2012年10月31日水曜日

ありがたい、お便り、届く。修道士は不死身じゃありません

京都・宇治の柴田さんから、写真と手紙が送られてきた。「20年振りにおとずれた聖母の騎士修道院での小崎修道士、前よりも輝いていらっしゃいましたし、お元気そうな御姿を拝見致し、本当に嬉しゅうございました。帰宇して2日後に聖母の騎士誌が届き、終油の秘蹟をお受けになっておられた小崎修道士を見て、全然違った御方のようでしたよ。修道士はどんな御病気にも勝たれますよね。不死身とは修道士の事を言うのだと、つくづく感じ、神さまの御手の中で、御手の一番近い所に囲まってもらっていらっしゃると確信致しております。本当に嬉しく、また20年前に逢ったフランシスコ中村修道士も御元気との事、帰りし、うれしくて涙が流れました。10月14日(日)は浦上天主堂でミサに与かり、その後、如己堂に行きました。館長をしておられる永井徳三郎さまにも逢う事が出来、亡きかやのさんの写真を持って行き、おみせ致しました。登明修道士に再会し、神さまに感謝です。御元気でどうぞいつまでも御元気でいて下さいませね。御祈り申しております。」

2012年10月30日火曜日

名も知れない花だけれども、せいイッパイ咲こうではないか

何の花か、知りません。食堂を出た屋外に咲いています。ふと、目にとまれば、きれいだなあ、と思います。自然の感情でしょう。毎日、ブログを書いています。聖コルベ館で、特別な出会いや、自分が旅に出たときなどは、書きやすいです。しかし平凡な、変わりがない1日、書く時間は、普通、午前中ですが、聖コルベ館のパソコンに、何を書いたらよいか、迷うことも、しばしばです。書くからには、切れる言葉をと、欲も出るんですね。基本は、あくまでも、いま、自分が何を考え、どういう試練に出会っているか、自分のために書き溜めておきたい、それが願いで書いているつもりです。読んでくださる人も居られる。人の意見や、視線を、もともと気にするタチかも知れない。しかし1つ言えることは、立派な建前を書くつもりは、ありません。自分の落ち度や、過去のワルも、全部は書けないにしても、ニンゲンに弱い部分があるのは、認めます。日記を書き出して、4年になる。他にも、メモや、思い付きを書いた紙も、多々あります。ブログに、聖書の言葉や、説教じみた言葉は、使いません。ジンセイを生きる、考える、その気持ちはあります。信仰したからと、すぐにニンゲンが変わるものでもないでしょう。それでも絶えず、善に向かって努力する、いつかは報いられる。それを希望して生きたいと思います。

2012年10月29日月曜日

人は老いても、性格のシンは、変わらない。それで、いいのだ

島原半島の入口、愛野の教会、幼稚園で写しました。何の動物か分からないけれど、こんなモノを見ると、ついつい、ボクは嬉しくなる。思わず近寄って、おお、おまえは、デカイなあ。オレは小さいぞ。思わず、手を振りたくなった。赤い帽子に、赤いお鼻。首にタオルなど、しめやがって。黄色い、ずーたい(体)に、おなかには空いた黒いアナ。子どもは、こんな所に、くぐりたくなる。身を隠したくなるのだよ。老いた背中は、曲がらないよ。そんな気持ちになった。ところで、オレはこんな所で、はしゃいで、いいのかなァ。教会を、「さよなら」するとき、ブリ神父さんが、冊子をくれた。そこには「教会の案内」で、「教会」や「神父さま」「シスター」「神さまに何を祈るか?」「ミサ」や「イエスさま」のこと、マリアさまのこと、聖書などの説明が載せてあった。なかでも気持ちを引いた1文がある。それは「神さまが、私たちのことを、どう思っているか」の疑問です。そこには、神さまは、私たちを愛しておられ、天の御父と呼ばれる。神さまは、ニンゲンの弱さや、落ち度よりも、私たちの努力や、私たちの「善意」を見ておられる、というのです。積極的に前へ進めということじゃないですか。善意に生きるとは、正しいことの実行心にある。一生懸命にやっても、失敗があるかも知れない。しかし善意を持つならば、神の前では、正しい人といえる。「私たちの一生の課題は、善に励み、罪を悔やみ、軌道修正し、いっそうの善意を育てることです」と書いてあったが、難しいですね、これは。

