長崎の白浜忠美さんが来る。聖母の騎士のルルド清掃を勤めて6年になる。ルルドへの道や、広場をキレイにしておくと、巡礼の皆さんが喜ぶ、と白浜さんは嬉しそう。台風の後の清掃は大変だそうだ。
★韓国人のシスターたち10数人が参詣に来た。広場がキレイにしてあるので、シスターたちが感謝をこめて、韓国語の賛美歌を3曲も捧げてくれた。「意味がワカランしね。ハハハ」
★女子高校生が修学旅行で、ルルドへ来た。シスターから「お水を飲みなさい」と言われて、飲んだ翌年に洗礼を受けた。10年経って、お礼に来たと、そういう女性もいた。また難病で2年しか生きられない、と医師からは告げられたのに、13年も生かされて、8月15日、マリアさまの祭日に召された。お礼に来た家族もあった。車椅子の女性が、ルルドのお水を飲んで、30年生かされている。
★コルベ神父が「マリアさまへの賛美」に造ったルルドは、人知れず多くの恵みをもたらしている。コルベ神父のルルドの水は愛飲されている。白浜さんはトマにも沢山のルルドのお水を持って来た。
★話題は変わるが、先日、NHK長崎テレビで、「ロザリオの長崎編み」が紹介された。聖母の騎士の松下修道士が出演して、編み方の作業が出た。「そのルーツは、どこ?」。大浦天主堂の資料館に展示されたロザリオは、既に長崎編みで、信徒発見後、プチジャン神父が沢山フランスから取り寄せて、配布された、と説明があった。それに加えて、コルベ神父が紹介され、古い騎士誌に、「ロザリオ」の題で、執筆「コルベ」と書かれた記事がテレビで示された。コルベ神父が熱心にロザリオを勧めておられる文章に感動した。10月はロザリオの月。あの番組は適宜であったと喜びを感じた。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2018年10月7日日曜日
2018年10月6日土曜日
出ータッ、誕生会。ソーラン節を踊る。賑やか食堂
月の初めの土曜日は、その月に生まれた人の誕生会です。ご馳走もあれば、職員の出し物、余興もある。「待ちに、待っとりました」だよ。
★出番を待つ男子の2人。何を踊りだすやら、わかりません。食堂には、全員が集まります。普通は3箇所に分かれて食卓に向かう人も、この日ばかりは全員が集る。私の席の横には、入江さんが腰掛けていた。
★園長神父さんの挨拶、祈り、乾杯の音頭があって、3人の職員の踊りが始まった。「ソーラン、ソーラン」。ソーラン節だよ。10月に誕生を迎える人は、5人いた。「ハッピバスデイ」は5回、拍手と共に歌う。踊りが始まると、笑いが起こる。また拍手が起こる。楽しいね。愉快だね。長生きは、いいね。感謝だね。
★100歳近い女性もいる。神さまの恵みだよ。職員さんたちの介護のお陰でもある。その職員さんがサービスに踊るのだから、ホント、ありがたいよ。このカオ、アイキョウが、いいね。男だよ。嬉しそうだね。パット開いた両手、この手で介護に励んでいる。胸には、ふくらみを付けていた。その「ふくらみ」を押し付けてくるんだからね。ヤメテくれよ。
★もう1人は、ウチワを持って踊る。「踊らにゃ、ソン、ソン」。腰つきが、いいからね。みんなが一体になるよ。気持ちが一緒になるよ。そこがホームのいいトコロさ。気長に生きようよ。くよくよ、するなよ。「任せて、おきなさい」。ウチワが、そう告げている。
★歳を重ねて、老いて、ホームにお世話になって、三度の食事、入浴の介助、個室もあって、静かに眠れる。だから長生きできる。
★直接、関わる職員さん、ヘルパーさん、看護師さんも3人も見守ってくれる。週2回の医師の診察、月1度の眼科医の診察がある。食事の献立を考える栄養師さんと、炊事職員さんの優しい配慮が食事に現われている。洗濯の職員さんのご苦労、事務所の職員さんの配慮、みんなのチカラが働いているのを、誕生会では感じるのです。
★台風の接近で、刺身は無いと思ったが、ちゃんと出た。おかしら付きのタイでした。誕生会では「ノド自慢」もあった。滝神父さんも、進んで1曲歌った。「沖縄の歌です」。大きな拍手が沸いた。
