2014年2月14日金曜日

ルルドへの坂道に、梅が満開。寒さ、きびしい。春は未だ遠い。

2月のなかば、このところ、寒さが厳しい。今朝は屋外で、4度あった。関東の方は雪が降っているらしい。ルルドへ登る坂道、ロザリオの玄義のところに、数本の梅が満開になっている。祈る巡礼者の心をなごませる。★明日から、土曜、日曜にかけて、平戸・紐差(ひも・さし)への1泊旅行を計画し、現地の人にも連絡していたが、この寒さで、先送りにした。電話で断ったが、電話の奥の声は、残念そうであった。「すみません、ごめんなさい」。1度、行きます、と言って、実現しないと、相手に「がっかり」させますね。★例えば、「正月のコルベ青年」、洗礼は受けているが、教会へ行った事がない。今年はフンパツして、新しい気持ちで出発したい、と聖コルベ館を訪ねてきた。「教会へ、思い切って、行きなさい」と勧めて、一応、教会の知り合いの女性に連絡し、お世話をお願いした。順調に行くようになったそうです。彼から手紙がきた。「2月11日、ルルドの日に、参詣に来ます」。待っていたが、前日になって、電話があって、「仕事の都合で、行けなくなった」。やはり、1度受けて、連絡があって中止に、落胆しました。平戸の人にも、連絡だけして、申し訳ないです。もう少し温かくなって、参ります。

2014年2月13日木曜日

外海へ、日帰りで、知人に会い、旧交を温める。元気でしたか。

久しぶりに、外海(そとめ)へ行った。戻ってきて、夕食のとき、「ドロ・ソーメン、食べてきたよ」と言うと、1人から、「ドロさま、と言いなさい」と言われて、ああ、ホントだと、反省した。こんな話しがある。泥塀(どろ・べい)を造るとき、左官が、「ドロば、上げろ」「ドロば、あげろ」と叫んでいた。そこへドロ神父が通りかかって、「ドロ、ドロと、言わないで、時には、土(つち)と言ってください」という逸話が残っている。「ドロ・ソーメン」言っては、ダメよ。写真が、現地で食べた「ドロさま、ソーメンです」。これが抜群においしい。外海へ行けば、必ず食べたくなります。さら、さらと入って、ノド越しが良い。だし汁は、アラカブのサカナを焼いて、つくる。この出し汁は、どうかな?でも、おいしかった。450円だった。★さて、外海へ行けば、何人かの、会いたい人を訪ねる。外海・黒崎は、父親の里ですからね。「やあ、ひさしぶり、どうしていた?元気にしていた?」と心配してくれる人が外海には、いる。会って、旧交を温め、よかったな、という気持ちになる。山崎政行さん、スマ子さん夫妻が、そうです。政行さんは、福者の殉教者、金鍔次兵衛(きんつば・じへいえ)神父の隠れ家、洞窟巡礼を手がけて、最大の尽力を果たしてきた。現地の様相を残し、不便な道や沢を歩いて、1時間、やっと洞窟につく。ご像を建て、保存に努力した。昭和4年11月生まれ、最近は体力が限界にきて、巡礼が出来なくなった。資料整理にがんばっておられる。★政行さんが、こんな嘆きを訴えていた。「マントと、太陽」の話の如く、迫害時代は、必死で信仰を守るように努めた。ところが今の世は太平になって、イノチを奪われる危険もない。するとマントを脱いで、信仰を守らなくなる。その変化が恐ろしい。マントを脱がせるためには、温かく太陽を照らせば、いい。その変化が危険である、と言うのです。同感です。★この日の外海は、天候がよく、海は青く、空気は澄んでいた。上五島列島も微かに見えていた。遠藤周作文学館からの眺めが素晴らしかった。外海には、天気がいい時に、行くのを勧めます。雨降りは、悲しいよ。見える景色は、外海・出津(し・つ)の施設や、教会、家々です。サザンカも咲いていた。★「自分は必要とされているか」と悩む人が居ると、聞く。必要とされるためには、自分で築き、努力するしかない。この世に生まれ、生きるからには、リッパに生きようではないか。誰にでも、1つや、2つ、いい所はある。

