廊下のスピーカーで、「電話です」と呼ばれた。放送局の女性記者からだった。近々、小崎さんに会って、勉強がしたいと言う。老人は時代を生きてきたから、昔の出来事は自分の心身と一体のように染み付いており、当たり前に思っている。しかし若い人は、そうではない。いつも一から学ばなければ理解し得ない。「ある程度、勉強してから来てください」「小崎さんの『オラショの旅』を読んでいます」。当方からすれば、「どうして、そういう疑問が湧いたのか、知りたいと思うのか」。その方に興味がある。
★昨日の日記で、韓国人の神父さまに出会って、テグの大司教さまの話をしたが、韓国・テグでの写真(2007年)が見つかったので、載せました。
★大司教さまに聞いた。「少年時代、誰から一番影響を受けましたか」「生活態度や信仰は、母方のお祖母さんから受けました。カトリック思想は父からです」
★「少年時代に、生涯、基本になるような、何か、『許す心』のエピソードはありませんか」「戦争中、小学二年生の担任は、日本人の先生で、軍人でした。とても厳しい先生で、たびたび叩き、ある日、私は先生から、ひどく殴られました。理由は分かりません。父には言わない。父も聞かない」。私は当時の状況が理解できて、胸が痛んだ。「心に、キズは、なかったですか」。大司教さまは、短く、答えた。「キズは、ないです。覚えている」
★「愛があるところ、敵はない。敵がなければ、争いはない」。大司教さまの言葉です。病気をなさっている大司教さまのため回復を祈ります。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2017年2月7日火曜日
2017年2月6日月曜日
楽しいひと時。皆さんで祝ってくれた。元気が出たよ
アシジの聖フランシスコは、兄弟たちが宣教の旅から帰ると、まず食事を準備した、と聞いた話があります。「トマさんの霊名だから、お祝いしよう」。長崎から、湯江から、13人が集った。皆さんは、兄弟だなァ。ありがたいことです。久しぶりにお会いして、私は本当に、まるでサカナが、水を得たように、「スィ、スーィ」と自由に泳ぐような、喜び楽しいひと時になりました。
★写真の左、私の隣は、韓国人の神父さまです。同じ修道会の司祭で、日本へ来て、4年になる。韓国のテグからです。テグに行った事もあるし、引退された大司教さまも知っているので、お尋ねすると、「入院されている」とのことでした。この大司教さまは、永井博士を尊敬する方で、長崎に、何十回となく巡礼された大司教さまでした。
★この夜、集ったのは、司祭が7人、修道士が5人、それに修練中の「うどん屋」の今井君でした。今井君は、3月に入って、1年間の修練を終えて、有期誓願を立てると、喜んでいました。
★「トマさんは、長崎の所属だからね」。崎浜神父さまは、近著を贈呈してくれた。夕方・6時に始まって、3時間、ゆっくりと会食を楽しんだ。仲間と共に居ると、皆さんは私の素性を知っているので、気が楽になり、肩の荷もおりて、明日への元気が湧いてくるのを感じました。有り難いのは「つながり」です。一人じゃ、ないということです。
★湯江からは、私と、高原さんと、谷村神父さまの3人が参加した。「いつも運転の高原さん、今夜は飲んでいいからね。帰りは代行運転を使うから」。代行運転で帰りました。3.500円でした。店は、諫早の中心街の「べじ太」で、満足する料理でした。店も、評判が良いらしく、満席だった。
★ホームに入って、「霊名を祝ったのは、3度目だね。次も大丈夫だよ」。言ってくれた司祭がいた。生きている間は、神の恵みと導きがある。
★写真の左、私の隣は、韓国人の神父さまです。同じ修道会の司祭で、日本へ来て、4年になる。韓国のテグからです。テグに行った事もあるし、引退された大司教さまも知っているので、お尋ねすると、「入院されている」とのことでした。この大司教さまは、永井博士を尊敬する方で、長崎に、何十回となく巡礼された大司教さまでした。
★この夜、集ったのは、司祭が7人、修道士が5人、それに修練中の「うどん屋」の今井君でした。今井君は、3月に入って、1年間の修練を終えて、有期誓願を立てると、喜んでいました。
