2013年8月7日水曜日

サルも、木からスベリ落ちる。ジンセイには色々悩みあり

写真は、夏の花、サルスベリです。おサルが木に登っても、スベルのか、木が、スベスベしています。赤い花が咲いている。白い花の木もあります。東京・赤羽のサルスベリは、赤い木でした。「小崎サン、修道士でも、悩みは、あるんですか?」と聞かれた。「そりゃ、ニンゲンだもの、悩みや苦しみ、迷いも、ありますよ」。普通の修道士には、無いかも知れないが、小崎には、あります。①病気になれば、痛みがあり、行き先、不安になります。②周囲の人間関係も、気になるし、悩みになる。気が合う人ばかりではない。ニンゲンの住む所、必ず摩擦があり、強い、弱い、高い、低いが、ある。どの辺が、自分の位置か、それを分かって、納まれば、平和になる。③能力の悩みも、ある。劣等感というか、自信が持てない。弁舌がヘタだ。アタマの回転が、にぶい。仕事が、うまく、行かない悩みも、ある。④ある時は、教会で祈っても、答えが浮かばない。数えれば、悩みに、きりが無いが、ただ1つ言えることがある。お金や、モノに執着しない、シンプルな生活をするならば、悩みは少しは軽減されるようです。「弱いところ、ばかりでない。いい所も必ず有る。いい所を伸ばせば、それが、いい。希望を持って、少しは、他者のため、奉仕の生活がしたいと、考えては、どうか。そう願った朝でした。

2013年8月6日火曜日

20年前の新聞記事。原爆・語り部デビュー。今は引退

朝のお勤めを済ませ、食事の後、洗濯物を干しているとき、「ウー、ウー」とサイレンが鳴った。「ああ、8月6日、広島・原爆の日」と、手を合わせて、鳴り止むまで、アタマを垂れて、黙し祈った。「2度と、原爆が無いように」。その願いをこめて。あと3日たつと、長崎・原爆の日になる。思い出したよ。20年前の、この日。原爆の語り部となった。自分が体験した破壊力、多くの悲惨な死者と、助けを求めて叫ぶ負傷者たち。現実は余りにも厳しかった。「原爆を落とし、多くの市民を殺傷したアメリカは、なぜ謝らないのだ。ダメだよ、こんな武器を使っては。誰もが、そう思う」。その中で、行動した自分の行ないは、またザンネンだった。ニンゲンの弱さと言うのだろう。悲しい体験が、そこに有った。それらも含めて、若い少年・少女たちに、また青年たちに、語り継いでいこう。率直な願いから、語り部を10年ほど続けた。「死んだ者も悲しいが、生き残った者も、心に深いキズを受けたのです」。生きても苦難、死んでは悲惨だよ。結果として、よく、まあ、原爆を生き抜いてきたと思う。放射能より恐ろしいものは、この世にない。原発事故、2年が経過しても、まだ汚水が解決していない。1日も早い収束を望む。

2013年8月5日月曜日

からだの総点検をしてください。予約を入れましょう

朝から、泌尿器科の予約・診察へ。普通よりも、20分は早く呼ばれた。「なにか、気になることは、ありませんか」とお医者さん。「あります」。最近の状況を説明した。「胃カメラをしたのは、いつ頃ですか?」「10年前に、なります」「それでは、1度、診てもらいましょう」。内科の女医さんへ回された。上半身、裸になった胸に、ていねいに聴診器を当ててくれる。「こんなお医者さんは、めずらしい」と胸の中。複雑な病歴に、おどろいていた。内科を、1度、すみから隅まで調べてほしい。仲間の被爆者も次々に亡くなっている。女医さんは、パソコンで、次の予約の診察日を決めた。その後、血液を5本、たっぷり採取される。次は、レントゲンへ行き、胸のCTを撮影した。痛みがないのが、ありがたい。大腸ポリープも、何度か取った経験もある。遠い昔になる。なにや、かやで、1日は、暮れた。★ひまわりは、色紙に描こうと思って、撮影したものです。東京・亀有カトリック教会の庭の「ひまわり」です。

2013年8月4日日曜日

1週間前の日曜日は、東京・赤羽のミサだった。歳月、早い

1週間前は、赤羽でした。早いですね。教会に、信徒さんはイッパイで、祭壇には、ミサに奉仕する大人、子どもさんが、これ又、大勢おりました。祈りも、聖歌も、皆さんが声をあげて、心は、神さまへ、真っ直ぐに登って行きました。ミサの最後に、主任司祭・ニコラオ神父さん(アメリカ人)が、「長崎の、修道士、学者の人」と紹介があった。「学者」なんて、とんでもない、と思った。すぐ立ち上がって、周辺に目を泳がせ、ニッコリ笑って、礼をしました。食堂で、神父さんが、「なにも、言葉が、ないでしたね」「マイクが無いです。言わないです」。本当は次のように言いたいでした。「長崎・聖母の騎士の修道士です。聖コルベ館に勤めております。長崎へ巡礼に行きましたら、ぜひお立ち寄りください」。このミサの前と、後で、ブログを見てくださる人と、出会いを楽しんだのです。沢山、集まってくれた、と感謝している。★渋谷の佐藤さんからハガキがあった。「赤羽教会でお会いできて、本当にうれしかったです。できれば、もっとお話をお聞きしたかったです。頂いた色紙、飾らせて頂きました。大切にしますね。これからも、トマさんの喜び、悲しみ、笑顔、迷い、ひかり、闇、をブログにつづってください」★赤羽で、修道服で出会うか、シャツのまま出会うか、迷いました。修道服を持参して、良かった。正解だった。この1週間は悔いなく、東京の思い出の余韻で、生きております。
 


