2018年8月7日火曜日

崩壊した浦上天主堂。何故ここに原爆が落ちたか?

原爆前の浦上天主堂。丘の上に聳える巨大な教会。浦上信徒の誇りでもあった。15歳、16歳、17歳の8月まで、浦上天主堂に通って、祈った。忘れない。
★この歳まで生かされて、ナゾに思う出来事は幾つか、ある。「なぜ、浦上天主堂の上に、原爆が破裂したのか」。疑問であり、ナゾは解けない。人智の及ぶ事ではない。原爆機は最初、長崎の中央辺りに投下を狙っていた。雲に被われていたため、視野で確認できる所に落とした。計らずも、カトリックの信徒が多い浦上天主堂の真上に炸裂した。「沢山、祈っていたのに、賛美していたのに、なぜ、ここに落とされたのか。多くの信徒が犠牲になったのか」。未だに分からない。
★隣の家は親戚だった。その家の祖父と一緒に、天主堂へと歩いた。26聖人が通った坂道をあがると、わき道に入り下る。小さな川に出る。川添えの細い道を行くと、通りに出て、天主堂が眼の前に現われた。堂内は皆、床板張り。男子は左側、女性は右側と決まっていた。祭壇近くに子供の席があり、大勢の子供たちがいた。子供の一団の後方に、「しくろう・さん(漢字でどう書くか分からない)」と呼ばれるオジサンが座っていて、態度が乱れた子供がいると叱られた。「バシッ」と時折、音もした。教会での態度の悪さは赦されない。
★大勢の信徒の祈り、賛美歌、圧倒される声だった。堂内には巨大な柱がある。豪華な祭壇には、聖人たちのご像が並び、高い所に美しい聖母マリアのご像があった。戦争が激化すると、天主堂内は軍の命令で、米や、缶詰などの備蓄場となった。原爆で、この米や缶詰が何日も燃えつづけた。毎晩、その火を眺めて泣いた。隣の祖父も原爆症で2週間後に死んだ。
★浦上出身の母親から、イノチと、信仰をもらった。カトリック信徒となった。この教えは、先祖が潜伏キリシタンとして、7代に亘って、受け継いできた信仰です。この教えを生涯守り続けて来ただけです。浦上信徒は、聖母被昇天の祭日前に、必ず告白をした。その習慣は今も私に残る。今朝、ミサ後に、司祭に告白して、祭日に備えました。

2018年8月6日月曜日

アタマも、サッパリ。迎える祭日。後は心の清さだけ

理髪屋さんの夫妻が来る。普通は3人だが、お父さんは高齢と酷暑でお休み。当たった番号は1番だった。1番というのは気持ちがいいよ。このカオになる。これでサッパリして、聖母被昇天祭日も、聖コルベの祭日も、長崎・原爆の日も迎えられる。後は心の掃除、告白でしょう。昨日から聖コルベの祭日前の9日間の祈りも始まった。聖コルベに取次ぎの祈りを唱えましょう。
★沖縄の女性から、マンゴーが1箱送られて来た。毎年、この季節になると、高価で立派なマンゴーが届く。ありがたい、珍しい贈り物です。
★沖縄の押川司教さまがホームに来られた。司教さまが食堂の私の食卓の席まで来て言った。三教区(沖縄・鹿児島・大分)の司祭合同黙想会があった。指導司祭の神父が、トマさんの本から紹介した。電車に乗って、降りる話だった。「この人、まだ生きているよ」「えーェ?そうなんですか。もう亡くなったと思った」と神父。「電車」「乗り降り」それだけで、ああ、あの話かと直ぐに分かった。自室に戻り、自著「ドキュメント・キリスト信者」に、「旅の終点」が載っていた。これで、あろう。最初から最後まで読み返した。文章としては、よく書けている。こういう、しっかりした文章を書く年代もあったのかなと思った。昔、書いた私の話を、どこで、誰が使ってくれているか、感動して受け入れてくれているか、一片の出来事を知って、非常に嬉しく、その一日が明るくなった。