★「トマさんは、長崎の所属だからね」。崎浜神父さまは、近著を贈呈してくれた。夕方・6時に始まって、3時間、ゆっくりと会食を楽しんだ。仲間と共に居ると、皆さんは私の素性を知っているので、気が楽になり、肩の荷もおりて、明日への元気が湧いてくるのを感じました。有り難いのは「つながり」です。一人じゃ、ないということです。
★湯江からは、私と、高原さんと、谷村神父さまの3人が参加した。「いつも運転の高原さん、今夜は飲んでいいからね。帰りは代行運転を使うから」。代行運転で帰りました。3.500円でした。店は、諫早の中心街の「べじ太」で、満足する料理でした。店も、評判が良いらしく、満席だった。
★ホームに入って、「霊名を祝ったのは、3度目だね。次も大丈夫だよ」。言ってくれた司祭がいた。生きている間は、神の恵みと導きがある。
2017年2月5日日曜日
トマス小崎から、登明を名乗る。好いている名前です
日本における最初の殉教者たち、二十六聖人の殉教の日です。長崎市のJR駅のすぐ近く、西坂に、殉教地はある。この写真を見れば、誰もが、一度は訪れた思い出があるでしょう。
★殉教は、本当に厳しい。神の助けがあって、弱い人間は信仰に徹する殉教ができる。人間個人は弱いのです。
★今から420年前、秀吉の時代に、京都から長崎まで歩いて、600Km。30日かかって到着し、即、十字架にかけられて、槍で胸を貫かれて殉教した。外国人宣教師6人。日本人の信徒が20人。12歳の少年から、64歳まで、様ざまな職業の人がいた。
★今朝は、日曜日のミサのとき、司祭が、「トマ小崎の霊名日であるから、祈りましょう」と紹介してくれた。私も司祭に、前もって、「我が父、母のために、ミサを捧げてください」とお願いしていた。
★ミサの後で、幾人からか「おめでとう」と言われた。「なぜ、その霊名を付けたの?」と聞く者もいた。
★聖トマス小崎は、15歳の少年で、父親と共に殉教した。一行が広島まで来たとき、トマス少年は、獄舎で、母親宛に手紙を書いた。家族への別れと、お願いの心境をつづっている。私に「霊名を付けたのは、昭和26年、着衣式のときで、聖母の騎士の当時の院長だった」。好い名前をいただいたと喜んでいる。
★キリシタンは、トマスの名を、漢字で「登明」と書いたと、何かで読んだ事がある。そこから「小崎登明」と記名するようになった。この名前も、好いていて、長年、使っていた。
★さあ、今夜は、長崎の皆さんが集まって、会食をしてくださる。楽しみにしている。帰りは遅くなるだろう。天候は、朝は雨が降っていたが、午後からは晴れ間も見えるようになった。
★「自分に与えられた運命を受け入れ、神のみ旨を根気よく求めながら、神の導くままに、生きよう」と栞にあった。
★殉教は、本当に厳しい。神の助けがあって、弱い人間は信仰に徹する殉教ができる。人間個人は弱いのです。
★今から420年前、秀吉の時代に、京都から長崎まで歩いて、600Km。30日かかって到着し、即、十字架にかけられて、槍で胸を貫かれて殉教した。外国人宣教師6人。日本人の信徒が20人。12歳の少年から、64歳まで、様ざまな職業の人がいた。
★今朝は、日曜日のミサのとき、司祭が、「トマ小崎の霊名日であるから、祈りましょう」と紹介してくれた。私も司祭に、前もって、「我が父、母のために、ミサを捧げてください」とお願いしていた。
★ミサの後で、幾人からか「おめでとう」と言われた。「なぜ、その霊名を付けたの?」と聞く者もいた。
★聖トマス小崎は、15歳の少年で、父親と共に殉教した。一行が広島まで来たとき、トマス少年は、獄舎で、母親宛に手紙を書いた。家族への別れと、お願いの心境をつづっている。私に「霊名を付けたのは、昭和26年、着衣式のときで、聖母の騎士の当時の院長だった」。好い名前をいただいたと喜んでいる。
★キリシタンは、トマスの名を、漢字で「登明」と書いたと、何かで読んだ事がある。そこから「小崎登明」と記名するようになった。この名前も、好いていて、長年、使っていた。
★さあ、今夜は、長崎の皆さんが集まって、会食をしてくださる。楽しみにしている。帰りは遅くなるだろう。天候は、朝は雨が降っていたが、午後からは晴れ間も見えるようになった。
★「自分に与えられた運命を受け入れ、神のみ旨を根気よく求めながら、神の導くままに、生きよう」と栞にあった。