2013年8月3日土曜日

海風に吹かれて、気分は爽快。休みの1日を過ごしました

「オーィ、広い海だぞ。きれいな海だぞ。誰も居ない海だぞ」。クルマで門を出て、約25分で、いき付けの海岸に着いた。「夏休みだから、1度ぐらいは、泳ぎに行こうよ」。意見が、まとまって、7人で出かけた。何年ぶりか、な。例年通り、ここの海岸は、泳ぐ人は、チラ、ホラ。よかったね。「海に浸かると、カゼを引かない」を思い出して、「よし、海に入るか」。波にもまれて、「気持ちが、いいな」「夏ヤスーミ」と言った感じでした。本当に満足です。桟敷代は、1人、800円。スナック菓子、ウドン、オニギリ、焼きソバ、ハンバーガーを、売っています。お客は少ないから、貸切、みたような、もんでした。遠くに、薄く見えるのは、天草です。海風に吹かれて、大らかな気分になりました。東京へも行ったし、まだ夏休みの気分が抜けませんな。

2013年8月2日金曜日

原爆の日を前に、両親の墓参り。孤独に耐え生きるしかない

8月に入り、間もなく、9日の長崎・原爆の日が来る。毎年、この日だけは、忘れない。母親、クララ田川ワサの命日でもある。45歳。若くして、原爆の恐ろしい火に燃え尽きた。悲しいかな、遺体も、骨も、拾えなかった。残酷さに嘆いた日でもある。今年で、68年になる。父親の故郷、外海・黒崎の墓参りに出かけた。一族の墓は、集落の中央にある。もとは畑だった段々の丘を、教会の墓地にした。写真上に、遠くに見えるのが、地元で「城(じょお)」と呼ばれている岬の山。その向こうに、海・五島灘が広がる。この日の海は、青々としていた。遠藤周作の名作「沈黙」は、あの城(じょお)の傍らの海から、宣教師2人が夜陰にじょうじて上陸した。そこから物語が始まる。★8月9日は、母親の命日であると共に、1人の少年が孤児になり、修道士の道へ進んだ運命の日でもあった。神に呼ばれたわけだが、余りにも代価は深刻だった。17歳、自分で、行くべき道を決めた。少年の人生は、そこから本格的に始まったといえる。★クチに出して、言うたら、いけない。心のなかで、思うのです。ニンゲンって、孤独なんです。他人は、お前のこと、誰も気にして、いない。自分のジンセイだろう。自分で耐えるしか、ない。お前のジンセイ、満足だったか。満足して、死ねるジンセイが、幸いです。

2013年8月1日木曜日

旅の効能。出会いと、ホンモノに接し、自分の変身にあり

1週間の夏休み、東京から、無事に、帰って来ました。トウキョウ、と言えば、スカイツリーでしょう。そりゃ、ソバまで行きましたよ。行ったからには、登りたい。キップを買いに受付へ。「50分、待ちです」と言われ、しかも、その日は、「夜に、隅田川・花火大会があり、午後2時で終業ですよ」と念を押されて、「ダメだ」と、写真だけ撮って、あきらめました。それが、この写真です。★さて、旅を振り返って、イチバンの印象は、多くの人に出会ったことです。まず①赤羽の3人のフランシスコ修道者たち、お世話になった。次に、②ブログを見てくださる23人の出逢いです。嬉しかったね。喜んだね。皆さん、この修道士を見守ってくださる。修道服を着ていましたよ。ブログに前もって、出会った人たちに、「手描きの色紙を差し上げます」と書いていた。15人分を用意すれば、充分でしょう、15枚持参した。「足りなかった。貰えなかった人には、ごめんなさい」。③本所の95歳、93歳の老夫婦と家族たちにも出会った。長生きのパワーを貰いました。④中学・高校のときの同級生にも会った。幾つもの病気で苦しんでいた。知能明晰、弁舌さわやかだったが、ニンゲン、歳老いれば、こういうフウになるんだな、と孤独を感じた。「お互い、長生きしようや」と別れた。⑤最後は誰に出会ったって?自分自身だね。旅には、3つの効能がある。第1は、ホンモノを見る。第2は、現地の人と出会う。第3は、自分を振り返る。自分を好転させていく。旅に出ると、日常の細かい悩みが、本当に小さな出来事に感じられるのです。さあ、今日から聖コルベ館で、大らかな気持ちで頑張るぞ。