2015年10月7日水曜日

運動会。疲れた。それでも楽しかった。生きている感じ

久しぶり、カラダを動かすのは、いいですね。血がタギルといいうか、イキがもつれるというか、楽しい運動会でした。空は、青ぞら。国旗掲揚で、風が強かった。全員が、赤組、青組、黄色の組、3つにわかれた。職員たちは、赤色のジャージ、皆さんは青色のジャージ。それにお客さんもいる。小学校の校長先生も見えた。銀行さん、畳屋さん、理髪店主も来て下さった。職員の若さと、老いの皆さんと、一体になった日でした。

2015年10月6日火曜日

あすは楽しい運動会だが、その後、気が重い診察もある

あしたは、ホームの運動会です。楽しみですよ。第48回の看板も出来上がりました。この庭に、テントを張って、男性職員たちが準備をしています。お疲れさまです。
★午後から、園内の廊下を歩きました。これが結構、運動になります。歩く途中で、2階から庭を眺める女性が居た。声をかけると、カトリックで、25年、ここにお世話になっている、と聞いて、びっくり、おどろきました。いま、お年は、90代に入っている。若い頃に入居されたんですね。背骨をまっすぐにして、教会にもお祈りに来られる。しっかりされています。
★園長神父さんも何人も代わられた。亡くなった神父さんもいる。運動会も、何十回と、参加してこられたわけだ。生かされているのは、ありがたい。感謝しかないでしょう。
★わたしに、修道服を着たのを思い出して、「神父さまですか?」と聞く。「いいえ、修道士です」。修道士と身分を打ち明けるには、荷が重いです。皆さんと生活は同じです。何んで、信仰心に燃えないのだろう。福音宣教をしないのだろう。動かぬ自分に、気が重くなるわけです。
★あしたは、運動会が終わると、午後から、諫早総合病院へ行きます。ステントの入れ換えの診察がある。これも気が重いです。「どうなることか」。不安があるわけです。明るい話ばかりではない。歳をとると、何かと不都合がでてくる。ついつい、落ち込みそうになる。耐えていくしかないでしょう。

2015年10月5日月曜日

何か燃えるものが欲しい。感動は遠い過去の出来事か

写真は、今週の祭壇の生け花です。
★昭和の初め、長崎市に、キリスト教の牧師で、熱心に「アシジの聖フランシスコ」を長年、研究する男性教師が居た。彼の「フランシスコ」の見識は、紀元何年かに、生きておられたキリストを、フランシスコの時代、13世紀において、そのキリストを再現する人物が、フランシスコであるとの解釈をした。キリストがこの時代に生きている。呼吸している。彼はイタリア語を習得して、原典から、本格的に研究を重ねて、「果たして、そういう生き方が出来るのか」と現実に、大きな疑問を持ち、悩んでいた。
★大浦天主堂を下った坂の一角に、ポーランド人の修道者たちが生活する貧しい修道院があった。偶然に、訪ねて、出会ったのが、コルベ神父やゼノ修道士たちであった。寒い冬、「ウチからのストーブです」と一杯の熱い白湯を出して歓迎してくれた。彼らの現実の生活をみて、衝撃が走った。「紀元何年かのキリストの再現が、13世紀のフランシスコだった。その13世紀の現実が、20世紀の今、ここに再現しているではないか。彼らこそ全く、聖フランシスコの精神で生きているではないか。ムシロを敷いて寝る貧しさと、印刷機械を動かす労働。それなのに、優しいほほえみ、祈りに燃えた清らかな目、その熱心さを見て、牧師の男性は感動した。「フランシスコは理論でなく、ここに実行している修道者たちが、現実にいる」
★主キリストは、愛の生き方、ウソ偽りにない生き方、十字架の生き方、貧しい生き方、罪には厳しい生き方。何のため?御父なる神の愛をあかしするため。野球で、延長戦になり、どっちが勝つか、燃えるじゃないですか。信仰をして、燃えたぎるものがありますか。いのちをかけているのです。理論だけでは、ダメでしょう。問いかけだけでは、ダメでしょう。血潮をたぎらせる生活のなかでの感動。「ああ、むずかしい」と、コルベ神父は言ったでしょうか。
★祈り「日々の祈りと、生活を通して、主キリストと結ばれ、チカラ強い愛のあかしとなることが出来ますように」
★あの牧師の男性教師は、その後、カトリック教会へ入った。彼の先生に出会って話も聞いた。コルベ神父のなかに、キリストと、フランシスコを見た、と彼は言った。
★午前中、園内を歩く。ホームの書棚から、聖ボナヴェントゥラによる、アシジの聖フランシスコ大伝記(1981年版・あかし書房・宮沢邦子訳)を見つけた。部屋に持ち帰った。

