2013年7月31日水曜日

東京、6日目。女の子に熱い視線を送る。夕方、長崎へ

毎朝、赤羽カトリック教会のミサと聖務日課にあずかった。10数人の信徒が、いつも祈っていた。朝から、こうして教会で祈る。幸せを感じた。ミサと聖務が終わっても、最後まで教会の中にいる母親と、幼稚園の女の子がいた。女の子は、熱心に手を合わせて、祭壇の方へ目を注いでいる。普通の少女は、教会などに興味はないのに、この女の子は、神さまを見詰めている。それが、好きなんだ。自然に、そのように心が傾いているのだ。その女の子を見ていると、「ああ、この子は、神さまから、見詰められている」と思った。こういう女の子が、シスターになり、神さまの道に自然に進んで行くに違いない。自分の少年の頃を思った。自分も、そうだった。自然に、なんの抵抗も無く、心が傾いていた。神さまから、目を留められても、沢山の苦しみ、困難があった。試練もあった。それを乗り越えて、受け入れて、人は完全に成っていくのだろう。★日曜日、ミサの後で、また、あの女の子を見つけた。「色紙を、あげるよ」と、1枚を渡した。色紙を抱いて、写真を撮った。「この女の子が、神さまの恵みのなかに育ちますように」祈りを添えた。写真に写っている司祭は、ルーマニア人のペトロ・イシトク神父さん。仲良しの神父さんだ。日本語を学んでいる。★きょう、夕方、東京を出発して、長崎へ帰る。今年の夏の休みは、これで終わりだ。赤羽を去るに当たって、なぜか、毎朝、教会で出会った女の子の祈る姿が、印象に残った。「オレも、長生き、せんとなあ」。そんな気持ちも湧いていた。また会おうね。女の子のことは、忘れない。

2013年7月30日火曜日

東京で、5日目。昭和館で、少年倶楽部や戦争画集を懐かしむ

「東京へ行ったら、何が見たい?」。そう聞かれると、「靖国神社の近くにある《昭和館》だね。昭和1けた生まれだから、昭和という時代の展示を、ゆっくり味わってみたい」。その願いで、昭和館を見学した。以前も、行ったことがある。2度目です。見ての感想は、ザンネンながら満足した展示ではなかった。資料が少ない。昭和10年頃の「出征兵士」から始まっていた。小学1、2年の頃だ。戦中、戦後の「紙芝居」が懐かしい。ここを訪ねたとき、2つの思いがあった。1つは、小学生の頃に読んだ「少年倶楽部」を手にして、見ること。これは、ごらんの写真のように、昭和10年の1月、新年号があった。なんと、380ページに及ぶ豪華な雑誌だった。内容は、少年の心を燃やすような読み物、道徳、物語が詰まっていた。もう1つは、戦争画家たちが描いた戦争の名場面の「戦争・画集」だった。この本も見つけた。1枚、1枚の絵が、いまでも胸を躍らせる。コピーも出来るので、1枚、50円。10枚ほどコピーした。★戦争は2度とあってはならないが、少年の思い出は懐かしい。 東京見物。昭和館はどうだろう?ゆっくり、昭和の年代につかり、少年の頃を懐かしみたいです。

