2013年9月7日土曜日

湯布院、2日目。トラピスチンに、19人。祈るシスター

女性のための観想修道院、トラピスチンです。クルマが停まっているでしょう。あれが、大川甚吉神父さんの軽・四輪駆動です。これで回りました。大分の、山の中の、静かで寂しい場所、出てきたシスターに最初に聞いたのが、「いま、ナン・ニン、ですか?」。返って来た人数が、19人。びっくりしました。そんなに、沢山。生涯を、このような人里離れた場所で、祈り三昧に過ごすこと、これは特別なお恵みなしには、誰もが出きる生活ではない。シスターたちの祈りが、カトリック信仰の大きな土台になっているのを感じます。「隣人愛だ、奉仕だ、ボランティアだ、と言っても、祈りの無い働きは、無意味です」。それを、今度の小さな旅で、認めたいのです。下の写真は、聖堂です。シスターたちの祈りの場所です。祈りの台に納まって、毎日、何度にも分かれて、聖務日課を歌っている。応接間で、大きなツブの、ブドウを食べさせてもらった。「シスターが作りました。2本、木があります」「ええ、おいしい」。大川神父さんは、シスターたちが作ったクッキーを沢山買って、車に積み込んだ。

2013年9月6日金曜日

湯布院へ。1日目。日本一の、大型つり橋で、足元フラフラ

大川甚吉神父さん、81歳。湯布院(大分県・温泉あり)の教会の神父さんです。「ボク、見納めに、湯布院へ行きたいよ。日本一の大きい、つり橋、渡りたいなァ。頼むよ」とお願いすると、わざわざ湯布院から、聖コルベ館まで、迎えに来てくれた。「やあ、すみません」。湯布院から長崎まで、片道、高速で、220Km離れているのです。それを、軽の四輪駆動で、迎えに来た。九州を、横断するワケです。2泊3日の旅の始まり。ボクの第一の願いは、日本一長い、つり橋を渡ることでした。ヒトだけが通る、つり橋。イメージとしては、丸太の橋かと思いきや、コンクリートのリッパな橋でした。長さが、390m。高さが、170m。両脇に、2つの滝もある。眺めが、すばらしい。気持ちが、デカク(大きく)なりますよ。くよくよ、考えるなよ。でも、ね。飛び込む人も居るそうです。警備員が、何人も、橋の上を行き交い、警戒している。第一の望みを果たして、湯布院の教会へ落ち着いた。教会内に、温泉がある。70度前後の湯が、豊富に出ている。疲れを癒しました。「トマのためなら」と万全の愛を注いでくれた、優しい大川甚吉神父さん。小神で、中学生の時からの、親友です。

2013年9月5日木曜日

美装カードが届いて、びっくり。ありがとう。また作ってね。

郵便で、キレイなカードが、20数枚、送られてきて、あけて、びっくり、こんなに素晴らしい贈り物。毎日、ブログを見てくださる方に、いろんなアイデアを持っている方が居るんですね。感心しました。ありがたかった、です。うれしかった、です。手紙が添えられていた。大分県の恵理子さんです。「昨年の8月5日、聖コルベ館を訪ねました。登明サンがブログに書いて、写真まで載せてくださって、うれしい気持ちでした。同封のシオリは、登明サンのブログから勝手にダウンロードして、作りました。著作権の侵害ですが、でも登明サンだけにお送りするのだから、許してくださいね。お許しがあれば、もっと作ります」。さっそく、その夜に、電話をかけて話しました。「恵理子さん、ありがとう。よかったですよ。作って送ってください。協力します。聖コルベ館に来た見学者に、記念に差し上げると、喜ばれるでしょう。未来が、明るくなりました」。恵理子さん「ああ、よかった。作りますよ。期待してください」。シオリよ、小さなカードだが、大きな喜びを与えるよ。ベリ・グット。(ウラには、アヴェ・マリアの祈りがある)

