ホームの室内・運動会が行なわれた。職員さんたちもタイヘンだ。日頃の介護もあるのに、ホームという狭い場所で暮らす皆さんを、いかに喜ばせるか、励ますか、生きるチカラを引き出せるか、趣向をこらしている。その1つが運動会だ。以前は庭で、自分の足で歩いて、走って、行なわれていたが、年々、庭での行事は難しくなった。食堂の、場所は狭いが、それでも結構、はずんだし、愉快だった。
★なんと言っても、競技は先ず「パン食い」競争でしょう。運動会の数日前から、大きな紙に「赤組」「黄色組」に名前が分けられる。入居者は、71人がいた。職員の名前もある。夜勤や、休みの人を除いて、25、6人の名前があった。パン食い競争では、ごらんの通り。パンを吊るした棒が動くから、つかむのには要領がいるんだな。カミつくと、ホッとするね。盛り上がるのは、パン食いだよ。
★園長神父さんもパン食い競争に挑戦する。皆にまじって、懸命にがんばる。サカナ釣り競技もあった。他には、赤組、黄色組、分かれて、順々にビニール・フーセンの「わ」を新聞紙で作った棒で、リレーしていく。これが又、オモシロイ。何度も、繰り返して、赤が勝ったり、黄色が勝ったり、人間って、誰もが勝てば喜ぶんだな。パン食いだって、他人の事など考えない。自分がつかむのが集中だ。ホンネが出るのがオモシロイ。
★瀧神父さんも、西山神父さんも、パン食いには出るよ。楽しかったね。運動会は、園長神父さんの挨拶、祈り、国旗の掲揚、競技の灯の点灯、車椅子の男性のチカラ強い選手宣誓。これらを得て、始まった。終わる時は、国旗の降下、シメの挨拶は、事務長さんだった。6日、9日と、原爆の日があったが、平和を望む。その心で、楽しい運動会を過ごしたのだった。終わると、1人1人に、賞品の大きな袋を貰った。100歳の女性も、車椅子の人たちも、ベッド式の女性も、笑いと、喜びのひと時を過ごしたのだった。それで十分じゃないでしょうか。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2019年8月10日土曜日
2019年8月9日金曜日
長崎・原爆の日。17歳の頃、住んでいた場所を探しあてる
長崎・原爆の日の朝です。真っ赤に燃えるような空でした。原爆の夜、長崎に立ち上った炎を連想しました。ミサの祈りで、原爆死した人びとのため、母親のため、核兵器廃絶のため合掌しました。
★高原修道士さんから、うながされた。「トマさん、長崎の、お母さんが亡くなった場所に行こうよ」。朝、9時30分から高原さん運転の車で、ホームを出ました。
★写真が1枚あります。母親と一緒に撮った写真です。ウラに、私の10歳の誕生日、とあります。母、38歳と、母親の字で書いてある。私は小学生。この7年後、私が17歳、母が45歳。原爆で、行方不明となった。母の骨も拾わなかった。
★きょうは、長崎市内に入って、母親が住んでいた場所を探した。ありました。喜んでください。私の家の隣に住んでいた家族とも会うことが出来ました。高原さんが「行こうよ」と言ってくれたお陰で、場所が分かった。家の横に、広い庭が有ったが、その庭も残っていた。建物は変わっている。原爆の日に、よい経験をしました。高原修道士さんの誘いのお陰でした。
★その後、聖コルベ館に寄る。次に、写真展が行なわれる「ピース・ミュージアム」を訪問して、挨拶をしました。フランスの子供たちの絵を展示していました。4、5人の入館者たちが居た。ミユージアムの直ぐ隣は、広場と岸壁が有り、大きな観光船が入港していました。ホームに帰ったのは、3時過ぎでした。思い出の原爆の日になりました。
★高原修道士さんから、うながされた。「トマさん、長崎の、お母さんが亡くなった場所に行こうよ」。朝、9時30分から高原さん運転の車で、ホームを出ました。
★写真が1枚あります。母親と一緒に撮った写真です。ウラに、私の10歳の誕生日、とあります。母、38歳と、母親の字で書いてある。私は小学生。この7年後、私が17歳、母が45歳。原爆で、行方不明となった。母の骨も拾わなかった。
★きょうは、長崎市内に入って、母親が住んでいた場所を探した。ありました。喜んでください。私の家の隣に住んでいた家族とも会うことが出来ました。高原さんが「行こうよ」と言ってくれたお陰で、場所が分かった。家の横に、広い庭が有ったが、その庭も残っていた。建物は変わっている。原爆の日に、よい経験をしました。高原修道士さんの誘いのお陰でした。
★その後、聖コルベ館に寄る。次に、写真展が行なわれる「ピース・ミュージアム」を訪問して、挨拶をしました。フランスの子供たちの絵を展示していました。4、5人の入館者たちが居た。ミユージアムの直ぐ隣は、広場と岸壁が有り、大きな観光船が入港していました。ホームに帰ったのは、3時過ぎでした。思い出の原爆の日になりました。
2019年8月8日木曜日
被爆者は、ぼうこう・ガンの発症率が高かった。わが身にも
尿が出るという事は、私にとって、どれほど大きな恵みであろうか。10年前、突然、血尿が出て、即入院。ぼうこう・がん、と言われた時には、ガク然となった。なぜ、こんな病気になったのだろう?
