先日、2月4日の夜の集いで写した1コマです。真ん中が、崎濵神父さん(校長、元・管区長=五島出身)、左が、松下修道士さん(外海・黒崎出身)。近くの席になりました。
★お酒がまわると、崎濵神父さんは、しきりに「トマを誉めて、褒め上げる」。聖コルベ館に、あれだけ沢山の資料を集めた者は居らん、というのです。そりゃ老いても「誉められれば嬉しい」ですよ。コルベ神父の資料は少ないですからね。コツ、コツ、集めた成果です。
★崎濵神父さんは、トマのよき理解者です。彼は様々な体験から、心温まるような実話と笑い話を沢山持っている。だから面白い。宴席も和みますね。
★一方、松下修道士さんは余り語らないが、聖母の騎士を支える裏方の大きな働き手です。松下修道士の忠実さ、確実さ、熱心さには頭が下がります。ロザリオ編み(長崎編み)が特技です。テレビにも出た。注文にも応じます。トマと一緒に「日本26聖人の映画」を上映して、ブラジルまでも行った。こういう仲間と一緒の席に居れば、雰囲気だけで、即、昔の心境に戻り、自分の足跡を楽しく思い出すのです。
★昨日は総合病院の診察日だった。午後1時半に病院へ着いた。腹部のCTを撮るので、昼食は無しでした。減塩食を食べているせいか、腎機能が若干、良くなっていた。CTの結果は、前の写真と比べて、良好になっている。院内は広く、素早く移動が出来るように、車椅子を使った。高原修道士さんが面倒を見てくれる。
★診療を終わったのが3時頃だった。「昼めし、食っていない。アンパン、買ってよ」。高原さんと、アンパンは縁があるね。病院から帰ると、解放された気分になる。次のステント交換の日にちが決まった。
★「昭和に生きた修道者たち」。2日に広告して、昨日6日で、丁度50冊が出た。早めのおハガキをお待ちしています。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2019年2月7日木曜日
2019年2月6日水曜日
昨日はお祝い。今日は一転、病院・診察へ。気が重いです
昨日は修道士名のお祝い日でした。2人のシスターから「おめでとう。お祈りします」の言葉を頂きました。シスターの祈りには、マリアさまもお聞きくださる効果があります。皆さんの祈りに支えられて、長生き出来るんですね。
★今日は午後からは一転して、気が重い。高原修道士の運転と介添えで、諫早総合病院へ出かけます。胸を腹部のCTを撮る予定です。朝の7時までに朝食をとり、その後は食べてはいけない、と言われています。昼ご飯は抜きです。総合病院といえば、気が重いです。12月も、1月も、入院で苦労しましたからね。「ステントの入れ換えは、早めにしましょう」とお医者さんは言っておられる。今日の診察で、予定が決まるでしょう。
★90歳まで生きても、慢性心不全だったり、腎臓が苦労したり、ステントが入っていたり、元気なカラダではない。それでも生かして頂いている。十字架を背負いながらの人生です。だからこそ、生きる価値があると思います。あまり心配はしません。
★「昭和に生きた修道者たち」。5日は、25枚のハガキが届きました。北海道からのハガキもあります。広告を出した「2日」の日記の閲覧者は478人でした。
★今日は午後からは一転して、気が重い。高原修道士の運転と介添えで、諫早総合病院へ出かけます。胸を腹部のCTを撮る予定です。朝の7時までに朝食をとり、その後は食べてはいけない、と言われています。昼ご飯は抜きです。総合病院といえば、気が重いです。12月も、1月も、入院で苦労しましたからね。「ステントの入れ換えは、早めにしましょう」とお医者さんは言っておられる。今日の診察で、予定が決まるでしょう。