2015年10月4日日曜日

アシジの聖フランシスコの祭日。憎しみよりも、許しを

修道会の創立者、アシジの聖フランシスコ。ホームの名前の聖人の日でもある。意識して、朝のミサは修道服を着て、祈った。聖フランシスコはどんな聖人?と聞かれて、説明するには、どの部分
を切り取って、話をまとめればいいのか、迷うし、悩む。
★豪商の息子に生まれた彼は、騎士に夢見て、戦いにも挑む。しかし捕らわれの身となり、神の声を聞く。「主人に仕えた方がいいか、シモベに仕えた方がいいか」。彼は、立ち上がる。古びた教会で祈っていると、また彼に神の声が聞こえる。「教会を修復しなさい」。最初は建物と思っていたが、それは深い意味を含んでいた。
★親からもらった衣服も持ち物も、すべて脱いで、父親に返して、新しい生活を始める。それは主キリストのように生きること。福音に生きる。十字架を愛し、求め、最後はキリストの聖痕を身にうけた。一晩中、泣きながら、「ああ、我が神よ」「ああ、我が神よ」と、朝まで祈り続けた。
干し何物をも携えることなく、平和の道を、愛と従順のうちに、清い心で歩みつづけた。彼にとって、鳥も、魚も、狼も、空も、太陽も、兄弟姉妹だ。人を愛し、虐げられた人を愛し、重い皮膚病の人を看護し、神以外に、何者にも捕らわれず、争いを好まず、腰低く生きることを望んだ。・・・・・本当のフランシスコの心に、生き方に寄り添えない。余りにも巨大すぎる。だが、ふしぎに心が引かれる。
★ああ、オレは何を書いているのだろう、と思う。もう一度、聖フランシスコの伝記を読みたいと思う一日であった。

2015年10月3日土曜日

いろんな出し物がでる、楽しい誕生会。おすこやかに

誕生会。楽しみにしています。出し物が出ますからね。でも、写真に収めるのは難しい。ホームの人のお顔が写っては、いけません。
★10月の誕生会は、出し物なんですか?電線音頭です。「チュン、チュンが、チュン。電線にスズメが3羽、止まってさ。それを猟師がテッポで、撃ってさ。・・・・ヨイ、ヨイ、おっとっと」。もう1羽の女性職員はマイクをもって歌っていました。写っていないね。若い人はいろんな内容を考えるものです。皆さん、喜んで、和やかな誕生を祝う日でした。
★健康で、長生きして、人生を楽しむ、それが願いです。大正、ひとけた生まれで、スイ、スイ、歩くのを見れば、甘えてはおれません。リッパです。脱帽です。

2015年10月2日金曜日

いつの間にか、1日が過ぎてしまいます。こまったな

絵てがみで描いた「どんぐり」と葉っぱです。ホームという狭い空間のなかに居るのに、時間は過ぎてしまう。5時に起きるでしょう。ミサから帰って、少しの時を、ベッドに横になるのが楽しみです。テレビで「きょうのワンちゃん」は必ず見ています。朝食の後、入浴があった。介護を受けながら、カラダを洗う。風呂が好きな男だった。今は長く湯に浸かれないのが、悲しいです。園内を散歩。書道教室があった。季節の言葉は無いか。手本を見ながら、7、8枚書いた。「収穫」「秋花」など。1枚を自室に持って帰った。
★昼食後、ベッドに横になる。眼科の女医さんが来園。診察してもらう。その後、教会で、共同のロザリオ。終わると、明子さんが見えた。夕食になる。洗面台に向かえば、あとは、ホットする。もう、この時間なんです。何にも考えずに過ぎてしまった。
★1つ言えることがある。年をとると、カラダが「シンドイ」。「苦しみは、罪のつぐない、たい」と、昔の古老は言った。いま、苦しいときです。振り返って、ほんとに、若い頃の罪のつぐない、かも知れないと、正直、思います。犯した罪を清算することが必要です。煉獄が必要です。心のどこかで、そう思います。

2015年10月1日木曜日

10月は、ロザリオの月。祈りましょう。親しみましょう

朝、ミサのとき、2つの思いがあった。
★①10月はロザリオの月といって、聖母賛美のロザリオを唱えることが勧められる。ホームでは、毎日、有志の人たちが、ロザリオを唱えています。ロザリオを祈っていると、なぜか心が落ち着いてくる。いま、夕方のロザリオを唱えてきたところです。若い頃は、ロザリオは長い祈りに感じて、あまり好まなかったが、老いて来た最近は、キリスト教の信仰が集約されているから、黙想をしながら、舟が波にただようような気持ちで好んで唱えている。
★②きょうは、幼いイエスの聖女テレジアの記念日です。テレジアの洗礼名を持っている女性は多いでしょう。若くして、修道院内で亡くなったが、自叙伝を書いたことで有名です。布教の保護者といわれ、コルベ神父は、テレジアに祈って、約束を結んでいたといわれる。「騎士誌で、あなたのことを宣伝しますから、天国から恵みの雨を降らせてください」。そして度々、恵みがあった。そういう話は忘れない。
★③10月になれば、入居1年になる。長い1年だったよ。