2013年7月29日月曜日

東京で、4日目。グラフの思い出。40年ぶりに記者に会う

時々、「東京に住んだこと、ある?」と聞かれる。「4年間、赤羽に住みました」。1970年代の前半だった。赤羽修道院で生活し、教会の庭にあった「カトリック・グラフ」の編集部で働いた。3人の記者がいた。もう40年前になる。今度の夏休みの旅で、赤羽に、こだわったのは、2人の記者に久しぶりに会いたい、望みがあった。連絡をとって、夕方、教会の門で待ち合わせる。山内さんが現れた。写真の男性。「やあ、余り変わっていないね」と修道士。「米田さんは、奥さんが不具合で、来れないそうです」「2人だけで、語り合おう」。スズラン通りを歩く。毎月、締め切りになると、徹夜になる。作業を終えた朝、この辺の「めし屋」で、お茶漬けを食った。「いま、どうなっているかな」。2人は、懐かしくさまよい、1軒の和食店に入った。それが、この写真です。編集者の仕事は大変だった。長崎から都会へ出て来て、何も知らない修道士を、導き、助け、育ててくれたのが、ベテランの彼、山内さんだった。「あの頃は、激動の時代だったね」。成田闘争、ベトナム戦争、沖縄復帰、コルベ神父が福者になる、など。波に乗って、国内、海外にも取材へ出かけた。おかげで、人間的にも、成長したように思う。「このグラフは、時代を切るユニークな大型雑誌」と言われつつも、資金が不足で、4年、39号で、降りた。★長崎・聖母の騎士は、周辺にお店もなく、1つの「城」のようにも思う。赤羽は、門を出ると、ネオンや居酒屋が軒をつらねる。城を降りてきた修道士が、誘惑されないことが、あったか。大変な時期であったのは、確かだ。傷つき、悩み、方向を見失ったこともあった。それでも「神のふところ」に戻ってきた。いま、あらためて、修道士の身分で「よかったなあ」とカンシャした次第だった。

2013年7月28日日曜日

東京、3日目。日曜日、ミサの後で、ブログの読者と出会う

毎日、ブログ(日記)を見てくれて、応援してくださる、ありがとう。「今度、休みで、東京へ出ます。赤羽教会で、出会いましょう」と、出発前に、ブログに書いてお知らせしたところ、「23人」が来て下さった。皆さんにお会いして、本当に嬉しかったよ。皆さんも喜んでくださった。出逢った順々に、聞いたお名前を記すと、渋谷の佐藤さん、川崎の山野さん、千住の清水さん、調布の後藤さん、世田谷の花澤さん、東十条の烏田先生、世田谷の北山さん夫妻、茨城の久保木さん家族3人、世田谷の阿部さん夫妻、ご夫妻でお医者さんです、さいたまの田辺さん、狛江の小栗さん、埼玉の「のび太」くず野さん、板橋の斉藤さん、埼玉の伊藤さん、松戸の駒沢さん、東久留米の竹田さん、ペトロ・イシトク神父さん、これらの方々でした。修道服の姿で、ニコニコして、挨拶して、お迎えしました。「1枚づつ、手描きの色紙を、選んで取ってください」。皆さん、喜んで取ってくれました。もちろん初めての人も居ます。顔見知りの人も居ます。懐かしい人も居ます。応援してくれて、ありがとう。来て下さって、ありがとう。「記念の写真を撮りましょう」。これが念願でもあった。ミサが始まる前と、終わってからも、撮りました。皆さんも嬉しそうでしょう。いい思い出になりました。皆さんとの出会いは、東京へ出た理由の1つでもあります。「あれ、もう、色紙は、ないの?」「ザンネン」。色紙は好評でした。色紙は、聖コルベ館で販売して、そのお金をルーマニアの、ペトロ・イシトク神父さんの国に送っています。★モニカさんからのコメント。「昨日はありがとう。たくさんの人が来ていた。わたしも、その1人です」と書いてあった。「あれ、モニカさん、名前を聞いたかな?」。挨拶をしないで、ごめんなさい。色紙を貰らいましたか。心残りがしています。

