修道会の集いのとき、写しました。うどん屋の今井君と、真ん中は、中一の小神学生です。
★今井君は、長崎での修練も終盤に差し掛かり、ますます修得に励んでいます。応援してあげて下さい。
★今井君の英語力には感心しました。修道者一同がホールに集り、ポーランドから来られた神父さまのお話を聞いたとき、英語でした。「質問がある人は・・・?」と求められると、今井君が立って、英語で、ぺラ、ぺラと、質問していました。「彼は、やる、な」。そう、思った。問いは、「数か、質か、の問題」です。今は更に、修練長神父さまから、イタリア語を学んでいる。若いうちに、勉強するのを勧めた次第です。うどん屋だったが、彼には新たな未来が、開けるなァ。
★集まりのときに、「コルベ神父は、どんな人だったか」の話しが出た。一人の司祭が、こんな話をした。「コルベ神父さまと生活を共にしたゼノ修道士さんに、『コルベ神父さまは聖人でしたか?』と聞いたことがあった。ゼノさんは、しばらく黙って、首を少し傾けて、言った。『コルベ神父さまは、言うこと、行なうこと、いっしょ、でした』」。言行一致でしょう。これは中々、出来ないことです。平凡でない印しです。心に残りました。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2016年11月27日日曜日
2016年11月26日土曜日
聖コルベの身代わりの日は、7月29日です
今回の、修道会管区の集いに、ポーランドからアンデレ・スイカ神父さま(写真・右)が来日されて、長崎で講話を行なった。そのなかに、こういうお話があった。
★今年、ポーランドで開催された「ワールド・ユース・デー」で、7月29日に、ニエポカラヌフで、16か国の若い人のために、48人の司祭が共同ミサを捧げました。朗読は、コロンビアの少女が読み、詩篇を台湾の18歳の男性が歌いました。
★同じ、7月29日、この日は、聖コルベが、アウシュヴィッツ強制収容所に於いて、見知らぬ男性のために、自分の命を捧げる決意をして、餓死牢に入った日です。教皇フランシスコさまは、餓死牢の前の木の下に座って、祈りに満ちた静かなひと時を過ごされました。
★私は、感じることがあった。それは日にちです。身代わりの愛を申し出た日は、7月29日と申された。実は、私も、その日は、いつだったのか調べたことがあったのです。
★コルベ神父さまが身代わりを申し出た日は、定かではなく、「7月の終わり頃か、8月の初め頃」と伝えられていた。はっきり、しなかったのです。
★1993年7月、5度目にポーランドを訪れたとき、アウシュヴィッツ強制収容所の事務所で、記録書を調べた。907ページに及ぶ大書物「KALENDARZ・WYDARZEN・W・KL・AUSCHWITZ」で、次のように記されていた。所長フリッチは、ヘス(司令官)が居ない日だったので、逃亡者のかわりに10人を死刑に選んだ。そのとき、ポーランドの神父、フランシスコ会のコルベ(No・16670)は、フリッチに「私を死のグループに入れて下さい」と頼んだ。家族の将来を心配する人=フランチシェク・ガヨヴィ二チック(No・5659)=のために代わります。
★今年、ポーランドで開催された「ワールド・ユース・デー」で、7月29日に、ニエポカラヌフで、16か国の若い人のために、48人の司祭が共同ミサを捧げました。朗読は、コロンビアの少女が読み、詩篇を台湾の18歳の男性が歌いました。
★同じ、7月29日、この日は、聖コルベが、アウシュヴィッツ強制収容所に於いて、見知らぬ男性のために、自分の命を捧げる決意をして、餓死牢に入った日です。教皇フランシスコさまは、餓死牢の前の木の下に座って、祈りに満ちた静かなひと時を過ごされました。