★90歳まで生きても、慢性心不全だったり、腎臓が苦労したり、ステントが入っていたり、元気なカラダではない。それでも生かして頂いている。十字架を背負いながらの人生です。だからこそ、生きる価値があると思います。あまり心配はしません。
★「昭和に生きた修道者たち」。5日は、25枚のハガキが届きました。北海道からのハガキもあります。広告を出した「2日」の日記の閲覧者は478人でした。
2019年2月5日火曜日
日本二十六聖人の1人、聖トマス小崎。凡人のトマを励ます会あり
1個のメダルを手元に残している。ST.THOMAS KOZAKI聖トマス小崎。裏を返すと、伊勢カトリック教会。献堂記念。昭和41年12月18日、とある。
★今日は、日本二十六聖人殉教者の祝日。その中の1人に、少年・聖トマス小崎がいた。父親と共に殉教している。私が、この聖人のお名前を頂いたのは、昭和25年4月、修道服を着たときだった。自分から選んだのではなく、院長神父から与えれた名前だった。私は、この名前を非常に気に入っている。「小崎登明」は、この名前から名乗った。本名は殆ど使わない。ホームに入居して、初めて本名を使うようになった。
★二十六聖人たちの殉教の道のりを思うと、胸が痛む。京都から長崎までの長い道のりを、人々からは罵倒され、役人からは責め苦を受けながら苦難の道を歩きつづけた。長崎に着けば、即刻、死刑が待っていた。彼らの歩みは、どれ程、辛かったであろう。聖トマス小崎少年は、三原(広島県)の牢獄で、最愛の母に、信仰に溢れる手紙を書き残している。
★私は、かつて、車キャラバンで、二十六聖人の映画を積んで、京都から長崎まで、映画上映をしながら巡礼した。聖トマス小崎の熱心な信仰と、周りの人たちに対する細やかな愛は、老いた修道士にとっても、目標の模範となっている。
★昨夜は、「老いたトマの信仰を励まそう」と、長崎・聖母の騎士修道院の皆さんが諫早まで出て来て、ホームからは私と、瀧神父さん、高原修道士さんが参加して、全部で13人が集り、お祝いをしてくれた。みんなと顔を合わせるのは、本当に嬉しい。ゆっくりとした楽しい、ひと時を過ごした。修道者仲間と居ると、心が和みます。元気が出ます。ホームのことも忘れます。常々運転を勤める高原修道士も、昨日はビールを飲んだ。「沢山、飲んだね」「いや、一杯だけ」。自粛しているそうだ。帰りは代行運転を頼んだ。
★「昭和に生きた修道士たち」。2月2日(土)に日記に載せた。翌3日(日)に長崎の白浜さんが、聖母の騎士のルルドの水を持って自室を訪ねて、ハガキを差し出した。白浜さんが第1号となった。4日(月)、8枚のハガキが届いた。
★皆さんからのハガキをお待ちしています。
★今日は、日本二十六聖人殉教者の祝日。その中の1人に、少年・聖トマス小崎がいた。父親と共に殉教している。私が、この聖人のお名前を頂いたのは、昭和25年4月、修道服を着たときだった。自分から選んだのではなく、院長神父から与えれた名前だった。私は、この名前を非常に気に入っている。「小崎登明」は、この名前から名乗った。本名は殆ど使わない。ホームに入居して、初めて本名を使うようになった。
★二十六聖人たちの殉教の道のりを思うと、胸が痛む。京都から長崎までの長い道のりを、人々からは罵倒され、役人からは責め苦を受けながら苦難の道を歩きつづけた。長崎に着けば、即刻、死刑が待っていた。彼らの歩みは、どれ程、辛かったであろう。聖トマス小崎少年は、三原(広島県)の牢獄で、最愛の母に、信仰に溢れる手紙を書き残している。
★私は、かつて、車キャラバンで、二十六聖人の映画を積んで、京都から長崎まで、映画上映をしながら巡礼した。聖トマス小崎の熱心な信仰と、周りの人たちに対する細やかな愛は、老いた修道士にとっても、目標の模範となっている。
