2012年8月7日火曜日

1枚のハガキが、生きる小さな勇気を、与えてくれる

先日の日記に、聖コルベの殉教を書いて、祈りを付け加えた。そのとき思った。「誰かが、きっと祈ってくれる人がいるはずだ」。便りが来たよ。「お暑さお見舞い申し上げます。7月29日のブログでお元気なお顔を拝しまして、ほっといたしました。8月1日のブログで教えていただきましたお祈りを、聖コルベにお捧げしております。深く感謝申し上げます。そして6日と9日には、人類史上、最も熱く、苦しい時をお持ちになった広島と長崎の皆様に、お祈りをお捧げさせていただきたいと存じます。その後、御体調はいかがでいらっしゃいますか。どうぞ、この上、共におだいじにおすごしあそばされますよう心よりお祈り申し上げております。やっと『茨城の空』でコメントをお送りできるようになりました」(原文そのまま)。あまりに、ご丁寧な文言に恐縮しております。それにしても、1枚のハガキが、小さな勇気を与えてくれました。実は最近、ブログを書くことに方向転換を感じております。「迷わず、弱音を吐かず、病気や、飲食は取り上げない」。8月1日から、写真の位置を左に変えたのも、そのためです。悩みの一旦です。おはがきの主は、どのような御方か存じませんが、ありがとうございます。小さな事でいい。生かされている、喜び。導かれて今が有る、感謝。大きな愛とイノチから守られている、安心感。改めて感じ直して、「ジャガイモは、イモの生き方でよい」と、今日も牛歩の歩みなれど、セイ一杯、呼吸をつづけます。

2012年8月6日月曜日

ポーランド人のブリ神父さん、お友だちになったよ

午後から聖コルベ館へ出ると、待っていたように、外国人の神父さんと、3人の見学者の連れがあった。この神父さんは、私がオバマ温泉へ行く途中の教会の司祭で、ポーランド人。「ああ、よかった。『焼けたロザリオ』をあげるよ」と、マンガ・ポーランド語版を持って写っている写真です。ポーランド語を見て、喜んでくれた。この神父さんとお友だちになれそうだ。「神父さん、お名前は?」「ヨハネ・ブリ神父。ブリだよ。まだ、鯛には、なれないな」「フ、フ、フ。ブリ神父さん、忘れないよ。実はね、お宅の教会の信者さんにまつわる愛の話を知っている。いつか、それに就いて書こうかと思っている。よろしく頼みますよ」「ウーン、迎えに来るからね」。記事のことがアタマにあっただけに、神父さんが突然、見えたことは不思議な縁を感じた。こういう導かれることが、あるんですね。話していると、ドカドカと、中高生の若者の一団が入ってきた。神父さんに冷たいゼリーを渡して、「食べてください」。若者たちを受け入れる説明に、席をはずした。「また、ゆっくり話しましょうね」

2012年8月5日日曜日

外海の墓参り。酷暑の夏だよ。熱中症で倒れそう

長崎市から約30km。外海のカトリック墓地。ここに原爆で爆死した母親と、先祖たちが眠っている。父の名前もある。この墓地は、以前は段々畑だった山の斜面を整備して築き上げた。坂の、上り下りが大変だ。墓地では、ロザリオを1本唱えた。原爆で亡くなった母を思い浮かべる。あの日も、このような真夏の日だった。祈りをしながら、汗が吹き出る。真夏の太陽は容赦なく照りつける。傘をさして、しのいだ。帰りは、下るより、登りが大変だ。かなりの段数の石段がある。酷暑のアセを拭きながら、1段、1段、山に向かって、石段を登り始めた。すると急に、急に心臓がパクパクし、気持ちが異様な恐怖にさらされる。「ああ、ここで、熱中症で倒れたら、どうなるか。救急車も来ないだろう」。そう考えると、身の毛がよだつのを覚えた。「ゆっくり、歩こう。休みながら、歩こう」。車へ行けば、冷房も効いている。必死になって、不安のさなかに、登りあがった。やっと、安心したよ。もう来年からは、真夏の墓参りは出来ないだろう。そう心に決めた。

