ホームに暮らしていても、こんなに嬉しい出来事がある。小さな出会いが、樹となり、幹となり、稔りとなる。野々村哲さん、塩沢美樹さんとの出会いです。
★彼らが、長崎・聖コルベ館の資料室にある、小崎登明の写真のネガをデーター化してくれました。根気の要る作業でした。その中から、彼らが選んで、今年の2月に、写真集「昭和に生きた修道者たち」(長崎とポーランド・コルベ神父の修道院)が発行された。日記の皆さんにもお送りしました。その写真が、展示されるのです。決まりました。
★それらの写真は、小崎登明が、昭和30年から40年代に撮った写真です。写真集が、「ピース・ミユージアム」の職員さんの目にとまり、展示を告げるために、この間、ホームにも来られました。8月14日・水曜日から、9月8日・日曜日までの開催です。ホームに居ても、実が稔り、花が咲くのが嬉しいのです。日記を見ておられる皆さん、ぜひ見に行ってください。長崎市外、県外の皆さんも、長崎に来る機会があったら、写真展を見られるようにお勧めします。皆さんに見て頂ければ、有り難いことです。
★簡単な地図を載せました。場所は、長崎市・大浦にあります。大きな国道のソバで、大浦警察署の手前です。
★8月14日、水曜日。この日は、聖コルベの殉教・祭日です。この日に、大浦で、展示会が開かれるのは大きな喜びです。コルベ神父とゼノ修道士は、長崎到着後、しばらく大浦で仮の修道院で宣教していました。その近くの「ピース・ミュウージアム」になります。これも、けがれなき聖母マリアさまのお恵みと理解して、感謝の祈りを捧げています。野々村哲さん、塩沢美樹さんとの出会いが、こんなに大きな恵みとなりました。彼らにも感謝しています。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2019年8月7日水曜日
2019年8月6日火曜日
ホームで働く夫妻の娘さん、シスターが留学から帰国した
夕食の前だった。突然、シスターが、満面の笑みを浮かべながら自室に入って来た。「来たーッ」と言う感じだった。
★父は、ホームの事務長さん、お母さんは同じホームの介護職員を勤める、夫妻の娘さん。「名前は『カヤノ』というんだったね。どんな字を書くの?」「十字架の『架』に、耶蘇の『耶』、それに『乃』」「むずかしい字だね。読めんよ。よく、まあ、両親も名前を付けたモンだ」
★にこやかで、いつも笑って、全く明るいシスターだ。2年前の、7月。ちょうど今ごろの季節に自室に来た。ローマの大学に留学して、休暇だった。「今度は、卒業して、帰国した」。そりゃ、おめでとう。4年間か、大変だったね。イタリア語に苦労しただろうに、同情するよ。しっかり、がんばって、ね。
★シスターに見せたのが、4月に放送されたテレビのビデオだった。10分程の時間がかかる。時計をチラッと見ると、食事の時が近づいてくる。ゆっくり話せないよ。イタリアの話は全然、聞けなかった。残念。もう長崎市内に住むから、会う日もあるだろう。明るい、笑いのシスターに出会うと、悩みも不安も吹き飛んでしまう。架耶乃シスター、明るい笑いを、暗い、冷たい世の中に、振りまいて下さい。「また会う日を楽しみに」。ああ、夕食を知らせるスピーカーが呼んでいる。「じゃ、さよなら」
★父は、ホームの事務長さん、お母さんは同じホームの介護職員を勤める、夫妻の娘さん。「名前は『カヤノ』というんだったね。どんな字を書くの?」「十字架の『架』に、耶蘇の『耶』、それに『乃』」「むずかしい字だね。読めんよ。よく、まあ、両親も名前を付けたモンだ」
★にこやかで、いつも笑って、全く明るいシスターだ。2年前の、7月。ちょうど今ごろの季節に自室に来た。ローマの大学に留学して、休暇だった。「今度は、卒業して、帰国した」。そりゃ、おめでとう。4年間か、大変だったね。イタリア語に苦労しただろうに、同情するよ。しっかり、がんばって、ね。
★シスターに見せたのが、4月に放送されたテレビのビデオだった。10分程の時間がかかる。時計をチラッと見ると、食事の時が近づいてくる。ゆっくり話せないよ。イタリアの話は全然、聞けなかった。残念。もう長崎市内に住むから、会う日もあるだろう。明るい、笑いのシスターに出会うと、悩みも不安も吹き飛んでしまう。架耶乃シスター、明るい笑いを、暗い、冷たい世の中に、振りまいて下さい。「また会う日を楽しみに」。ああ、夕食を知らせるスピーカーが呼んでいる。「じゃ、さよなら」
