2014年2月7日金曜日

入院、2日目。お医者さんが「トマさん」呼んで、びっくり。

きょうのトマさん。具合は、いいか?朝は、まだ、病院・ベッドの上。熱は出ないか。きょう、帰れますか?お祈りください。★朝が、きた。看護師さんが、検温にくる。暗い部屋に電灯をつける。となりの若者に聞いた。「昨日は、お通じ、何回?眠れました?」「いいえ、眠れません」。今度、当方へきて、「お通じ?眠れました?」「ハイ、すっかり、眠れました」★この朝、「チリン、チリン」で目をさます。神父さん、早いよ。6時30分だった。カンテラをさげていたのは、このシスターだった。エライんだよ、このシスター。看護部の部長さん。朝食の後で、また、やってきた。「ご苦労さまね」「いや、いや、元気だよ」「ブラザーの苦しみが、お恵みだよ」。苦しみが、他者にお恵みをもたらす、の意味です。長崎の信心です。意味、わかりますよ。「あのネ、シスター。先生(お医者さん)が、トマさんと呼びかけて、びっくりしたよ。トマさんって、知っているんだね」「そりゃ有名だもの」「ゆうめい、って」「騎士誌にも書いてあるでしょう。病院にも置いてあるし」「読んでいるのかなあ」「そりゃ、読むんでないの」。お医者さんから退院の許可が出た。午前中に、帰ります。院長さんが迎えにきた。★昼食。食卓で、皆さんに「無事に帰って来ました」。食卓には、イッパイに花を咲かせた梅の小枝が、さされていた。「ルルドの梅だよ」★午後から、介護のヘルパーさんがきて、介添え入浴した。「お尻のところ、こげ茶色の消毒液で、キツイ色に染まった。しっかり、洗うぞ。ハハハ」。この夜は、早く、ゆっくり休んだ。テレビは、ソチ・オリンピックの開会式だったらしい。

2014年2月6日木曜日

入院、1日目。苦悩の8分間。ステントの入れ替え。

きょうのトマさん。苦しみの日です。腹部に、ステントが入っている。これが無ければ、生きていけない。時々、入れ替えの時がある。きょうが、その日です。午前中に、入院します。午後から、手術室へ。ツライ時間が始まります。「イタイ、痛い」「がまんせろ」。手術台で、何を思うか。何を、祈るか。長く生きると、楽しみもあるが、苦しみも、沢山ある。それらを乗り越えてのジンセイです。★院長さんの車で、病院へ。昼飯ぬきで、点滴が始まる。午後1時30分、歩いて手術室へ入る。考えたこと。「4ヶ月に1度、手術台へ。いつまで体力が持つか?」。とにかく耐えるしかないと、かみ締める。恥ずかしい、は既に通り越して、痛み少なく、その思いのみ。1時45分、「マスイのゼリーを入れませね」の声。47分、「カメラを入れます」「痛て、て」。スーッと抜ける感触。次に、ジヮ、ジヮ、入れる感触。「終わりましたよ」。1時53分。「早ャー」。ラクだったな。クルマ椅子で、病室に帰る。1つの受難は、過ぎ去った。点滴が夕方までつづいた。夕食には、小さなタイの焼き魚が、1ピキ。★その夜は、ゆっくり寝たいんだよ。ところが、これが2人部屋。早めに眠りについたが、となりの若者が夜型で、電気を中々消さない。しびれを利かせて、アイ・マスクと耳栓で、やっと眠った。「イビキ、かいても、知らんぞ」

