長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月30日水曜日
いろいろ痛みはあったが、顔はおだやかだよ。自賛か。
4月24日、兄弟の集いのときに、松田征四郎神父さんが写してくれた。昨日、「仕上がったよ」と、車で1時間かけて、持ってきてくれた。一見して、気に入ったよ。よく撮れていると、思うよ。いろいろ、苦労や、痛みはあったけれど、顔はおだやかだよ。そのように言えば、「自画自賛」でなく、「他写・自賛」か、ね。「これでも、ストレスはあるんだよ」。そう言えば、笑うだろう。でも、ね。オレにだって、ストレスはあります。歳をとっても逆境はあります。1つ、1つ、乗り越えるしか、ない。生きている限り、辛苦はある。自分の苦しみだもの、自分で耐えるしかない。最後まで、しっかり歩んでいこう。
2014年4月29日火曜日
コルベ神父は広く社会に向けられている。学んでね。
観光バスの新入社員の皆さんが、研修にくる。「コルベ神父さんのこと、聖母の騎士のこと、教えてください」。このガイドさんたちは、年に数回、修学旅行生たちを案内している。コルベ神父について、次のことから広がりを考えてください。①病気だった。懇意にしていた外国人向けの薬屋さんに、小曾根邦治郎さんがいる。祖父は小曾根乾堂で、幕末の志士をかくまった。歴史。②主治医が永井隆博士。如己堂の医師です。原爆。③作家の遠藤周作さんは、小説・女の一生で、コルベ神父を描いている。外海に遠藤文学館。④特別に聖母マリアへの信心。長崎教区は聖母マリアに深い関係がある。教会。⑤最後は、命をささげたことで、聖コルベの深い愛は全世界に広がっている。⑥ガイドさんたち、長崎は、グラバーさん、シイボルト医師など有名ですが、コルベ神父の名前も告げてください。バス・ガイドの服をきて、まだ1ヶ月しかなりません。これから色々とご苦労が多いでしょう。困難に耐えて、経験をかさねて、心豊かなガイドさんになってください。「聖人は、短い生涯でも、核心をつかんでいる」
2014年4月28日月曜日
めずらしい見学者。聖コルベの居室で、サインされる。
夕方、お2人の見学者の入館があった。男性を見て、一瞬、「アッ、どこかで、見たことがあるお顔だ」と、ひらめいた。「誰だろう?」。とまどっていると、女性が教えてくれた。「もと厚生労働大臣です」。お偉いお方がいらっしゃった。テレビで見た印象が残っていた。「第1次安倍内閣です」「きのうは原城跡へ行きました」。尋ねた。「どうして聖コルベ館へ」。お付きの人もなく、訪ねられたのか。女性が語った。「アウシュヴィッツへ行きました。印刷の機械を見たいのです」。アウシュヴィッツから、コルベ神父へつながったらしい。聖コルベの居室へご案内した。写真をお撮りした。ビデオもお見せする。男性は何も語らなかった。活字や、印刷の紙折り機、閉じ機などに、興味を示された。聖コルベ館にはサイン帳がある。一般のサイン帳で、これで、いいのかと疑いも起こったが、「サインして、いただけますか」。男性は素直にお名前を書かれた。お2人とも、名詞をくださった。同じ姓の女性だった。丁寧に挨拶をされて、待たせていたタクシーの方へ。庭にまで、見送った。後ろの席の男性は、窓のガラスをおろして、丁寧に礼をされた。こちらも頭をさげて、手をふってお別れした。サイン帳に、柳澤伯夫、とあった。小柄なお方で、身なりのきちんとした男性だった。国政でご苦労されたのであろう。さわやかな雰囲気を残された。
2014年4月27日日曜日
ヴァチカンで、2人のパパさま、聖人に挙げられる。
ポーランド・クラクフのコンラードさんから送られてきた新しい切手です。お二人の教皇さまが、きょう、ヴァチカンで、フランシスコ教皇さまにより、聖人のくらいに挙げられます。聖ヨハネ23世教皇さま。聖ヨハネ・パウロ2世教皇さま。ヨハネ23世教皇さまにはお会いしたことは、ありません。小長井に居た時代で、とても海外旅行ができる時ではなかった。公会議のパパさまであるのは、知っています。ヨハネ・パウロ2世教皇さまは、この御方はよく知っています。3回、お会いしました。1回目は、ヴァチカン。2回目は、長崎・聖母の騎士修道院。3回目は、ポーランド・ニエポカラヌフ修道院で、お膝元の近くまで進み出ました。「神に、カンシャ」。パパさまの御言葉です。「すべてに、神さまに、カンシャ」。そういうジンセイを歩みたいです。
2014年4月26日土曜日
4月24日は、3つの記念日です。日記は6年目。
