2017年4月30日日曜日

小さな本の発行から半月、ハガキを待っています

「原爆死した母が与えたロザリオ」(野々村哲(さとし)さんが撮影)。このロザリオは、80年はなるでしょう。終戦直後、聖母の騎士の神学校に入った時、舎監のポーランド人修道士ロムアルドさんから、大きな不思議のメダイを頂いた。それを付けました。
★メダイは中国製らしく、両手を広げた聖母の周りに、「無☆玷☆聖☆母☆始☆胎」と書いてある。当時としては特別な珍しいメダイであったので、ロザリオに付けて、大切にして、他の神学生たちに自慢していた。
★数奇な出会いから、野々村哲さん、塩沢美樹さんのお2人が、「登明の日記」から言葉を選び出して、「トマさんのことば」と題する小さな本を編集してくれた。この本を出版してから、半月になります。
★発行は、4月16日の「復活祭」でした。今日で、4月も終わります。4月の最後の日に、もう1度、小さな本の宣伝をさせていただきます。ブログ「登明の日記」を読んでくださる皆さまに、無料で、郵送料も無料でお送りしています。ぜひ、おハガキをお出しください。お待ちしています。皆さんに読んでいただくのが願いです。

2017年4月29日土曜日

昭和の日。昭和天皇の誕生日。波乱に満ちた昭和

食堂の脇に、人知れず咲いている「アンネのバラ」。今日は、昭和の日だそうです。
★私なんか、昭和っ子。昭和3年に生まれる。世界恐慌があった大変な年であったらしい。北朝鮮で生まれた。昭和7年には、お隣に「満州国」が成立した。軍部の台頭があったが、当時の北朝鮮は静かな良い古里だった。
★昭和は64年までつづいた。ホームには「大正生まれが何人居るだろう?」。そんな興味も湧く。昭和から平成に代わったのは1月で、1989年のことで一番、日本が豊かな時代だった。私は山の小・中学校に居た。銀行に預金を預けると記憶では、8%の利子がついた。
★昭和天皇さまが、天皇では一番ご苦労なさった。軍部の台頭、戦争に突入、敗戦、マッカーサーの支配下に置かれる。マッカーサーと一緒に撮った写真が痛ましい。昭和24年だったか、長崎の養護施設で、全国行脚の天皇さまをお迎えした。戦争中は「現人神(あら・ひと・かみ」と軍部から教えられ、キリスト信者は苦悩した。食堂で、同じ食卓の女性に聞くと、五島まで天皇さまは来られたという。その時、廻って来られた天皇さまは、疲れた背広を着ておられた。昭和はその後、大きな発展をとげる。
★北朝鮮の(旧制)中学の受験のとき、口頭試問で、「君は、天皇陛下の軍隊と、キリストの軍隊が戦ったら、どちらに付くか」と問われて、「キリストの軍隊」と答えて、泣いた。試験は合格だった。戦後、合格点を与えた先生は偉かったなァと思う。
★修道士で育った私は、昭和の歌謡曲を覚えていない。ホームに来て、「カラオケの日」があるが、歌えないのが残念だ。賛美歌やラテン語の歌ばかり覚えた。ホームの老人たちは、女性も男性も、よく歌の文句を覚えていて、楽しく歌っている。歌謡曲に青春があったのです。彼らの歌の中に入って行けないのが、もどかしい。
★長生きしたお陰で、長崎・原爆、アウシュヴィッツ、チェルノブイリなど知った。ただ1つ、気がかりな場所がある。生まれ育った北朝鮮の都市の庶民がどんな暮らしをしているか、だ。
★「人生、何が、まわって、くるか、わからない」「ああ、ソーナノ」「ダ協して、受け入れて、いくのが、チエ者か」
★アンネのバラを見ると、何だか、悲しい。

