人生の道は遠い。聖母の騎士に入ってから、初誓願を立てるまで、20年かかった。普通は、その頃は、5、6年で誓願を立てて、上の学校に進むのに、かかった年数20年。長かった。それは病気、結核のためだった。次から次へと病気して、苦難の日々がつづきました。しかし修道会の会員たちから励まされ、苦しみを乗り越えることが出来た。
★いま、考えると、人生、大きな壁にブチ当たると、そこには助ける人がいた。また次の壁にブチ当たると、そこには別の助ける人、よきサマリア人がいた。2度ならず、3度と、いのちをつなぐことが出来た。苦しみがあっても、祈りと、信頼と、忍耐が、道を開いたと思います。
★やっと誓願を立てて、それから50年。長い道のりだった。この50年間で、一番、心に残ることは、コルベ神父さまが、福者になり、聖人になったことだった。聖人になったことで、小さな資料館、聖コルベ記念館が出来た。その記念館の勤めを、24年間果たした。それが大きなお恵みだった。コルベ神父さまを慕って来る人と、沢山の出会いがあった。
★出会いは神の恵みと思う。神さまの使命があったから、修道士の道に導かれ、病気はしたけれど、これまで生かされてきたと思います。修道士でも、ナマ身の人間。欲もあれば、迷いもあった。いろいろ有ったが、恵まれていた。だから今が、ある。お花は神の恵みをあらわしている。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年9月7日月曜日
2015年9月6日日曜日
母は祈った。「この子を御身に預けます」。それが、これ
聖母の騎士の教会。金祝のミサが始まる。緊張の面持ちです。「いよ、いよか」と思うと、胸は高鳴る。
★13歳のとき、この聖母の騎士のルルドに連れてきたのが、母親だった。母は、浦上出身の熱心なカトリック。母は、ルルドの聖母マリアさまに、「この子を、あずけます」と祈ったと信じている。
★なぜなのか。なぜ、この場所に、心を惹かれたのか。わからない。少年は毎日、通って来るようになった。ポーランド人の修道者たちから覚えられる。時には泊めてもらうこともあった。
★今でも覚えているが、修道院に1つの井戸があり、確か、セルギウス修道士が井戸から洗面用の水を部屋に準備してくれるのだった。その水入れが白くて、立っていて、手すりがついて、めずらしく格好よかった。当時は戦争中。修道院のイメージは、憲兵隊や特高警察から監視され、なんだか暗くて、音をたてない、静かな雰囲気だった。泊めてもらっては、お手伝いもする。今、思えば、ローマン修道士の聖像作りのため、ご像を磨く作業だった。
★ホームへ来て、ローマンさんを100歳で天国へ見送った。
★13歳のとき、この聖母の騎士のルルドに連れてきたのが、母親だった。母は、浦上出身の熱心なカトリック。母は、ルルドの聖母マリアさまに、「この子を、あずけます」と祈ったと信じている。
★なぜなのか。なぜ、この場所に、心を惹かれたのか。わからない。少年は毎日、通って来るようになった。ポーランド人の修道者たちから覚えられる。時には泊めてもらうこともあった。
★今でも覚えているが、修道院に1つの井戸があり、確か、セルギウス修道士が井戸から洗面用の水を部屋に準備してくれるのだった。その水入れが白くて、立っていて、手すりがついて、めずらしく格好よかった。当時は戦争中。修道院のイメージは、憲兵隊や特高警察から監視され、なんだか暗くて、音をたてない、静かな雰囲気だった。泊めてもらっては、お手伝いもする。今、思えば、ローマン修道士の聖像作りのため、ご像を磨く作業だった。
★ホームへ来て、ローマンさんを100歳で天国へ見送った。
2015年9月5日土曜日
金祝のお祝いのミサと祝賀会は無事に終わりました
長崎の聖母の騎士教会にて、40人余りの司祭団による感謝のミサが行なわれる。1人の司祭叙階50周年、金祝。修道誓願50周年、金祝を迎える修道士は、2人。荘厳なお祝いは、無事に終わりました。トマス小崎・田川幸一修道士のため、ミサの祈りに参加して、お祈りをささげてくださった皆さんです。お祈り、ありがとう。
2015年9月4日金曜日
「茨城の空」から、お祝いのお花が届いた。感謝
ブログを読んでくださる女性です。時々、コメントもくださいます。金祝のお祝いにと、お花が届きました。ありがとう。「目の前の事にとらわれる毎日ですが、ブログで教えられています」と、お便りもあった。嬉しいことです。「人が生きて行く上で、大切なことは何であるか」。善良さ、ですよね。
★明日、修道誓願、50周年のお祝いになります。ありがたいことです。皆さんからお祈りやお祝いをしてもらって、修道士の人生を貫いて、良かったと思います。弱さもあった。迷いもあった。しかし神さまのお恵みが大きかった。自分には何も無い。誇るものは何も無い。神さまの憐れみが大きかった。背筋をまっすぐに伸ばして、ほほえみを絶やさず、会場にのぞみます。お祈りください。
