2018年12月7日金曜日

役目を終えて、美しく広がるイチョウの葉。ああ、今年も終わる

ホームの直ぐ下にある神社。左側に1本の大きなイチョウの木があるが、すっかり葉が落ちて、ごらんの通り、イチョウの落ち葉で、キイロに埋め尽くしている。「高原さん、車、止めて」と、写したのが、この写真です。この落ち葉を見て、「ああ、今年も、もう終わりや、な」と思います。
★今年は、いい年だった。神にカンシャ。先ず、ポーランドの勲章を貰ったモンね。思いがけない勲章だったよ。「天国に、クン章、イラナイよ」。ゼノ修道士の声が聞こえる。それでも有り難い。ゼノ修道士の映画(ポーランド制作・30分・証言で綴る)も完成した。ゼノさんを、誉めて、褒め上げる証言ばかりだった。ゼノさんのような温かい優しい心の修道士は、もう再現しないだろう。勲章も、映画も、長崎新聞に大きく掲載された。
★今年も、語りべの役目を果たした。小学校と、女子高校生への語りだった。若者に出会うと、若さのパワーをもらえる。生きている喜びを感じる。「いのち、大切に」「友だちと、仲良く」。これが伝えたいホンネです。若くして、イノチを絶つこと、これがイチバン悲しい。惜しい命だよ。これから花開く人生だよ。声をダイにして伝えたい。生きておれば、花は咲く。「ひかげに咲く花もあるんだってね。いいじゃないか。花は、花だもん。それでも、よか」
★ホームの職員さんたちが「忘年会」を開いた、と聞いた。30数人が集って、盛り上がったそうだ。園長神父さんが居て、理事長神父さんが居て、園医のお医者さんも居て、事務長・介護職員の夫妻が、誕生会で踊った踊りを上手に再現して、思っただけでも、いい雰囲気が感じられる。
★12月4日は、養護老人ホーム聖フランシスコ園の創立記念日ということで、大きな紅白マンジュウを箱入りで頂いた。創立58年になるという。その以前に「養老院」として既に存在した。終戦と共に始まっている。その頃から、トマは老人たちに接して、知っている。長い歴史がある。
★職員たちも喜んで働ける。世話を受ける老人たちも安心して暮らせる。それが良いホームです。カトリック信仰の恵みに守られている。
★明日は、土曜日。ホームの誕生会があり、忘年会も兼ねて行なう。すき焼き、だそうです。さあ、明日は、どんな職員の出し物で沸くか、な。

2018年12月6日木曜日

聖母の騎士の霊性に、こだわる。自分に何があるのか。苦慮する

2日前、匿名さんからのコメントに、「聖母の騎士の霊性が、トマ修道士のうちに、ありますように」とあった。
★それについて昨日は、ナニ、カニ、と記述しました。しかし、何かが、私の心にヒッカッかっているのです。ぺラ、ぺラと、本から取って並べただけでは、説得がない。自分でもピンと来ない。うわべだけの流れです。キレイな言葉の羅列です。そうじゃなくて、聞いたり、読んだりでなくて、トマの、体験した、肌から出る「にじみ汁」というか、自分の受けた、痛んだ、響いた中から湧き起こる、霊性というか、それを考えつづけました。
★自分の魂に響く言葉。魂を奮わせるほどの一句。それが、ほしい。感動です。何に感動するか。常日ごろ、見ている風景、感じる出来事、そこから一瞬、パッと、ひらめくものがある。それが人生に、シュン発力を与える。
★日記を読んで、反応を返すのは、同じ食卓の瀧神父さんです。「神父さん、あなたが、あの『聖母の騎士の霊性』、書いたの?」と聞いた。「私は、コメント、書かないよ」
★考えました。今の自分の心境を、ひと言でいえば、やっぱり①「生かされて、今日も、生きる」。これは確かです。これが今の生活であり、言葉です。次に、もう、一つ、ある。②「苦しみは、のち、神の喜びと、なる」。これも、今、感じ、体験している過程です。苦しい事はイッパイある。本当です。でも、希望を持っている。それは信仰です。
★あと、もう1つ、なにか、ないか?そう思うとき、届いたのが、1通の手紙だった。
★2010年10月、京都で、1人の女性に出会った。そのことは全く忘れていたのに、8年ぶりに手紙が来たのです。書かれていた言葉が、「受ける恵み、与える愛」です。当時、聖コルベ館に居た頃の私の手紙には、最初に、必ず筆字で、この言葉を記していた。この言葉を身近に感じていた。最近は、殆ど使っていない言葉でした。そうだ、これが、あった。
★③「受ける恵み、与える愛」。沢山の恵みを受けて、今がある。与える聖コルベの愛が迫ってくる。無償の愛が追いかけてくる。私の人生、これらから逃げられない。匿名さん、私にとって「聖母の騎士の、トマ修道士の霊性」は、この3つです。この言葉が要約です。美辞麗句を並べても、チカラが、ない。この言葉が、トマの肌、心に感じる。
★昨日は、諫早総合病院へ診察へ行った。お医者さんから腹部のレントゲンを見せられる。腎臓に、10円程の黒い影がある。これが、そのまま、ジーッとして居ればいいが、そこから異物が出てくる。仕方がない。方法はステントの入れ換えです。1月の予定だったが、調子がよくない。「早めに入れ換えをお願いします」。18日に入院を決めました。「苦しみは神と共に」。安らかな気持ちで生きつづけたい。