2017年2月4日土曜日
修道士の道は、まっすぐ。変えられぬ。前進あるのみ
ノボセた心が動いた。二つのメンを取って、「写して、くれよ」が、この写真。オニのメンと、こっちは、お福さんのメンもあったのに、なぜか、ヒョットコ・メンを持っていた。まあ、ボクの心には、こっちの方が似合うかな。
★昨日、長崎・修道院の院長神父さまから電話があった。
★2月5日は、日本二十六聖人の祝日で、私の修道士名、聖トマス小崎の日になっている。長崎の会員が集って、「トマさんのお祝いをしたい」と、有り難いお誘いでした。
★5日の夕食は、長崎の皆さんが諫早まで出てきてくださって、お祝いの会食をする。こんな嬉しいことはありません。ホームに居れば、何といっても一人で、寂しいです。こうして、「つながり」を持たせてくださるのは、大きな喜びです。10人ほどの修道者が集るでしょう。期待しよう。
★先日、新・管区長神父さまが、ホームの自室を訪問されて、「トマさんの所属は、長崎の聖母の騎士修道院です」と言われた。これが一番、嬉しいことでした。終戦の混乱のとき、17歳で、聖母の騎士に入った。その気持ちが強いので、いつまでも聖母の騎士の所属でありたいのは、本当です。望むところです。出来れば、今でも、あの聖コルベ館で、修道服を着て、来館者を迎えたいです。入った場所で、生涯を終わるのが、私の本当の望みです。
★今朝は、自分の信仰について考えてみました。複雑な今の世の中、信仰の捉え方も色々あるでしょう。でも、ボクは生まれた時からのカトリック。母の信心を見ながら育った。言われる言葉は、「祈りば、せろよ。善業ば、せろ。犠牲ば、せろよ。死者のため、特に煉獄の霊魂の助かりのため、祈りなさい。神父さまば、大事に、せろよ」。そして「公教要理」一冊を暗記させられた。
★聖母の騎士に入って、ポーランド人の修道者から信仰を教えられる。コルベ神父を知り、ゼノさんや、他のポーランド修道士の信心を見て、目標を立てた。
★けがれなき聖母マリアへの信心、マリアを通して神なるイエスへ。言われた言葉は、「聖人になりなさい」。コルベ神父の生き方と、精神を学んだ。コルベ神父は身をもって、聖人となる。私は、どう生きるべきか、迷わない。
★迷わないけど、心の奥に有る「オニ」の色は減らしたい。反面、ヒョットコの心は残したい。老いても、耐えながら、祈りながら、ほほえみ、優しさを大切に過ごしたい。凡人だから、とても、とても出来ないでしょう。オーラなんか、出ないでしょう。あるのは、ヒョットコ・メンか、それで、よかよ。ダメかな。
★昨日、長崎・修道院の院長神父さまから電話があった。
★2月5日は、日本二十六聖人の祝日で、私の修道士名、聖トマス小崎の日になっている。長崎の会員が集って、「トマさんのお祝いをしたい」と、有り難いお誘いでした。
★5日の夕食は、長崎の皆さんが諫早まで出てきてくださって、お祝いの会食をする。こんな嬉しいことはありません。ホームに居れば、何といっても一人で、寂しいです。こうして、「つながり」を持たせてくださるのは、大きな喜びです。10人ほどの修道者が集るでしょう。期待しよう。
★先日、新・管区長神父さまが、ホームの自室を訪問されて、「トマさんの所属は、長崎の聖母の騎士修道院です」と言われた。これが一番、嬉しいことでした。終戦の混乱のとき、17歳で、聖母の騎士に入った。その気持ちが強いので、いつまでも聖母の騎士の所属でありたいのは、本当です。望むところです。出来れば、今でも、あの聖コルベ館で、修道服を着て、来館者を迎えたいです。入った場所で、生涯を終わるのが、私の本当の望みです。
★今朝は、自分の信仰について考えてみました。複雑な今の世の中、信仰の捉え方も色々あるでしょう。でも、ボクは生まれた時からのカトリック。母の信心を見ながら育った。言われる言葉は、「祈りば、せろよ。善業ば、せろ。犠牲ば、せろよ。死者のため、特に煉獄の霊魂の助かりのため、祈りなさい。神父さまば、大事に、せろよ」。そして「公教要理」一冊を暗記させられた。
★聖母の騎士に入って、ポーランド人の修道者から信仰を教えられる。コルベ神父を知り、ゼノさんや、他のポーランド修道士の信心を見て、目標を立てた。