★その理由が分かった。最近の長崎新聞を見て、これ又、フン然とした。被爆者は「ぼうこう・がん」発症のリスクが高い、とあるではないか。
★「特に被爆時の年齢が、10歳から19歳の発症リスクは、普通の人の2倍近くになる」という。当時、私は17歳。今から10年前、81歳の2009年4月に「ぼうこう・がん」を発症している。
★「ぼうこう・がん」の検査に、尿検査で「細胞診」という判定がある。「Ⅰ」が最も良い。毎月、泌尿器科・医師の診察を受けて、細胞診を出していた。「Ⅲ」から「Ⅳ」に上がっていたのに、診察の度に泌尿器科の医師が変わり、何の治療も行なわなかった。血尿して、破れて、出血して初めて治療に入った。
★幸い、その時の泌尿器科・医師の処置が適切で、BCGの注入で、治癒した。医師は言った。「ぼうこう」を取ろうと思ったが、薬の治療で良くなった、と。「ぼうこう」を取られたら、不自由な身体になる。医師のお陰で、その後の人生も、助かった。それにしても、ぼうこう・ガンが、原爆症に関係があるとは、新聞で初めて知った。原爆は、やはり恐ろしい。どこに後遺症が出るやも知れぬ。核兵器、ああ、恐ろしや。
★4、5か月毎に、ステント入れ替えの手術の際に、ぼうこうに、カメラを入れて診察している。この度の入院の時にも、調べてもらった。「ガン」は無いとお医者さん。尿が正常に出るのを、お恵みと感謝しながら、きょうも生きている。呼吸している。
★ホームの窓から見えた3つのスジ状の雲です。生きていることは喜びです。いいことも、あるよ。
★その理由が分かった。最近の長崎新聞を見て、これ又、フン然とした。被爆者は「ぼうこう・がん」発症のリスクが高い、とあるではないか。
★「特に被爆時の年齢が、10歳から19歳の発症リスクは、普通の人の2倍近くになる」という。当時、私は17歳。今から10年前、81歳の2009年4月に「ぼうこう・がん」を発症している。
★「ぼうこう・がん」の検査に、尿検査で「細胞診」という判定がある。「Ⅰ」が最も良い。毎月、泌尿器科・医師の診察を受けて、細胞診を出していた。「Ⅲ」から「Ⅳ」に上がっていたのに、診察の度に泌尿器科の医師が変わり、何の治療も行なわなかった。血尿して、破れて、出血して初めて治療に入った。
★幸い、その時の泌尿器科・医師の処置が適切で、BCGの注入で、治癒した。医師は言った。「ぼうこう」を取ろうと思ったが、薬の治療で良くなった、と。「ぼうこう」を取られたら、不自由な身体になる。医師のお陰で、その後の人生も、助かった。それにしても、ぼうこう・ガンが、原爆症に関係があるとは、新聞で初めて知った。原爆は、やはり恐ろしい。どこに後遺症が出るやも知れぬ。核兵器、ああ、恐ろしや。
★4、5か月毎に、ステント入れ替えの手術の際に、ぼうこうに、カメラを入れて診察している。この度の入院の時にも、調べてもらった。「ガン」は無いとお医者さん。尿が正常に出るのを、お恵みと感謝しながら、きょうも生きている。呼吸している。
★ホームの窓から見えた3つのスジ状の雲です。生きていることは喜びです。いいことも、あるよ。
2019年8月7日水曜日
「写真展」決まる。聖コルベの祭日から。導きの恵み。感謝
ホームに暮らしていても、こんなに嬉しい出来事がある。小さな出会いが、樹となり、幹となり、稔りとなる。野々村哲さん、塩沢美樹さんとの出会いです。
★彼らが、長崎・聖コルベ館の資料室にある、小崎登明の写真のネガをデーター化してくれました。根気の要る作業でした。その中から、彼らが選んで、今年の2月に、写真集「昭和に生きた修道者たち」(長崎とポーランド・コルベ神父の修道院)が発行された。日記の皆さんにもお送りしました。その写真が、展示されるのです。決まりました。
★それらの写真は、小崎登明が、昭和30年から40年代に撮った写真です。写真集が、「ピース・ミユージアム」の職員さんの目にとまり、展示を告げるために、この間、ホームにも来られました。8月14日・水曜日から、9月8日・日曜日までの開催です。ホームに居ても、実が稔り、花が咲くのが嬉しいのです。日記を見ておられる皆さん、ぜひ見に行ってください。長崎市外、県外の皆さんも、長崎に来る機会があったら、写真展を見られるようにお勧めします。皆さんに見て頂ければ、有り難いことです。
★簡単な地図を載せました。場所は、長崎市・大浦にあります。大きな国道のソバで、大浦警察署の手前です。