2014年2月12日水曜日

ルルドご出現の記念日。祈りの巡礼。東京からも、来る。

2月11日は、フランスのルルドに於ける聖母マリアさまご出現の記念日です。コルベ神父さまが開いたルルドがある聖母の騎士では、どのように過ごしましたか。午前10時から、聖堂で、記念日のミサが行なわれ、その後で、ロザリオを唱えつつ、ルルドへ登りました。平和を祈りました。★この祈りの中には、1人の男性が混じっていた。彼は群馬県のお役所勤めの人、朝、3時に空港バスに乗って、約3時間、羽田へ。早朝の飛行機に乗って、長崎へ。空港からバスで市内へ。駅からタクシーで、聖母の騎士へ。やっとロザリオに間に合った。お祈りしながら、念願のルルドへ。「よかったですね」。前々から、聖母の騎士にお参りしたい、希望があった。その望みを果たしたわけです。騎士誌の読者でもある。「これからも騎士誌を愛読してください」。この話を知って、「人生に、1度や2度、アッとオドロク行動、有っても、よし」と思いました。彼は翌朝、聖母の騎士の早朝ミサ、6時30分からのミサで祈りました。群馬から、聖母の騎士に巡礼は可能だという意味で、この話を載せた。★またルルドの記念日のミサとルルド参りに、東京の巡礼者の皆さんも参加しました。下の写真が、その方々です。この中には、大正生まれの女性も2人居られました。お元気に巡礼されています。これらの方々が参加してくださったお陰で、お恵みの記念日になりました。★聖母の騎士のルルドは、コルベ神父さまの天国からの助けもあって、数々のお恵みが、現れております。祈る人が絶えません。「お恵みを頂いたときには、感謝を忘れないようにしましょう」。恵みは、また次の恵みを生みます。神さまのお恵みは豊かに注がれる。希望をもって祈りましょう。


2014年2月11日火曜日

60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その3)。絵を贈る。

戦争が終わった直後は、誰もが貧しかった。施設で暮らすか、家庭で暮らすか、みな同じ貧しさの中で生きていた。施設だった、あの木造の建物は、2年後に火災にあって消失した。施設は、山の、人里離れた山地に移転した。「ツバキ原」と言われる地で、ツバキが花咲く地だった。「かー坊」さんたちは、ツバキ原で暮らし、学び、育って、成長した。イジメや苦労は沢山あったけど、正直に生きて、愛とイノチのつながりの幸せを得た。いまは個人情報の時代で、知られたくないかも知れない。「かー坊」さんは語ってくれた。「ありがとう。よかったね」と、祝福する気持ちで、イッパイだった。聖コルベ館の修道士は、出逢った記念に、夫妻に、1枚の絵を描いて贈った。絵には、コメントを書き添えた。「ツバキ原で、育った、じいちゃんが、生き抜いた、おかげて、愛と、イノチが、つながった。幸せは、家族愛のキズナにある」。これが今の本心です。ヘタな絵、ヘタな字だけれども、86歳、修道士の心はこもっている。最近、「かー坊」さんの、この実話ほど、感動した逸話はないのです。「苦しみや、寂しさの話は、もう、いいんだよ。愛の話、イノチのつながり、それより尊いものはない。じいちゃんが、生き抜いたからこそ、いまの自分がある。カンシャすれこそ、ハジと思うな」というのが、修道士自身の気持ちです。それは自分自身にも言い聞かせたい、気持ちなんです。「カー坊」さん、奥さん、いつまでもおゲンキで、すばらしい人生を送ってください。神さまは、見ておられる。

2014年2月10日月曜日

60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その2)。再会の喜び。

「かー坊」さん夫妻が、訪ねてきた。彼は、71歳。奥さんは、61歳。あの幼い時代から、60数年が経過している。これまで沢山の苦労があったでしょう。「苦労は語らなくて、いいのです。愛を聞かせて下さい」。中学を出て、町のお店に就職した。奥さんとは、見合いだった。お話しがあったとき、奥さんのお兄さんが、彼が、まじめに、正直に、お店の配達をするのを知っていた。「あの人ならば、大丈夫よ」。彼、34歳。奥さんは、24歳。カトリック教会で、結婚式をあげる。奥さんは洗礼をうけた。「かー坊」さんの新しい出発だ。3年後に、女の子に恵まれる。「ああ、よかったね」。女の子は成人して、看護師になり、病院で働いていた。良縁あって、娘さんも結婚し、男の子、女の子、2人の可愛いお孫さんにも恵まれた。「ああ、よかったね。すばらしい」。彼が、奥さんを気遣いながら、こう言うのです。しみじみ修道士はそれを聞いた。「ツライことは、沢山あった。あったけれども、それでも、ワタシのチカラでなしに、神さまの御手に守られていたと感じます。この人を含めて、この人を通しても、いまは感謝している。カトリックの信仰を親が残してくれた。苦労は、したけど、がんばる程でもない。一歩、一歩、何事もなく、毎日を歩いてきました」。修道士は、彼の言葉に感動した。苦労は、イッパイしたけど、苦労の話は、もう、いいんです。それより、優しい奥さんに、めぐり合えて、娘さんに恵まれ、更に、お孫さんにも恵まれた。この愛とイノチのつながり、よかったですね、すばらしいジンセイだった。いま思います。3歳のとき、熱心に祈ったのが原点だった。施設での教えは、厳しかった。その教えがあったればこそ、生き抜いた、耐え抜いた、そして愛をつかみ取ることが出来たのです。そう思い、確信した。町のお店から、後では会社に転職した。会社を定年退職して、11年になる。夫妻は、手をつないで、毎日、散歩に出るのが楽しみだそうだ。「けんか、したこと、ある?」。お互いに、顔を合わせながら、「ないね」。そして笑った。結婚前の奥さんのお仕事は、美容師だった。結婚以来、彼のアタマのサンパツは、奥さんの仕事。「アタマは、大きいですか?」「大きいんですよ。帽子も大きい。髪は真っ黒で、沢山あった。白くなったし、髪も薄くなった。大きなアタマだけが、残った」「載せるからね」。了解だけは、取っておいた。「ジンセイに、大切なもの、コツコツと耐えること、正直に生きること、辛抱すること、その教訓があったればこそ、愛の花がリッパに咲いた。修道士も、ルンルン気持ちになる、うらやむ夫妻であった。