聖コルベ館で、見学者の皆さんをお迎えして、案内してくださる女性の納富美紀さんです。色紙に、「親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは恵み」と記してある。美紀さんの印象は、皆さんに暖かい思い出を残しております。出会いはお恵みです。★過ぎ去りましたが、4月24日は、忘れもしない、①コルベ神父さまがゼノ修道士さんらと共に、長崎に上陸した記念日でした。日本に聖母の騎士が始まった日です。すべては、ここからお恵みが流れています。次に②4月24日は、ゼノ修道士さんの命日です。この日、東京で亡くなった。90歳でした。戦前は、騎士誌の配布に努め、戦後は貧しい人たちの救済に生涯をささげた。晩年、病室に汚れたタオルが掛けてあった。司祭が、ゼノさん、このタオル、片づけましょうか、と問うと、いや、そのまま残してください。それが無いと、貧しい人を忘れます、と言った。ゼノさんらしい秘話である。次に③4月24日は、小崎修道士が「日記」を書き始めた日でもあります。2009年のこの日から書きました。それは「ガン」を告げられたことが、きっかけです。ニンゲン、どのように死ぬのかな。記しておきたい、それが動機でした。5年が経過し、6年目に入ります。いま、振り返って、誰にカンシャすべきか。神さま、マリアさま、そのほかに、誰に感謝状をおくるべきか、それを思うと、聖コルベ館で、助けてくださっている納富美紀さんでしょう。面と向かっては、なかなか言いづらいのですが、こころではカンシャしております。これからも聖コルベ館を助けてください。「親切な対応は、快い思い出を残す。出会いは、お恵み」です。お恵みは、沢山の愛の花を咲かせます。
2014年4月25日金曜日
苦しみの後には、喜びもある。それがジンセイ。
先日の復活祭・恒例のドライブは楽しかった。写真は、時津の港です。日本26聖人がここに上陸して、殉教・西坂の丘へ歩いた。殉教者たちを偲びました。★さて、健康のことを、今考えてみると、これまで尿は正常に働いていた。ところがドライブをして、車に揺られて、歩いたりして、翌日になったら、「ドカーッ」と、血の大きなカタマリと、血尿が出たわけです。びっくりしましたよ。ところが今度は、手当ても、何もしないのに、血の気は引いて、今日は正常の尿が出ています。「尿が、出なくなると、アウトですからね」。幸い、またゲンキを取り戻しました。「ジンセイには、こうしたことが度々ある。心配があったり、苦しみがあったり、それでも後では、安心、安堵が待っている。苦しみは、生きる喜びに変わる。だから希望を持とう。そう思いました」。★心配しているのが、腎臓の機能です。働きです。腎臓が、60年、1つだけで生きているから、この1つの腎臓が弱ってくると、アウトになる。腎機能が一番、心配です。シスターが癒してくれた腎臓ですよ。これまで生かされてきた。あと、1年で金祝だよ。「生きれ」「生きれ」。そう願います。時々、調べる血液検査の腎機能。クレアチニンで分かるんですね。正常は、0.61から1.04、の範囲だそうです。昨年11月は、1.24 で少々超えていた。それが今年の1月には、1.07、となり、先日の4月24日の検査では、1.01、となっている。こういう経過をみると、ありがたい、生きているなあ、と実感するんですね。希望を持って、明るい毎日を送ろうではないか。守ってくださる方が、わたしのソバにも、あなたのソバにも、必ず、居るはずです。
2014年4月24日木曜日
楽しみの後、苦しみがくる。さあ、これから、どうなる。
ああ、気持ちが、いいなあ。ドライブのとき、横瀬が浦の旧・天主堂跡の原っぱで、ゆうゆうと、休む姿です。平和な時が、いいなあ。次の日の午後から、カラダに異変がしょうじ、血尿したから大変でした。ドライブで、クルマに、ゆられ、ゆられたセイか、急に血尿をした。腎臓の血管が、内部で切れたのか、とさえ思った。ドライブの次の日の午後4時頃、トイレに行くと、「ドヴーァ」と、血のかたまりと、血尿が出てきた。「これは、ヤバイぞ」。そして「ムゥー」と、不安のうちにも絶句。午後7時も、午後9時も、血のかたまりが出てくる。尿というのは、黄色の水が普通に出て、アタリマエ。真っ赤な血の色は、気持ち的に受け入れられない。心配になって、夜分、泌尿器科の病院へ電話をかけた。「主治医に先生へお願いします」。数分後、返事の電話。「あした、病院へおいでなさい」。夜中も血尿はつづいていた。★早速、今朝は、早めに出発。泌尿器科へ。尿を、フタがついたコップに取る。血の小さなかたまり、尿は黄色だった。診察室で、腎臓、膀胱を、エコーで調べた。結果は、「ようすを、みましょう」。止血剤をもらって、次のクリニックへ。帯状疱疹の手当てを行なう。度重なる痛みの苦しみだが、ガマンしか、ない。自分の苦しみだ。自分で耐えるしか、ない。「いのちは、神さまのこと、です」
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