★私は、感じることがあった。それは日にちです。身代わりの愛を申し出た日は、7月29日と申された。実は、私も、その日は、いつだったのか調べたことがあったのです。
★コルベ神父さまが身代わりを申し出た日は、定かではなく、「7月の終わり頃か、8月の初め頃」と伝えられていた。はっきり、しなかったのです。
★1993年7月、5度目にポーランドを訪れたとき、アウシュヴィッツ強制収容所の事務所で、記録書を調べた。907ページに及ぶ大書物「KALENDARZ・WYDARZEN・W・KL・AUSCHWITZ」で、次のように記されていた。所長フリッチは、ヘス(司令官)が居ない日だったので、逃亡者のかわりに10人を死刑に選んだ。そのとき、ポーランドの神父、フランシスコ会のコルベ(No・16670)は、フリッチに「私を死のグループに入れて下さい」と頼んだ。家族の将来を心配する人=フランチシェク・ガヨヴィ二チック(No・5659)=のために代わります。
2016年11月25日金曜日
沖縄の司教さま。おひさしぶり。忘れないよ
今度の修道会の集会に、沖縄の押川司教さまが出席され、お祝いのミサを司式されました。チカラ強いお説教も、心に伝わりました。「クワを手にして、後を振り返っては、いけない」
★ミサ後の会食のとき、司教さまに近づき、「トマ、です」と挨拶した。もちろん覚えてくださっており、ポーズもとっての・・・写真が、これです。
★聖コルベ館に居た頃は、毎年、正月休みは沖縄で過ごしていた。2年前の正月も、そうだった。沖縄に着いて、連絡すると、「司祭たちの新年会があるから、来なさい」と誘いがあった。
★押川司教さまの居られる教会は立派で、屋根や造りも沖縄らしく、すぐに分かる。1つ、小さな思い出がある。坂を登ると、マリア像があり、像の前で、ファスナーの付いた小袋を見つけたのです。「あれ、なんやろーう、な?」と開けると、生まれたばかりの子犬だった。「教会の人が助けてくれる、と思って置いたのだろう」
★昼食会が始まった。沖縄で宣教する司祭と、助祭が4人、合わせて20人ほどが居て、司教さまとの会食は楽しかった。捨て子の小イヌが話題になり、小イヌを見て、ベトナム人の神父さまが、「かわいい、飼います」と、引き取って解決した。
★犬といえば、もう1ピキ、教会へ入ろうとすると、小さな犬が、チョロ、チョロ、出てきて、足元に親しく寄って来る。毛が、ムジャ、ムジャした、なんという犬種か分からない。じーっと、こちらを見ては、聖堂へと誘うのだった。犬は、聖堂内部を、巡回していて、司教さまから可愛がられている。司教さまに甘えている犬だった。「名前は、なんですか?」と聞くと、「ピカ・・・」「ピカって、それ、アシジの聖フランシスコのお母さんのお名前でしょう?」。リッパな名前をもらって、光栄だよ・・・と、思った。
★司教さまに、「あの、ピカちゃん、ゲンキですか?」と聞くのを忘れた。
★ミサ後の会食のとき、司教さまに近づき、「トマ、です」と挨拶した。もちろん覚えてくださっており、ポーズもとっての・・・写真が、これです。
★聖コルベ館に居た頃は、毎年、正月休みは沖縄で過ごしていた。2年前の正月も、そうだった。沖縄に着いて、連絡すると、「司祭たちの新年会があるから、来なさい」と誘いがあった。
★押川司教さまの居られる教会は立派で、屋根や造りも沖縄らしく、すぐに分かる。1つ、小さな思い出がある。坂を登ると、マリア像があり、像の前で、ファスナーの付いた小袋を見つけたのです。「あれ、なんやろーう、な?」と開けると、生まれたばかりの子犬だった。「教会の人が助けてくれる、と思って置いたのだろう」
