長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年2月7日金曜日
入院、2日目。お医者さんが「トマさん」呼んで、びっくり。
きょうのトマさん。具合は、いいか?朝は、まだ、病院・ベッドの上。熱は出ないか。きょう、帰れますか?お祈りください。★朝が、きた。看護師さんが、検温にくる。暗い部屋に電灯をつける。となりの若者に聞いた。「昨日は、お通じ、何回?眠れました?」「いいえ、眠れません」。今度、当方へきて、「お通じ?眠れました?」「ハイ、すっかり、眠れました」★この朝、「チリン、チリン」で目をさます。神父さん、早いよ。6時30分だった。カンテラをさげていたのは、このシスターだった。エライんだよ、このシスター。看護部の部長さん。朝食の後で、また、やってきた。「ご苦労さまね」「いや、いや、元気だよ」「ブラザーの苦しみが、お恵みだよ」。苦しみが、他者にお恵みをもたらす、の意味です。長崎の信心です。意味、わかりますよ。「あのネ、シスター。先生(お医者さん)が、トマさんと呼びかけて、びっくりしたよ。トマさんって、知っているんだね」「そりゃ有名だもの」「ゆうめい、って」「騎士誌にも書いてあるでしょう。病院にも置いてあるし」「読んでいるのかなあ」「そりゃ、読むんでないの」。お医者さんから退院の許可が出た。午前中に、帰ります。院長さんが迎えにきた。★昼食。食卓で、皆さんに「無事に帰って来ました」。食卓には、イッパイに花を咲かせた梅の小枝が、さされていた。「ルルドの梅だよ」★午後から、介護のヘルパーさんがきて、介添え入浴した。「お尻のところ、こげ茶色の消毒液で、キツイ色に染まった。しっかり、洗うぞ。ハハハ」。この夜は、早く、ゆっくり休んだ。テレビは、ソチ・オリンピックの開会式だったらしい。
2014年2月6日木曜日
入院、1日目。苦悩の8分間。ステントの入れ替え。
きょうのトマさん。苦しみの日です。腹部に、ステントが入っている。これが無ければ、生きていけない。時々、入れ替えの時がある。きょうが、その日です。午前中に、入院します。午後から、手術室へ。ツライ時間が始まります。「イタイ、痛い」「がまんせろ」。手術台で、何を思うか。何を、祈るか。長く生きると、楽しみもあるが、苦しみも、沢山ある。それらを乗り越えてのジンセイです。★院長さんの車で、病院へ。昼飯ぬきで、点滴が始まる。午後1時30分、歩いて手術室へ入る。考えたこと。「4ヶ月に1度、手術台へ。いつまで体力が持つか?」。とにかく耐えるしかないと、かみ締める。恥ずかしい、は既に通り越して、痛み少なく、その思いのみ。1時45分、「マスイのゼリーを入れませね」の声。47分、「カメラを入れます」「痛て、て」。スーッと抜ける感触。次に、ジヮ、ジヮ、入れる感触。「終わりましたよ」。1時53分。「早ャー」。ラクだったな。クルマ椅子で、病室に帰る。1つの受難は、過ぎ去った。点滴が夕方までつづいた。夕食には、小さなタイの焼き魚が、1ピキ。★その夜は、ゆっくり寝たいんだよ。ところが、これが2人部屋。早めに眠りについたが、となりの若者が夜型で、電気を中々消さない。しびれを利かせて、アイ・マスクと耳栓で、やっと眠った。「イビキ、かいても、知らんぞ」
2014年2月5日水曜日
カニでお祝い。ルーマニアに送金。携帯・フン失。困った。
2014年2月4日火曜日
トマさん、おめでとう。修道士の名前のお祝いです。うれしい。
2014年2月3日月曜日
恩師・永井博士・再び映画になるか。教え子は、うれしいよ。
永井隆博士が亡くなって64年。永井先生の「己の如く、人を愛せよ」の精神は消え去ることがない。誰の心にも通じる心情だ。それは海越え、山越え、外国の若者にも通じていく。うれしいじゃ、ないですか。永井先生から、小神学校で、中学生のとき、理科を教わった。「君は、絵が好きなの。これを見てください」。特別に、絵を見せられた。それは永井先生が描いた、被爆直後の、崩壊した浦上天主堂の墨絵スケッチだった。「先生、これ、模写して、いいですか」。同じように描きましたよ。悲しい浦上天主堂の面影です。永井先生は、絵がじょうずだった。原爆のあと、ちょうど永井先生の自宅あたりの廃墟に腰掛けて、毎夜、毎夜ですよ、暗闇のなかで、燃える浦上天主堂を眺めて、泣きましたよ。その悲しい想い出がある。忘れません。永井先生の明るいカオ、表情も、忘れません。★映画になる、って、うれしいです。ぜひ見たいですね。2月に完成とありますから、今年には見れるでしょう。楽しみにしています。2度と原爆、無いように。2度と戦争が、ないように、願うばかりです。★あなたは、永井先生をご存知ですか。長崎のお医者さん、原爆の被爆者です。真理と、信仰、平和の使徒です。本を読んで、勉強してください。
2014年2月2日日曜日
高い者は高く、低い者は低く生きる。抵抗なくて、いい。
おはよう。日曜日ですが、通常どおり、5時に起きました。テレビのスイッチを入れると、お坊さんの説話が行なわれていた。聞きながら、朝の身支度をすませる。お坊さんは、一糸乱れず、お話をなさる。リッパな態度です。お話しは、むずかしい内容で、理解に苦しみます。修業の、至らなさを感じました。素朴な修道士にも、良いものが有るでしょうか。写真が、迷いの多い修道士の表情です。★「導かれて、17歳のとき、この道に入りました。これまで、ままならぬことが度々起こったが、その都度、助ける人がいたのです。ここを創立した人は、かの有名なコルベ神父です。コルベ神父自身、この場所で6年間宣教した後、故国へ帰り、アウシュヴィッツで、身代わりの愛の殉教をとげた。思えば、すばらしい聖人につながっている。うれしいですよ。ほこりですよ。ここで生活し、最後を遂げたいと、願っています」★若い頃に、もっと勉強しておればよかった、と悔やまれる。病気や、苦難がイッパイあった。のり越えるのが、精一杯だった。自分に与えられたお恵みを受け止めて、自分らしく、生きよう。高い者は、高く生き、低い者は、低く生きる。それが抵抗がなくて、いいと思います。無学な者にも、生きる喜びは、ある。2014年2月1日土曜日
島原の教会。殉教者に祈る。真理の道を教えてください。
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