長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年2月14日金曜日
ルルドへの坂道に、梅が満開。寒さ、きびしい。春は未だ遠い。
2014年2月13日木曜日
外海へ、日帰りで、知人に会い、旧交を温める。元気でしたか。
2014年2月12日水曜日
ルルドご出現の記念日。祈りの巡礼。東京からも、来る。
2014年2月11日火曜日
60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その3)。絵を贈る。
戦争が終わった直後は、誰もが貧しかった。施設で暮らすか、家庭で暮らすか、みな同じ貧しさの中で生きていた。施設だった、あの木造の建物は、2年後に火災にあって消失した。施設は、山の、人里離れた山地に移転した。「ツバキ原」と言われる地で、ツバキが花咲く地だった。「かー坊」さんたちは、ツバキ原で暮らし、学び、育って、成長した。イジメや苦労は沢山あったけど、正直に生きて、愛とイノチのつながりの幸せを得た。いまは個人情報の時代で、知られたくないかも知れない。「かー坊」さんは語ってくれた。「ありがとう。よかったね」と、祝福する気持ちで、イッパイだった。聖コルベ館の修道士は、出逢った記念に、夫妻に、1枚の絵を描いて贈った。絵には、コメントを書き添えた。「ツバキ原で、育った、じいちゃんが、生き抜いた、おかげて、愛と、イノチが、つながった。幸せは、家族愛のキズナにある」。これが今の本心です。ヘタな絵、ヘタな字だけれども、86歳、修道士の心はこもっている。最近、「かー坊」さんの、この実話ほど、感動した逸話はないのです。「苦しみや、寂しさの話は、もう、いいんだよ。愛の話、イノチのつながり、それより尊いものはない。じいちゃんが、生き抜いたからこそ、いまの自分がある。カンシャすれこそ、ハジと思うな」というのが、修道士自身の気持ちです。それは自分自身にも言い聞かせたい、気持ちなんです。「カー坊」さん、奥さん、いつまでもおゲンキで、すばらしい人生を送ってください。神さまは、見ておられる。
2014年2月10日月曜日
60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その2)。再会の喜び。
「かー坊」さん夫妻が、訪ねてきた。彼は、71歳。奥さんは、61歳。あの幼い時代から、60数年が経過している。これまで沢山の苦労があったでしょう。「苦労は語らなくて、いいのです。愛を聞かせて下さい」。中学を出て、町のお店に就職した。奥さんとは、見合いだった。お話しがあったとき、奥さんのお兄さんが、彼が、まじめに、正直に、お店の配達をするのを知っていた。「あの人ならば、大丈夫よ」。彼、34歳。奥さんは、24歳。カトリック教会で、結婚式をあげる。奥さんは洗礼をうけた。「かー坊」さんの新しい出発だ。3年後に、女の子に恵まれる。「ああ、よかったね」。女の子は成人して、看護師になり、病院で働いていた。良縁あって、娘さんも結婚し、男の子、女の子、2人の可愛いお孫さんにも恵まれた。「ああ、よかったね。すばらしい」。彼が、奥さんを気遣いながら、こう言うのです。しみじみ修道士はそれを聞いた。「ツライことは、沢山あった。あったけれども、それでも、ワタシのチカラでなしに、神さまの御手に守られていたと感じます。この人を含めて、この人を通しても、いまは感謝している。カトリックの信仰を親が残してくれた。苦労は、したけど、がんばる程でもない。一歩、一歩、何事もなく、毎日を歩いてきました」。修道士は、彼の言葉に感動した。苦労は、イッパイしたけど、苦労の話は、もう、いいんです。それより、優しい奥さんに、めぐり合えて、娘さんに恵まれ、更に、お孫さんにも恵まれた。この愛とイノチのつながり、よかったですね、すばらしいジンセイだった。いま思います。3歳のとき、熱心に祈ったのが原点だった。施設での教えは、厳しかった。その教えがあったればこそ、生き抜いた、耐え抜いた、そして愛をつかみ取ることが出来たのです。そう思い、確信した。町のお店から、後では会社に転職した。会社を定年退職して、11年になる。夫妻は、手をつないで、毎日、散歩に出るのが楽しみだそうだ。