2018年3月31日土曜日

今夜は復活・徹夜祭。3月も終わる。恵みの月だった

ホームのサクラも満開となった。今日で、3月も終わる。満90を迎えたし、「日本26聖人」の映画の紹介でNHKのテレビにも出たし、愛野教会での出会いもあったし、恵みの月だった。満足していて、いいのだろうか。「人柄とは、笑顔、元気、主体性だよね」。道は、まだ、つづく。

2018年3月30日金曜日

聖なる3日間の儀式が始まる。信仰を再燃して生きる


ブリ神父さまの教会での話しに就いても、一応、日記に書き終わった。また、ホームの元の気持ちに戻る。何か変わった事があったか。毎日、色々と事が起こっている。ヨゼフ橋口修道士さんのお兄さんが亡くなった。享年90。
★教会では、聖なる3日間が始まる。昨夜は、聖木曜日のミサが行なわれた。「洗足式」では、司祭が、男子3人の足を洗った。この箇所の聖書が読まれると、イエスの時代の情景が思う出されて、心身にひびいた。足を洗う。最低の事をイエスは身をもって行なわれた。その時の思いは如何ほどだったか。「お互いに、愛し合いなさい」。2千年の時を越えて今も聞こえる。
★ミサの後で、御聖体が別の部屋に移動される。賛美歌をうたい、ロザリオを唱えた。儀式は夜7時30分から始まり、9時に終わった。安眠した。
★今日は、午後3時から、教会で、十字架の道行がある。7時30分から聖金曜日の儀式が行なわれる。

2018年3月29日木曜日

こころ配り。メダイとカードをおみやげに。皆、喜ぶ

愛野教会で、精一杯の話が終わると、参加者全員に、「ふしぎのメダイ」(説明入り)と、聖母の騎士誌と、カードが配られた。メダイは、聖母の騎士修道女会のシスター方に奉仕をお願いした。カードは大分の恵理子さんの作りであった。
★「話は、どうだった?」。夜、電話で、トマの知人で参加した女性の印象を聞くと、「疲れた感じ、倒れるのではないかと、心配した。体調が良くなかったのか、小崎さんの話の活力がなかった。メモを取る女性の姿を見た。メダイ、騎士誌、カードを配った。トマさんらしい配慮を感じた。普通の人なら、そこまでは、しないでしょう」
★カードをお願いした恵理子さんから、出来上がったカードの束に、1つの言葉が添えられていた。「アウシュヴィッツのコルベ神父様、長崎の原子野に居たトマさん、あの地獄に、神は居られたのか?・・ということを思う時、私はお2人から、神は居られた・・と思えます」。トマには、この恵理子さんの言葉が心に1つの閃光を走らせた。
★神の声も聞こえない。天使の姿も全く見えない。神は居られるのか?反対に、神は居ない、は良く体験する。それは原爆であり、アウシュヴィッツ。これらは人間の仕業だった。それならば、こんな体験は無いのか。「人間って、こんなに優しいのか。ならば神さまって、どんなに優しいのだろうか」。人間の仕業、愛の中に、神の愛と優しさを知る。神は、原爆の丘にも、アウシュヴィッツにも、居られたに違いない。
★なぜ、ブリ神父さまは、トマに話を頼んだのだろうか。「ゆるしの秘蹟」を与える司祭が、その日、2人も居られた。トマに、どうしても話して欲しかったと思う。ポーランドのこと、コルベ神父のこと、それを話して欲しかった。十分に話が出来なかったことを残念に思う。だが、もう過ぎた思い出になった。優しい、勲章の推薦人、ブリ神父を忘れる事はない。復活祭の次の日に、ブリ神父さまは、長崎に別れを告げて、転任する。寂しくなります。次の宣教の場での活躍を祈ります。