★出番を待つ男子の2人。何を踊りだすやら、わかりません。食堂には、全員が集まります。普通は3箇所に分かれて食卓に向かう人も、この日ばかりは全員が集る。私の席の横には、入江さんが腰掛けていた。
★歳を重ねて、老いて、ホームにお世話になって、三度の食事、入浴の介助、個室もあって、静かに眠れる。だから長生きできる。
★台風の接近で、刺身は無いと思ったが、ちゃんと出た。おかしら付きのタイでした。誕生会では「ノド自慢」もあった。滝神父さんも、進んで1曲歌った。「沖縄の歌です」。大きな拍手が沸いた。
2018年10月5日金曜日
町の女性が来る。好物クルス・センベイ遺産格上げ
同じ町、高来町の女性が訪ねてきた。おみやげに「クルス」のお菓子を持って来た。「どうして私を知ったのですか」「長崎新聞の記者さんから聞きました。同じ町内に、原爆体験の語り部が居るよっ、て。ゼノ修道士さんの新聞記事も読みました。図書館に『焼けたロザリオ』があり、読んで、自分でも注文して、買いました」「嬉しいですね。語り部は湯江小と、飯盛西小で行なった。中学校でも語りたいですね」
★文化活動をされている。作家の浦野興治さんの「諫早少年記」を教えてくれた。高来の暮らしを少年の目で描いている。マンジュウ屋も、サカナ屋も、トウフ屋も文章になり、干潟の少年たちが生きている。女性の話に興味を持った。
★私が聞いた。「町の道路を車で通る際に、『○○大佐』の看板がトッサに見える。あれは誰ですか」。女性の説明によると、昭和19年秋、戦争の終盤、坂本大佐の飛行機が、アメリカ軍のB29に特攻・攻撃をかけた。墜落した地点に碑が建って供養している。B29は、隣町、小長井町に墜落し、アメリカ兵が亡くなった。そこにも供養の碑が建っている。「戦争は、イヤですね。戦争の怖さを、今の時代の子ども達に教えたい」。女性は終戦のとき、2歳だった。
★ホームの応接室で、1時間半、語り合った。もちろん原爆も語った。「中学校でも語りたいね」。戴いた「クルス」のお菓子は、私が以前から好きなクルス・せんべい、だった。「潜伏キリシタン遺産記念」とレッテルが貼られて、せんべいにも「長崎しあわせクルス」「外海ゆうこうクルス」と記してあった。お菓子も格上げするんだな。
★『トマさんのことば』「困った人を助ける」「困難があっても逃げるな」「アダなるニンゲンも赦せ」「それが平和の原点だ」。私の叫びを、少年少女たちの心に染み込ませたい。
★文化活動をされている。作家の浦野興治さんの「諫早少年記」を教えてくれた。高来の暮らしを少年の目で描いている。マンジュウ屋も、サカナ屋も、トウフ屋も文章になり、干潟の少年たちが生きている。女性の話に興味を持った。
★私が聞いた。「町の道路を車で通る際に、『○○大佐』の看板がトッサに見える。あれは誰ですか」。女性の説明によると、昭和19年秋、戦争の終盤、坂本大佐の飛行機が、アメリカ軍のB29に特攻・攻撃をかけた。墜落した地点に碑が建って供養している。B29は、隣町、小長井町に墜落し、アメリカ兵が亡くなった。そこにも供養の碑が建っている。「戦争は、イヤですね。戦争の怖さを、今の時代の子ども達に教えたい」。女性は終戦のとき、2歳だった。
★ホームの応接室で、1時間半、語り合った。もちろん原爆も語った。「中学校でも語りたいね」。戴いた「クルス」のお菓子は、私が以前から好きなクルス・せんべい、だった。「潜伏キリシタン遺産記念」とレッテルが貼られて、せんべいにも「長崎しあわせクルス」「外海ゆうこうクルス」と記してあった。お菓子も格上げするんだな。
★『トマさんのことば』「困った人を助ける」「困難があっても逃げるな」「アダなるニンゲンも赦せ」「それが平和の原点だ」。私の叫びを、少年少女たちの心に染み込ませたい。
2018年10月4日木曜日
アンセルモ大曾昭神父の葬儀ミサに参列。祈った
アンセルモ大曾昭神父さまの葬儀ミサ、告別式が、長崎・聖母の騎士教会で行なわれる。