2019年8月5日月曜日
「雪のサンタ・マリア」。潜伏キリシタン。田中用次郎さん語る
きょうは、イタリア・ローマの「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」の記念日です。ローマに多々ある教会でも、荘厳、華麗な教会で、何度か巡礼したこともある。写真がないので、ネットで調べたら、この写真が出てきた。「雪のサンタ・マリア」とも言われる。この教会と、潜伏キリシタンと、つながりがある、というのが今日の日記です。その事を私に教えてくれたのが、外海・出津の信徒、田中用次郎さんでした。
★写真は、戦後、いつの頃か分からないが、私が撮った出津の風景です。用次郎さんは、この集落で暮らしていた。用次郎さんは、私に言った。「4世紀、ローマに信仰熱心な貴族夫妻がいた。相続の子供が居ないため、財産を聖母マリアに捧げると祈っていた。すると8月4日の夜に、夫妻、別々に、夢に聖母マリアが現われて、『雪を降らせて置くから、その場所に聖堂を建てるように』とお告げがあった。教皇さまに、その旨を話すと、教皇さまも同じ夢を見たという。本当に、丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、『雪のサンタ・マリア教会』が建てられた」
★私が、きょう、記事に書きたいのは、4世紀、5世紀、ローマで行なわれた事が、海を越えて、時代を超えて、15世紀、16世紀の外海・出津の潜伏キリシタンの間で、ひそかに「雪のサンタ・マリア」の信心が行なわれていた、ということです。その話を教えてくれたのが、出津の信徒、田中用次郎さんでした。用次郎さんは私もよく知っている。友人でもあった。私は彼の写真を、彼の自宅で撮った覚えが有るので、パソコンの写真を丹念に調べてみた。すると1枚、あったのです。
★いつ頃、撮った写真か、年代は分からないが、左の端に居るのが、田中用次郎さんです。用次郎さんは私に、こう言った。「まだ子供の頃、潜伏キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせました。そして『アヴェ・マリア』のオラッショを口ずさみました。私も覚えましたよ」と、スラ、スラとキリシタンの祈りを唱えるのだった。
★田中用次郎さんは、長年、「雪のサンタ・マリア」の聖絵を見たいと強く望んでいた。昭和50年頃に、ある農家から発見された。「農家の、こんもりと茂った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見た時に、非常な感動を覚えました」と用次郎さん。田中用次郎さんは故人となられた。司祭を目指して、神学校で学んでいたが、健康がつづかず、帰郷した。その後は、外海・出津で、キリシタン継承や、ド・ロ神父遺徳保存のため大きな活躍を行ない、功績を残している。きょうは、田中用次郎さんを偲ぶ日でもあった。下が「雪のサンタ・マリア」聖絵。
★写真は、戦後、いつの頃か分からないが、私が撮った出津の風景です。用次郎さんは、この集落で暮らしていた。用次郎さんは、私に言った。「4世紀、ローマに信仰熱心な貴族夫妻がいた。相続の子供が居ないため、財産を聖母マリアに捧げると祈っていた。すると8月4日の夜に、夫妻、別々に、夢に聖母マリアが現われて、『雪を降らせて置くから、その場所に聖堂を建てるように』とお告げがあった。教皇さまに、その旨を話すと、教皇さまも同じ夢を見たという。本当に、丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、『雪のサンタ・マリア教会』が建てられた」
★私が、きょう、記事に書きたいのは、4世紀、5世紀、ローマで行なわれた事が、海を越えて、時代を超えて、15世紀、16世紀の外海・出津の潜伏キリシタンの間で、ひそかに「雪のサンタ・マリア」の信心が行なわれていた、ということです。その話を教えてくれたのが、出津の信徒、田中用次郎さんでした。用次郎さんは私もよく知っている。友人でもあった。私は彼の写真を、彼の自宅で撮った覚えが有るので、パソコンの写真を丹念に調べてみた。すると1枚、あったのです。