2018年3月28日水曜日

信仰は、愛とイノチ。マリアに奉献し、イエスに死ぬ

後半は、コルベ神父の生き方を語る。何をしに日本へ来たのか?コルベ神父は、とにかく「マリアさま」。けがれなき聖母です。ルルドでも言われた。「我は、けがれなき宿りなり」。マリアを通してイエスへ。これが一番の近か道。農夫が王様に農作物を捧げる時、直接、捧げるよりも、女王様に捧げると、美しい篭に入れて、周りを飾って王様に差し上げる。その方が喜ばれ,、効果がある。マリアさまに、我が身、心、知識、働き、総てを完全に奉献する。自分はマリアさまの道具となる。働かれるのはマリアさま。それが「マリアを通してイエスへ」。その信念を生涯、貫いた。
★修道院では、お互いに「マリア」の挨拶。手紙の初めには「Maria」。各部屋に無原罪の聖母像を安置する。「マリア」で呼吸し、マリアで生きる。日本へ来たのは「ふしぎのメダイ」の普及と、聖母の騎士誌の発行に全力を捧げた。人々をマリアに結びつけ、マリアへ奉献させる。「マリアに結ばれれば、必ず幸せになる」。その願いで、日本での6年間を宣教した。これだけは話したかった。
★神が存在するならば、神の見える働きが有るはず、です。コルベ少年は、町の教会の祭壇で、聖母マリアから白い冠と、赤い冠を見せられた。「どっちが欲しいですか?」「両方、欲しいです」。(コルベ神父の映画「二つの冠」の会場で語った事を繰り返した。死後、戦争後、列福調査。最初は「愛の殉教者」のイメージで列福が盛り上ったが、時代の反応からか反対が起こり、証聖者としての列福に変わる。2つの奇跡が必要とされ、祈りの結果、2つの奇跡が教会から承認された。ヴァチカンの聖ペトロ大聖堂内で、パウロ6世教皇によっての列福式。全聖職者の祭服は「白色」(証聖者)であった。それから11年後、列聖式は、今度は余りにも多くの参加者の為に、聖ペトロ大聖堂の広場で挙行される。ヨハネ・パウロ2世教皇初め全聖職者は「赤色」殉教者の祭服だった。列福式も列聖式も参加する栄誉を得たが、その情景を見て、コルベ少年が見た「2つの冠」は、話々でなく、目に見える形で実現した、と大きな喜びを感じた。(ちなみに列福は証聖者、列聖は殉教者は、コルベ師の他には居ない)
★アウシュヴィッツでのコルベ神父の姿と餓死の地下室。これが実際の部屋で、片隅に木製の便器が置いていた。
★列聖の翌年、ポーランドへ行き、コルベ師のお母さんの墓参りをした。観想修道女会のシスターから、コルベ夫人の信仰心を聞いた。
★またコルベ神父から命を助けられた男性・ガヨビニチェックさんにも3度、面会した。彼は言った。命を助けられた時、「ジンクーエン(ありがとう)と言わなかったのが、一番の残念」と。コルベ師は「安心しなさい、大丈夫だよ」と優しい微笑みを残して、餓死の地下室に入ったという。
★体が病弱だったコルベ師が、17日間の餓死状態を、生き延び得たのは、マリアさまの力、支えによる奇跡だったと信じる。
★コルベ神父が、なぜ、人の為に命を捧げる事が出来たのか。それは、つまらない人のために、どうしようもない人の為に、命を捧げた人が居たからです。それは誰ですか?イエスです。コルベ神父はイエスの道を生きたいと望んでいたからです。イエスに最も近い人、マリアを愛し、完全に奉献した。マリアさまの導きで、コルベ神父はイエスの如く、裸で、我、渇くと言って、人の為に命を捨てる事が出来たのです。コルベ神父の「愛の花びらは、いつまでも枯れることはない」

2018年3月27日火曜日

苦難を「みせつり」として受け入れるのが、信仰

原爆の丘での体験は、余りにも過酷すぎた。焼け野原に化した浦上。夜な夜な、崩壊した浦上天主堂の燃える火を見ながら、泣いた。わが家も、母も燃え、吹き飛ばされ、遺体も見つけなかった。18日、廃墟で生活して、聖母の騎士へ入った。そこには永井隆博士が避難して居た。永井先生は、小神学校(中学校)で、理科を教えてくれた。
★その永井先生が、原爆1周忌の浦上教会・ミサの祈りで、次のような意味を語った。「廃墟になった現実を見極めよう。多くの死者のために祈ろう。彼らは神への『いきにえ』となった。残された我々は、前向きに復興を進めて行こう。苦難を『みせつり』と捕らえて、信仰のうちに生きて行こう」
★突如、ガンを宣告される。苦難に落とされる。この世の中には沢山の苦しみがある。善処しよう。手当てをしよう。しかし人間には限度があり、どうしようもない時がある。その時には「みせつり」として受け止める。信仰は、苦難を「みせつり」として受け入れる。
★(旅に取られた浦上信徒たちは、帰郷した時、天主堂に1つの塔を立てた。それには「神の仕業(しわざ=意志)によって追放された人たちは、浦上に戻った」と記した。その塔は、原爆でも崩れなかった。
★自分は「カトリック信者」であることを感謝しています。人間とは何か?を、はっきりと教える。人間は神から出て、神に帰る存在である。神の愛と命から出た。しかし人間には弱さ、欠点、欲望、罪が有る。清めなければ神の元へは帰れない。そこに絶えざる改心と、悔い改めがある。悔い改めには、祈りと、御聖体と、ゆるしの秘蹟が必要です。
★尊敬する故・中島万利神父さまは、98歳の誕生・祝賀会のとき、私が個人的に聞いた。「人間、どう生きるべきか?」「祈りと、愛と、清さだ。毎日、ロザリオを6本唱えている。ロザリオを唱えると、天国へ行けます、ファチマの聖母のみ言葉だ。愛も出来る。愛は実行してきた。しかし清さが難しい。だから痛悔がある」。99歳で亡くなった。