2013年7月27日土曜日

東京で、2日目。クチよりも、カラダを動かせ、と老人訓

午前中、下村コルベ修道士さんのクルマ・運転で、墨田川の近くの木島さんご夫妻を訪ねる。「やあ、久しぶりですね」と再会を喜び合った。ダンナさん、95歳。奥さん、93歳。仲のよいご夫婦。苦労しながら、町工場を盛り上げてきた。ケイキのよい、いい時代もあった。1つのジンセイにも、楽もあれば、苦労もある。「長生きのヒケツは、何ですか」「クチよりも、カラダを動かす、不言実行だよ」と言いつつ、木島さんの趣味は、手品に、コマ回し、花火の打ち上げ、機関車造り、本当にレールの上を人を乗せて機関車が走る。工場だから、製作の道具が揃っている。今は、紙で、建物や船や列車や、スカイ・ツリーを作っている。お昼は、江戸前寿司をご馳走になる。「隅田川の花火は、見ないの?」「いや、もう、えんりょ、しときます」★下村コルベ修道士の運転で、家を出た。昼過ぎというのに、もう浴衣を着て、女の子が道路を歩いている。「下村さん、気をつけてね」「大丈夫、カーナビがあるから、迷うこと、ないよ」。クルマのカーナビが、「右、行け」「左、50m曲がる」と親切に教えてくれる。「これに従えば、行き着くよ」。ある場所で、カーナビが「右に、曲がれ」と教えた。「よし」とハンドルを大きく切って、右折すると、「ピィ、ピィ」と笛の音。「何ごと?」。停まると、警官が、「交通違反です」「ええ?なんで?」「花火大会で、今日の、1時から、右折禁止になった」。時計は、1時50分だった。「そんな」と叫んだが、違反キップを切られて、7千円の罰金です。★その夜、大雨が降って、花火大会は、中止になりました。「初めての中止」とテレビは伝えていた。

2013年7月26日金曜日

東京へ、1日目。10年ぶりの赤羽。スゲェ、賑やかだなあ

夏休みで、東京へ。5泊6日の旅行です。出発に当たって、1つのことを決めた。東京では、電車に乗らない。だから駅の階段を上り下りしない。その代わり、ゼイタクだが、下村コルベ修道士さんに、羽田からクルマで、ホテルへ。次の日からは、クルマを利用して、ホテルを出発し、目的地へ、用件を済ませると、またホテルへ送ってもらう。こうすれば疲れがこない。下村コルベ修道士さん(写真)は、快諾してくれた。羽田空港へ着くと、屋外へ出た所に、修道士さんのクルマは待っていた。「好都合だなあ」。ところが高速道路が何度も渋滞しに、赤羽のホテルへ着くと、1時間30分を要していた。「それでも無事に着いたよ」★JTBのパック旅行で、飛行機代、ホテル代3泊で、6万4千円だった。ホテルは赤羽カトリック教会から、徒歩30m、道路を隔てた、すぐ前にあった。毎朝、ミサと、聖務日課を祈れるだろう。いい場所だった。★東京へ着いたら、真っ先に、隅田川近くの木島さんご夫妻を訪ねたい。ダンナさん95歳。奥さん93歳。ダンナさんの洗礼は遅く、61歳のとき、いただいた霊名が、フランシスコ・ザビエル。ザビエルの足跡を辿ろうと、九州へ、長崎へ。出逢ったのが小崎修道士だった。木島さん夫妻に会うのも、久しぶり。東京、最初の夜、木島さんに電話をかける。「モシモシ、アシタ、行きますからね。下村コルベ修道士が運転します」「明日は、隅田川の花火大会ですよ」「見れるか、なあ」

2013年7月25日木曜日

準備は、万端。あすは、出立か。楽しみながら期待もする

旅行を控えて、朝から理髪店へ。いい気持ちでサンパツする。この間、散髪したばかりだが、「東京へ行くけんね」。店主は、「東京へ行ったことが、ない」と言う。びっくりだよ。やっぱり、長崎から東京は遠いのか。「でもね、旅行はジンセイの楽しみだからね」「いいですね。おいしい物、食べて、めずらしい物、見て、お酒も飲んで、美人のおかみが居れば、なおさら、いいね」と店主。いつしか眠っていた。もう、この理髪店に、「20年は通うでしょう」と店主が言う。「そんなに、なるのか。髪も薄くなったね」。ニンゲンは、アセ流して、苦労して働いたお金でなければ、価値が無い、その意見で店主と一致した。★アシタから、東京へ出発する。10年ぶりのトウキョウ。どんな出会い、どんな新しい発見があるか。期待する。無理は、すまい。理髪店を出るとき、店主は言った。「よか、みやげ話を期待して、いますからね」