★「昭和に生きた修道士たち」。2月2日(土)に日記に載せた。翌3日(日)に長崎の白浜さんが、聖母の騎士のルルドの水を持って自室を訪ねて、ハガキを差し出した。白浜さんが第1号となった。4日(月)、8枚のハガキが届いた。
★皆さんからのハガキをお待ちしています。
2019年2月4日月曜日
教授の訪問。コルベ神父の愛と平和の心は、受け継がれていく
知らない所で、思いもよらない家庭で、コルベ神父を愛慕しつづけた人が居るんですね。また、その心情を受け継ぐ学者の先生も居られるんです。
★大学の先生(教授)が、ホームに私を訪ねて来られた。1冊の本を持っておられる。私が1983年5月に出版した「長崎のコルベ神父」(単行本・初版本)です。
★「長崎のコルベ神父」は、その後、文庫本になり、ページ数が減少したり、「ながさきのコルベ神父」に変わったりしましたが、この単行本が原本です。「よく、その本、ありましたね」「諫早の図書館で見つけました」と喜んでおられる。「いま、コルベ神父さまの事を考えています」と、こんなにも熱心に、コルベ神父に要り込んでおられる先生の喜びをみて、本当に嬉しかった。今日は、先生が、原本を持って喜ぶ姿を見て、幸せな日になった。
★「どうしてコルベ神父を知るようになったのですか」。父親のお母さん(祖母)が、聖母の騎士誌の愛読者だった。月刊「カトリック・グラフ」も見ていたという。私にとっては懐かしいグラフ誌です。祖母は、コルベ神父の列福や、列聖された特集号も見ていた。コルベ神父さまが好きだったようです。
★母親も、コルベ神父さまの生き方に感動していた。「母のテーブルの上に『長崎のコルベ神父』の本があったのです」。そして父も、晩年には、「コルベ神父の生き方はすばらしい」と誉め言葉を述べていた。「その心が、私にも引き継がれたんですね。聖母の騎士の教会や、ルルド、聖コルベ記念館に度々行きました」
★「コルベ神父の、どこに『つながり』を感じますか」。先生は、この問いに答えて、次のように言われた。「平和」に、関わってくる。常々、平和を証しする。戦争の悪、打ち破る力があるなら、愛しか、ない。永井隆博士も研究している。コルベ神父にも惹かれます。
★私は、先生の言葉を聞きながら、アウシュヴィッツの残虐で、過酷な状況を思い出していた。あの場所には憎しみしかない。憎しみ、恨みを、愛で貫いたのがコルベ神父の身代わりの愛だった。
★「死が迫っても、生をまっとうした。まさにコルベ神父の生き方だった。餓死の地下室で」
★大学の先生(教授)が、ホームに私を訪ねて来られた。1冊の本を持っておられる。私が1983年5月に出版した「長崎のコルベ神父」(単行本・初版本)です。
★「長崎のコルベ神父」は、その後、文庫本になり、ページ数が減少したり、「ながさきのコルベ神父」に変わったりしましたが、この単行本が原本です。「よく、その本、ありましたね」「諫早の図書館で見つけました」と喜んでおられる。「いま、コルベ神父さまの事を考えています」と、こんなにも熱心に、コルベ神父に要り込んでおられる先生の喜びをみて、本当に嬉しかった。今日は、先生が、原本を持って喜ぶ姿を見て、幸せな日になった。
★「どうしてコルベ神父を知るようになったのですか」。父親のお母さん(祖母)が、聖母の騎士誌の愛読者だった。月刊「カトリック・グラフ」も見ていたという。私にとっては懐かしいグラフ誌です。祖母は、コルベ神父の列福や、列聖された特集号も見ていた。コルベ神父さまが好きだったようです。
