ユスチノ田川幸雄・修道士の命日です。2004年12月7日に東京の病院で亡くなった。73歳でした。アシジの聖フランシスコ大修道院に、1991年から、6年間滞在し、日本人の巡礼団や、観光客のため、大聖堂を案内していました。そこ頃、アシジを訪ねた人は会った思い出があるでしょう。説明が特に好評でした。壁画の説明を聞いて、涙を流す観光客もおりました。洗礼に導かれた人もいます。パパさまと握手している写真です。ユスチノ田川は小崎修道士の従弟でした。もう亡くなって、9年忌になる。早いですね。最初は小神学校に学び、大神学生だったが、腰のカリエスを痛めて、修道士になり、18年にわたって、養護施設の指導員として活躍していた。高度成長の時代で、彼が見守った子どもたちが卒業して、就職列車で大挙して、社会に出て、それぞれ働き、立派に生活し、身を立てた多くの人がいます。1人の働きは大きいですね。心の優しい修道士でした。73歳とは、まだ若いでした。小崎修道士は彼のお骨を東京から長崎へ抱えて、長崎の墓におさめました。「平和を実現する人は幸いなり、神の子と呼ばれる」長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年12月7日金曜日
従弟、ユスチノ田川幸雄修道士の命日。73歳で亡くなる
ユスチノ田川幸雄・修道士の命日です。2004年12月7日に東京の病院で亡くなった。73歳でした。アシジの聖フランシスコ大修道院に、1991年から、6年間滞在し、日本人の巡礼団や、観光客のため、大聖堂を案内していました。そこ頃、アシジを訪ねた人は会った思い出があるでしょう。説明が特に好評でした。壁画の説明を聞いて、涙を流す観光客もおりました。洗礼に導かれた人もいます。パパさまと握手している写真です。ユスチノ田川は小崎修道士の従弟でした。もう亡くなって、9年忌になる。早いですね。最初は小神学校に学び、大神学生だったが、腰のカリエスを痛めて、修道士になり、18年にわたって、養護施設の指導員として活躍していた。高度成長の時代で、彼が見守った子どもたちが卒業して、就職列車で大挙して、社会に出て、それぞれ働き、立派に生活し、身を立てた多くの人がいます。1人の働きは大きいですね。心の優しい修道士でした。73歳とは、まだ若いでした。小崎修道士は彼のお骨を東京から長崎へ抱えて、長崎の墓におさめました。「平和を実現する人は幸いなり、神の子と呼ばれる」2012年12月6日木曜日
時間が、なーィ。年の終わりも近づくと、あわただしい
2012年12月5日水曜日
色紙を描く。ヘタは、ヘタでも、心は、こもる。資金は外国へ
思いついて、色紙を描き始めました。どうでしょうか、出来栄えは?あまり上手とは言えませんね。まあ、それでも、いいでしょう。これから日々、少しづつ描いて、聖コルベ館に置いておこうかな。見学者が見て、気に入ったら、買ってくれるかな。1枚、幾らにする?分かりません。今のところは。この間、ルーマニアの小さい神父さんが来たでしょう。今度の騎士誌に載せました。読んでください。ペトロ神父さんが言った。ルーマニアに、双子の姉がいて、結婚していて、ダンナさん、子どもが2人いる。私はそれを聞いて、お姉さんに何かを贈りたい。物資は無事に到着するだろうか。郵便局からユーロを贈ってみよう。ペトロ神父さんと郵便局へ行って、200ユーロを贈った。昨日、東京のペトロ神父さんから電話があった。ルーマニアの家族は無事に送金を貰いました。ああ、よかった。そうだ、今朝、思いました。色紙を売ったお金で、ルーマニアの貧しい家族を助けるため送ろう。私もゲンキがでるよ。頑張ってみよう。★いま、日記を書いたばかりなのに、5分しか経っていないよ、電話があった。「カニの色紙、買いますからね。売却済みにね」。福岡の小百合さん、おお、びっくりだよ。マイッタ。
2012年12月4日火曜日
寂しさ感じる、紅葉も終わりか、来年もこの場に立てるか
2012年12月3日月曜日
神戸の男性との出会い。1日巡礼なのに、すばらしい恵み
2012年12月2日日曜日
韓国から「お出でなさい」と大司教さまご招待の手紙が届く
韓国・テグの李大司教さまから、招待のお手紙が届く。「ここに再び、ご招待の言葉を申し上げます。来年2013年の初めに、テ・グにお見えになれて、コルベ神父さまと永井隆博士の出会いについて、お話ししてくだされば、うれしいと思います。私たち韓国・如己の会は、毎年1月に新年会を開きますが、来年には1月4日から、2月3日(永井博士の忌日)の間に、催す予定です。いつであっても、ブラザーさまがお出でになる日に、私たちは集まるように致します。遠道なので、お1人でいらっしゃるより、お連れのほうがいらっしゃれば助かると思います」。このように、懇切丁寧なお手紙が届きました。恐縮しております。1月、2月といえば、韓国は厳寒なのではないでしょうか。寒さに弱いし、ヒザの痛みもあります。でも、こんなにも度々お願いしておられるのですから、行きたいのは山々です。李大司教さまは、職務から離れて、今は引退されておられますが、永井隆博士を尊敬されており、長崎へ多くの巡礼者を送っておられます。本も出している。熱心な大司教さまです。「行きたいです。お世話になりたいです。がんばって、みよう」 2012年12月1日土曜日
12月が始まる。寒さに負けるな。カゼひくな。後ろ向くな
今年も、最後の月になった。「早ャーい、もんですね」。今年はタツ年で、オレの年だ、がんばるぞ、と意気込んでいたら、7回の入院で、苦労したよ。9月の入院のとき、同じ部屋になっていた60代ぐらいの男性が、治療を受けていると言っていた。今度も、また別の部屋に居て、「すっかり、痩せていた」と聞いて、これがジンセイか、と心寂しく思ったよ。厳しいときも来る。オレは、「生かしてもらって、ありがとう。その上、信仰できて、ありがとう。幸せです、そう言いたいです」。そう言う気持ちで、今年の最後の月を迎えたい。「皆さん、いつも見守ってくれて、ありがとう。トマは、小崎は、まだ祈っています。モンクも言っていますが、改心もしながら歩んでいます。時折、夢も、見ている。山の上に、建物があって、沢山の同じ会の者たちが、外国人ばかりが、わんさ、わんさと居た。そのなかに、見つけた。身近な日本人の2人を。1人は司祭、もう1人は修道士。シタを見ると崖があって、中ほどに、大きな岩があった。私が落ちそうになって、途中まで、滑ったが、岩で止まって、また、這い上がって、元に戻った。「まだ、まだ、がんばれるぞ」
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