★いつ頃、撮った写真か、年代は分からないが、左の端に居るのが、田中用次郎さんです。用次郎さんは私に、こう言った。「まだ子供の頃、潜伏キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせました。そして『アヴェ・マリア』のオラッショを口ずさみました。私も覚えましたよ」と、スラ、スラとキリシタンの祈りを唱えるのだった。
★田中用次郎さんは、長年、「雪のサンタ・マリア」の聖絵を見たいと強く望んでいた。昭和50年頃に、ある農家から発見された。「農家の、こんもりと茂った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見た時に、非常な感動を覚えました」と用次郎さん。田中用次郎さんは故人となられた。司祭を目指して、神学校で学んでいたが、健康がつづかず、帰郷した。その後は、外海・出津で、キリシタン継承や、ド・ロ神父遺徳保存のため大きな活躍を行ない、功績を残している。きょうは、田中用次郎さんを偲ぶ日でもあった。下が「雪のサンタ・マリア」聖絵。
2019年8月4日日曜日
傾聴ボランチアの女性が来る。つぶやき、心配、悩みを語ります
2、3日前に電話があった。酷暑の日曜日。午前、待っていた。汗を拭きながら入ってくる。傾聴ボランチアの女性。数えれば、もう2年半になる。今年に入って、5回目。職場の休みを利用して、時間を費やし、交通費も自分持ちで、他人の話、つぶやきを、ただ「聞くだけ」。今どき、世知辛い世の中に、こんな貴重な存在の女性が居るんですね。唯ただ感心するばかりです。
★最近の出来事を語りました。足の力の低下を告げました。老いると、ヒラメキの言葉が浮かばない、と言いました。以前は、パァッと、脳裏に浮かぶ一片の言葉があった。「心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」「人柄とは、笑顔、元気、主体性だよね」「名前は、どうでも、いい。その人の行為が、心に残る」「いま笑っていても、愛していても、これから先、どんな変化も有り得る。いつ、心が変わるか、わからんのが、人間や」「よい人生とは、苦しみのないことではなく、苦しみに意味を見い出し、感謝できる人生だ」。こんな活気ある言葉が、もう出てこないんです。
★最終的には、足の弱さを強調しました。ホームの老人たちも、自分の足で歩く。シルバー車を押して、ゆっくりでも、根気よく、時間をかけても、自分で歩く。その姿に敬服します。自分も、そうで有りたい。
★傾聴の女性は、辛抱づよく聞いてくれました。ありがたいです。感服します。アタマが軽くなる。抵抗がないからです。気を使わないからです。こんなボランチアの女性が現実に居るんですね。次の日を約束して、1時間で、自室を去りました。わびしさが、部屋に残りました。
★最近の出来事を語りました。足の力の低下を告げました。老いると、ヒラメキの言葉が浮かばない、と言いました。以前は、パァッと、脳裏に浮かぶ一片の言葉があった。「心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」「人柄とは、笑顔、元気、主体性だよね」「名前は、どうでも、いい。その人の行為が、心に残る」「いま笑っていても、愛していても、これから先、どんな変化も有り得る。いつ、心が変わるか、わからんのが、人間や」「よい人生とは、苦しみのないことではなく、苦しみに意味を見い出し、感謝できる人生だ」。こんな活気ある言葉が、もう出てこないんです。
★最終的には、足の弱さを強調しました。ホームの老人たちも、自分の足で歩く。シルバー車を押して、ゆっくりでも、根気よく、時間をかけても、自分で歩く。その姿に敬服します。自分も、そうで有りたい。
★傾聴の女性は、辛抱づよく聞いてくれました。ありがたいです。感服します。アタマが軽くなる。抵抗がないからです。気を使わないからです。こんなボランチアの女性が現実に居るんですね。次の日を約束して、1時間で、自室を去りました。わびしさが、部屋に残りました。
2019年8月3日土曜日
誕生会で盛り上がる。「出し物」も期待しているよ。ボケるなよ