2018年12月5日水曜日

生きるのには責任がある。祈り、耐え、喜び、愛しましょう

教会では、「待降節」に入った。主の「ご降臨=ご誕生=クリスマス」を「待つ」季節という意味です。今週から、ミサのとき、祭壇の前の4本の「ローソク」に、1本だけ灯がともされます。来週は、2本。次の週は、3本と増えて、4本目まで灯される。そして「降誕節」に入る。もう直ぐ、クリスマスですね。心の準備も必要です。
★今日は、諫早総合病院・泌尿器科の診察がある。高原修道士さんの運転・介添えで出かけます。医師に相談したい件もある。心配事も、ある。
★「幸せって、なんだ?」と考えました。「人に尽くす人が居るって、いうことなんだね。親身に。それが返ってきて、自分も幸せになる」。今の心境は?「九十にも、なったんだ。あわてずに、ゆっくりと、考えつつ、受け入れて、進もう」
★昨日の「コメント」に、匿名さんから、こんな一文があった。「『聖母の騎士の霊性』が、トマ修道士のうちに、ありますように」。有り難い、コメントです。神妙に受け入れた。忘れては、いけない。「聖母の騎士の霊性」「原点に帰る」「コルベ神父の無償の愛」「けがれなき聖母マリアへの愛と奉献」「アシジの聖フランシスコに倣う熱意」「修道士であること」。次々に、湧き出てきます。
★今朝、黙想のとき、「父なる聖フランシスコの霊性」の箇所を読みました。(ホアン・カトレット神父著、による)。「最も目立つ特徴は、『イエスへの情熱的な愛』です。聖フランシスコの『完全な喜び』は、イエスのために侮辱を忍びながら、十字架への愛に生きることです。聖フランシスコは全てのことを、謙遜に、純粋に、貧しさのうちに果たす聖人です。全てを『喜び』の精神で照らし、そこからフランシスコ会の楽観主義が誕生した。つまり神が創造した大自然を賛美し、愛し、鳥たち、魚たち、狼、花や、星などを『宇宙的な優しさ』によって仰ぎ見、人間だけでなく全ての被造物を『兄弟姉妹』として愛した。植物、動物、石まで、聖フランシスコから敬われた」
★生きることは、大きな責任がある、とトマ修道士は考えます。祈りましょう。耐えましょう。十字架を愛を持って抱きましょう。今日も、愛を果たす一日です。

