2017年6月4日日曜日

驚き「トマさんのことば」を送った女性が訪ねて来た

大阪の女性から、4月下旬にハガキが届いた。「トマさんのことば」を是非、頂きたく思います。以前、聖コルベ館で、2度お会いしました。台湾人の許です。いつもトマさんの日記を愛読しております。ハガキの裏の絵は、私の作品です。聖フランシスコの喜びと平和がありますように。早速、お送りした。
★きょう、午前中に、電話がかかった。「いま、長崎に来ています。トマさんに会いたいです。来てもいいですか」「来るのは大変ですよ」「大丈夫です。湯江着の電車があります。午後1時40分に着きます」。玄関で待っていると、女性がやってきた。
★部屋に案内する。「原爆の話、ゼノ修道士の話、コルベ神父さまの話を聞きたいです」。日本へ来て、18年になるという。絵本の専門学校で学んだ。「こじか」(カトリックの子供向け週刊誌)に、「高山右近」「永井隆博士」、いまは「北原怜子」を書いている。大型のスマホで、それらの作品を見せた。カバンから、「トマさんのことば」を取り出した。「いつも読んでいます」。本を送って、訪ねて来た人は彼女が1人だけだった。話しは尽きず、2時間は語った。本を持って、笑顔で写真に写っているが、彼女は乳がんを治療しているという。苦悩を体験した。それでも「苦しみは、神へ至る通り道ですね。幸せですよ」と彼女は言った。
★「いま、あなたに浮かぶ言葉は何ですか?」。彼女は、しばらく黙して考えていた。やっと言葉が出た。「ほほえみ、ですね。ふしぎなチカラを持っている。何もしなくても周りに影響を与える。あるのと、ないのと、影響は大きい」
★「私の話を聞いて、何を感じましたか?」「トマさんの背後の修道服を見ていました。ヒモが白く光る。フランシスコが好きです。修道服があって、ここに修道士さんが居て、私が経験できなかった本当の歴史を語ってくださった。いま、自分の中に納めて、いつ私の人生に与えるか、いまは分からない。本当によい半日でした。来てよかったです」
★主人は日本人です。快い「ほほえみ」を残して、彼女は去った。

2017年6月3日土曜日

6月の誕生会。出し物は、ミコシだよ。女性乗せて

誕生会。楽しみは、職員さんたちの出し物だね。写真を撮るのに、苦労するね。6月は、本当は、3人が居た。お1人が、誕生日の次の日に亡くなった。だから、お2人がお祝いした。
★出し物の準備室を覗いてきた。「あら、イヤだ、写さないでよ」。女性の職員さんは恥ずかしがる。「でも、1枚」と押し切ると、まんざらでもない「ハイ、ポーズ」
★何するんだろう。本人も、よく分からない。アタマに何やら白いものを2枚つけている。「何をするのかな?」
★昼食に全員が集り、「これから始めます」の言葉。次いで、園長神父さまの言葉。オルガン、拍手に合わせて「ハピーバスデイ」を歌いながら、お花と小さな灯と、おみやげを園長神父さまと職員さんで席まで運びます。それから「アヴェ・マリア」の祈り。乾杯となる。さて、あの女性はどうなったか、と席を立って、見に行った。
★なんと、4人の若者・男性職員に担がれているではないか。「え?なんじゃ、こりゃ?」。不安そうな、気持ち良さそうな、女性の職員さん。こんなの初めてだよ。音楽が掛かったのか、覚えていない。「よいしょ、よいしょ」の掛け声で食堂へ入ってきた。皆さん「ワーォ」「ワーォ」。拍手と笑い。男性職員は元気モリモリだよ。
★食堂を一往復すると、出て去った。すると「モッテ、コーィ」「モッテ、コーィ」の掛け声が起こった。また入ってきた。左側、少しだけ写っている、ウチワを持って職員が、はやしたてた。それは楽しい誕生会でした。きょうは、のど自慢の歌は中止し、来月に持ち越した。
★昼食の後、誕生会を迎えるはずだった女性の葬儀・告別式が教会で行なわれた。園長神父さまはお説教で言った。「彼女がホームに入って11年になる。私もホームに勤めて11年になる。だから彼女の思い出は沢山ある。きょう、私たちは誕生会だったが、彼女は天国でご主人と一緒にお祝いしているでしょう」