★けがれなき聖母マリアへの信心、マリアを通して神なるイエスへ。言われた言葉は、「聖人になりなさい」。コルベ神父の生き方と、精神を学んだ。コルベ神父は身をもって、聖人となる。私は、どう生きるべきか、迷わない。
★迷わないけど、心の奥に有る「オニ」の色は減らしたい。反面、ヒョットコの心は残したい。老いても、耐えながら、祈りながら、ほほえみ、優しさを大切に過ごしたい。凡人だから、とても、とても出来ないでしょう。オーラなんか、出ないでしょう。あるのは、ヒョットコ・メンか、それで、よかよ。ダメかな。
2017年2月3日金曜日
幸福よ、来い。オニや、邪心は、あっち、行けーェ
節分です。心の願いは、「福は、うち。オニは、そと」。誰もが持っている思いでしょう。幸福になりたい。福は沢山、来るように。鬼はイヤだよ。魔物や、悪や、邪気は、あっちへ飛んで行けーェ。誰だって、抱いている気持ちです。
★ホームにも、節分の行事あります。例年ならば、広い食堂に「福の神」と、鬼がやってきて、踊ったり、アイキョウを振りまいたり、賑わうのです。だが今年は、食堂が工事中のため、残念ながら出来そうにありません。それでも職員さんたちは、何とか、がんばりました。写真が、ごらんの面々です。気合が入っている。
★ただ、福の神は居らず、「オニ」さんだけになった。みな、中身は好・男子です。鬼だから、勢いよく、四つの食堂を順々にめぐりました。「福」が居ないのは、寂しいね。私たちの食堂にも入って来て、「ナントカ、カントか」言って、各人に、お菓子が詰まった袋をおみやげに配りました。親切な、オニさんだった。
★何とかして、ホームの皆さんを喜ばせようとする職員さんたちの心が嬉しい。変化がないホームの生活だから、温かい気持ちになります。
★考えてみると、「福」や「オニ」と言うけれど、意味は深いと思います。誰もが、幸福、幸いを願っている。本当の「幸せ」とは何か?思えば、難しい。「オニ」も、そうです。人間は誰しも完全ではないから、誰もが隠れた心のなかに、「オニ」になる傾きを持っている。福と、鬼と、闘うのが人生なんでしょう。
★ホームにも、節分の行事あります。例年ならば、広い食堂に「福の神」と、鬼がやってきて、踊ったり、アイキョウを振りまいたり、賑わうのです。だが今年は、食堂が工事中のため、残念ながら出来そうにありません。それでも職員さんたちは、何とか、がんばりました。写真が、ごらんの面々です。気合が入っている。
★ただ、福の神は居らず、「オニ」さんだけになった。みな、中身は好・男子です。鬼だから、勢いよく、四つの食堂を順々にめぐりました。「福」が居ないのは、寂しいね。私たちの食堂にも入って来て、「ナントカ、カントか」言って、各人に、お菓子が詰まった袋をおみやげに配りました。親切な、オニさんだった。
★何とかして、ホームの皆さんを喜ばせようとする職員さんたちの心が嬉しい。変化がないホームの生活だから、温かい気持ちになります。
★考えてみると、「福」や「オニ」と言うけれど、意味は深いと思います。誰もが、幸福、幸いを願っている。本当の「幸せ」とは何か?思えば、難しい。「オニ」も、そうです。人間は誰しも完全ではないから、誰もが隠れた心のなかに、「オニ」になる傾きを持っている。福と、鬼と、闘うのが人生なんでしょう。
2017年2月2日木曜日
ゲンキになった。祈りで、応援。ありがとう、カンシャ
★入江さんが言った。「いっしょに、風呂、入ろう」「いや、まだ、やめとくよ」。入江さんが一人で入ったそうです。
★三食、食堂へ行って、朝、ミサで祈って、ロザリオに参加できれば、生活は合格です。きょうも、朝ミサで祈りました。食堂にも行きます。
★きょうは、「主の奉献」の祝日です。主が御誕生になって、四十日目に、男の子は、両親に抱かれて、エルザレム神殿に上り、鳩の捧げ物をする律法を守っていたそうです。
★ミサで祈りながら、自分の生まれた頃のことを考えました。北朝鮮で生まれて、朝鮮人の老人たちから可愛がられたことを思い出しました。老人は、白い上下の服を着て、優しい人たちでした。「出身地は、どこか?」と聞かれると、困るのですが、北朝鮮は生まれた故郷です。