★明日、修道誓願、50周年のお祝いになります。ありがたいことです。皆さんからお祈りやお祝いをしてもらって、修道士の人生を貫いて、良かったと思います。弱さもあった。迷いもあった。しかし神さまのお恵みが大きかった。自分には何も無い。誇るものは何も無い。神さまの憐れみが大きかった。背筋をまっすぐに伸ばして、ほほえみを絶やさず、会場にのぞみます。お祈りください。
2015年9月3日木曜日
なじみの理髪屋さんへ。アタマも気持ちも、サッパリ
ホームの坂を、車で下れば数分。2ヶ月に1度、ホームに奉仕に来てくださる理髪店へ行きました。丁寧に、ていねいに、1時間以上をかけて、きれいになったよ。気持ちも、サッパリしました。
★いい時期に、金祝を迎えることになった、と感謝している。これが、半年後、1年後になれば、どうなるか、先が読めない。また半年前だったら、気持ちが定まっていなかった。気持ちが重い。今は、まだゲンキが残っているから、ちょうど、いい。神さまは、ちゃんと計らっていてくださった、と胸に喜びが込みあがる。あした、おいて、次の日になったからね。
★手元にあるメモを見ている。2014年3月に書いたメモだった。「からだの不自由さを、いっぱい、かかえている。承知しています。それでも生きる。あと1年は何としても生きたい、わけがあるんです。言わない。隠しておいて、強い望みは持っている」。その日がくる。
★いい時期に、金祝を迎えることになった、と感謝している。これが、半年後、1年後になれば、どうなるか、先が読めない。また半年前だったら、気持ちが定まっていなかった。気持ちが重い。今は、まだゲンキが残っているから、ちょうど、いい。神さまは、ちゃんと計らっていてくださった、と胸に喜びが込みあがる。あした、おいて、次の日になったからね。
★手元にあるメモを見ている。2014年3月に書いたメモだった。「からだの不自由さを、いっぱい、かかえている。承知しています。それでも生きる。あと1年は何としても生きたい、わけがあるんです。言わない。隠しておいて、強い望みは持っている」。その日がくる。
2015年9月2日水曜日
明るいエガオ、福、来る。主と共にが、好き
明子さんの家に呼ばれた。金祝をお祝いするという。週に、2回、ホームの自室に来て、さまざまな話題を提供してくれる。人生、いろいろ苦労があるじゃないですか。それでも明るいエガオで、ゲンキよく、生きる希望を語ってくれる。わかるでしょう、このお顔を見れば、なっとく出来るでしょう。
★お隣の女性が、毎週、教会の祭壇の生け花を飾ってくださる。カトリック信仰があるのを喜んでいる。明子さんの親友です。明子さんの好きな言葉は、「主と共に」が、いいね。そして父親に似ているというんです。皆目、想像はつきません。
★この日は楽しいひと時を過ごすことが出来ました。出会ったことを、とても喜んでくれるのです。出会いは、神さまのお恵みですね。
★お隣の女性が、毎週、教会の祭壇の生け花を飾ってくださる。カトリック信仰があるのを喜んでいる。明子さんの親友です。明子さんの好きな言葉は、「主と共に」が、いいね。そして父親に似ているというんです。皆目、想像はつきません。
★この日は楽しいひと時を過ごすことが出来ました。出会ったことを、とても喜んでくれるのです。出会いは、神さまのお恵みですね。
2015年9月1日火曜日
9月に入った。金祝の日が目前に近づく。恵みの日
修道士になって、50年。大きな節目を迎える。いよいよ今週の土曜日には、修道誓願の50周年、金祝をお祝いする感謝のミサと祝賀会がおこなわれる。待ちに待った日、ありがたいことです。
★しかし正直に言うと、自分の毎日の生活は、ホームで、静かに、1人、自室のなかで暮らしている。何事も起こらない日々である。それが、この度、突然、多くの人たちに囲まれ、お祝いを受けるのかと思うと、嬉しさと共に、いささかの不安もよぎる。果たすべき努めもある。それを思うと、刻々、過ぎていく時間が早い。
★「神さまが、金祝まで、いのちをのばしてくださった。神に感謝」の思いは、基本的には変わらない。からだも、こころも、弱かった自分が、ここまで辿り着けたのは、確かに大きなお恵みである。これほど喜ぶべきことはないだろう。きっと、この日を境に、その後の気持ちは安定し、静かに落ち着くだろう。人の弱さよりも、神の恵みは大きい。
★しかし正直に言うと、自分の毎日の生活は、ホームで、静かに、1人、自室のなかで暮らしている。何事も起こらない日々である。それが、この度、突然、多くの人たちに囲まれ、お祝いを受けるのかと思うと、嬉しさと共に、いささかの不安もよぎる。果たすべき努めもある。それを思うと、刻々、過ぎていく時間が早い。
★「神さまが、金祝まで、いのちをのばしてくださった。神に感謝」の思いは、基本的には変わらない。からだも、こころも、弱かった自分が、ここまで辿り着けたのは、確かに大きなお恵みである。これほど喜ぶべきことはないだろう。きっと、この日を境に、その後の気持ちは安定し、静かに落ち着くだろう。人の弱さよりも、神の恵みは大きい。
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