2017年6月2日金曜日

平穏なホームでも、色々と身近かで何かが起こる

昼食です。ご飯、きびなごの天ぷら、菊水麩(ふ)の煮物、胡瓜の酢の物、落とし卵の味噌汁、オレンジキャロットゼリー、以上でした。きびなごの天ぷらは、希望者には追加があった。いつも完食しています。出される食事を食べて、間食しなければ、順調です。それでもホームでは色々貰い物が多いので困ります。饅頭類や、カステラ、果物など、食べ過ぎないように心がけています。
★早朝、ミサへ行く途中で、廊下のある部屋の前に、電気がついていた。何やら異なった雰囲気を感じた。後で、女性が亡くなったと聞かされた。
★午前中、独りで入浴した。ゆっくり湯につかる。幸せを感じる。生きているのを感じる。これから先は分からない。湯で一緒になっていた男性は、車椅子になった。変化して行くのが、ホームの人たちでもある。
★園医のお医者さんの診察日。最近、気になる体調がある。「腎機能」を知りたいです、と診察を受けた。看護師さんから、血液を採られる。
★昨日、職員さんが、ベッドの敷きフトン、「ヘルスウエーブ」を持ってきた。故・中島神父さまが使用していた高価なベッド・マットで、もったいないからという。好意は有り難いが、心の動揺も起こる。「眠りの科学から生まれた健康ふとん」と字が読める。厚さ10cmはあろうか。カラダを横たえると、デコボコした感触である。「これで安眠できるのか」。昨夜は寝つきが遅かった。
★早朝、亡くなった女性は、昨日が誕生日だったと聞いた。ホームでは「誰々さんが亡くなった。お祈りましょう」と知らせはあるが、歳は言わない。夕方、お通夜がある。
★何事もない一日のようだが、それでも、このように色々と身近かで何かが起こる。

2017年6月1日木曜日

やっぱり、生きるには、神への信仰です。力が湧く

ホームで、やはり生きるチカラは信仰でしょう。毎朝のミサに参加できない信徒は、定期的に、介護詰所の横に集って、園長神父さまからご聖体を戴きます。
★歳をとるのも大変な苦労があります。気楽に歳がとれないものかと思います。ダメですね。自分ひとりでは、シンドイ。神さまのイエスさまがご聖体となって、私の処に来てくださる。いっしょに苦しんでくださる。そう思うだけで、気持ちは楽になります。
★6月はイエスの聖心の月として、昔から信徒の間で、信心を集めてきました。イエスの聖心を慰めるよう努力するわけです。
★1日は、教会のミサでは「ユスチノ殉教者」の記念日を祈りました。ユスチノの名前から、私、幸一の従弟に、幸雄がおりました。修道士となり、長年、児童福祉施設で働きました。後年は、イタリア・アシジで、6年間、勤めました。2004年12月7日に、東京で、73歳で神に召されました。話しの面白い修道士でした。
★昨夜は、小長井修道院の神父さまの修道名のお祝いで、9人が外食して、「修道生活を頑張ろう」と楽しみながら、決心を新たにしました。誰しも、最後まで、神に奉献した精神を忘れず、微力ながら勤めたいと思っています。

2017年5月31日水曜日

今からでも遅くない「トマさんのことば」ハガキを

毎日、書き続けてきた「日記」から、思いがけず、2人の見知らぬ若者の編集のお陰で、小さな本、「トマさんのことば」が出来上がって、はや、1ヶ月半が過ぎました。日記を読まれる皆さんから、ハガキを戴いて、お送りしてきました。出版したのが、4月16日の復活祭の日でした。今日で、5月を終わろうとしています。
★幸いにも、お送りしての反響は好評で、「小さくて持ちやすい」「言葉が短くまとめているので、読みやすい」「写真と言葉が、合っている」「生活の指針になります」「なぜか生きるチカラが湧いてきます」など、などの有り難い言葉を受けて喜んでいます。
★マリアさまの月の5月も、今日で終わるので、もう1度、広告を掲載します。日記を読まれる人で、ハガキを出していない人は、ぜひお願いします。ハガキをお待ちしています。ハガキを頂くと、ホームでの生活も張り合いが出てきます。