2013年9月4日水曜日

映画「少年H」を見に行く。少年よ、自立し、決断せよ

映画を見に行く。「少年H」という奇妙な題である。太平洋戦争が始まる少し前、昭和16年の春から、小5の少年を通して、この物語は神戸を舞台にスタートする。家は、洋服店。父と、母と、妹の4人家族。母親が、「H」と大きく描いたセーターを着せてやったことから、その名で呼ばれた。やがて戦争が開始され、市民は銃後にいても、戦雲のなかに巻き込まれていく。ご真影(天皇・皇后を祭る社)や、二宮尊徳、スパイの監視など、この家族は、キリスト教の信者の一家だった。欧州から逃れてきたユダヤ人の服を修理したことで、外国と密通していると官憲に疑われ、拷問にあう。家族は熱心に信仰するが、迫害もされる。だが、くじけない。中学生になると、軍事教練で鍛えられる。ビンタを叩かれる。少年といえども、苦難の連続だ。やがて昭和20年3月、神戸は大空襲に見舞われ、全部が焼け野原となる。映画セットの家屋を全部、実際に燃やした。一家は家を失ったが、幸い、家族は無事だった。戦争を通り越して、平和が訪れる。「少年よ、いまこそ、自立し、決断するのだ」。自分で足で、しっかり踏ん張って、生き抜くときがきた。苦難を通り越して得た自由の日だった。「この少年を見ていると、自分の少年時代に重なってくる」。少年には、明るい未来がある。焼け野原の市街は、原爆の浦上の丘と同じ風景だった。自分も、あの原爆の丘で、実際、大きな決断を余儀なくされた。映画の終わりに、自分はポーランドの司祭や修道士にお世話になったことを思い、あの優しい修道者たちの顔、顔が、次々に浮かんできた。あのとき、自分は、よく、この道を決断したと思う。足に巻くゲートルが懐かしかった。行進して、よく、歩いたもんだ。少年は今、我々に何を訴えるのか。過去の戦争という苦難を通って、今の繁栄がある。映画の少年が、いまの時代に生きたなら、「ああ、我々の苦労の愚かさよ」と、ナミダを流すに違いない。

2013年9月3日火曜日

福島の、愛と平和のお母さん、93歳で、神に召される。

悲しい知らせがあった。福島の、偉大なお母さんが神に召された。93歳であった。亡くなる2ヶ月前に描いたのが、マザー・テレザのお姿だった。ニンゲンが生きるとは、どういうことだろうか。男の子、6人と、女の子、3人を産み、育て、男2人を修道士に、女2人シスターに、仕上げて、自分は「シオンの丘」を建てて、ルルドも自作し、祈り三昧、孤独老人や、身よりのない人を助けた。マザー・テレザの心で、つらぬいた。「クニさん」の偉いところは、目立たないで、看板を立てないで、黙々と愛と平和を実行した。そして「神に感謝」。福島の子供たちの家から、通知があって、びっくりした。2度、福島を訪問した思い出も、ある。人生とは、こうで、なければ、ならぬ。右の手で、するところ、左手に知らせては、ならぬ。じみつに、ちゃく、ちゃくと果たして、93歳だよ。尊敬するニンゲンを挙げれば、「クニさん」が、すぐに浮かぶ。5年まえ、突然、福島の「クニさん」から、リンゴが1箱送られてきた。「え?なんで?」と思ったが、なにかの心境があったのか、今になって、思います。永遠の安らぎを与え給え。

2013年9月2日月曜日

大学の卒論に「コルベ神父」を選んだ若者。真実を見つめよ

東北から、1人で、若者がやってきた。「小崎サンですか。最近、騎士誌を読んで、また、ブログも見ています」と言う。「長崎のコルベ神父」と「身代わりの愛」を持参。ありがとう。「10数年前に、両親と、小学生だった自分は、いっしょに来ました」「やあ、なつかしい」「ワタシは覚えていないが、母が、小崎サンとお話したこと、よく覚えています」「ひょっとしたら、サインが有るかも」。サイン帳を探したが、残念、名前は無かった。「いま、大学4年です。卒論に取り組みます。テーマに『コルベ神父』を選びました」「ああ、よかった。がんばってね」「ハイ」。うれしいじゃないですか。コルベ神父を勧めたのは、担当・教授だった。「えらい先生だね」「なにか、ヒントになること、語ってください」。小さい録音機を机に置いた。修道士は、ペラペラと、語り始めた。まず自立だね。お父さん、お母さん、お世話になっている。しかし、いつまでも、ダメだよ。自立の精神で、コルベ神父のように愛の深い人生に立ち向かっていく。愛は、すべてを包むからね。愛は、厳しいものだよ。完全に奉献して、完成する。「ハイ」。若者はカトリックの洗礼を受けている。こころ優しい学生だった。「卒論、仕上がったら、また、おいでよ」。この若者のことは、覚えておこう。数日して、手紙がきた。「小崎サンのアドバイスを生かして、論文をしっかり仕上げます。またお話しに来ます」


2013年9月1日日曜日

今年も、3分の2は過ごしてしまった。ゲンキで、この秋も

入浴の介護をしてくれるヘルパーさんです。黙想の家から帰って、体力的に、疲れました。戻った日の午後、いつものヘルパーさんが来て、入浴させてくれた。おかげで、キレイさっぱりとなり、さわやかになり、その夜は、ゆっくり、十分、眠りました。ゲンキを快復しました。黙想の家で、湯布院から来ている大川神父さんに、「近々、湯布院へ連れて行ってほしい」と頼みました。この旅を楽しみにしています。湯布院の家には、温泉もあります。トラピスト修道院へも行きたい。大分には、「昭和の町」もあるので、その雰囲気にも、ひたりたい、そんんな気持ちで、今年の秋を楽しみにしています。きょうから、9月で、今年も早や、3分の2は過ごしてしまった。