月の初めの土曜日は「誕生会」だよ。今月の誕生日を迎えるホームの人は、男性1人に、女性が2人でした。大正生まれだよ。元気だね。戦争を生き抜いてきたからね。ダテに歳を取っては、おらぬ。ホームに来てからが、第二の人生さ。それで、いいんだよ。長生きして、皆が喜ぶ。お世話してくださる職員さんだって、うれしい。喜ぶ。見てごらん、この顔。今月の「出し物」は何だって?いつもバスを運転する職員さんじゃないか。
★「オリンピック音頭」だよ。歌って、おくれ。世は「オリンピック」で湧いているじゃないか。出番を待っている面々。踊るよ。おどる。ニッポン、がんばれ。老人も、がんばれ。「オリンピックまでは、生きるんじゃ」。この前のオリンピックは、どこで、何していたかな?若い頃を思い出すな。皆さん、ニコ、ニコだよ。誕生日を迎えるのは、おめでたい。ホームでは、あまり歳の事は言わないね。自慢しないね。
★入江さんも、誕生会をお祝いしてもらった。94歳になる。入居して、4年目を迎える。山内園長神父さんから、お花と、小さな灯と、おみやげを頂いた。シルバー車を押して、ゆっくり歩ける。毎朝、5時半には、教会の、祭壇近くの席に座って、祈っている。その姿には「オーラ」があるよ。4年経てば、老いも変わるね。最初の頃は、一緒に入浴していた。入江さんが、トマの背中を洗ってくれた。今は、寂しい。老いて、いくんだね。静かな、入江さんになった。
★ヒトは誰しも、歳をとれば、ボケが入ってくる。ボケだけは、イヤだね。ボケないためには、如何にすれば良いか。1つ思うのが、自分の手で、自筆の手紙を、こマメに書くことだね。辞書をひいて「漢字」を思い出す。笑いと、努力が、長生きの秘訣だよ。
★「オリンピック音頭」だよ。歌って、おくれ。世は「オリンピック」で湧いているじゃないか。出番を待っている面々。踊るよ。おどる。ニッポン、がんばれ。老人も、がんばれ。「オリンピックまでは、生きるんじゃ」。この前のオリンピックは、どこで、何していたかな?若い頃を思い出すな。皆さん、ニコ、ニコだよ。誕生日を迎えるのは、おめでたい。ホームでは、あまり歳の事は言わないね。自慢しないね。
★入江さんも、誕生会をお祝いしてもらった。94歳になる。入居して、4年目を迎える。山内園長神父さんから、お花と、小さな灯と、おみやげを頂いた。シルバー車を押して、ゆっくり歩ける。毎朝、5時半には、教会の、祭壇近くの席に座って、祈っている。その姿には「オーラ」があるよ。4年経てば、老いも変わるね。最初の頃は、一緒に入浴していた。入江さんが、トマの背中を洗ってくれた。今は、寂しい。老いて、いくんだね。静かな、入江さんになった。
★ヒトは誰しも、歳をとれば、ボケが入ってくる。ボケだけは、イヤだね。ボケないためには、如何にすれば良いか。1つ思うのが、自分の手で、自筆の手紙を、こマメに書くことだね。辞書をひいて「漢字」を思い出す。笑いと、努力が、長生きの秘訣だよ。
2019年8月2日金曜日
アシジの聖フランシスコの研究者・八卷先生を偲ぶ。ご縁は今も
八卷頴男(やまき・としお)先生は、大学神学部を出て、教師であり、牧師でもあった。ダンテの研究から、中世の歴史を経て、アシジの聖フランシスコに辿り着いた。論文は、大学ノート十数冊を数え、原典、文献はすべて収集した。しかし幾ら研究しても、聖フランシスコは十三世紀の聖人である。その人物像も、生活も、精神までも、分からなかった。
★長崎市大浦に、フランシスコ会の修道士たちが生活しているのを知って、長崎市で教師をしていた八卷先生は、修道院を訪ねた。そこで出会ったのが、コルベ神父とゼノ修道士たちであり、彼らの生活を現実に見て、初めて八卷先生の目は開かれ、アシジの聖フランシスコの真の理解が出来たのだった。
★アシジの聖フランシスコは、「イエスの生涯」を生きた聖人だった。「イエス」を十三世紀まで戻した。十三世紀の「イエスの生涯」を二十世紀に具現したのが、コルベ神父たちフランシスコ会の修道者たちだった。それを知った八卷先生は、コルベ神父を手伝うようになる。寒い冬、修道院には暖房もなかった。ドイツ語を話す八卷先生は、コルベ神父の原稿の訳を行なった。「手が冷たくて、字が書けませんよ」。コルベ神父は、エナメルのコップに熱いお茶を入れて「ウチ側からのストーブです」と渡すのだった。
★今日、八卷先生の話を書いたのは、今日は、ポルチンクラの天使の聖マリア聖堂の祝日だった。イタリア・アシジの町にある小さな聖堂。この聖堂を中心にして、聖フランシスコと弟子たち修道者たちが共同生活を始めて、修道会が発展していった。私も何度か、この場所、大聖堂を巡礼したことがある。