2018年3月26日月曜日

修道士は語る。浦上の信仰の原風景。聳える天主堂

修道士は、神学や聖書を専門的に学んでいないから、教える能力は、ありません。ただ自分が生きて、体験した事、平凡な中の信仰を語ります。
★ホームに入って、4年半。静かで、単調だが、今年になって良い事が幾つかあった。1月に、ポーランドから勲章を貰った事です。平凡な修道士が勲章を貰えるはずがない。確かに推薦者が居る?ブリ神父さまです。そう信じている。(と言うと、ブリ神父は、しきりに、イヤ、イヤと、首を振っていた)。次は、3月で、90歳になった事です。皆さんからお祝いを受けた。そして今日は皆さんと出会えている。これもお恵みです。
★私の初めての信仰体験は、北朝鮮の港町で、小学生の頃、ただ1軒のカトリック。他の児童は総て、仏教。何故、私だけがカトリックなのか、小さな胸を痛めた。特に歴史で「キリシタン成敗」「島原の乱」など出てくると、学校へ行きたくない。母は熱心に信仰を守っていた。祈りは欠かさない。★旧制中学の受験のとき、筆記、体力試験も終わって、口頭試問になった。当時は軍国主義の時代。天皇は神さま。「君は、キリスト教だね、天皇の軍隊と、キリストの軍隊が戦争をしたら、どっちに付くか」と問われて、少年は、棒立ちとなる。彼は思い切って、答えた。「キリストの軍隊に付きます」。合格となった。今、考えて、合格を与えた先生は、「合格だ」と叫びたい。
★13歳のとき、母の里、浦上へ帰る。「見ろ、20年の歳月をかけてレンガを1つずつ積み上げて建造した大天主堂が聳えているではないか」。周りには1万2千人の信者が居た。天主堂の内部は、今のような机がない、板張りだった。男子は、左側、女性は、右側。ベールの姿が美しい。
★毎土曜日の夜には、近所の信者が集って「サバタ(土曜)寄り」が行なわれた。ロザリオを唱えて、死者の為に祈り、祈った後はお茶・菓子が出て、死者を語り、会話を楽しんだ。テレビの無い時代だった。親は、子に言う。「祈りバ、せろ。スラごと(ウソ・偽り)クルより、ロザリオ、クレ。善業バ、せろ。犠牲バ、せろ。貧しい人に食事を与えよ。死者の為め祈れ」。もう1つ、オマケがあった。「神父さまを大事にせろ」。浦上の信仰の原風景であった。
★母は、15歳の私を、聖母の騎士のルルドへ連れて行った。母から、ルルドへつながり、ポーランドの修道士につながる。コルベ神父につながり、ブリ神父にもつながった。
★信仰とは、「つながり」だと、私は思っております。
★ところが、この世は、思いがけない事が起こる。あの大天主堂が、一瞬の内に崩壊し、信徒1万2千人の内、8千5百人が亡くなった。人生には、時として、「どん底」に落ちる。その時、如何に生きるべきか。大きな課題がある。

2018年3月25日日曜日

1時間の話、大役を無事に終わる。もう限度ですね

枝の主日。聖週間に入ります。聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日が来て、次の日曜日は復活祭になります。
★愛野教会で、枝の清め、行列、ごミサが行なわれました。その後で、小崎修道士の話しが1時間ほどありました。話の後で、ゆるしの秘蹟が行なわれ、浜田神父さまも聴かれました。高原修道士さんは車の運転でした。ブリ神父さまが主任司祭です。ポーランド人で、復活祭の後、転任されます。7年間、この教会に勤めたれた。最後に、小崎修道士にお話を依頼されたのは、ポーランドのこと、ポーランドの聖人・コルベ神父さまの話をして欲しかったのでしょう。
★小崎修道士は歳には勝てません。アタマが混乱して、順序良く、まとまった話が出来なかったのが残念で、心残りになりました。それでも50人ほどの信徒は、熱心に聞いてくださった。無事に終わって、ホームに帰れて、ホッとしています。
★「もう、話は、限度ですね。そう、つくずく感じました」