★8月14日、水曜日。この日は、聖コルベの殉教・祭日です。この日に、大浦で、展示会が開かれるのは大きな喜びです。コルベ神父とゼノ修道士は、長崎到着後、しばらく大浦で仮の修道院で宣教していました。その近くの「ピース・ミュウージアム」になります。これも、けがれなき聖母マリアさまのお恵みと理解して、感謝の祈りを捧げています。野々村哲さん、塩沢美樹さんとの出会いが、こんなに大きな恵みとなりました。彼らにも感謝しています。
★彼らが、長崎・聖コルベ館の資料室にある、小崎登明の写真のネガをデーター化してくれました。根気の要る作業でした。その中から、彼らが選んで、今年の2月に、写真集「昭和に生きた修道者たち」(長崎とポーランド・コルベ神父の修道院)が発行された。日記の皆さんにもお送りしました。その写真が、展示されるのです。決まりました。
★それらの写真は、小崎登明が、昭和30年から40年代に撮った写真です。写真集が、「ピース・ミユージアム」の職員さんの目にとまり、展示を告げるために、この間、ホームにも来られました。8月14日・水曜日から、9月8日・日曜日までの開催です。ホームに居ても、実が稔り、花が咲くのが嬉しいのです。日記を見ておられる皆さん、ぜひ見に行ってください。長崎市外、県外の皆さんも、長崎に来る機会があったら、写真展を見られるようにお勧めします。皆さんに見て頂ければ、有り難いことです。
★簡単な地図を載せました。場所は、長崎市・大浦にあります。大きな国道のソバで、大浦警察署の手前です。
★8月14日、水曜日。この日は、聖コルベの殉教・祭日です。この日に、大浦で、展示会が開かれるのは大きな喜びです。コルベ神父とゼノ修道士は、長崎到着後、しばらく大浦で仮の修道院で宣教していました。その近くの「ピース・ミュウージアム」になります。これも、けがれなき聖母マリアさまのお恵みと理解して、感謝の祈りを捧げています。野々村哲さん、塩沢美樹さんとの出会いが、こんなに大きな恵みとなりました。彼らにも感謝しています。
2019年8月6日火曜日
ホームで働く夫妻の娘さん、シスターが留学から帰国した
夕食の前だった。突然、シスターが、満面の笑みを浮かべながら自室に入って来た。「来たーッ」と言う感じだった。
★父は、ホームの事務長さん、お母さんは同じホームの介護職員を勤める、夫妻の娘さん。「名前は『カヤノ』というんだったね。どんな字を書くの?」「十字架の『架』に、耶蘇の『耶』、それに『乃』」「むずかしい字だね。読めんよ。よく、まあ、両親も名前を付けたモンだ」
★にこやかで、いつも笑って、全く明るいシスターだ。2年前の、7月。ちょうど今ごろの季節に自室に来た。ローマの大学に留学して、休暇だった。「今度は、卒業して、帰国した」。そりゃ、おめでとう。4年間か、大変だったね。イタリア語に苦労しただろうに、同情するよ。しっかり、がんばって、ね。
★シスターに見せたのが、4月に放送されたテレビのビデオだった。10分程の時間がかかる。時計をチラッと見ると、食事の時が近づいてくる。ゆっくり話せないよ。イタリアの話は全然、聞けなかった。残念。もう長崎市内に住むから、会う日もあるだろう。明るい、笑いのシスターに出会うと、悩みも不安も吹き飛んでしまう。架耶乃シスター、明るい笑いを、暗い、冷たい世の中に、振りまいて下さい。「また会う日を楽しみに」。ああ、夕食を知らせるスピーカーが呼んでいる。「じゃ、さよなら」
★父は、ホームの事務長さん、お母さんは同じホームの介護職員を勤める、夫妻の娘さん。「名前は『カヤノ』というんだったね。どんな字を書くの?」「十字架の『架』に、耶蘇の『耶』、それに『乃』」「むずかしい字だね。読めんよ。よく、まあ、両親も名前を付けたモンだ」
★にこやかで、いつも笑って、全く明るいシスターだ。2年前の、7月。ちょうど今ごろの季節に自室に来た。ローマの大学に留学して、休暇だった。「今度は、卒業して、帰国した」。そりゃ、おめでとう。4年間か、大変だったね。イタリア語に苦労しただろうに、同情するよ。しっかり、がんばって、ね。