★八卷先生は、その後、年月を経て、カトリック信徒となった。先生の晩年、姫路の自宅で療養中の八卷先生をお見舞いした。八卷先生は明るい表情で、多弁であった。「コルベ神父さまは、よく『ベリタス・ウーナ(真理は1つ)』と言っておられた。コルベ神父に出会わなかったら、聖フランシスコは単なる研究に終わっていたね」。それから3か月後、85歳で神に召された。
★私がホームに入ってから、出版した「トマさんのことば」で、東京から、八卷先生のご家族から手紙が届いた。「『トマさんのことば』送っていただき、ありがとうございます。息子は霊名がマキシミリアン・コルベです。義父(としおさん=八卷頴男先生の三男)も、夫も、天国で、ご縁に感謝していると思います」
★昭和の初期から、平成まで、『つながり』があるのが、不思議に思います。
★長崎市大浦に、フランシスコ会の修道士たちが生活しているのを知って、長崎市で教師をしていた八卷先生は、修道院を訪ねた。そこで出会ったのが、コルベ神父とゼノ修道士たちであり、彼らの生活を現実に見て、初めて八卷先生の目は開かれ、アシジの聖フランシスコの真の理解が出来たのだった。
★アシジの聖フランシスコは、「イエスの生涯」を生きた聖人だった。「イエス」を十三世紀まで戻した。十三世紀の「イエスの生涯」を二十世紀に具現したのが、コルベ神父たちフランシスコ会の修道者たちだった。それを知った八卷先生は、コルベ神父を手伝うようになる。寒い冬、修道院には暖房もなかった。ドイツ語を話す八卷先生は、コルベ神父の原稿の訳を行なった。「手が冷たくて、字が書けませんよ」。コルベ神父は、エナメルのコップに熱いお茶を入れて「ウチ側からのストーブです」と渡すのだった。
★今日、八卷先生の話を書いたのは、今日は、ポルチンクラの天使の聖マリア聖堂の祝日だった。イタリア・アシジの町にある小さな聖堂。この聖堂を中心にして、聖フランシスコと弟子たち修道者たちが共同生活を始めて、修道会が発展していった。私も何度か、この場所、大聖堂を巡礼したことがある。
★八卷先生は、その後、年月を経て、カトリック信徒となった。先生の晩年、姫路の自宅で療養中の八卷先生をお見舞いした。八卷先生は明るい表情で、多弁であった。「コルベ神父さまは、よく『ベリタス・ウーナ(真理は1つ)』と言っておられた。コルベ神父に出会わなかったら、聖フランシスコは単なる研究に終わっていたね」。それから3か月後、85歳で神に召された。
★私がホームに入ってから、出版した「トマさんのことば」で、東京から、八卷先生のご家族から手紙が届いた。「『トマさんのことば』送っていただき、ありがとうございます。息子は霊名がマキシミリアン・コルベです。義父(としおさん=八卷頴男先生の三男)も、夫も、天国で、ご縁に感謝していると思います」
★昭和の初期から、平成まで、『つながり』があるのが、不思議に思います。
2019年8月1日木曜日
長崎へ。診察。気をつかうね。でも、いいことも、ある嬉し
相棒の高原修道士さんは、車を運転する。きのうは、退院でお世話になった。8月に入ると、高原修道士さんの予定が多いので、きょうは長崎へ運転を頼んだ。
★きのう退院したばかり、1夜明けて、疲れは回復したものの、きょうは、長崎市のヨゼフ・クリニックへ診察に行かないといけない。修道士だって、ニンゲンだもの、気持ちが、あるじゃないですか。「え?きのうも、きょうも行くの?」。高原さんは車を運転し、わたしは、高原さんの気持ちを運転する。「頼むよ。お願いだよ」。高原さんは頑張ります。高原さんが頼りです。無料奉仕です。
★ホームの朝食は8時15分から。8時には出発する。間に合わないから、朝食は修道院で食べた。パン1きれ、牛乳、スイカ1きれ、いただいた。
★9時にはクリニックに着いた。待合室は満席。先生から名前を呼ばれたのは、1時間30分が経過していた。先生はお忙しい。先生を信頼し、頼りにしている患者が多い。シスターの姿もあった。「少し、クスリを減らしましょう」。クスリがヘルのは、いいことだ。賛成です。きょうの高木先生です。
★昼食は、高原修道士さんと、諫早の「福田屋」に寄った。ステント入れ替えも終わったし、ガマンしたから「ラク」も、いいでしょう。「うなぎ」を食べた。ゲンキを付けよう。高原さんに語りかける。