★戴いた小さなカードには、写真と経歴、次の言葉があった。「戦後まもなく入会した。几帳面な性格で、しっかりとした身だしなみに努めた。教会の伝統的な精神を尊び、主に司牧や教育の現場で、誇りをもって職務を果たした」
★竹内昭彦・管区長神父が、ミサの司式と説教を務めた。「五島で生まれ、大きな恵み、召命を受け、修道者・司祭叙階で、皆さんとの出会いがあった。50年代、60年代、宣教活動の責任者であった。人の前に立つには、自分を律する。弱い存在だが、神の恵みと、皆さんと生きた。身だしなみ、ネクタイ、スーツに、こだわりがあった。聖フランシスコ園に訪ねたが、優しい言葉をかけてくれる。師父聖フランシスコは、死ぬ最後のとき、すべては神の恵み、病気も苦しみも死も、恵み。死を兄弟姉妹よ、と呼び、喜びのうちに神の元へ帰った。1226年10月4日の出来事。今日は10月4日、大曾神父も死を兄弟姉妹と受け入れ神のもとへ帰った」
★竹内昭彦・管区長神父は、告別式の後、出棺の前に、皆さんにお礼を述べ、次のように語った。「実は私と、大曾昭神父さまは親戚なんです。『昭』と『昭彦』は似ている名前なので、親しみを感じ、導きを受けました」
★ホームからは、山内園長神父、職員4人、瀧神父、トマ、信徒の2人が参加し、湯江修道院から浜田院長神父、橋口、高原の2人の修道士、信徒の1人が参加し祈りました。
★台風の接近で、朝から雨が降っていたが、ホームを出るときは止み、帰りには車窓から墨絵のような雲仙岳が棚引いて見えた。昼食はホームに帰ってから、瀧神父さん、トマ、信徒2人の4人で食堂で頂いた。ホーム聖フランシスコ園の保護の聖人のお祝い日でもある。散らし寿司、刺身、茶碗むし、など食卓にあったが、4人は黙々として食べた。寂しい気持ちで、一杯です。
★戴いた小さなカードには、写真と経歴、次の言葉があった。「戦後まもなく入会した。几帳面な性格で、しっかりとした身だしなみに努めた。教会の伝統的な精神を尊び、主に司牧や教育の現場で、誇りをもって職務を果たした」
★竹内昭彦・管区長神父が、ミサの司式と説教を務めた。「五島で生まれ、大きな恵み、召命を受け、修道者・司祭叙階で、皆さんとの出会いがあった。50年代、60年代、宣教活動の責任者であった。人の前に立つには、自分を律する。弱い存在だが、神の恵みと、皆さんと生きた。身だしなみ、ネクタイ、スーツに、こだわりがあった。聖フランシスコ園に訪ねたが、優しい言葉をかけてくれる。師父聖フランシスコは、死ぬ最後のとき、すべては神の恵み、病気も苦しみも死も、恵み。死を兄弟姉妹よ、と呼び、喜びのうちに神の元へ帰った。1226年10月4日の出来事。今日は10月4日、大曾神父も死を兄弟姉妹と受け入れ神のもとへ帰った」
★ホームからは、山内園長神父、職員4人、瀧神父、トマ、信徒の2人が参加し、湯江修道院から浜田院長神父、橋口、高原の2人の修道士、信徒の1人が参加し祈りました。
★台風の接近で、朝から雨が降っていたが、ホームを出るときは止み、帰りには車窓から墨絵のような雲仙岳が棚引いて見えた。昼食はホームに帰ってから、瀧神父さん、トマ、信徒2人の4人で食堂で頂いた。ホーム聖フランシスコ園の保護の聖人のお祝い日でもある。散らし寿司、刺身、茶碗むし、など食卓にあったが、4人は黙々として食べた。寂しい気持ちで、一杯です。
2018年10月3日水曜日
大曾神父さん、お別れの会。思い出は消えない

左は、大曾昭神父さんがホーム「聖フランシスコ園」に入居された時の写真です。左から岩田事務長さん、大曾神父さん、トマ修道士、浜田神父さん。右は、ホームで誕生会のお祝いの写真です。山内園長神父さんと一緒です。
★大曾神父さんは上五島で生まれ、昭和15年に長崎・聖母の騎士小神学校へ入学。中学2年の時、太平洋戦争が始まる。工場で働きました。戦争中も終戦直後もご苦労されながら勉学をつづけ、司祭になって、東京・赤羽教会や、愛知県春日井教会、長崎・聖母の騎士学園(中・高)の校長の要職など勤められた。
★大曾神父さんがホームに入居されて、上五島出身の入居者も何人も居ましたから、神父さんの所に寄ってきて、親しく声を掛け合う場面もありました。親戚や、地元の人たちが居るのです。大曾神父さんは食事はゆっくりと、いつも全部残さず食べていました。
