2018年9月5日水曜日

あなたのホホエミ、手の温もり、与えよ。戻ってくる

鳥取の博幸さん、みどりさんご夫妻から、鳥取のナシ、二十世紀、立派な、大きなナシが、二段構えの箱で届いた。愛情がこもる贈り物です。感謝して受け取りました。
★みどりさんとのご縁は何十年とつづく。聖コルベ館へ夫妻で来られた事もあったし、私も何度も鳥取へおじゃましてお世話になった。最後は平成26年6月だった。4年前になる。鳥取は遠くになってしまった。
★あの時は、素晴らしい眺めの鳥取砂丘へ案内された。ラクダが居る。「じゃあ、記念に乗ってみよう」と、みどりさんと一緒に乗った。結構、揺れるんですね。ちょっと、びっくり。「行動しなければ何も生まれない」。ラクダに乗った後の感想は「痩せても、枯れても、まだまだ老人とは言われない」だった。だが、この後、2ヵ月後に入院する事になる。体力、気力が落ちて行った。今となっては、ラクダに揺られたのが、取って置きの思い出です。
★夜、携帯で、みどりさんと話した。鳥取の教会も懐かしい。愛徳修道士会の家も訪問した。2人のベルギー人修道士と、1人の日本人修道士が働いていた。修道院の廊下の壁に、修道士会の紋章が有り、ラテン語で「DATE ET DABITUR VOBIS(与えよ、さすれば汝ら、与えられん)」と記されていた。電話で「懐かしい」と言うと、修道士たちは健在ですと言われた。もう1度訪ねてみたい。
★人生に最も大切なものは何か。あなたのホホエミ。あなたの手のぬくもり。それを与えること。さすれば恵みは必ず、あなたに戻ってきます。

2018年9月4日火曜日

歳に負けるな。もっとアタマを鍛えるべし、の教訓

毎日、朝は4時30分に起きる。身支度を整えて、5時10分に自室のカギを閉めて教会へ歩き出す。起きて、出る間の40分。夢のつづきか、ふと脳裏に、時々閃く言葉がある。今朝は、こういうのが浮かんだ。すぐメモを取った。「老人にとって、過去の出来事は、すべて人生の宝。失敗も、行き過ぎも、拍手も、成功も、すべて我がひとりの痕跡。誰のものでも、ない。我が人生」
★午前10時から、月に1度の、女性の師匠さんが来られて、書道があった。「白露(しろ・つゆ)」「一以貫之(イチを以って・これを貫く)」「公正無私(こうせい・無私=公に正しく私事が無いこと)」「奇跡(きせき)」。この4つを2枚づつ書いた。もちろん、十数枚の朱書きの手本から、自分で言葉を選んで書いた。ここまでは、いいんです。
★1時間半後、昼食の時間になった。15分ほど前から、食堂の前のソファーに皆さんが徐々に集ってくる。食べるのが楽しみですからね。私も仲間に入ります。その待つ時間、思ったね。「きょう、書道で、何という字を書いたのだろう?」。1時間半後だよ。アタマの回転がいい時は、そりゃ忘れませんよ。90歳の回転は、どうだろう?「奇跡」。これは思い出した。奇跡って、よく使うからね。「一以貫之」も思い出した。ザンネン。後が出て来ない。ああ、哀れなるかな。「無」だけは書いたのを思い出した。その前後に何があったのか。墨字が浮かばない。無念なり。
★きょうは書道をきっかけに、もっとアタマを鍛えなければ、イカンぞ、と思った次第です。