2012年10月28日日曜日

10月最後の日曜日は、ロザリオ祭り。祈りと、聖歌で祝った

熱もさがって、平常心になった。やっぱり熱がある感じと、無いときの感じは、気持ち、体感が全く違うんですね。温泉へ行ったときから、尿がビール色に変わりつつあった。2、3粒のクスリを飲む。すると熱がさがって、いま普通の黄色に戻っている。カゼ、カゼと悩んでいたが、ひょっとすると、軽い腎炎を起こしていたのかも、知れない。まあ、なんとかゲンキを取り戻したわけです。それでも会う人ごとに、「ダイジョウブ」といわれ、つづけた。10月最後の日曜日はロザリオ祭り。この日は、多くの信徒が集まります。聖コルベ館にも、多くの顔が見えて、言われましたよ。「おゲンキ?」。ロザリオ祭りに心配なのは、お天気です。昨夜から今朝まで、雨が降って、芝生がぬれて、坂道がすべりやすい。本来なら、ロザリオ祭りは、ルルドへの坂道でロザリオの玄義を祈りで登り、ルルドにおいて、ミサが行なわれるのが恒例だが、「このアメじゃね」と、雨が憎い。聖堂で、ロザリオを唱え、ミサで祈った。ラテン語の「キリエ」と歌い、「グロリア」も歌った。「いい、ねえ」。聖母の騎士といえば、なんたって聖コルベ神父さまですよ。精神を忘れてはいけない。創立者でもある。コルベ神父は「マリアを通して、イエスへ」を提唱した。マリアといえば、あちこちの出現などの噂(うわさ)で、警戒して敬遠する者もいるが、長崎信者の感覚は、あくまで先祖からのマリア、信徒発見のマリア、各教会には必ずあるマリア、それらが、つながって平常心で信心ができる。コルベ神父のマリア信心は「けがれなきマリア」「インマクラタ」で、これは「ふしぎのメダイのマリア」と、「ルルドのマリア」につながる。コルベ神父が長崎へ来て、本河内に土地を購入し、ルルドを開いたのが、1932年、ちょうど今年は、80年になる。聖母の騎士のルルドは、これまで、どれほどのお恵みが与えられたであろうか。ルルドのお水は、おいしいよ。自然の水だからね。各地からも、水を汲みに来る。愛飲している

2012年10月27日土曜日

教えて、何と読む?温泉から帰って、微熱が出た。抵抗力なし

ブリ神父さん(ポーランド人)の司祭館、玄関にかかっている大きな額です。「なんて、読む?」と言われて、「ムー、何だろう?」。右上は、「静か」。右下は、「黙す」かな。左の上、これが読めない。左の下は、「道」であろう。静かに、黙して、道を、征く、か。わからない。誰か、読める人が居たら、教えてください。わかったら伝えます、とブリ神父さんに約束している。
さて、オバマ温泉から戻ったが、あちらは温かい。帰ると、日陰の地所、コンクリートの建物で、さむーぃ。急に寒くなった。今朝は、温泉につかって、ぬくかったのに、夕方、祈る場所、聖堂は寒ムーぃ。ロザリオ、聖務日祷のとき、背中が、ひえ、びえした。夕食も進まない。自室に入って、体温を測ると、7度3分。微熱がある。年寄りになれば、寒さが、こたえる。抵抗力がなくなり、カゼを引きやすい。情けないね。ほんとに自分でも、イヤになる。むかしはゲンキだった。少々の寒さは、何でもなかった。北朝鮮の厳しい冬に少年時代を過ごしているからね。零下、20度ぐらいまで下がった。老いて、ブルブル、情けないよ。何んか、むかしのように丈夫になるカラダに戻りたい。今朝も、7度3分あった。寝ていても、治まらない。クリニックへ出かけて、点滴を打ってもらう。「カラダが温かくなる、漢方薬をください」。もう今日は、ゆっくり休もう。またゲンキになるだろう。くじけていては、明るい朝は、来ないよ。
★早速、1件のコメントが寄せられ、額内の漢字の意味が分かりました。寄せてくださったabramさん、ありがとう。助かりました。『静黙治道』(せいもく・みちを・おさむ)と読みます。静かなる振る舞いで、言葉少なく、人の修める道を、正しく治める。修道院や黙想の家には、貴重な言葉かと思います。

