2018年11月7日水曜日

湯江教会の信徒、濱口夫妻のお宅におじゃまする。嬉しかった

「トマさん、家に寄ってくれんね」。湯江教会の信徒、濱口夫妻から声がかかった。「お昼を一緒に食べよう」「ご馳走しないで、いいよ。沢山食べないから」
★濱口さんは、整骨院を開業している。ホームの坂を下ると、湯江小学校があり、隣に町の支所があり、100mほど行くと、交番の十字路があり、そこに濱口さんのお宅、治療院がある。毎朝、湯江教会のミサに祈るが、家を出て、遠う周りをしてジョギングして、教会に来て、又遠う周りをして帰る。
★私が、誘いの声を受けて、是非、おじゃましたかったのは、今から33年前、小長井の私立椿原小・中学校の校長として赴任した。50人の小学生と、50人の中学生が学んでいた。体育館で子供と運動をしている時に、足首の上が「ビシリ」と音を立てて、アキレス腱が切れた。湯江に、濱口のお父さんが、整骨院を開業していた。お父さんにお世話になった。1ヶ月通って、又運動が出来るようになった。その恩義もあって、濱口のお宅は訪ねたい希望があった。お父さんの写真を見て、「ああ、この人」と写真は若かかったが感慨深かった。「お父さん、お世話になりました」。整骨院は人気があった。五島からも治療者が泊り込みで来ていた。
★濱口昌三さんは地元・湯江で生まれた。奥さんの則子さんは青森県弘前出身の看護師。関東で、結ばれた。男、女、男、男の4人の子供に恵まれる。夫妻のカトリック信仰は、子供の名前に現われている。男は、「聖士(さとし)」(聖母の騎士を表している)。女は、「真規子(まきこ)」(マキシミリアン・コルベを表している)。男は、「愛丈(やすたけ)」(愛情で、丈夫な体になるように。霊名は、ミカエル)。最後の男、「戒(かい)」(天主の十戒・自分自身を戒(いまし)める人間になれ)
★2人で、日本26聖人の道を、京都から長崎まで歩く巡礼をしたり、長崎の集会や講義に参加したり、カトリックの信仰を深めることに余念がない。以前は3階建ての立派な整骨院を構えていたが、今は地元に帰って、痛みのある人の癒しに勤めている。
★「夫婦の秘訣は、何ですか?」「御大切に」「ご主人、好きな言葉は何ですか?」「力は弱さの中でこそ、充分に発揮される。(第ニコリント12章9節)」。弱さを、さらけ出すことによって、神さまの力を感じることが出来る。「生まれも、育ちも、湯江教会。自分の教会ですよ」
★「奥さんの好きな言葉は何ですか?」「主が何をお前に求めて居られるかは、お前に告げられている。正義を行ない、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカ6章8節)」
★奥さんの手料理。おいしかったですよ。炊き込みご飯。愛情がこもっているね。サバの煮付け、大好きです。ボリュウームある、汁。キュウリの押しだし。箸入れが、いいね。「神は愛なり」と書いてあった。信者の家庭におじゃまして、立派な家庭祭壇を見て、「ああ、やっぱり、長崎信者だな」思いました。
★「手ぶらで、や」。行けないよね。取って置きの「ぶどう酒」。レッテルに「トマ修道士の写真とマンガ本」が貼ってある。それを持参した。夫妻は喜んでくれてね、「家庭祭壇に飾って置こう」