2018年9月3日月曜日

母は、よく言った。「着物はキチンと、たたむのよ」

テレビで、平成の大学生へ質問。「白いご飯に、真ん中に梅干1つ、ナニ弁当か?」「戦争弁当」。ブー。「日の丸弁当」。ピンポン。昭和12、3年頃、小学生の頃、よく食べた。中国と戦争をしていたから。節約のため日を決めてクラス全体が食べた弁当です。
★写真は少年時代に暮らした北朝鮮の町です。3枚残っている内の1枚です。今朝は、なぜか、日の丸弁当から、少年の頃に戻りたい気持ちになった。現地ではニッポン・ジンの意識が高かった。それと同時に「朝鮮の人たちには、申し訳ない」と、子ども心ながらも思っていた。
★あの当時の愛読の雑誌は「少年倶楽部」で、躍進するニッポンを楽しみ学んだ。「内地」への憧れは強く「富士山」が象徴でした。「少年倶楽部」には将来を見越してか、「東京に大空襲が起こる」の記事も載っていた。今、考えると数年後、現実となる。記事の絵の壮絶さを今でも記憶している。
★北朝鮮の町で生まれ、13歳の秋まで「外地」に居た。思えば懐かしい。スズランの花の広がる山、八目ウナギを取った川、カケッコした町の通り、少年には楽しい思い出です。母の故郷・長崎・浦上へ帰った2ヵ月後に、太平洋戦争が始まった。
★少年の私に、母はよく言った。「何事か、起こったとき、すぐ逃げられるように、着ている着物は枕辺にキチンとタタンデ置いておくのよ」。あの母の言葉は生涯いきているように思う。デレ、デレした動作は好まない。部屋も一応、片付いている。しかし衣類は整然とタタマナイが、脱ぎ散らしはしない。大人が教える子供の頃の習慣は根が生える。教育は大切だ。母は手紙を書くとき、必ず下書きをしていた。字もきれいだった。その心は今につながっている。身をもって教えた動作は、ありがたいと思う。
★母は、カトリックの信仰、信心に熱心だった。母の里、浦上に帰って、その原点に触れて、体験して、母の心情がよく分かった。北朝鮮の町から、何も持って来なかったが、心の中に信仰だけを持ち帰った。これが一番のタカラ、有り難かったと、感謝している。子は老いても、母は若い。

2018年9月2日日曜日

間違えると、こだわり続ける。負の性格は直らない

度々紹介している湯江教会は、ホームのガラス戸を出て、屋根のついた道を、10歩はど歩いた、直ぐの所にあります。いつも祈っている湯江教会です。毎朝の「教会の祈り」「ミサ」で祈り、午後からは共同で「ロザリオ」と「晩の祈り」「召命」「司祭」「病人」のための祈りを唱えています。祈ると心が落ち着きます。有り難いことです。今日は湯江教会も、大村の殉教地巡礼と殉教祭に参加し、ホームからも数人が同行しました。
★今日は、心の動きの事を書きます。ホームに入る前のことです。教会で、祈りの先唱者を務める当番のとき、祈りの箇所を間違えることがあった。すると他の者が訂正してくれる。これがイヤなんだな。自分の心にいろいろ湧き起こる「シマッタ」の気持ち。「オレは何んてダメなんだろう」「仕方がないさ。間違えたんだから」「もっと、シッカリ、せよ」など。落ち込む思いが湧いていた事があった。問題は、その『ココロの、ワダカマリ』が何分間つづくか、です。悔しさ、愚かさで、結局、祈りの十数分、こだわり続けたことがあった。今、思えば、人間の心中は、複雑、微妙だと、アタマを振る。
★その場所を変えてみると、ようやく、ココロは治まる。つまり場所を変える、これが大切だと思う。フンイキを変えるのが、ストレスの解消法になる。「誰だって、間違いは、あるさ」。そう納得したい。
★偶然、30年ほど前の、古いノートを開いてみた。「自分自身を見つめる」と題して、「15項目」ほど書いている。①言葉づかいが荒い。電話も、簡単で、おしまい。これは本当。多分、幼い頃の言葉の名残が、未だ引いているのかも知れない。(これは未だに、90になっても、直らない。丁寧な言葉が言えない。どうしてもダメだ。自分でも、あきれるよ。他人からも度々注意された)。③皆の前に出て、型にはまった形式上の挨拶が苦手。「ご多忙のところ、お出で戴きまして、云々」。これが難しい。挨拶で、人生、本当に苦労しました。特に「乾杯の音頭」。冷や汗ものだよ。⑦暗記が出来ない。覚えが悪いから、挨拶も、まとまらないのかも。次から次へと変わっていくかと思えば、過去への、こだわりも、ある。受けたキズは忘れない。そして最後に、こう、書いてあった。⑮すれ違った後に、かすかな匂いを残すヒト。(当時、椿原の小・中学校の校長を勤めていた)。ああ、そんな時代も、あったな。