★大曾神父さんの話。「むかしの聖母の騎士の教会で、いつも一人で祈っている者がいた。いつ教会へ行っても祈っている。衣服を着て、祈る姿に感心やな、と思ったよ。それがトマさんだった」。戦争中だった。「知っているよ」と言われて、少年だった頃の自分を、今の自分が眺めている感じがした。あの頃、着ていた衣服は兵隊色のボタン付きだったのか、それとも工員さん風の姿だったのか。
★トマが入居して、ホームでは、ローマン修道士(100歳)、フランシスコ中村修道士(93歳)、ピオ中島神父(87歳)、ヨハネ村山修道士(93歳)、アルナルド谷村神父(76歳)、アンゼルモ大曾神父(91歳)を神の御元へとおくり、寂しくなりました。
★ホームでは今日の午後2時から、湯江教会で、大曾神父さんとのお別れの会があります。
2018年10月2日火曜日
大曾昭神父、逝去。ホーム生活2年6ヶ月。悲しい
昨日(1日)、諫早の病院に入院中の大曾昭神父さまが、午後3時30分に神に召された。ご遺体は夕方、ホームへ帰って来られた。湯江教会の一室に安置されています。お顔は、シワもシミも全くなく、輝くように美しく安らかに眠っておられます。
★写真は9月12日、最後になった大曾昭神父さまです。この日はホームの礼拝の日でした。大曾神父さまは祭壇の近くで、ミサで祈りました。ローマン・カラーをしていたので、トマは何故か撮りたくなった写真です。
★ミサの後、教会の玄関でも大曾神父さまと撮りたくなった。次の日に大曾神父さまは緊急入院しました。修道名はアンゼルモ。8月10日に誕生日を迎えて、91歳になった。愛知県春日井教会・修道院から来られて、ホームの生活は2年6ヶ月になります。トマと一緒に写真を撮った翌日に入院されたので、日記には書けなかった。1ヶ月で、神に召されるとは全く予想もしなかった。本当に穏やかな優しい神父さまでした。大曾神父さまがホームに居られることで、生活にチカラ強いパワーを貰っていました。記憶もハッキリしていて、魚釣りなど長崎周辺の詳しい海の状況など話してくれました。大曾神父さまはホームの職員からも大事にされて、手厚い介護を受け、大曾神父さまも素直に聞いてくださるので職員は喜んでいました。昨日は幼いイエスの聖女テレジアの記念日。今日は守護の天使の日です。
★通夜は3日。葬儀は4日、修道会の創立者・聖フランシスコの祭日。長崎・聖母の騎士教会で行なわれます。ホームでは、それに先立ち、お別れの会があります。どうぞ皆さま、大曾昭神父さまのためにお祈りください。
★写真は9月12日、最後になった大曾昭神父さまです。この日はホームの礼拝の日でした。大曾神父さまは祭壇の近くで、ミサで祈りました。ローマン・カラーをしていたので、トマは何故か撮りたくなった写真です。
★通夜は3日。葬儀は4日、修道会の創立者・聖フランシスコの祭日。長崎・聖母の騎士教会で行なわれます。ホームでは、それに先立ち、お別れの会があります。どうぞ皆さま、大曾昭神父さまのためにお祈りください。
2018年10月1日月曜日
10月、ロザリオ月。聖女テレジアの恵みの実話
朝ミサの時、司祭が告げた。「10月はロザリオの月です。ロザリオを聖母マリアさまに捧げましょう。今日は幼いイエスの聖女テレジアの記念日です。聖女テレジアは宣教者の保護者でもあります」
★写真は長崎・聖コルベ館に展示されている幼いイエスの聖女テレジアの聖絵(左側)。コルベ神父がポーランドから取り寄せた。「10月がロザリオの月。そして聖女テレジア」というと、どうしても忘れない話がある。私が直接、長崎・神の島教会へ行って、当時、主任の岩永静夫神父さんに聞いた。もう何10年も前の話です。
★岩永静夫神父さんは神学生時代に、コルベ神父から哲学を習った。哲学と共に、聖母マリアへの信心、ロザリオの勧め、宣教者の保護者・幼いイエスの聖女テレジアへ取り次ぎを願う心を教えられた。当時は未だテレジアは福者で、コルベ神父は「あなたの事を騎士誌で宣伝しますから、恵みの取り次ぎを願います」とテレジアと契約を結んでいた。そして実際に多々恵みもあった。