2017年4月28日金曜日

突然の客が来る。旅の仲間です。ご縁はつづけよう

午前中、古い年賀状の整理をした。ホームに入ったからには、ご縁の薄くなった人は仕方がない。捨てる箱に収めた。一枚、一枚、見ながら、瞬時に判断する。「これは、残すか」「これは、捨てても、いいか」。本当の話です。山長先生の賀状で、一時、ためらいました。もう会うことも、ないだろう。だが、待てよ。「謹賀新年」とあり、干支(えと)に関係なく、浜脇教会と黒島教会の写真が載っている。「これは、取っておこう」と残したのが良かった。
★昼食30分前に、突然、思いもしなかった、その山長先生(写真・右)が自室に現れるではないか。これには、びっくり、だよ。案内したのは千草さん(左)だった。「え?何で」「お会いに来たのよ。あら、お顔の色、良さそうね」。山長先生は、カトリック女子高校の英語の教師を勤め上げた。今は、お一人でマンションにお住まいです。
★30分の間に何を語ったか。2つのことでした。山長先生が転倒して、右の足を骨折して、2ヶ月半、入院して治療したこと。それに、「小崎さんに感謝します。チェコ・ポーランドの旅行に連れて行ってもらって、本当に良い旅行でした」と楽しかった旅の思い出に花が咲きました。「あれは何年だったかね?」。千草さんが「2004年よ」。もう13年になるか。「あの頃は元気だったなァ」
★ポーランド旅行以来、毎年、小崎の誕生日には、千草さんのお世話で、旅行に同行した数人が集って、毎年、祝ってくれた。会場は、最初は中華料理店、聖コルベ館などだったが、後では山長先生のマンションに落ち着いた。山長先生が豪華な料理を準備して、小崎がワインを持参した。
★今日のおみやげは「高級のワインですよ。皆さんで飲んでください」
★年賀状を捨てずに、残しておいて、良かったよ。考えてみれば、捨てる住所じゃなかったよ。もう旅行に出かけられないのが寂しい。写真はポーランド・コルベ神父創立のニエポカラヌフ修道院です。

2017年4月27日木曜日

キレル高齢者は居ない。ミサ、ロザリオが心の薬

湯江教会の天井に、このような丸い可愛いステンドグラスがある。その窓から陽の光が差し込んでくると右のような写真に投影する。夕方になって、ロザリオの祈りが終わる頃の祭壇の付近です。光は不思議な思いを放ち、見ている人の気持ちを穏やかにする。
★ホームには、今年になって、9人の入居者があった。高齢者は、ガンコで、怒りやすく、イライラが多いと言われているが、ホームでは、そんなに争いは起こらない。皆さんは静かに暮らしている。なぜか、と考えると、ミサは、朝食前の霊的クスリ。ロザリオは夕食前のクスリ。この薬のおかげで、争いも、クチ・ケンカも、起きないと思っている。信仰は、ありがたいことです。
★昨日の新聞に、「高齢者は、なぜキレル」という問題が出ていた。高齢者になると、頑固になり、怒鳴る人、怒る人、文句を言う人が多くなるそうだ。なぜ自分にイライラするのか。そうかな、と思う。
★「今日も生きてしまった」と悩む高齢者がいることも知ってください、とあった。確かにホームに居て、そんなツブヤキを聞くこともある。長生きを、ため息つく者も、生きるのは、やっぱり嬉しい。高齢者になると、必ず戦争のこと、食べ物に苦労した話、軍需工場で働かされた話が多く出る。これは本当です。でも語るのは楽しいよ。
★学者が言うには、年を取ると、脳の前頭葉の機能が低下するそうだ。それで感情を制御出来なくなる。複数のことを同時に処理できない。周囲に配慮する余裕がなくなる。高齢者は自己中心的になり、キレやすくなる。
★キレない、おだやかな、やさしい、お任せの心のある人、祈りながら、いつまでも、そう願いたいと思う。

2017年4月26日水曜日

明子さんの家で、憩いのひと時。楽しい昼時でした

明子さんの家に、2人の修道士と、シスターがお世話になった。お昼のご馳走にあずかる。トマがカメラを押したので、写っていない。嬉しそうな明子さん。毎週、水曜日と金曜日に、ロザリオの後、トマの部屋に来て会話を楽しむ。
★真ん中は、ホームの隣の湯江修道院のヨゼフ橋口修道士さん。次いで、山の修道女院のシスター松下さん。以前、ホームの職員として働いていた。よく知っている仲間です。
★食事は、炊き込みご飯、竹の子料理、サラダなどでした。最後にアイスのモナ王も出た。ホームや修道女院では、アイスは出ないので、子供のように喜んだ。
★橋口修道士さんとは、もう長い付き合いです。戦争が終わって間もなくだから、70年かな。子供の施設、老人の施設などで働いた。福祉の専門家です。シスターもホームで働いたので、話題はもっぱらホームのことでした。ホームの話しになると、働く個人の話に及んでくる。書けない内容だよ。
★修道士も、シスターも、自分の家を持たない。神のため、望んで、この道を選んだ。家族がない。だから明子さんの家によばれると、また別の気持ちになる。シスターの経験有る「太っ腹」には、話しを聞いていて、降参です。パワーがあるんだな。
★橋口修道士さんの口ぐせだが、それは「トマは、奇跡の人だよ」です。彼に言わせれば、「病気がちであったが、生かされた。60まで生きるかな、思っていたよ。語り部を勤めるように神さまから、この歳まで生かされた。取材して、記事も書くしね」。トマは横で黙って聞いている。そのような半日でした。