2014年2月5日水曜日

カニでお祝い。ルーマニアに送金。携帯・フン失。困った。

きょうのトマさんです。①「どうした?カニ、もって。のぼスンな(いい気になるな)」「ゴメン」。仲間、10人が、カニ料理で、祝ってくれました。「なに、食べたい」というから、「カニを食べたいなァ」。理由があるんです。「子どもの頃、よく、かに、食べました」。両親が北朝鮮へ出稼ぎに行って、現地で生まれたから、子どもの時は、大きなカニを好く食べたモンです。この歳になって、子どもの頃を思い、母親を思い、ゼイタクを言えば、「カニ、食べたい」。でも、長崎には、お店が、ないのです。(北海道、長崎をつなぐ飛行機の直行便が、ない)。それで、お店を院長さんが見つけてくれた。みんなで祝ってくれて、ご馳走になりました。その時の院長さんのカンパイの挨拶です。「好奇心、旺盛な、トマさん、元気で、長生きしてください」「ハイ、ありがとう」。カニを沢山、いただきました。お酒は、飲みません。★きょうのトマさんです。②郵便局へ行って、ルーマニアに送金しました。手描きの色紙・販売のお金が、一応、揃いました。いま円高を利用して、ルーマニアの6つの家族に、2回目、今度は、1.300ユーロ(日本のお金で、168.300円)を送りました。けっこう、色紙も売れるモンですね。ありがたいです。現地の家族に、よろこんで、もらえるでしょう。ルーマニアの家族からは、クリスマス・カードが届いていました。★きょうのトマさん。③スマホの携帯をフン失する。パソコンの横に、デジカメと携帯を置いていた。くまなく探したが、とうとう見つからない。急いで、スマホの携帯を破棄しました。数日して、ドコモ店へ相談に行く。「新しいのを、買いなさい」と、しきりに勧められる。2時間、ねばって、以前、使っていた機種、アイモードを取り出して、これに切り替え使います、と決めた。ほとんど電話と、メールだけの使用ですから、この方が安くて、便利です。これからは気をつけよう。事務所の扉には、必ずカギをかけよう。反省しました。

2014年2月4日火曜日

トマさん、おめでとう。修道士の名前のお祝いです。うれしい。

修道士名のお祝い日。日本26聖人殉教者の祝日です。15歳で殉教した聖トマ小崎の名前を頂いた。「トマさん、おめでとう」と、大きなお花を持って来てくださったのは、長崎市・浦上の大津さん(社長)です。毎年、毎年、持って来てくださる。もう、何年になるだろうか。ありがたいです。お花は、聖コルベ館の玄関、無原罪の聖母マリアのご像の前に置いて、いつも飾っておきます。1ヶ月、2ヶ月と、持ちこたえるのです。★15歳の少年のように、きれいな心、聖人の心になってください。それが願いでしょう。聖人の心は、ほど遠い。自分は罪人です、と認めることから、キリスト教が始まる気がします。でも、希望を持ちましょう。お恵みの方が大きいです。★「きょうのトマさん」①ガイドの山口さん(女性)が、2人の見学者を案内してきた。2人は京都と、神戸の女性。何年も掛けて、京都から長崎まで、殉教者の道を歩いた、という。2月2日、日曜日には、午後2時から、殉教地の西坂で、お祝いのミサが行なわれた。2.200人が参加した。②鎌倉の渡辺さん(男性)が1年ぶりに訪ねて来た。親しく語り合う。色紙を3枚、購入した。亡くなった奥さんの額に飾り置くという。ルーマニアの家族に、ユーロを送ります。