2018年8月5日日曜日

祈りや愛はムダにならない。マリアさまの助けある

今年は特に酷暑の日々が続いている。太陽に向かって、大きく花開くヒマワリのように、ゲンキを貰いたい。
★昨日は、教会では「聖ヴィアンネー」の記念日を祈った。フランス・アルスの聖司祭といわれ、19世紀の半ば、亡くなった。私は若い頃、聖人伝をよく読んだ。その中に、聖ヴィアンネーもいた。聖人の特徴は、徹夜の祈りと、断食と、厳しい苦行と、絶えず告白を聴く聖人といわれた。大勢の信徒たちが、聖人の元へ告白に押し寄せた。霊魂の状態を見通す聖人で有名だった。悪魔が嫌って、大きな音をたてて脅かした話もある。
★話は変わって、長崎県には大村湾の入口に、西海橋(アーチ式で、長さ316m、海面からの高さ45m)がある。昭和30年11月に完成したが、橋の下は、潮の流れが激しく、船も流される。飛び込むと、渦巻きで死体は上がらない。一躍、自殺の名所となった。橋の完成後の2,3年間に30人が自殺し、150人が保護された。私は「オラショの旅」で、平戸へ案内するとき、西海橋を通った。そのとき説明していたのが、この聖ヴィアンネーの話だった。
★ある1人の女性が、悲しみに沈んで聖ヴィアンネーに相談に来た。主人が橋から投身自殺をした。主人の霊魂は何処へ行ったのか。祈ってもムダですか。私は一体どうしたら、いいのでしょう、と嘆いた。聖人の司祭は見通して言った。ご主人は5月にマリアさまへ美しいお花を捧げていたのを覚えていますか。そのささやかな行為をマリアさまはお見捨てになられません。ご主人は、足が橋から離れて、海面につく瞬間に、聖母のお恵みで改心したのです。大きなツグナイをしているから、多くのロザリオで助けてあげなさい。
★そこで西海橋へ来たとき、言うんです。本当に、瞬間に改心できるのでしょうか。疑問だね。その証拠があった。昭和33年2月に、1人の高校生が飛び込んだ。幸い、近くに漁船が居て、意識不明の彼を助けた、記事が新聞に載った。高校生曰く、死にたい。親不幸をお許しください。遺書に書いた。飛び込んで落ちて行くとき、自分をはっきり意識した。深く沈んだが、浮き上がって、再三もぐった。死にきれず、泳いでいる間に意識を失った。やっぱり瞬間に改心の時間はあったのです。
★聖ヴィアンネーの記念日が来ると、なぜか、この話を思い出すのです。西海橋には続きの話がある。ある若い母親が赤ちゃんを抱えて橋の下を覗き込んでいた。突然、赤ちゃんを放してしまった。赤ちゃんは45m落下した。幸い、船が赤ちゃんを助けた。私が西海橋を訪れたとき、ちょうどお母さんが、入院していた赤ちゃんを抱いて、関係者にお礼に来ていたのだった。話によると、赤ちゃんの体はやわらかく弾力性があり、肉体はふんわりしており、マリのように跳ねて助かったらしい。そんな事を耳にした。世の中には、いろんな事が起こるモンですね。

2018年8月4日土曜日

誕生会。大曾神父さん、入江さんのお祝い。恵み一杯

ホームの入園者で、8月に誕生日を迎えるのは、5人。8月1日、入江さん、93歳。8月10日、大曾神父さん、91歳。おめでとう。「ハッピバスデイ」の歌で祝ってもらった。いつまでも元気で、長生きしてください。誕生会といえば、職員さんの出し物です。「アシタが、あるさ」を踊ります。音楽に合わせて、笑いと喜びとお祝いのうちに踊ってくれた。「そう、さ。アシタが、あるさ。くよくよ、するな。希望も、あるさ。夢も、あるさ。生かされて、いるじゃないか。ゲンキを出そう」。踊りと、歌で楽しくなりますよ。お赤飯も出ました。
★誕生日を迎えた、大正14年生まれ、93歳の女性は、美声を張り上げて、2曲、それぞれ2番まで歌い披露した。見事なモンです。迫力に飲み込まれる。生きるチカラがある。エライ、モンですな。こうして今日は、楽しく誕生会を終わりました。
★「老人ホームに入る」というと、世間では一般に少し抵抗がある。しかしホームに入ると、栄養管理の食事をいただき、手厚い介護を受けて、健康も守られ、車椅子になっても長生きしている。ありがたい生活です。瀧神父さん、大曾神父さん、入江さん、みな、いいカオ、しているでしょう。ゆっくり、安らかに、暮らしております。トマも、ね。