2012年10月26日金曜日

雨のなか、無事に帰る。ブリの裏には、タイの話題あり

午前10時頃には、聖コルベ館に着いた。洗濯をし、干していた物を乾燥機にかけて、昼食に出た。8人が食卓に居た。「どうも、おかげで、ゲンキになりました」と、先ずは皆さんに挨拶。早速、気になっていることがあった。出かけたのは、水曜日で、この日は、松下修道士さんの休みの日で、いつもサカナ釣りに行っている。「松下さん、どう、だった?あの日の水揚げは?」と声をかける。松下、当の本人は、フフ、フ、と笑って、「1ピキ。大きな、タイを、釣り上げたよ」と、満足カオ。「もう、サシミは残って、いない?」「ある、もんね、そんなに長く」と切ない返事。松下さんが写真を見せてくれた。それが、これです。「でかい、なあ」。感服した次第です。ごらんの通りの、こんなタイを釣り上げたんですからね。その日が、10月24日で、なんと誕生日だったという。「ええ、すばらしい」と感動ものだよ。昭和19年、戦争中に生まれた。外海の黒崎出身。「その日は、釣れるぞとという感触は、ありました?」「あったね。神さまは、いいプレゼントを、くださる」。普通は2人で漁に出ている。あいにく相棒の神父さんが上京のため、1人で出た。神の島のマリア像の足元を舟で出るとき、祈ったという。このタイの話を聞いた後、私は秘かに思ったね。あの水曜日、私は、ブリ神父さん(ポーランド人)の教会を訪ねていた。ブリ神父は言った。「タイには、成りきれない、ブリだよ」。相対する日に、一方では、現実にタイを釣っていたとは、ねえ。オレのアタマでは、見事に、つながった。おもしろいなあ」と感心した日でした。

2012年10月25日木曜日

島原2日目。天草に渡る。切支丹は使うなと、天草のヒト

島原の定宿、富士屋さんから、昼間、海を渡って、天草へ出かけた。海の上は気持ちが、いいね。むかしの宣教師は苦労して渡った海だよ。こんなにラクで、いいのかなァ。フェリーで、30分。天草に着いた。天草は、南国の木々が高くそびえて、やっぱり、違うな。天草に来たのは、矢田部さん夫妻に出会うため、夫妻の家におじゃまするためだった。フェリー着き場に、夫妻が出迎えてくれる。いつも天草に来ると、お世話になっている。天草は奥さんが生まれた島。奥さんは、今年の春に、1年半、教会で、渡辺神父さんに要理を習って、洗礼を受けた。要理では、ダンナさんも、いっしょ。シスターもいっしょ。励まされながら信仰を得た。それから奥さんは変わったね。明るくなった。積極的になった。ソバで見ていて、ダンナさんのことを、いつも配慮し、「これ食べ」「あれ食べ」と、小まめに動いている。見ていて、楽しいよ。今まで、海沿いの古いアパートで暮らしていて、私も何度か訪ねたが、今度、家を変わったという。「その家を見に来ましたよ」。家は、フェリー発着場から車で50分ほどの山中にあった。「教頭先生が住んでいた家を改装した」という。天井板、壁などは、ゴシゴシ、こすって、きれいにした。夫妻の努力で、ピカ、ピカに輝いている。軒下に、つるし柿が連なっている。「あまくさ、やなあ」の感じ。近くに、サンタ・マリア資料館(天草キリシタンの遺品を展示)がある。見学した。資料館の館長さんは言った。「切支丹、これは使ってはいけない。支は、支える。支えるのは首のこと。首を切る。これはダメです。むかしは吉利支丹と使った。明治以降は、クリスチャンです」。1つ、いいことを勉強したな。