2018年12月4日火曜日

濱口さんの自宅で、また食事。還暦の「写真集」が立派に出来るぞ

濱口さん夫妻の自宅に呼ばれた。ホームから300mぐらい。一緒に、3度目の食事である。1回は、障碍者の食堂で、食べた。「トマさん、何が、いいの?」と聞かれる。「この間はサカナだったから、牛肉の野菜炒め、それに卵焼きで、いいよ」「タマゴ焼き、好きなの?」「ホームでは時々しか、出ない」
★奥さんの則子さんが、来年、還暦を迎えるという。4人、子供が居て、「こんな本を贈りたいの」と、大型の絵本を見せられた。その時、長年の取材の経験が、もや、もやと、胸に盛り上がって、「写真集を作ってみよう」と思い立った。それで夫妻の生活写真を数枚、集めている。
★濱口さん夫妻は、鍼灸・整骨院を開院している。祖父も、この地で、同じ仕事をしていた。「じいちゃんは、言っていたよ。『お灸は、身を焼くにあらず。人の心を、ともす灯なり』ってね」「それで、アンタたちは、どうなの?」。夫妻は顔を合わせて、言った。「痛みを取るだけでなく、身も心も癒し、エガオになって、帰られる姿を見るのが、私たちの喜び」
★濱口さん夫妻と昼食をご馳走になりながら、私の、北朝鮮の頃の思い出から、骨盤カリエスを病んで、母の実家があった浦上へ帰ったこと、肋骨カリエス、脊柱カリエスなど次々に病んだこと、母親の苦労など語った。
★「トマさんは、好きな食べ物、あるの?」「あるよ。牛肉のテンプラだよ」「え、え?そんなの初めて聞いた」「うちは精肉店だからね。母が、よく牛肉のテンプラを食べさせた。おいしかった、な。母親の味だよ」
★則子さんの還暦の「写真集」も、大体、出来上がった。いい、思い出になりそうな立派な写真集が仕上がりそうです。
★長崎・原爆資料館の継承協会から、電話があった。「小崎さんの原爆体験を、アメリカ人が知ったそうです。ぜひ、お会いしたいと願っています。協力して頂けますか」「ああ、なんとか、がんばりましょう」
★明日は、諫早総合病院・泌尿器科へ予約の診察です。最近、調子が良くないので、どうなるか。気にしています。

2018年12月3日月曜日

日本に初めて宣教した聖ザビエルの祝日。聖ミカエルにも関係あり

「日本宣教の保護者・聖フランシスコ・ザビエル司祭の祝日」です。ホームには資料になるものが無く、聖ザビエルの写真はない。せめて平戸の教会の絵ハガキはないか、と探したが、これも無い。それで載せたのが自著「西九州キリシタンの旅」です。これで、カンベンしてください。
★ザビエルは「1549年」、鹿児島に上陸した。この年代は良く覚えている。400年が経った1949年、長崎で、聖ザビエル渡来400年祭が盛大に行なわれた。高校生でした。聖ザビエルの右腕が来日して、日本巡回の旅をつづけた。私もその聖腕を拝した。戦争が終わって4年です。キリスト教は戦時中、禁教でした。しかし今、自由になって、進駐軍のアメリカ兵にもキリスト信者が沢山いて、「キリスト」さま、さまで、教会に多くの人が押し寄せた。本当に、聖ザビエルの腕には、ビックリしました。
★ザビエルは、鹿児島で、島津の殿様から初めて布教を許されたのが、教会では「大天使聖ミカエル」の祝日に当たっていた。ザビエルが生まれたスペイン、当時はナバル国のザビエル城も大天使聖ミカエルに捧げられていた。そこでザビエルは、日本にキリスト教が広まるように、聖ミカエルに祈り、布教の保護者に定めた。聖ザビエルと平戸の宣教は「西九州キリシタンの旅」に詳しく書いてあるので、読んでみてください。
★平戸の教会には、よく巡礼しました。聖ザビエル宣教の記念聖堂です。鹿児島から平戸に宣教しました。大天使聖ミカエルに捧げられている。正面祭壇に、聖ミカエルのご像がある。巡礼したとき、ミサの後で、主任司祭に挨拶すると、神父さんは、こう言った。「平戸の人びとは、聖人ザビエルの後ろ姿に引かれて、キリシタンになった」。よく「おやじの背中」というが、「聖人の背中は、どんなだったろう」と、90歳の修道士は思う。