★昼食会が始まった。沖縄で宣教する司祭と、助祭が4人、合わせて20人ほどが居て、司教さまとの会食は楽しかった。捨て子の小イヌが話題になり、小イヌを見て、ベトナム人の神父さまが、「かわいい、飼います」と、引き取って解決した。
★犬といえば、もう1ピキ、教会へ入ろうとすると、小さな犬が、チョロ、チョロ、出てきて、足元に親しく寄って来る。毛が、ムジャ、ムジャした、なんという犬種か分からない。じーっと、こちらを見ては、聖堂へと誘うのだった。犬は、聖堂内部を、巡回していて、司教さまから可愛がられている。司教さまに甘えている犬だった。「名前は、なんですか?」と聞くと、「ピカ・・・」「ピカって、それ、アシジの聖フランシスコのお母さんのお名前でしょう?」。リッパな名前をもらって、光栄だよ・・・と、思った。
★司教さまに、「あの、ピカちゃん、ゲンキですか?」と聞くのを忘れた。
2016年11月24日木曜日
「オー、会えたぞ」。背丈も一緒、心も一緒だよ
修道会のなかで、一番の親友が、ペトロ・イシトーク神父さんです。昨日、長崎の聖コルベ館に着いたとき、玄関で、待っていたかのように、真っ先に出会ったのが、この背の低いペトロ神父さんでした。「やーァ、ペトロ・・・なつかしい」「おゲンキ、トマさん」。2人は抱き合って、喜び合った。
★背丈が、いっしょ、というのが、いいね。歳は違うけど、心もいっしょ、だよ。7年前の秋に、突然、ルーマニアからやってきた。あのときは、本当に、ビックリしたな。「オレと、同んなじだ。かわいい神父や、な」
★ニッポンはどういう国か、見に来たのだった。そのときから、仲良くなった。次の年の秋にも、また、やってきた。デジカメをプレゼントして、和食をごちそうした。心の優しい、えんりょがちな神父さんだった。
★1年置いて、3度目に来日。本人は日本で働きたいと、修道会の管区本部にお世話になった。先ずは、日本語の勉強から始まる。これが、なかなか進まず、まだ、まだ、ボチ、ボチ、らしい。
★日本語をしゃべらなくても、ボクたち、2人一緒に居るだけで、心がなごみます。私が聖コルベ館に居た2年前まで、私は手描きの色紙を描いて、そこから得たお金を郵便局からユーロに変えて、ルーマニアのペトロ神父さまの弟や妹の家族に何度か送金して、喜ばれたご縁もある。ますます神父さんとの仲が良くなっている。
★私の唯一の望みは、ペトロ神父さんと2人で、ルーマニアの教会を巡礼することだった。ボクと2人で並んで歩く姿を、ルーマニア人に見せたかったのです。望みが叶わず、残念です。
★ペトロよ。コマカク(小さく)ても、がんばろうよ。「人は、目で、見る。神は、心で、見る」。カラダは、小さくても、生きる価値の問題だ。規格外でも、愛のある、優しい表現で、すばらしい活躍をするならば、リッパじゃ、ないか。
★「他人と比べるな。自分らしく、生きよ。それで足れ」
★背丈が、いっしょ、というのが、いいね。歳は違うけど、心もいっしょ、だよ。7年前の秋に、突然、ルーマニアからやってきた。あのときは、本当に、ビックリしたな。「オレと、同んなじだ。かわいい神父や、な」
★ニッポンはどういう国か、見に来たのだった。そのときから、仲良くなった。次の年の秋にも、また、やってきた。デジカメをプレゼントして、和食をごちそうした。心の優しい、えんりょがちな神父さんだった。
★1年置いて、3度目に来日。本人は日本で働きたいと、修道会の管区本部にお世話になった。先ずは、日本語の勉強から始まる。これが、なかなか進まず、まだ、まだ、ボチ、ボチ、らしい。
★日本語をしゃべらなくても、ボクたち、2人一緒に居るだけで、心がなごみます。私が聖コルベ館に居た2年前まで、私は手描きの色紙を描いて、そこから得たお金を郵便局からユーロに変えて、ルーマニアのペトロ神父さまの弟や妹の家族に何度か送金して、喜ばれたご縁もある。ますます神父さんとの仲が良くなっている。