2018年8月3日金曜日

部屋の窓から、教会の鐘と屋根。ここが生きる場所


左は、入園したとき、自室の部屋から見えた風景です。小学校やグランドがあって、児童たちの声も耳によく届いた。遠方には雲仙岳が棚引き、有明海も細長く見えて、景色がいい部屋でした。ここに1年と9ヶ月生活した。ホームの室内の改装工事があって、各個室は畳から、将来は車椅子でも入れる板床になった。「部屋を変わってください」
★今の部屋へ変わって、窓から見える風景は「教会の鐘と屋根」になった。右側の写真です。もう子供たちの声は聞こえない。鐘の音が大きく心を揺るがすだけです。この部屋に変わって、丁度、昨日で、丸2年になった。
★各部屋には、心境の変化がある。前の部屋には、見舞い客は入れなかった。窓の景色はいいが、廊下が暗い。天窓が有る。今の部屋は、廊下が広くて、明るくて、窓からは山や、家々や、風景がよくて、お客さんを受け入れても、心は楽しい。見舞い客は自室まで案内している。気持ちにも変化があった。
★最近は自室の風景は余り気にしていない。窓の外を眺める事もない。それよりも今年の夏は特に酷暑で、昨年までは夜は冷房を消して、窓を開けて寝ていたが、今年は窓を開けると、教会の屋根の熱が照り返して、熱い風が入ってくる。寝るときは、冷房は消しているが、夜中に、少しの時間、冷房を使っている。
★昼間は、冷房に頼って、快適な生活をしている。熱中症に罹ることもない。平和で、安らぐ、有り難い生活の毎日です。

2018年8月2日木曜日

フランシスコ会の大聖堂(アシジ)献堂の祝日です

イタリア・アシジのポルチウンクラ教会。(ある資料から抜書きしました)。伝承によると、4世紀に、エルサレムからの巡礼者が、マリアさまの御墓の遺品(かけら)を携えて到来し、隠遁生活を送ることを願ったとされています。聖フランシスコの頃には、ベネディクト会が小さな教会を所有していました。1210年には、ベネディクト会から聖フランシスコたちが使用する許可を受けました。
★16世紀頃には、屋根のようなもので教会を保護していましたが、1569年から1679年にかけて、教会をおう大聖堂が建設されました。1832年には地震で天蓋が崩落しています。1909年、聖ピオ十世教皇は、アシジの聖フランシスコ大聖堂と同じように、この天使の聖マリア大聖堂も教皇の大聖堂としました。(以上が、ある資料による)
★今日は、ポルチンクラの天使の聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・デリ・アンジェリ大聖堂)献堂の祝日です。祝日に即したお祈り(ミサ・教会の祈り)を捧げました。「教会が愛のうちに一つの心、一つの体となり、聖母マリアと共に心を一つにして祈ることができますように」(共同祈願)
★この大聖堂にも何度か巡礼しました。大きな聖堂の中に、聖フランシスコの貧しい、美しい小さな教会があるのです。大聖堂の奥に進むと、聖フランシスコのご像があり、足元に鳩が静かに大人しく守っています。その雰囲気が不思議でした。トゲのないバラもある。その奥に売店がありました。
★今日は、イタリア・アシジや、ポルチンクラのこと、この大聖堂の近くのホテルに宿泊したことなどを懐かしく思いながら過ごしました。

2018年8月1日水曜日

入江さんの誕生日。93歳になった。焼酎が元気の源

ホームでの親友、入江さんの誕生日です。大正14年8月1日に生まれた。満93歳になる。入江さん、おめでとう。今朝のミサの後で写した。手にロザリオを持っている。「さすがは、長崎の信者だな」。入園したのが、2015年4月30日でした。丸3年になる。一緒に入浴して、入江さんは、背中を流してくれた。最近は、別々に入浴している。
★入園する1ヶ月ほど前に、入江さんから電話があった。以前に、熊本の入江さんの自宅に訪ねたことがある。トマを知っていた。奥さんを亡くして、入園したいという。その後、数日、実際に宿泊にきた。入江さんは、終戦の前後に、聖母の騎士に神学生として生活したことがある。ホームに来て見て、聞いて、亡くなった同級や同窓の司祭の名前が次々に親しく出てくるので、「我が家に帰った気持ち」になり、迷わず喜んで入園した。結局、トマの背中を流す交友となる。「いつまでも元気で長生きしてください」。それが願いです。
★昼食は、入江さん、浜田神父さん、高原修道士さん、トマの4人で、有明海の海沿いの食事処「大橋」へ行き、お祝いしました。お湯割りの焼酎を、ゆっくり飲んでいました。うなぎ定食を全部、食べました。入江さんを見守ってください。