★母親も、コルベ神父さまの生き方に感動していた。「母のテーブルの上に『長崎のコルベ神父』の本があったのです」。そして父も、晩年には、「コルベ神父の生き方はすばらしい」と誉め言葉を述べていた。「その心が、私にも引き継がれたんですね。聖母の騎士の教会や、ルルド、聖コルベ記念館に度々行きました」
★「コルベ神父の、どこに『つながり』を感じますか」。先生は、この問いに答えて、次のように言われた。「平和」に、関わってくる。常々、平和を証しする。戦争の悪、打ち破る力があるなら、愛しか、ない。永井隆博士も研究している。コルベ神父にも惹かれます。
★私は、先生の言葉を聞きながら、アウシュヴィッツの残虐で、過酷な状況を思い出していた。あの場所には憎しみしかない。憎しみ、恨みを、愛で貫いたのがコルベ神父の身代わりの愛だった。
★「死が迫っても、生をまっとうした。まさにコルベ神父の生き方だった。餓死の地下室で」
2019年2月3日日曜日
節分。オニは外へ。紙の弾丸で追い払った。福は入っておいで
「福は、うち」「鬼は、そと」。ホームの節分。恒例の行事です。午後のひと時、2時半から、食堂に集まった。車椅子の人も入れて、皆さんが、円を描いて腰掛ける。にぎやかだよ。皆さん、ニコニコ顔、お楽しみだなァ。
★最初は、節分だから、マメだね。「マメ拾い競技」が行なわれた。赤組と白組、2組に分かれて、代表が10数人出る。「よーい、ドン」で、沢山ある皿から、小さな皿にマメを移す。急いで移す。30秒経ったら「ハイ、次の人」。次々にリレーしていく。大豆マメをつまむ、これが結構、リハビリになるんですね。
★私も出ました。瀧神父さんも出ました。競走だよ。負けては、おれない。見ていると、長い箸を、短く持った方が、マメはつかみやすい。年寄りの手は動きが鈍い。ドン・カンだね。それでも気持ちは、早るね。マメが小さく見える。思ったよりも、スムーズに入ったよ。成績としては上出来だね。まだ、まだ老人じゃ、ないぞ。「ハイ、これで、おしまい」。赤組、白組、どちらが沢山入ったか。皆さんで、大きな声でマメの数を叫びながら、興味深々。150近いマメが入っていた。
★次に出てくるのが定番の「鬼」だよ。職員の中でも、元気な者がおメンを被っているからね。動作が、大あばれ。新聞の中に入っている「チラシの広告」の紙を1人に5個づつ丸めて、紙の弾丸を作って、「オニは、ソト」と投げつける。笑いあり、楽しさあり、おもしろいなァ。節分って愉快だなァ。こうして節分のひと時を過ごしたのだった。
★帰りには、マメやチョコレートなどが入ったオミヤゲ袋まで頂いた。気分転換になりました。鬼さん、大変だったね。ごくろうさん。
★「悪いことが起こっても、いいことも付いてくる。希望を失うな」
★最初は、節分だから、マメだね。「マメ拾い競技」が行なわれた。赤組と白組、2組に分かれて、代表が10数人出る。「よーい、ドン」で、沢山ある皿から、小さな皿にマメを移す。急いで移す。30秒経ったら「ハイ、次の人」。次々にリレーしていく。大豆マメをつまむ、これが結構、リハビリになるんですね。
★帰りには、マメやチョコレートなどが入ったオミヤゲ袋まで頂いた。気分転換になりました。鬼さん、大変だったね。ごくろうさん。
★「悪いことが起こっても、いいことも付いてくる。希望を失うな」
2019年2月2日土曜日
「写真集」を無料で贈ります。200部限定。早めのハガキを
★今年は「平成」も終わり、「新・元号」となります。「昭和は、ますます遠くになりにけり」となりました。しかし「昭和」は思い出深い。私は昭和3年生まれです。
★長崎・聖母の騎士にとっての「昭和」は、昭和5年、聖コルベ神父の宣教来日と、ポーランド人修道者たちの祈りと汗によって始まりました。修道者たちが最初に住んだ大浦の仮の修道院の建物も忘れてはなりません。