2017年4月25日火曜日

「トマさんのことば」は、ハガキが来ると、白い封筒に入れて、ホームの事務室に発送を頼みます。赤いバイクの郵便屋さんが夕方、毎日、来ています。
★今日は、事務室の職員さんに頼んで、郵便局まで連れて行ってもらった。外国に送る封筒と手紙が4つあった。台湾、オランダ、ポーランド、アメリカです。写真は町の郵便局で、奥の突き当りが町の支所になっている。
★国内向けにも、10個の白い封筒を発送した。これまで届いたハガキの中に、こんなのがあった。「山梨の男性で、バイクで長崎の聖コルベ館を訪ねて、小崎さんに会った。2013年4月21日のブログに載せていただいた。それ以来、ブログを欠かさず拝見している。本は、戴きたいが、5月の連休に、またバイクで九州を旅する。1日の10時前にホームに到着の予定なので、手渡しで戴きたいです」
★彼が会ったという日のブログを調べてみると、彼の写真もバイクも写って載っている。2007年にも、聖コルベ館に来ている。「小崎さんは、今度、来るときは洗礼を受けていなさい」と言ったそうだ。ブログに載った時の出会いは、「洗礼を受けて来ました」
★今度、彼がホームに訪ねて来るなら、4年ぶりになる。どんな出会いになるだろうか。楽しみだ。バイクで各地を廻っている彼だ。きっと、いい話を聞かせてくれるだろう。バイクも見たい。再会が待ち遠しい。これも「トマさんのことば」のお陰かなァ。
★郵便局の道ばたに、レンゲの花がイッパイに咲いていた。やっぱり、この辺は田舎だなァ、そんな感じです。平和で、のどかで、いい町です。

2017年4月24日月曜日

コルベ神父が長崎に上陸した日。ゼノ修道士の命日

聖母の騎士にとって忘れてならない日です。昭和5年(1930年)のこの日に、コルベ神父とゼノ修道士、ヒラリオ修道士の3人は、汽船・長崎丸で長崎の出島岸壁に着いた。これでポーランドからの長い旅を終わった。
★ゼノ修道士は、その日から52年後のこの日に、92歳の宣教の生涯を終えて、天国のコルベ神父の元へ帰った。ポーランド人のパパさまが日本へ来られた、その翌年、1982年(昭和57年)のことだった。
★写真は、聖フランシスコ園を訪ねたゼノ修道士です。これはトマ修道士が撮りました。もう40年以上になる写真でしょうか。ホームの女性たちと和やかに過ごすゼノさんです。誰にでも親しみを感じさせる外国人でした。生涯、貧しい人を愛し、尽くし、自分は無一文の生活でした。ゼノさんの祈る姿が目に焼きついています。時々は疲れから、眠りました。
★コルベ神父を語るとき、絶えず「マリア」「マリア」と、マリアさまを呼吸して生きていました。けがれなき聖母マリアです。「けがれなき」というのが好きでした。イエスさまに一番近くて、よく知っている人はマリアさまです。マリアさまの元へ駆けつければ、イエスの処へ最も早く行くことが出来る。その信念で、身も心も、時間も、持ち物も、能力も、すべてマリアさまに奉献して、道具として無条件に働く、それがコルベ神父の生き方でした。
★コルベ神父とゼノ修道士が、日本へ来ていなかったら、聖フランシスコ園も、私たちも居なかったでしょう。今日は、それを考える日でした。
★遠藤周作の小説『女の一生・第2部』は、長崎へ上陸するコルベ神父の話から始まります。