★シスターに見せたのが、4月に放送されたテレビのビデオだった。10分程の時間がかかる。時計をチラッと見ると、食事の時が近づいてくる。ゆっくり話せないよ。イタリアの話は全然、聞けなかった。残念。もう長崎市内に住むから、会う日もあるだろう。明るい、笑いのシスターに出会うと、悩みも不安も吹き飛んでしまう。架耶乃シスター、明るい笑いを、暗い、冷たい世の中に、振りまいて下さい。「また会う日を楽しみに」。ああ、夕食を知らせるスピーカーが呼んでいる。「じゃ、さよなら」
2019年8月5日月曜日
「雪のサンタ・マリア」。潜伏キリシタン。田中用次郎さん語る
きょうは、イタリア・ローマの「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」の記念日です。ローマに多々ある教会でも、荘厳、華麗な教会で、何度か巡礼したこともある。写真がないので、ネットで調べたら、この写真が出てきた。「雪のサンタ・マリア」とも言われる。この教会と、潜伏キリシタンと、つながりがある、というのが今日の日記です。その事を私に教えてくれたのが、外海・出津の信徒、田中用次郎さんでした。
★写真は、戦後、いつの頃か分からないが、私が撮った出津の風景です。用次郎さんは、この集落で暮らしていた。用次郎さんは、私に言った。「4世紀、ローマに信仰熱心な貴族夫妻がいた。相続の子供が居ないため、財産を聖母マリアに捧げると祈っていた。すると8月4日の夜に、夫妻、別々に、夢に聖母マリアが現われて、『雪を降らせて置くから、その場所に聖堂を建てるように』とお告げがあった。教皇さまに、その旨を話すと、教皇さまも同じ夢を見たという。本当に、丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、『雪のサンタ・マリア教会』が建てられた」
★私が、きょう、記事に書きたいのは、4世紀、5世紀、ローマで行なわれた事が、海を越えて、時代を超えて、15世紀、16世紀の外海・出津の潜伏キリシタンの間で、ひそかに「雪のサンタ・マリア」の信心が行なわれていた、ということです。その話を教えてくれたのが、出津の信徒、田中用次郎さんでした。用次郎さんは私もよく知っている。友人でもあった。私は彼の写真を、彼の自宅で撮った覚えが有るので、パソコンの写真を丹念に調べてみた。すると1枚、あったのです。
★いつ頃、撮った写真か、年代は分からないが、左の端に居るのが、田中用次郎さんです。用次郎さんは私に、こう言った。「まだ子供の頃、潜伏キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせました。そして『アヴェ・マリア』のオラッショを口ずさみました。私も覚えましたよ」と、スラ、スラとキリシタンの祈りを唱えるのだった。
★田中用次郎さんは、長年、「雪のサンタ・マリア」の聖絵を見たいと強く望んでいた。昭和50年頃に、ある農家から発見された。「農家の、こんもりと茂った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見た時に、非常な感動を覚えました」と用次郎さん。田中用次郎さんは故人となられた。司祭を目指して、神学校で学んでいたが、健康がつづかず、帰郷した。その後は、外海・出津で、キリシタン継承や、ド・ロ神父遺徳保存のため大きな活躍を行ない、功績を残している。きょうは、田中用次郎さんを偲ぶ日でもあった。下が「雪のサンタ・マリア」聖絵。
★写真は、戦後、いつの頃か分からないが、私が撮った出津の風景です。用次郎さんは、この集落で暮らしていた。用次郎さんは、私に言った。「4世紀、ローマに信仰熱心な貴族夫妻がいた。相続の子供が居ないため、財産を聖母マリアに捧げると祈っていた。すると8月4日の夜に、夫妻、別々に、夢に聖母マリアが現われて、『雪を降らせて置くから、その場所に聖堂を建てるように』とお告げがあった。教皇さまに、その旨を話すと、教皇さまも同じ夢を見たという。本当に、丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、『雪のサンタ・マリア教会』が建てられた」
★私が、きょう、記事に書きたいのは、4世紀、5世紀、ローマで行なわれた事が、海を越えて、時代を超えて、15世紀、16世紀の外海・出津の潜伏キリシタンの間で、ひそかに「雪のサンタ・マリア」の信心が行なわれていた、ということです。その話を教えてくれたのが、出津の信徒、田中用次郎さんでした。用次郎さんは私もよく知っている。友人でもあった。私は彼の写真を、彼の自宅で撮った覚えが有るので、パソコンの写真を丹念に調べてみた。すると1枚、あったのです。