★私の唯一の望みは、ペトロ神父さんと2人で、ルーマニアの教会を巡礼することだった。ボクと2人で並んで歩く姿を、ルーマニア人に見せたかったのです。望みが叶わず、残念です。
★ペトロよ。コマカク(小さく)ても、がんばろうよ。「人は、目で、見る。神は、心で、見る」。カラダは、小さくても、生きる価値の問題だ。規格外でも、愛のある、優しい表現で、すばらしい活躍をするならば、リッパじゃ、ないか。
★「他人と比べるな。自分らしく、生きよ。それで足れ」
2016年11月23日水曜日
聖コルベ殉教75周年と、1人の司祭金祝に参加
★1つは、コルベ神父が創立したポーランドから、司祭を招いて、昨日と、今日の午前と、お話が行なわれた。
★私は、昨日は不参加で、今日の部に参加した。その後で写した全員の写真です。課題は、「コルベ神父は、どういう人だったのか?」。今の時代に、コルベ神父を思い出すのは本当に意義のあることです。次に興味があるのは、コルベ神父創立の「ポーランド・ニエポカラヌフ修道院の現状は、どうか?」です。119人の修道者が居るそうです。
★聖堂でも、記念写真の撮影が行なわれて、1階のホールでお祝いの会食があった。久しぶりの修道者や、知人に出会えて嬉しいでした。
★修道会員の集会に参加が出来て、「ああ、わたしも、この修道会の一員だ」と、ホームに居るものの、信念を強く感じた次第です。
2016年11月22日火曜日
ロザリオを唱えつつ、故人の修道士さんを想う
クペさん。3ヶ月前に、私の部屋を訪ねてくれた修道士さんです。85歳。修道名が、「クペルチノ」だったので、普通に、「クペさん」とお呼びして、親しんでいた。「トマさん、ゲンキ、か」「一枚、写真、撮るからね」と、写したのが、これです。
★いま、ホームの祈り、教会でロザリオを、十数人が集って、このところ毎日、クペ修道士さんのためお祈りしています。
★日記に、先週の木曜日に、同じ町内の医院に入院中のクペさんを見舞いに行って、次の日、金曜日、朝に神に召されたことを書いた。急激な出来事で、今もなお、近くに居られる感じです。
★土曜日がお通夜で、日曜日が葬儀でした。月、火、と日にちは過ぎた。配られた追悼カードによれば、入会して、長崎の聖母の騎士で誓願を立てて、10年ほど、そこに居たが、施設がある山の修道院に転任になった。それから50年近く働きつづけた。
★きょう、私がロザリオを唱えながら、思い出したのは、クペさんは、五島の海辺で生まれ、育った人だった。それが、山で働くようになる。そして思い出すのが、クペさんのお母さんです。30数年前、海辺のお宅へお母さんを訪ねて行った。働き盛りのご主人を亡くされ、10人の子どもが残された。クペさんは聖母の騎士に入って、修道士となる。兄弟姉妹も、3人が司祭に、2人がシスターに、それぞれ召し出しを感じて、家を離れた。働くお母さんが、すごかった。
★「母さんだって、キバルぞ。子どもを捧げたからにゃ、自分も捧げる人に、ならんと、いかん。捧げた甲斐の、なか。いつもお前たちのため、祈っとるぞ」
★クペさん、いま、天国で、ご両親と、2人の司祭に、神さまの喜びの中で、出会っているでしょう。
★いま、ホームの祈り、教会でロザリオを、十数人が集って、このところ毎日、クペ修道士さんのためお祈りしています。
★日記に、先週の木曜日に、同じ町内の医院に入院中のクペさんを見舞いに行って、次の日、金曜日、朝に神に召されたことを書いた。急激な出来事で、今もなお、近くに居られる感じです。
★土曜日がお通夜で、日曜日が葬儀でした。月、火、と日にちは過ぎた。配られた追悼カードによれば、入会して、長崎の聖母の騎士で誓願を立てて、10年ほど、そこに居たが、施設がある山の修道院に転任になった。それから50年近く働きつづけた。