2014年2月3日月曜日

恩師・永井博士・再び映画になるか。教え子は、うれしいよ。

永井隆博士が亡くなって64年。永井先生の「己の如く、人を愛せよ」の精神は消え去ることがない。誰の心にも通じる心情だ。それは海越え、山越え、外国の若者にも通じていく。うれしいじゃ、ないですか。永井先生から、小神学校で、中学生のとき、理科を教わった。「君は、絵が好きなの。これを見てください」。特別に、絵を見せられた。それは永井先生が描いた、被爆直後の、崩壊した浦上天主堂の墨絵スケッチだった。「先生、これ、模写して、いいですか」。同じように描きましたよ。悲しい浦上天主堂の面影です。永井先生は、絵がじょうずだった。原爆のあと、ちょうど永井先生の自宅あたりの廃墟に腰掛けて、毎夜、毎夜ですよ、暗闇のなかで、燃える浦上天主堂を眺めて、泣きましたよ。その悲しい想い出がある。忘れません。永井先生の明るいカオ、表情も、忘れません。★映画になる、って、うれしいです。ぜひ見たいですね。2月に完成とありますから、今年には見れるでしょう。楽しみにしています。2度と原爆、無いように。2度と戦争が、ないように、願うばかりです。★あなたは、永井先生をご存知ですか。長崎のお医者さん、原爆の被爆者です。真理と、信仰、平和の使徒です。本を読んで、勉強してください。


2014年2月2日日曜日

高い者は高く、低い者は低く生きる。抵抗なくて、いい。

おはよう。日曜日ですが、通常どおり、5時に起きました。テレビのスイッチを入れると、お坊さんの説話が行なわれていた。聞きながら、朝の身支度をすませる。お坊さんは、一糸乱れず、お話をなさる。リッパな態度です。お話しは、むずかしい内容で、理解に苦しみます。修業の、至らなさを感じました。素朴な修道士にも、良いものが有るでしょうか。写真が、迷いの多い修道士の表情です。★「導かれて、17歳のとき、この道に入りました。これまで、ままならぬことが度々起こったが、その都度、助ける人がいたのです。ここを創立した人は、かの有名なコルベ神父です。コルベ神父自身、この場所で6年間宣教した後、故国へ帰り、アウシュヴィッツで、身代わりの愛の殉教をとげた。思えば、すばらしい聖人につながっている。うれしいですよ。ほこりですよ。ここで生活し、最後を遂げたいと、願っています」★若い頃に、もっと勉強しておればよかった、と悔やまれる。病気や、苦難がイッパイあった。のり越えるのが、精一杯だった。自分に与えられたお恵みを受け止めて、自分らしく、生きよう。高い者は、高く生き、低い者は、低く生きる。それが抵抗がなくて、いいと思います。無学な者にも、生きる喜びは、ある。

2014年2月1日土曜日

島原の教会。殉教者に祈る。真理の道を教えてください。

島原の殉教者の聖堂です。島原の町に入ると、まず目につくのが、島原のお城です。お城の近く、白土湖(しら・ち・こ)という池がある。きれいな水が湧き出ているんですね。雲仙・普賢岳の湧き水です。大量の水・泉が吹き出しているから、それは見事です。その池の前にあるのが、島原のカトリック教会です。島原の殉教者に捧げられていて、教会はユニークな姿をしている。誰でも、自由に入れます。祈りが出来ます。殉教者に祈りましょう。多くの殉教者が、この地から出ています。★最初の頃は、平穏でした。ポルトガル人の商人や、宣教師が来て、賑わっていました。南蛮船が入る港もあった。帆かけ船だから、季節風が吹く頃に来航し、また季節風が吹き始めると、帰国するんですね。だから長期滞在となり、港は繁盛しました。でも、迫害になって、季節風が吹いても、船は来なくなった。殉教者も出る。悲しい時代ですよ。★教会の庭に、ご像が立っている。中浦ジュリアン神父像です。日本人のカッコウをしていますよ。ローマにも行った。日本人青年として、天文や、地理や、航海術や、ラテン語や、西洋音楽や、さまざまな先端・学問を習得した。エライ青年ですよ。ご像とアクシュしました。「パワーをください。信仰をください」と願いました。★宗教とは、何ですか。人は、なぜ存在し、生きているのか、問いつづけることにある。どのように、生きれば、いいのか。苦難も起こり、病気にもなり、裏切られる苦悶もある。いや、心の奥には、欲望もある。自覚している。いかにして救われるのか。安心がほしい。負けない力がほしい。そのような願いがあります。課題は昔も今も、変わらないでしょう。自分の人生を真剣に考えたい、そう思います。