2017年5月30日火曜日

突然の来客。こんな不思議もあるんですね。祈ります

昼食のとき、事務の職員さんから、「1時頃、愛媛のヒガキさんが来られるそうです」と伝えられた。みどりさん、保彦さんご夫妻か。みどりさんは3歳の頃、鉄道レールで遊んでいて、両足と、右手を失った。育つごとに、人生、どん底を感じる。しかし、みどりさんはお母さんの教育のおかげで、明るく、笑顔で、前向きに生きる女性に青春を迎えた。
★保彦さんは、明るいみどりさんに惚れて、結婚を申し込む。保彦さんは11歳も年下であった。みどりさんも結婚に迷った。ちょうど、そのと
き、教皇さまが広島に平和巡礼に来られて、みどりさんも歓迎に参加した。運よく、パパさまと、左手で握手をする恵みを得た。みどりさんは思った。まだ、握手が出来る左の手があるじゃないか。保彦さんのプロポーズを受け入れよう。パパさまと握手して、4ヵ月後に結婚した。みどりさん、33歳。保彦さん、22歳。
★1時に、2人で来るものとばかり予想していた。みどりさん夫妻を度々取材して、騎士誌に何度か掲載した。何度も愛媛の自宅も訪ねている。ホームの玄関で、待っていた。それらしい車が見えた。駐車場に停まる。玄関を出て、待っていた。車から降りたのは、男性が1人だった。「車で、こちらの玄関まで来てください」。無言の保彦さんは、手に小さな額縁を持って近づいてきた。「みどり、です」「え?亡くなったの?」
★5月22日に、70歳で亡くなった。保彦さんと結婚生活36年であった。亡くなった1週間ほどしか経っていない。保彦さんの話によると、みどりのお通夜か、葬式だったか、頭が混乱して定かでないが、1人の女性が1枚のメモを差し出したという。「こんな時に、何ですか」。メモには「小崎修道士の住所、聖フランシスコ園」が書かれていた。「これは、みどりが、小崎さんに知らせて」との願いかも知れない。それで、今日、来たのです、と語った。それを聞いて、私の目から涙がこぼれた。
★本当に、こんな事って、あるんあだな。みどりさんの明るい顔、人を自分の方に寄せ付ける雰囲気、負けない根性、暖かい愛、それらを皆、知っている。みどりさんは歩いている。料理も、手編みの手芸も見事に出来る。みどりさんは保彦さんに出会って、人生、本当に幸せだった。1回切りの人生、3歳でどん底に落とされた。信仰と、愛で、普通に、いや普通以上に明るく生きて、沢山の人に「生きる喜び」と「出会いの大切さ」を身をもって教えてくれた。保彦さんは、神に2つのことを祈っていたという。1つは、私を早く神さま、お呼びください。お互いが死ぬときのは、2人だけに、してください。1は叶わなかったが、最後は、2人だけだった。みどりから慰められた、と保彦さんも「何にも、してやれなかった」と私の前で涙をこぼした。夫妻の唯一の楽しみは、保彦さん運転のドライブだった。

2017年5月29日月曜日

ふしぎなご縁があるものです。思いがけない再会

15歳の頃の写真です。この以前に、1年半ほど結核・カリエスで大学病院に入院して、治療していた。退院した後、病院の庶務課長でカトリックだった深堀さんのお世話で、病気の予後の健康回復のため、大学病院の耳鼻科の研究室の補助員を勤めていた。その時の耳鼻科の教授が、長谷川先生であった。補助員に、もう2人がいた。1人は夜間工業学校の五島君、女性でカトリックの玉屋さん。私たちは、耳鼻科の医師の博士論文のための研究の「うさぎ」などを飼育していた。
★教授の長谷川先生は、背が高く、優しくて、気品を備えて、特に奥さん思いの人だった。私と五島君を市内西山の自宅までよく使いに出した。私たちは喜んで出かけた。自宅に着くと、奥さんから丁重なお茶とお菓子の接待を受ける。帰りにはお駄賃まで戴いた。昭和18年、19年の戦争も末期で、品物不足の時代だった。その奥さんの横に、お嬢さんがいた。
★昨日、聖母の騎士のルルド祭に参加したが、教会で、「お元気でしたか」と女性から声をかけられた。この女性こそ誰あろう、長谷川教授のお嬢さんであった。それは、それは、おどろきました。再会を喜びました。しかし巡礼団として来ておられたので、個人的に話すことは出来なかった。本当に残念です。
★原爆のとき、長谷川先生は耳鼻科で被爆されたが、奇跡的に助かった。五島君と玉屋さんは被爆死した。長谷川先生はその後、大阪大学医学部教授となり、カトリックになられた。先生に出会ったとき、次のように言われた。「洗礼を受けたのは戦後7年経った聖霊降臨の主日で、私ども夫妻と2人の娘の一家全員でお恵みにあずかった。家内は受洗できたことを喜び、それには長崎の玉屋さんや病院庶務課長だった深堀さんの通功があったと感謝しています」
★先生は補助員の玉屋さんに、「神さまって、どんな御方ですか」と質問した。玉屋さんは「私どもの背後でいつも優しく見守っていてくださる方です」と素直に答えた。目に見えない不思議な存在を玉屋さんの背後に感じた、と先生は言われた。