★今は、ホームでお世話になっている。職員さんには、「ありがとう」「お世話になります」「お疲れさま」と声をかけるのを忘れない。「ご苦労さま」より「お疲れさま」の方が、いいと聞きました。きょうも、あすも、お世話になるばかりです。
★テレビでは、チョコレートの宣伝が出ています。「だれか、チョコレート、おくってくれないか、な」
2017年2月1日水曜日
久しぶりの朝の教会。これを乗り越えれば、合格
絵てがみ教室で描きました。
★2月に入りました。「春よ、早く、来い。あと、1ヶ月で、八十九歳だよ」。そんな気持ちです。3月1日が誕生日です。超・高齢者だよね。老いも深くなれば、カゼに振り回される、そんな昨今でした。
★回復の兆しがみえる。いつまでも寝ていられない。昨夜は、夜勤の職員さんに頼見ました。「あしたの朝は、5時前に起こしてください」。これを乗り越えれば、生活に気合も入るでしょう。朝の寒さのなか、教会へ行けたら、大丈夫、もう合格です。
★今朝は、言われた通り起こされた。しかし「おはよう」と言ってから、職員さんから、「あら、まだ、鼻声だ」と言われたのには、ちょっと、ショックでした。「ハナ声といわれるのは、敏感です」。でも、フトンを跳ね除け、起きた。
★久しぶりに教会の自分の席に座る。天井、祭壇を見まわす。すると、何かしら、これまでの自分の人生の祈りや教会の出来事が、ふつふつと、泡のように盛り上って来るのを感じたのです。
★後ろの席の主任神父さまが、私の耳元で、ささやいた。「よく、なった、ね。よかった」。しばらくして、また、ささやいた。「長崎の兄弟(修道者)から、よろしく、ってね」。この言葉が、私の心をジーンとさせ、温めた。この教会、祈りの場所に居るのが、私の安らぐ居場所だと思いました。この状態こそが、当たり前です。
★朝の教会には、司祭4人、修道士3人、ホームの信徒ら、信徒10数人が居る。ミサの前に、共同で、「教会の朝の祈り」を唱えている。「共同で祈るのは、いいなァ・・・ハナ声は、出すまい、出すまいよ」と気にかけた朝だった。
★次は、午後からのロザリオです。朝の教会と、ロザリオと、三度の食堂での食事、これだけあれば、合格です。ロザリオを共同で久しぶりに祈った。きょうは、そういう日であった。
★2月の第一日目のミサで、「忍耐と、気力と、信頼を、与え給え」と祈った。
★2月に入りました。「春よ、早く、来い。あと、1ヶ月で、八十九歳だよ」。そんな気持ちです。3月1日が誕生日です。超・高齢者だよね。老いも深くなれば、カゼに振り回される、そんな昨今でした。
★回復の兆しがみえる。いつまでも寝ていられない。昨夜は、夜勤の職員さんに頼見ました。「あしたの朝は、5時前に起こしてください」。これを乗り越えれば、生活に気合も入るでしょう。朝の寒さのなか、教会へ行けたら、大丈夫、もう合格です。
★今朝は、言われた通り起こされた。しかし「おはよう」と言ってから、職員さんから、「あら、まだ、鼻声だ」と言われたのには、ちょっと、ショックでした。「ハナ声といわれるのは、敏感です」。でも、フトンを跳ね除け、起きた。
★久しぶりに教会の自分の席に座る。天井、祭壇を見まわす。すると、何かしら、これまでの自分の人生の祈りや教会の出来事が、ふつふつと、泡のように盛り上って来るのを感じたのです。
★後ろの席の主任神父さまが、私の耳元で、ささやいた。「よく、なった、ね。よかった」。しばらくして、また、ささやいた。「長崎の兄弟(修道者)から、よろしく、ってね」。この言葉が、私の心をジーンとさせ、温めた。この教会、祈りの場所に居るのが、私の安らぐ居場所だと思いました。この状態こそが、当たり前です。
★朝の教会には、司祭4人、修道士3人、ホームの信徒ら、信徒10数人が居る。ミサの前に、共同で、「教会の朝の祈り」を唱えている。「共同で祈るのは、いいなァ・・・ハナ声は、出すまい、出すまいよ」と気にかけた朝だった。
★次は、午後からのロザリオです。朝の教会と、ロザリオと、三度の食堂での食事、これだけあれば、合格です。ロザリオを共同で久しぶりに祈った。きょうは、そういう日であった。
★2月の第一日目のミサで、「忍耐と、気力と、信頼を、与え給え」と祈った。
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