2018年9月1日土曜日

誕生会。職員さんの出し物。長生き、笑って楽しく

誕生会。出し物を準備している部屋を覗いてみた。豪華なお着物を着ておられる。「内掛け」というんですか。後ろからも撮ればよかった。髪が又、豪華で、カンザシが何ボンもさしていた。「テーマはナンですか?」「いや、ただ音楽に合わせて、踊るだけです」。「黒子さんは、何するんだろう」。ちょっと疑問がありました。
★ホームの9月生まれの人たちの誕生会。いつもながら月の初めの土曜日の昼食です。9人がお祝いを受けました。やっぱり長生きは神さまのお恵みです。有り難い事です。老いるのは、いろいろ身体的には苦労が有りますが、こころ的には老いて人は豊かになります。あの黒子さんたちは紙のプラカードを掲げていた。「お誕生日、おめでとう。いつも笑って楽しく」願いでもある。女性職員さんの笑い顔が又、いいね。
★老人になると皮膚感覚が鈍くなる。エアコンを上手に使わないと、熱中症になる。命までも落としかねない。幸い、何とか、今年の暑さを乗り切りました。
★私は変わりありません。朝食後、自室で、ブドウ3粒、ヨーグルト、牛乳を飲んだ。体操をして、入浴しました。雨がしきりに降っている。雷の音も聞こえる。「でも、ああ、しさわせ、だなァ」

2018年8月31日金曜日

8月も終わる。外食の喜び。生きている限り幸せを

野外活動の日。予定では、轟(とどろき)の瀧へ行き、ソーメン流しを食べるはずになっていた。朝食時に「中止です」と告げられる。雨雲が丁度、昼食の頃に近づいてくる。「瀧は危険なので」が理由だった。(ああ、ザンネン。ソーメン流しで、この夏を締めくくろうと思ったのに)と悔しがっていると、「それでも外食したい人」と話が出て、手を挙げて応じた。私を入れて男性2人、女性が2人いた。10時頃、案の定、突然、激しい雨が降り出した。(ああ、ヤッパリな。最近の天気予報は良く当たる)。出発は11時。その頃は天候は晴れていた。男子職員の運転・付き添いでホームを出発した。私を入れて男子2人、女性2人が車に乗った。食事処まで約20分。途中、激しい雨が車を叩き付けた。食事処に着いた時は、雨はやんでいた。(おかしな、テンキだなァ)。職員と我々4人。(ヤッパリ、良かったと思いますよ。食事の時間は30分、後、ゆっくりして、店を出るまで45分は、かかった。『ゆとり』だね。ホームの食事は15分で終わる。それを比べても幸せだった。ありがとう。
★8月も今日で終わる。8月は、長がーィ、気がした。原爆の日の花の贈り物、聖コルベの祭日は聖母の騎士へ、ゼノ修道士の映画で新聞にも大きく取り上げられた。充実した月だったと思い『賛美と感謝』です。「むかしの積み重ねで、今の自分が、ある。もう昔の自分には、戻れない。これから先の幸せを、少し、少しづつでも、切り開くしかない」。食事処で、すき焼き・うどん定食を食べながら、そう思ったね。

2018年8月30日木曜日

騎士誌を配ったマチア修道士の命日。安息を祈る

マチア・ヤ二エツ修道士の命日です。大浦天主堂の石段や、浦上の平和祈念像付近で、「コレ、イリ、マスカ?」と、聖母の騎士誌を配っていた修道士です。長崎の町、修道服の外人さん、ということで有名でした。
★亡くなったのは1996年(平成8年)ですから、22年になります。ですから写真は1980年代でしょう。コルベ神父が聖人になった時、取材が押し寄せました。マチアさんは毎日、午前中に、電車に乗って、大浦か浦上へ出かけます。テレビがマチアさんを追いかけ、電車の中で揺られながら話を聞きました。マチアさんは騎士誌を手にして言った。「コルベ神父サマ、クバリ、マシタ。ゼノサン、クバリ、マシタ。イマ、ワタシ、クバリ、マス」。マチアさんの総てを表した名言だと思う。
★和歌山県の女性から便りがあった。「昭和57年(コルベ神父が聖人になった年・1982年)、修学旅行で長崎を訪問したとき、マチアさんと一緒に写真を撮った。縁あって、その後、カトリックの洗礼を受け、騎士誌の読者になりました。マチアさんとの出会いは偶然でない縁を感じます」
★「あなたのおかげで、今のわたしが、あります。そんな言葉をいえる人に、出会いなさい。あなたのジンセイは、幸せになる」
★マチア・ヤ二エツ修道士は、94歳で神に召された。