2018年11月6日火曜日

鳥取から、泌尿器科のお医者さんご夫妻が来られる。喜び再会

不思議なモンですね。1週間前、傾聴ボランティア女性が来た日の日記に、「食べたい物がありますか」「大きな焼栗を食べたい」「どこか行きたい所がありますか」「広島と鳥取の砂丘へ行きたい」と書きましたが、1週間後の間に、「焼栗は届いて実現した」。そして、「鳥取へ行きたい」が、何と、鳥取からお医者さんのご夫妻が来られて、再会を喜び、鳥取に行った気持ちになって、これも実現したのです。こんな出来事って、ありますか。あったんですよ。
★医師の中村勇夫先生と、奥さんの寿美さん。長崎市で学会があって、その帰りにホームまで、わざわざ訪ねて慰問に来られました。鳥取教会のカトリック信徒です。
★「午後3時から、4時の間に行かれるそうです」と、鳥取の「みどり」さんから、知らせがあった。先生ご夫妻が来られたら、写真に撮るでしょう。それなら修道服姿で、と着こんで、2時半から玄関で待っていた。ちょうど3時に、タクシーが現われ、庭を1周して玄関で停車した。「おひさしぶり」と懐かしく、握手して、先生、奥さんを迎えました。
★中村先生は、私が背負う病気に関わる泌尿器科の専門医です。私は5度ほど鳥取に行っているが、4年前(ホームに入った年)の6月には、鳥取のクリニックで中村先生の診察を受けました。様々な検査の後、中村先生は「年齢を考慮しても、あなたの腎臓は十分に働いています」と言われた。
★ホームの応接室で、ご夫妻と語りました。明るいご夫妻で、語りも大声になる。私の方から最近の腎臓の検査や、ステント入れ換えなど話しました。
★「90歳ですよ」と言えば「お若ーかい」とお二人は、声を揃えて驚かれる。奥さんの寿美さんは、広島の司教さま、司祭6名、40名ほどの巡礼団で「ファチマ」へ行かれた事、ポーランドにも行かれて、アウシュヴィッツや、ニエポカラヌフ修道院にも1泊した事などを聞かせて下さり、私も巡礼した事を思い出しながら、楽しいひと時を過ごした。
★ホームの湯江教会では、ちょうどロザリオ・夕の祈りで、ホーム信徒たちの祈る姿と、湯江教会のステンドグラスの美しい投影を見て頂きました。4時にタクシーが迎えに来た。JR諫早駅から特急に乗って、博多で新幹線に乗り換えて、岡山から特急で鳥取へ。深夜の到着になるでよう。わざわざ寄って下さって有り難う。慰めを戴きました。

2018年11月5日月曜日

焼栗が食べたい。願いに応えて、鎌倉・潔さんから贈り物

1週間前、傾聴ボランティアの女性が来た月曜日でした。日記に「食べたい物が、ありますか」「大きな焼き栗が食べたいです」と書いたところ、1週間が経って、その大きな焼きクリが送られてきて、喜びと嬉しさと、びっくりもしました。写真が、そのクリです。
★昨日、昼食のとき、事務室の職員さんが「荷物が来ました」と小脇に抱える程の包みを渡した。「あれ?待てよ。焼栗と書いてあるよ」。ピンときました。1週間前に書いた「焼栗」の反応だな。え?本当に?送り主は、鎌倉の潔さんでした。願いが叶った。ありがとう。「信州小布施上町、栗どっこ市」の栗でした。
★食事が終わって直ぐ、食卓で、封を開いた。見事なクリですよ。長崎では、あまり見たことがない。同じ食卓の瀧神父さんに、フタ、つかみ、ミ、つかみ、差し上げた。入江さんは3個。隣の女性にも、幾つか渡した。「え?いただいて、いいの」。食堂を出て、ソファーに座っていた女性群にも、2個、3個と分けてあげた。早速、自室に戻って、食べましたよ。指を見ると、炭火の焼で、真っ黒になっていた。「こりゃ、ホンモノだ」
★午後からの反応がスゴイね。「おいしかったよ」「めずらしいね」「長崎には小さなクリしかないからね」「初めて食べました」。ありついた人は幸いです。夜勤の職員さんが、夜7時頃、巡回してくる。「お変わりないですか」「あのね、ちょっと、いいモノ、あげるから。おやつに、チンして食べて」と、箱を見せて「全部は、やらんよ」と、6、7個差し上げた。今朝、夜勤の女性が笑いながら言った。「あれ、おいしかったよ」。こんなに喜んでくれるんだね。今朝、朝食のとき、4個ポケットへ入れて、食事後、レンジで「チン」して自室でいただいた。「うまか、なぁ」
★鎌倉の潔さん、このような次第でした。ありがとう。みんな喜んでいるよ。