「けんか、したこと、ある?」。お互いに、顔を合わせながら、「ないね」。そして笑った。結婚前の奥さんのお仕事は、美容師だった。結婚以来、彼のアタマのサンパツは、奥さんの仕事。「アタマは、大きいですか?」「大きいんですよ。帽子も大きい。髪は真っ黒で、沢山あった。白くなったし、髪も薄くなった。大きなアタマだけが、残った」「載せるからね」。了解だけは、取っておいた。「ジンセイに、大切なもの、コツコツと耐えること、正直に生きること、辛抱すること、その教訓があったればこそ、愛の花がリッパに咲いた。修道士も、ルンルン気持ちになる、うらやむ夫妻であった。
2014年2月9日日曜日
60数年をつなぐ愛とイノチの物語(その1)。古びた写真。
1枚の古びた写真を持っている。戦争が終わって、すぐの頃、1946年、後ろの建物は、戦争中は、造船工員たちの寮だった。それを養護施設がもらい受けた。男の子ばかり、100人ほどが集まり、貧しさといったら、最低の生活だった。木造建物の窓には、ワクも入っていない。祈る幼い子どもたち。何を祈るのか、何を願うのか。戦争・原爆で、家を失い、家族を失い、独りぼっちに、残された。それでも、生きていかなばならぬ。食べ物を、与え給え。着物を、与え給え。彼らの足を見てごらん。ハダシだよ。当時、この場所を、何度も訪ねて、よく知っている。子供たちも、職員の苦労も、よく知っている。この写真も、昔から手元にあって、大切に保存してきた。まんなかで、祈る男の子(右から、4人目)、名前は知らない。「かー坊」と親しく呼んでいた。アタマの大きな子だった。熱心に祈る、あの子、この子。60数年前の写真だよ。これを見ると、胸が痛む。これからの人生に、この子たちに、どのような苦難、困難が待ち受けていることか。イジメもあろう。寂しさもあろう。考えただけでも、切ない。だた、今は祈っている。「そうだ、祈りなさい。祈りしか、今は出来ない。それで、いいよ。必ず道は開けるでしょう」。ユメと希望だけは、持ちたい。なぜ、いま、この写真を載せたのか。「かー坊」、「かー坊」と親しんでいた、あの子が、60数年経って、再会できたからであった。出逢ったんです。昨年の暮れだった。2013年12月21日、「かー坊」さんが、優しい奥さんと共に、聖コルベ館へやってきた。感動的だった。「おお、あの、かー坊さんか、60数年ぶりに出逢った、ひさしぶり、よかった、よかった」と、お互いが、たいそう喜びあった。(あすに、つづく)
2014年2月8日土曜日
やっぱり考える。「主よ、居られましたか」。救いはあるか。
愛されて、親しまれる人生が、最高さ。そう、思いませんか」。こんなゼイタクは、ないでしょう。今朝、考えました。手術台にねて、両手を大きく広げて、まるで十字架に架かったように、苦しんできた。あのとき、「主よ、あなたは、ここに居られますか?と、考えましたか」。主は、苦しみのベッドの傍に居られるか。★病人がベッドに釘づけに、なっているのに、誰も来ない。見舞いに、来ない。慰めに、来ない。困っていたところ、ある宗教団体の女性たちがきて、助けてくれた、慰めてくれた、だから自然に、その宗教の教えを受け入れた、そんな話題を聞いたことがある。当然でしょう。病人は助け、慰め、励まし、独りで無いこと、求めている。★だが、ここで、きょうのトマさんは考えた。主よ、居られますか。目に見えない。いくら物理的に考えても、主の姿は見えないでしょう。「見えなくても、主が居られる、感じる、それが信仰なんです」。信仰とは、目に見えないものを「信じる」ことです。見えなくても、感じれば、いい。「もう、孤独を、嘆くまい。独りを、寂しがるまい。幸せは、ニンゲンからは、やって来ない。もの、からは、やって来ない。目に見えないものから、感じに満たされる。けさのトマさんは、何か、そう思いました。★ベッドの苦悩を広げれば、ニンゲンは、もっと、もっと、時には最低の苦悩に落とされる。「原爆の丘に、主は居られましたか」「アウシュヴィッツの餓死室に、主は居られましたか」。身震いする程の恐ろしさが、ある。
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