★「昭和の中期」の聖母の騎士には、大勢の修道士たちが「マリアさまの為に」と、共同体の修道生活を過ごしていました。再び、このような時代が来ることの願いもあります。また「聖母の騎士」誌は、修道者の手によって、編集され、印刷、製本、発送が行なわれました。そこには修道者たちの、熱意と、奉献と、喜びがあった。今となっては懐かしい思い出です。
★私は、昭和30年代から40年代、長崎と、ポーランドの「コルベ神父の修道院」を数々の写真に収めました。そのフィルムは大量に聖コルベ記念館の資料室に残されています。この度、野々村哲さん、塩沢美樹さん(2人は「トマさんのことば」の編集者)が、その1部の写真フィルム56冊分をデーター化し、その写真の中から、修道者たちの祈り、食事、働き、笑い、生活などを主に選別し、編集して、写真集「昭和に生きた修道者たち・長崎とポーランド、コルベ神父の修道院」が出来ました。皆さんに分かち合おうと思います。
★聖母の騎士にご縁のある人や、ポーランド人修道者との出会いの思い出、聖母の騎士のルルドのお恵み、聖母の騎士誌の話題など、懐かしさを感じられる人も居られるでしょう。見て頂ければ幸いです。
★写真集はB5判、114頁。お1人につき1冊のみで、お願いします。写真集代や、送料など不要、すべて無料で贈ります。ただし、200部が限度となっています。無くなり次第、終了となります。
★お早めに、おハガキで「郵便番号、住所、氏名」を、わかりやすい字でお書きになって送って下さい。
★送り先は、「859-0131 長崎県諫早市高来町神津倉41-1 聖フランシスコ園 小崎登明」あて、です。お待ちしています。
★長崎・聖母の騎士にとっての「昭和」は、昭和5年、聖コルベ神父の宣教来日と、ポーランド人修道者たちの祈りと汗によって始まりました。修道者たちが最初に住んだ大浦の仮の修道院の建物も忘れてはなりません。
★「昭和の中期」の聖母の騎士には、大勢の修道士たちが「マリアさまの為に」と、共同体の修道生活を過ごしていました。再び、このような時代が来ることの願いもあります。また「聖母の騎士」誌は、修道者の手によって、編集され、印刷、製本、発送が行なわれました。そこには修道者たちの、熱意と、奉献と、喜びがあった。今となっては懐かしい思い出です。
★私は、昭和30年代から40年代、長崎と、ポーランドの「コルベ神父の修道院」を数々の写真に収めました。そのフィルムは大量に聖コルベ記念館の資料室に残されています。この度、野々村哲さん、塩沢美樹さん(2人は「トマさんのことば」の編集者)が、その1部の写真フィルム56冊分をデーター化し、その写真の中から、修道者たちの祈り、食事、働き、笑い、生活などを主に選別し、編集して、写真集「昭和に生きた修道者たち・長崎とポーランド、コルベ神父の修道院」が出来ました。皆さんに分かち合おうと思います。
★聖母の騎士にご縁のある人や、ポーランド人修道者との出会いの思い出、聖母の騎士のルルドのお恵み、聖母の騎士誌の話題など、懐かしさを感じられる人も居られるでしょう。見て頂ければ幸いです。
★写真集はB5判、114頁。お1人につき1冊のみで、お願いします。写真集代や、送料など不要、すべて無料で贈ります。ただし、200部が限度となっています。無くなり次第、終了となります。
★お早めに、おハガキで「郵便番号、住所、氏名」を、わかりやすい字でお書きになって送って下さい。
★送り先は、「859-0131 長崎県諫早市高来町神津倉41-1 聖フランシスコ園 小崎登明」あて、です。お待ちしています。
2019年2月1日金曜日
塩分0.1%の梅干。減塩食には有り難い。喜んで頂きます