★いつ頃、撮った写真か、年代は分からないが、左の端に居るのが、田中用次郎さんです。用次郎さんは私に、こう言った。「まだ子供の頃、潜伏キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせました。そして『アヴェ・マリア』のオラッショを口ずさみました。私も覚えましたよ」と、スラ、スラとキリシタンの祈りを唱えるのだった。
★田中用次郎さんは、長年、「雪のサンタ・マリア」の聖絵を見たいと強く望んでいた。昭和50年頃に、ある農家から発見された。「農家の、こんもりと茂った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見た時に、非常な感動を覚えました」と用次郎さん。田中用次郎さんは故人となられた。司祭を目指して、神学校で学んでいたが、健康がつづかず、帰郷した。その後は、外海・出津で、キリシタン継承や、ド・ロ神父遺徳保存のため大きな活躍を行ない、功績を残している。きょうは、田中用次郎さんを偲ぶ日でもあった。下が「雪のサンタ・マリア」聖絵。
2019年8月4日日曜日
傾聴ボランチアの女性が来る。つぶやき、心配、悩みを語ります
2、3日前に電話があった。酷暑の日曜日。午前、待っていた。汗を拭きながら入ってくる。傾聴ボランチアの女性。数えれば、もう2年半になる。今年に入って、5回目。職場の休みを利用して、時間を費やし、交通費も自分持ちで、他人の話、つぶやきを、ただ「聞くだけ」。今どき、世知辛い世の中に、こんな貴重な存在の女性が居るんですね。唯ただ感心するばかりです。
★最近の出来事を語りました。足の力の低下を告げました。老いると、ヒラメキの言葉が浮かばない、と言いました。以前は、パァッと、脳裏に浮かぶ一片の言葉があった。「心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」「人柄とは、笑顔、元気、主体性だよね」「名前は、どうでも、いい。その人の行為が、心に残る」「いま笑っていても、愛していても、これから先、どんな変化も有り得る。いつ、心が変わるか、わからんのが、人間や」「よい人生とは、苦しみのないことではなく、苦しみに意味を見い出し、感謝できる人生だ」。こんな活気ある言葉が、もう出てこないんです。
★最終的には、足の弱さを強調しました。ホームの老人たちも、自分の足で歩く。シルバー車を押して、ゆっくりでも、根気よく、時間をかけても、自分で歩く。その姿に敬服します。自分も、そうで有りたい。
★傾聴の女性は、辛抱づよく聞いてくれました。ありがたいです。感服します。アタマが軽くなる。抵抗がないからです。気を使わないからです。こんなボランチアの女性が現実に居るんですね。次の日を約束して、1時間で、自室を去りました。わびしさが、部屋に残りました。
★最近の出来事を語りました。足の力の低下を告げました。老いると、ヒラメキの言葉が浮かばない、と言いました。以前は、パァッと、脳裏に浮かぶ一片の言葉があった。「心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」「人柄とは、笑顔、元気、主体性だよね」「名前は、どうでも、いい。その人の行為が、心に残る」「いま笑っていても、愛していても、これから先、どんな変化も有り得る。いつ、心が変わるか、わからんのが、人間や」「よい人生とは、苦しみのないことではなく、苦しみに意味を見い出し、感謝できる人生だ」。こんな活気ある言葉が、もう出てこないんです。
★最終的には、足の弱さを強調しました。ホームの老人たちも、自分の足で歩く。シルバー車を押して、ゆっくりでも、根気よく、時間をかけても、自分で歩く。その姿に敬服します。自分も、そうで有りたい。
★傾聴の女性は、辛抱づよく聞いてくれました。ありがたいです。感服します。アタマが軽くなる。抵抗がないからです。気を使わないからです。こんなボランチアの女性が現実に居るんですね。次の日を約束して、1時間で、自室を去りました。わびしさが、部屋に残りました。
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