2014年2月9日日曜日

60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その1)。古びた写真。

1枚の古びた写真を持っている。戦争が終わって、すぐの頃、1946年、後ろの建物は、戦争中は、造船工員たちの寮だった。それを養護施設がもらい受けた。男の子ばかり、100人ほどが集まり、貧しさといったら、最低の生活だった。木造建物の窓には、ワクも入っていない。祈る幼い子どもたち。何を祈るのか、何を願うのか。戦争・原爆で、家を失い、家族を失い、独りぼっちに、残された。それでも、生きていかなばならぬ。食べ物を、与え給え。着物を、与え給え。彼らの足を見てごらん。ハダシだよ。当時、この場所を、何度も訪ねて、よく知っている。子供たちも、職員の苦労も、よく知っている。この写真も、昔から手元にあって、大切に保存してきた。まんなかで、祈る男の子(右から、4人目)、名前は知らない。「かー坊」と親しく呼んでいた。アタマの大きな子だった。熱心に祈る、あの子、この子。60数年前の写真だよ。これを見ると、胸が痛む。これからの人生に、この子たちに、どのような苦難、困難が待ち受けていることか。イジメもあろう。寂しさもあろう。考えただけでも、切ない。だた、今は祈っている。「そうだ、祈りなさい。祈りしか、今は出来ない。それで、いいよ。必ず道は開けるでしょう」。ユメと希望だけは、持ちたい。なぜ、いま、この写真を載せたのか。「かー坊」、「かー坊」と親しんでいた、あの子が、60数年経って、再会できたからであった。出逢ったんです。昨年の暮れだった。2013年12月21日、「かー坊」さんが、優しい奥さんと共に、聖コルベ館へやってきた。感動的だった。「おお、あの、かー坊さんか、60数年ぶりに出逢った、ひさしぶり、よかった、よかった」と、お互いが、たいそう喜びあった。(あすに、つづく)

2014年2月8日土曜日

やっぱり考える。「主よ、居られましたか」。救いはあるか。

愛されて、親しまれる人生が、最高さ。そう、思いませんか」。こんなゼイタクは、ないでしょう。今朝、考えました。手術台にねて、両手を大きく広げて、まるで十字架に架かったように、苦しんできた。あのとき、「主よ、あなたは、ここに居られますか?と、考えましたか」。主は、苦しみのベッドの傍に居られるか。★病人がベッドに釘づけに、なっているのに、誰も来ない。見舞いに、来ない。慰めに、来ない。困っていたところ、ある宗教団体の女性たちがきて、助けてくれた、慰めてくれた、だから自然に、その宗教の教えを受け入れた、そんな話題を聞いたことがある。当然でしょう。病人は助け、慰め、励まし、独りで無いこと、求めている。★だが、ここで、きょうのトマさんは考えた。主よ、居られますか。目に見えない。いくら物理的に考えても、主の姿は見えないでしょう。「見えなくても、主が居られる、感じる、それが信仰なんです」。信仰とは、目に見えないものを「信じる」ことです。見えなくても、感じれば、いい。「もう、孤独を、嘆くまい。独りを、寂しがるまい。幸せは、ニンゲンからは、やって来ない。もの、からは、やって来ない。目に見えないものから、感じに満たされる。けさのトマさんは、何か、そう思いました。★ベッドの苦悩を広げれば、ニンゲンは、もっと、もっと、時には最低の苦悩に落とされる。「原爆の丘に、主は居られましたか」「アウシュヴィッツの餓死室に、主は居られましたか」。身震いする程の恐ろしさが、ある。