2018年12月2日日曜日

ある修道士の思い出。アンドレアさん。人生、まさか、の連続

1枚の写真がある。日にちは2011年11月11日になっている。真ん中の修道士、「アンドレアさん」と修道士名で親しく呼んでいた。1つ歳が上の先輩になる。アンドレアさんが、ホーム聖フランシスコ園に入りたいと自分から望んだ。そのお別れに、聖母の騎士で撮った写真(中央)だった。右がトマで、左はヨゼフ橋口修道士。
★数日前、聖アンドレ使徒の祝日があった。アンドレアさんを偲んだ。漁師のアンデレは、イエスから声をかけられ、弟子となった。アンドレアさんは若い頃、運搬のポンポン船に乗っていた。神の声を心に聞いて、陸に上がって、修道士の道に入った。戦争が終わって間もなくだった。以来、60年、老いても、熱心な祈りと、与えられた勤めを果たしていた。無駄口を言わず、会話の中で、アンドレアさんが、「ピシャット」1言、いうと、みな「ドキット」して黙するのだった。彼の生きる姿は尊い。ヒトは目で見るが、神は心で見る。カトリックの力が、ここに有りと感じた。楽しみは年に2回、春と秋に、数日、休暇をもらって、故郷の海を見に行く。丘に座って、黙々と海を見詰めているのだった。
★この写真の2ヵ月後、アンドレアさんは、ホームに入居した。元気だったトマは、アンドレアさんを見舞ったとき、ちょうど昼食時で、食堂で、大勢の老人男女が、一緒にご飯を食べていた。その雰囲気を一瞬、見たトマは即時に思った。「ここには、ゼッタイ、こないぞ」。修道士は男子ばかりの生活だったので、抵抗を感じた。
★ホームに入居して1年数ヶ月後、アンドレアさんは神に召された。そして、その1年数ヶ月後に、トマはホームへ入居した。ジンセイ、まさか、まさか、の連続だ。

2018年12月1日土曜日

阿野さんが、諫早市の地図を買ってきた。これで話題、広がる

お客さん、諫早の阿野さんが、「たらみの果物入りのゼリー」を2箱を下げて、見舞いに来た。82歳。7月にも、9月にも来ている。「ゼリー」はまだ残っていた。
★どうして彼を知っているか。前にも書いたと思うが、聖コルベ館に居たとき、彼は隣の幼稚園のバスの運転手だった。朝、夕、運転する阿野さんの顔をバスの窓ごしに見ていた。子供が乗っているから、安全運転に気をつける。「運転、あれ、いつ頃、だったかな?」「42歳から60歳まで勤めたよ」まだ、そのご縁をつづけて来てくれる。有り難い、お客さんです。
★「阿野」と言えば、どうしても上五島の舟隠の集落を思い出す。ここはカトリック信者の集落だが、阿野の姓が多い。阿野さん、やっぱり関係があるという。阿野さんの姉妹にシスターが2人。観想修道女会にいる。心配になるという。弟は長崎教区司祭だった。今は故人となる。阿野さん自身は、悠々自適、時々、こうして寄って、覗いてくださる。
★頼んでいた「諫早市」の地図を書店から買ってきてくれた。ホームに居ても、地図が必要だ。会話に、色々な地名が出てくる。地図があれば、もっと親しみが湧く。こうして時々、訪ねてくれるのは、頼もしい。「会うごとに、光がさすんですよ。生きて行くチカラになります」
★今日から、12月が始まった。「早やーいね」とホームの老人たちの誰もが口にする。先日、島原へ行ったとき、「やっちゃ・よかとこ」と看板に書いてあった。「やっちゃ、って何んね?」「めっちゃ、のこと」だそうだ。「とても・いいところ」
★「やっちゃ、やっちゃ、今年も、よ・か・こ・と、あったよ。あった。あと1が月で、新年だよ。早やーかね」