★「高原さん、お世話になったね。今年は、いい年だったよ。1月は、救急車で運ばれた。もうアウトと思ったよ。高原さん、デジカメで写真、撮って、と言ったら、救急車の人から叱られたね」。高原さんは、ハッ、ハッ、ハ、と笑う。「しかし2月は良かった。写真集を出した。3月は誕生会。テレビも来たしね。豪華なお祝いだったよ。4月にテレビ放送があった。最初、25日の放映予定だったが、なぜか1日早くなって、24日に放映された。この日は、コルベ神父とゼノ修道士が長崎に上陸した記念日だよ。ピシャリ、ウマク行ったね」
★ボクは入院中に考えたんだ。「人生は『つみかさね』。これが大事なんだね。シン、シン、と雪がつもるように、つみ重ねる。何でも、いい。自分の興味あるもの、自分の好みを、つみ重ねる。その『つみ重ね』が、横に伸びていく。『つながり』をみせる。つみ重ねは、年輪となり、『つながり』は広がりとなる。これが人生なんだ、とね」
★「『ひろがり』は、まだ有る。2月に『写真集』を出したでしょう。あれが、今度、『写真の展示』になる。カトリックでない人の目にとまり、展示を決めた。そのオープンの日が、8月14日、コルベ神父の祝日・命日じゃないですか。びっくりだよ。『上陸記念日』と『祝日・命日』、ピシャリ合うなんて、これ不思議に思いません?『つみかさね』は、『つながり』ひろがりとなる。カンシャですね。きょうの『うなぎ』うまかったね」
★高原修道士さんは、ハ、ハ、ハと笑っていた。『うなぎ』は6きれ有ったが、1きれ、高原さんの器の中に、入れた。
★きのう退院したばかり、1夜明けて、疲れは回復したものの、きょうは、長崎市のヨゼフ・クリニックへ診察に行かないといけない。修道士だって、ニンゲンだもの、気持ちが、あるじゃないですか。「え?きのうも、きょうも行くの?」。高原さんは車を運転し、わたしは、高原さんの気持ちを運転する。「頼むよ。お願いだよ」。高原さんは頑張ります。高原さんが頼りです。無料奉仕です。
★ホームの朝食は8時15分から。8時には出発する。間に合わないから、朝食は修道院で食べた。パン1きれ、牛乳、スイカ1きれ、いただいた。
★9時にはクリニックに着いた。待合室は満席。先生から名前を呼ばれたのは、1時間30分が経過していた。先生はお忙しい。先生を信頼し、頼りにしている患者が多い。シスターの姿もあった。「少し、クスリを減らしましょう」。クスリがヘルのは、いいことだ。賛成です。きょうの高木先生です。
★昼食は、高原修道士さんと、諫早の「福田屋」に寄った。ステント入れ替えも終わったし、ガマンしたから「ラク」も、いいでしょう。「うなぎ」を食べた。ゲンキを付けよう。高原さんに語りかける。
★「高原さん、お世話になったね。今年は、いい年だったよ。1月は、救急車で運ばれた。もうアウトと思ったよ。高原さん、デジカメで写真、撮って、と言ったら、救急車の人から叱られたね」。高原さんは、ハッ、ハッ、ハ、と笑う。「しかし2月は良かった。写真集を出した。3月は誕生会。テレビも来たしね。豪華なお祝いだったよ。4月にテレビ放送があった。最初、25日の放映予定だったが、なぜか1日早くなって、24日に放映された。この日は、コルベ神父とゼノ修道士が長崎に上陸した記念日だよ。ピシャリ、ウマク行ったね」
★ボクは入院中に考えたんだ。「人生は『つみかさね』。これが大事なんだね。シン、シン、と雪がつもるように、つみ重ねる。何でも、いい。自分の興味あるもの、自分の好みを、つみ重ねる。その『つみ重ね』が、横に伸びていく。『つながり』をみせる。つみ重ねは、年輪となり、『つながり』は広がりとなる。これが人生なんだ、とね」
★「『ひろがり』は、まだ有る。2月に『写真集』を出したでしょう。あれが、今度、『写真の展示』になる。カトリックでない人の目にとまり、展示を決めた。そのオープンの日が、8月14日、コルベ神父の祝日・命日じゃないですか。びっくりだよ。『上陸記念日』と『祝日・命日』、ピシャリ合うなんて、これ不思議に思いません?『つみかさね』は、『つながり』ひろがりとなる。カンシャですね。きょうの『うなぎ』うまかったね」
★高原修道士さんは、ハ、ハ、ハと笑っていた。『うなぎ』は6きれ有ったが、1きれ、高原さんの器の中に、入れた。
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