2018年11月4日日曜日

町の文化展。絵を描き、字を書き、日記も記す。生きる呼吸

コメントが入るようになりました。つづいての応援、見守りを、よろしくお願いします。
★地元、高来町の文化展が行なわれています。町の支所は、豪華で、立派な建物です。ホームからは「書道」と「絵手紙」を出展しました。10人余りが、見物に行きました。
★日曜日でもあってか、多くの町民で賑わっていました。各グループの作品が展示されて、舞台では踊りも、歌も披露されています。自分たちの書や絵と、他人の書や絵を眺めたり、老いても、よい刺激になります。他人と比べるな。自分には、それなりに、良いところも、ある。足りて、満足せよ。いい聞かせながらも、やっぱり、比べました。こつ、こつ、精進したいと思います。
★只今、安定した気持ちで暮らしております。日記を書くのは、ボケないためでもあり、1日に、何かの課題を持たせる意欲もあります。書くのを、そろそろ止めようか。そう思うときもあります。待てよ。これからの自分は、どうなるのか。終末を見詰める心情もあります。
★実を言えば、ホームに暮らして、そう、そう、変化や、出来事は、起こらないのです。昔の事を書いたって何になるか、そういう抵抗もあります。ボンヤリ、過ごすのではない。アンテナを立てて、何かをキャッチしたい、そのような思い、願いは、まだ有るようです。

2018年11月3日土曜日

誕生会は、いつも、職員さんの出し物で盛り上がる。楽しみだ

11月の誕生会。この月の生まれは4人でした。職員の出し物は、ごらんの方々。事務長さんと、奥さんも介護の職員として働いている。劇達者な、愉快な、オモシロイ夫婦です。後ろは若手の男性職員さん。熊本の「クマモン」だよ。そういえば分かるわね。踊りは「おてもやん」だよ。
★これは前準備のオトナシイ・ポーズだが、食堂に入って踊りだしたら、そりゃスゴイ。拍手に乗って、音楽に乗って、元気よく踊る。みんなを、笑いの渦に盛り上げる。誕生会は楽しいね。歳を1つ取って、又長生きして、神さま、ありがとう。
★園長神父さんは「ボクは82歳だよ。平均寿命は生きたわけだ」と言っていた。黒服を被ったクマモンは、2枚の皿まわしも始めた。人気があるね。クマモンの後ろの尻ッポが可愛い。丸いアイキョウのあるフサフサの尻ッポだよ。「ハ、ハ、ハ」と笑いつつ、その尻ッポを触って喜ぶ女性も居る。踊る奥さん職員の顔がいいね。うまく写真も撮れて、満足だった。
★長崎では、ホームで亡くなった大曾神父さまのミサと納骨が行なわれた。瀧神父さんが出席したので、誕生会は不在でした。
★長崎に修学旅行に来る女子高校生たちに、「今年も可能であればトマさんに講演の依頼です」とファクスが入った。来週の7日(水)です。喜んで出かけようと、楽しみです。