★岩永神父さんは司祭になり、兵隊に採られ、満州へ送られた。現地で終戦。ソ連兵の捕虜となり、シベリアで過酷な労働を強いられた。司祭なのにミサも挙げられない。岩永神父さんは苦難な生活の中で、毎日、ロザリオを3本唱えたというのです。指でも唱えられる。信じられますか。あの軍隊で。エライと思いますよ。更に、コルベ師から教えられた「宣教師の保護者・幼いイエスの聖女テレジアに取り次ぎを祈りなさい」。岩永神父さんは祈った。
★7年の苦難の後、生き延びて、長崎へ帰った。真っ先に向かったのが大浦天主堂であった。丁度10月、ロザリオの月で、夕方、堂内では大勢の信徒がロザリオを唱えていた。その時の感激。想像できるでしょう。しかも、その日は、何んと幼いイエスの聖女テレジアの祝日(注・当時は10月3日でした。今は10月1日の記念日)だったという。
★岩永静夫神父さんから、この実話を聞いた時、人の一生に於ける大きな神の恵みと導きがあるのを強烈に感じた。あの神父さんは既に故人となられた。しかし私の心には、岩永神父の苦労とお恵みが消える事無く残っている。私の信仰のチカラにもなっている。こうした素晴らしい信仰の実話は、残していきたいと思っている。
★幼いイエスの聖女テレジアはカルメル会のシスター。120年程前に、24歳で神に召された。修道院の中で過ごしたが、宣教の熱意に燃えていた。
★『トマさんのことば』「いい思い出を沢山つくろう。いい出会いを沢山しよう。いい話を沢山聞こう。これが私の3原則です」
★写真は長崎・聖コルベ館に展示されている幼いイエスの聖女テレジアの聖絵(左側)。コルベ神父がポーランドから取り寄せた。「10月がロザリオの月。そして聖女テレジア」というと、どうしても忘れない話がある。私が直接、長崎・神の島教会へ行って、当時、主任の岩永静夫神父さんに聞いた。もう何10年も前の話です。
★岩永静夫神父さんは神学生時代に、コルベ神父から哲学を習った。哲学と共に、聖母マリアへの信心、ロザリオの勧め、宣教者の保護者・幼いイエスの聖女テレジアへ取り次ぎを願う心を教えられた。当時は未だテレジアは福者で、コルベ神父は「あなたの事を騎士誌で宣伝しますから、恵みの取り次ぎを願います」とテレジアと契約を結んでいた。そして実際に多々恵みもあった。
★岩永神父さんは司祭になり、兵隊に採られ、満州へ送られた。現地で終戦。ソ連兵の捕虜となり、シベリアで過酷な労働を強いられた。司祭なのにミサも挙げられない。岩永神父さんは苦難な生活の中で、毎日、ロザリオを3本唱えたというのです。指でも唱えられる。信じられますか。あの軍隊で。エライと思いますよ。更に、コルベ師から教えられた「宣教師の保護者・幼いイエスの聖女テレジアに取り次ぎを祈りなさい」。岩永神父さんは祈った。
★7年の苦難の後、生き延びて、長崎へ帰った。真っ先に向かったのが大浦天主堂であった。丁度10月、ロザリオの月で、夕方、堂内では大勢の信徒がロザリオを唱えていた。その時の感激。想像できるでしょう。しかも、その日は、何んと幼いイエスの聖女テレジアの祝日(注・当時は10月3日でした。今は10月1日の記念日)だったという。★岩永静夫神父さんから、この実話を聞いた時、人の一生に於ける大きな神の恵みと導きがあるのを強烈に感じた。あの神父さんは既に故人となられた。しかし私の心には、岩永神父の苦労とお恵みが消える事無く残っている。私の信仰のチカラにもなっている。こうした素晴らしい信仰の実話は、残していきたいと思っている。
★幼いイエスの聖女テレジアはカルメル会のシスター。120年程前に、24歳で神に召された。修道院の中で過ごしたが、宣教の熱意に燃えていた。
★『トマさんのことば』「いい思い出を沢山つくろう。いい出会いを沢山しよう。いい話を沢山聞こう。これが私の3原則です」
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