ホームの生活で、手紙や贈り物が届くのは嬉しい。茨城の「まゆみ」さんから、食塩不使用の「塩零梅」が送られてきた。塩気のない梅干。塩分は約0.1%。紀州みなべの完熟南高梅を、食塩を使わずに「りんご酢」と「はちみつ」で、丹念に漬け込んだ梅干、と包んだ表紙に記してある。
★この塩零梅は、実は園長神父様宛てに、手紙と共に届いた。手紙に「小崎さんが減塩食となったこと、ブログで知りました。私の義母も小崎さんと同じような経緯で入退院し、減塩・水分制限の生活をしています。毎日のメニューにも気をつかう中で、この梅干をみつけました。施設の栄養師さんに見ていただき、許可がでれば、小崎さんや、同じような方々に食べてもらえたらと思い送らせていただきました。義母も毎朝、食べています」
★ホームの栄養師さんが、手紙と、梅干を持って自室にきた。「え?珍しかね」。ホームの食膳にも時々、梅干がでる。でも私は食べない。栄養師さんが、「これを預かって、梅干の日に、塩分控え目の人も居るので、いっしょに出しましょう」と提案した。「いいですよ。お願いしますよ」。いつ梅干が出るか、楽しみができた。
★塩零梅を送ってくれた「まゆみ」さん、ありがとう。「まゆみ」さんとの出会いは、2007年5月、聖母の騎士のルルド祭に来た。「まゆみ」さんは、北海道のトラピスチン修道女院の売店で、「長崎のコルベ神父」を1冊見つけて買った。「サインをして下さい」
★翌年08年2月にも、また聖コルベ館に来る。写真は、その時に写した。「まゆみ」さんから送って来た。私のサインも写真に撮って添えていた。「感謝は神に、愛は隣人に」と書いてある。
★以来、私がホームに入っても、手紙や贈り物で励ましてくださり、交流がつづいている。もう12年にも、なる。支えて下さる温かい心が嬉しい。
★手紙の最後には「私もディサービスで働いているので、ブログで知る職員皆さんのご様子に日々励まされています」と書かれていた。
★この塩零梅は、実は園長神父様宛てに、手紙と共に届いた。手紙に「小崎さんが減塩食となったこと、ブログで知りました。私の義母も小崎さんと同じような経緯で入退院し、減塩・水分制限の生活をしています。毎日のメニューにも気をつかう中で、この梅干をみつけました。施設の栄養師さんに見ていただき、許可がでれば、小崎さんや、同じような方々に食べてもらえたらと思い送らせていただきました。義母も毎朝、食べています」
★ホームの栄養師さんが、手紙と、梅干を持って自室にきた。「え?珍しかね」。ホームの食膳にも時々、梅干がでる。でも私は食べない。栄養師さんが、「これを預かって、梅干の日に、塩分控え目の人も居るので、いっしょに出しましょう」と提案した。「いいですよ。お願いしますよ」。いつ梅干が出るか、楽しみができた。
★塩零梅を送ってくれた「まゆみ」さん、ありがとう。「まゆみ」さんとの出会いは、2007年5月、聖母の騎士のルルド祭に来た。「まゆみ」さんは、北海道のトラピスチン修道女院の売店で、「長崎のコルベ神父」を1冊見つけて買った。「サインをして下さい」★翌年08年2月にも、また聖コルベ館に来る。写真は、その時に写した。「まゆみ」さんから送って来た。私のサインも写真に撮って添えていた。「感謝は神に、愛は隣人に」と書いてある。
★以来、私がホームに入っても、手紙や贈り物で励ましてくださり、交流がつづいている。もう12年にも、なる。支えて下さる温かい心が嬉しい。
★手紙の最後には「私もディサービスで働いているので、ブログで知る職員皆さんのご様子に日々励まされています」と書かれていた。
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