★きょう、私がロザリオを唱えながら、思い出したのは、クペさんは、五島の海辺で生まれ、育った人だった。それが、山で働くようになる。そして思い出すのが、クペさんのお母さんです。30数年前、海辺のお宅へお母さんを訪ねて行った。働き盛りのご主人を亡くされ、10人の子どもが残された。クペさんは聖母の騎士に入って、修道士となる。兄弟姉妹も、3人が司祭に、2人がシスターに、それぞれ召し出しを感じて、家を離れた。働くお母さんが、すごかった。
★「母さんだって、キバルぞ。子どもを捧げたからにゃ、自分も捧げる人に、ならんと、いかん。捧げた甲斐の、なか。いつもお前たちのため、祈っとるぞ」
★クペさん、いま、天国で、ご両親と、2人の司祭に、神さまの喜びの中で、出会っているでしょう。
2016年11月21日月曜日
ルルドに「聖コルベの家」。巡礼の話。土産は列車に
日々、変わり目がない生活なので、訪ねてくださる人が居ると、うれしい。気持ちに、活気が出る。
★福岡から、列車を乗り継いで、昌子さんが面会に来た。長年、イタリア、フランスなどの教会巡りの添乗員をされていたが、引退したという。それでも今年は、巡礼のグループに混じって、ローマから、バス利用で、アシジ、マルセイユ、ルルドを巡ってきたと、楽しそうに語ってくれた。
★特に、ルルドの話しが出て、「聖コルベの家」が出来ていたと、写真を見せてくれた。左の写真が、そうです。町の中心にあり、近くには、出現を受けた聖女ベルナデッタのゆかりの場所の通りにある。とても、いい場所で、案内の司祭も常駐していて、説明してくれるそうです。日本の聖母の騎士誌も置かれていた。ルルドを巡礼した人が訪ねてくれるとうれしいですね。下の写真のパネルを見ると、ヨハネ・パウロ2世教皇さまに謁見しているポーランド人ガヨビニチェック氏のようです。
★私は、昌子さんに言った。コルベ神父さまは「家族」を大切にした。ガヨビニチェックさんが、「妻がいる、子どもがいる」と言ったので、それを聞いたコルベ神父さまが身代わりを申し出た。「家族の愛」が大切です。
★昌子さんは、私に言った。「トマさんの好きな福岡の銘菓『筑紫もち』をお土産に持って出たのですが、列車の中に置き忘れました」。それは残念、みやげは、長崎方面へ行ったでしょう。
★福岡から、列車を乗り継いで、昌子さんが面会に来た。長年、イタリア、フランスなどの教会巡りの添乗員をされていたが、引退したという。それでも今年は、巡礼のグループに混じって、ローマから、バス利用で、アシジ、マルセイユ、ルルドを巡ってきたと、楽しそうに語ってくれた。★特に、ルルドの話しが出て、「聖コルベの家」が出来ていたと、写真を見せてくれた。左の写真が、そうです。町の中心にあり、近くには、出現を受けた聖女ベルナデッタのゆかりの場所の通りにある。とても、いい場所で、案内の司祭も常駐していて、説明してくれるそうです。日本の聖母の騎士誌も置かれていた。ルルドを巡礼した人が訪ねてくれるとうれしいですね。下の写真のパネルを見ると、ヨハネ・パウロ2世教皇さまに謁見しているポーランド人ガヨビニチェック氏のようです。
★私は、昌子さんに言った。コルベ神父さまは「家族」を大切にした。ガヨビニチェックさんが、「妻がいる、子どもがいる」と言ったので、それを聞いたコルベ神父さまが身代わりを申し出た。「家族の愛」が大切です。
★昌子さんは、私に言った。「トマさんの好きな福岡の銘菓『筑紫もち』をお土産に持って出たのですが、列車の中に置き忘れました」。それは残念、みやげは、長崎方面へ行ったでしょう。
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