2018年11月2日金曜日

カトリック死者の日。永遠につづく信仰。己の死をも考えよ

なぜか死者を想うとき、50年、70年、昔の故人を思い出す。風景は時代と共に変わるけど、死者はいつまでも若い。思い出は風化しない。
★今日、11月2日はカトリック死者の日。諸聖人の祭日の翌日に祈念するが、歴史は10世紀頃からと古い。ミサのとき、司祭は「死者のために祈ると共に、自分の死についても考えよう」と促(うな)がした。沢山の死者を見送ったが、私のアタマに浮かぶのは両親だ。外海・黒崎の家族の墓標。「トマ・松吉四十六才。クララ・ワサ四十五才」と読める。「トーちゃんも、カーちゃんも、早よう、死んだよ。悲しかバイ」。父の遺体は北朝鮮の土に埋められたままであり、母の遺体は原爆で行方不明。両親の遺骨は無い。結婚写真を分けて入れている。「ホント、悲しいよ」。我は老いるばかり、両親は若死、いつになっても忘れない。
★黒崎の墓地から、黒崎の集落、海岸を見た景色。山肌にこびりつくように、ひっそりとした寂しい集落。カトリックと、今尚キリシタンを信じる家々がある。少年の頃は、ここの空気も吸った。小さな胸に、大きく吸った。今思えば、ジンセイって、何んだ。これまで体験して、助けられて、生き延びて、実際、エン(縁)があり、アイ(愛)の世界であるのを実感した。もう1つ揃うと、3拍子になる。後1つは、何じゃ?と考えると、一時は、タビ(旅)かな?と思ったが、やがて確信したよ。それはイノチや、と。今のイノチ。永遠のイノチ。ジンセイとは、エン、アイ、イノチ。この3拍子でつながれている。
★ホームに来て、ここで、故人となった司祭、修道士を想う。大曾神父、中島神父、谷村神父、中村修道士、村山修道士、ローマン修道士(100歳)、神の御国で、永久に憩い給え。

2018年11月1日木曜日

諸聖人の祭日。キリシタン時代から諸聖人たちは信心されていた

教会では、「諸聖人の祭日」を祝います。4世紀頃から殉教者たちを祈念し、8、9世紀から、諸聖人たちを祝ってきた。カトリックは諸聖人や死者との『つながり』を信じている。その信仰は古くから教会に浸透しており、16世紀半ば、宣教師が長崎へ来て、最初に造った教会は、諸聖人に捧げられた。
★1969年、アルメイダ修道士が長崎へ来て、桜馬場の地から宣教を開始する。信徒が増えて、この地の領主も洗礼を受けて、初めての教会が、トードス・オス・サントス(諸聖人の教会)と呼ばれた。このように当時から「諸聖人」は信心されていた。聖コルベ館に居たときは、週何度も、桜馬場の通りを車で、すり抜けた。だからこの教会跡は身近に感じる。載せた新聞の写真は、貴重な風景です。
★今から35年はど前に、地元のガイドに案内されて、最初の教会跡=トードス・オス・サントスを見学した。今、見学は可能か不明だが、教会跡=春徳寺は図のようになっていた。
★諸聖人の教会、敷地内には、セミナリオや、コレジオのキリシタン学校が置かれ、印刷所もあり、キリシタンの文化は栄えた。教会は45年間ほど続いたが、禁教令のため破壊され、現在の「春徳寺」という禅寺が出来る。
★私がお寺を見学した時の図。(イ)アルメイダ修道士の宣教の石版の碑。(ロ)キリシタン時代からある巨大なクスの木。(ハ)教会・コレジオ跡の碑。1569年に教会が出来た。長崎の開港は1570年になる。(ニ)春徳寺は臨済寺の禅寺。(ホ)長崎奉行に殉じた忠義な家来の墓。(へ)キリシタン時代からの南蛮井戸。(ト)大理石の祭壇のような(マカオ座)板一基。(チ)池にカメの形をした島。(リ)代官、末次平蔵の墓。(ヌ)歴代住職の墓。有名なのは鉄翁和尚で、南画山水をよく描き、殊にランの絵は素晴らしかった。
★高山右近も諸聖人の教会に寄って、祈って、マニラへ出発した。潜伏キリシタン関連が世界遺産になった今、長崎を訪ねるならば、この地にも行くことを勧めます。
★あの頃の信仰も、今の信仰も、変わっていない。ただ燃える熱意は、どうなのか?