原爆落下中心地で、黙祷(1分40秒)の長い祈りを捧げているのを、被爆者として、心を同じくして祈った。「核抑止力に、平和はない」。被爆者の証言を、教皇さまも強調された。パパさまのご訪問は、記憶すべき出来事となった。
★今年を振り返れば、「生かされた」ことへの感謝あるのみです。年々、「生かされる」深みを感じます。生きるのではない。生かされて、平穏・無事で、日々、日記が書ける。ホームに居て、特別な事は起こらないが、それでも、何かを見つけて、喜んで、希望を持ちながら過ごしていく。日記を通して、出会いもあった。恵みもあった。ホームに居ても、出番があった。日々読んで下さる人に感謝です。
★3大よろこび、といえば、➀「91歳の男性が、毎日、日記を書いて10年」と、民放のテレビに、夕方、ニュースの番組に、特番として10分ほどだが紹介された。
➁「写真集」を出したお陰で、長崎市内で「写真展」も開催された。長崎だけでなく、東京の「ポ-ランド・フェスティバル」でも展示された。これも喜びです。
★③また、語りべも努める機会があった。若者に語るのは喜びです。
★助けられ、支えられて、これらが可能になる。協力して下さった皆さんに感謝です。人生は、「つみかさね」で、その人の年輪となる。そして横へと「ひろがり」を示していく。だから、おもしろい。人は、1人では、生きられない。
★人生には、楽しい事もあるが、苦しみの波も押し寄せてくる。それらの波を受け止めて、波に乗って、サーフィンのように、うまく返して、進むしかない。小さな存在だが、大きなチカラが見守ってくださる。目には見えないチカラと愛を信じて、生きよう。
★日記を日々読んで下さる人たちに、「ありがとう」と感謝のお礼を申します。新しい年をお迎えください。
★教皇フランシスコさまが長崎を訪問された年でもある。教皇ミサには参列できなかったが、テレビで、教皇さまが、長崎・原爆落下中心地で、黙祷(1分40秒)の長い祈りを捧げているのを、被爆者として、心を同じくして祈った。「核抑止力に、平和はない」。被爆者の証言を、教皇さまも強調された。パパさまのご訪問は、記憶すべき出来事となった。
★今年を振り返れば、「生かされた」ことへの感謝あるのみです。年々、「生かされる」深みを感じます。生きるのではない。生かされて、平穏・無事で、日々、日記が書ける。ホームに居て、特別な事は起こらないが、それでも、何かを見つけて、喜んで、希望を持ちながら過ごしていく。日記を通して、出会いもあった。恵みもあった。ホームに居ても、出番があった。日々読んで下さる人に感謝です。
★3大よろこび、といえば、➀「91歳の男性が、毎日、日記を書いて10年」と、民放のテレビに、夕方、ニュースの番組に、特番として10分ほどだが紹介された。
➁「写真集」を出したお陰で、長崎市内で「写真展」も開催された。長崎だけでなく、東京の「ポ-ランド・フェスティバル」でも展示された。これも喜びです。
★③また、語りべも努める機会があった。若者に語るのは喜びです。
★助けられ、支えられて、これらが可能になる。協力して下さった皆さんに感謝です。人生は、「つみかさね」で、その人の年輪となる。そして横へと「ひろがり」を示していく。だから、おもしろい。人は、1人では、生きられない。
★人生には、楽しい事もあるが、苦しみの波も押し寄せてくる。それらの波を受け止めて、波に乗って、サーフィンのように、うまく返して、進むしかない。小さな存在だが、大きなチカラが見守ってくださる。目には見えないチカラと愛を信じて、生きよう。
★日記を日々読んで下さる人たちに、「ありがとう」と感謝のお礼を申します。新しい年をお迎えください。
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