2012年8月4日土曜日

遠藤さんとの写真。若かったなァ、あの頃は。忘れぬ言葉

うれしく思うのは、外海の遠藤周作文学館に、この写真が、2年間、展示されるのです。ありがたいですね。大きなパネルの写真です。写真の下には、小崎修道士の文章も載せてある。文学者の展示に、文章を載せてくださるなんて、光栄です。いま読んでも、まあ、まあ、書けていた。それにしても、よく飾ってくれたと思いますよ。あの頃の小崎修道士は、若くて、スマートだった。遠藤さんと並んで写って、記念になります。誇りでもある。もう30年前の写真です。正確には、1981年・昭和56年5月21日でした。左の司祭は、ミロハナ神父で、コルベ神父さまから日本へ連れて来られて、薫陶を受けた。だからコルベ神父を知る第一人者です。遠藤先生が、取材をしたいと申されるので、ご案内した。小崎修道士の遠藤さんの印象は、お会いする前までは、あまり良くなかった。狐狸庵先生とか、グーダラ紳士録とか、チャラン、ポランのイメージがあった。それがお会いした途端、礼儀正しく、「よろしくお願いします」と、この小崎修道士に深い礼をしたので、びっくり。「ええ?だいぶん違うぞ」と、それからフアンのなった。遠藤先生から教わった「愛の教え」「愛の狩人」は忘れない。外海の遠藤周作文学館へ行くと、2年間は、この写真が見られます。ぜひ、1度、ご見学を。

2012年8月3日金曜日

2つめの、うれしい事。遠藤文学館の展示に大きな写真が

うれしい事の、もう1つは、外海の遠藤周作文学館に、コルベ神父と、他に小崎修道士が、遠藤さんと「交流があった」ということで、小崎修道士の写真や、資料が展示されていることです。外海の文学館の海の眺めが、すばらしい。館内に入ると、まず遠藤さんの生涯が、写真や、思い出の品々で展示されている。次に、「遠藤周作と長崎」が並びます。その中の写真パネルに、小崎修道士と遠藤先生が並んで写った大きな写真が掲げられていて、びっくりしました。次の部屋には、「コルベ神父への思い」と題して、大きなパネル写真が4枚も、また聖母の騎士誌がケースに置かれている。それらを見ると、非常に嬉しく思いました。遠藤周作文学館の創立は、2000年5月です。この文学館は主に、長崎の作品、「沈黙」や「女の一生」、「切支丹の里」を主体に建てられた。しかし展示は、2年に1度変わり、いろんな遠藤さんの角度から、集客に努めているわけです。例えば前の2年間のテーマは「遠藤さんと映画」だった。今年は巡り廻って、また長崎の作品に戻った。それで取り上げるようになった次第、本当に光栄です。ドライブには、もってこいの場所です。

2012年8月2日木曜日

ポーランドの子ども、「ジェン、ドーブリ」。未来に期待

「トマさん、最近、うれしい事、ありましたか?」「ああ、2つ、ありました」。その1つが、ポーランドで、自伝マンガ『焼けたロザリオ』が発行されたことです。ごらんなさい、ポーランドのかわいい子どもが、そのマンガ本を両手にしっかり持って、「ボク、まだ、わかんない」と、ポーランド語で言っていますよ。いや、ダイジョウブだよ。君には、未来がある。コルベ神父のように、日本人が好きに、日本の国がスキになってね。期待しているよ。「ジェン、ドーブリ」(こんにちわ)。本を持ってくれて、「ジン、クィエン」(ありがとう)。この写真は長崎で宣教しているポーランド人のシスターからメールで送られてきました。説明文に曰く、「トマさんの本を、ヨハネ君が喜んで見ていると、写真をいただきました。よく撮れていますね。私(シスター)も、とても嬉しかったので、送ります。ポーランドでは人気者のようです。私の妹も読んでいます」。戦争がないように、ケンカがないように、平和になるよう今朝は祈りました。さて、最初に、嬉しいことが、2つ、あるって言いましたね。あと、1つは、またアシタ、書きましょう。

2012年8月1日水曜日

コルベ神父の身代わりは、1941年7月30日だった

昨日の日記に、3つのコメントがあった。①エリザベットさんから、「コルベ神父の身代わりは、7月31日ですから、14日間は特別な祈りと思いで過ごします」。その心遣いに、ハッとしました。日にちですが、②ポーランドのコンラドさんから、「ミハウ・ミヘルヂィンスキさん(2006年没)の証言によると、身代わりは、7月29日に行なわれた」。更に又、③コンラドさんから追信、「点呼は7月29日で、その後、収容者たちは夜中も立っていた。身代わりは、7月30日です」。小崎の『身代わりの愛』(1994年刊)には、「オシエンチムの公式記録書には、7月29日と記載してある」。おそらく、29日に点呼があり、逃亡者の確認があった。収容者たちは一晩じゅう立っていて、翌日の30日になっても、逃亡者が見つからないので、10人が餓死刑を言い渡された。8月に入って、コルベ神父の餓死室での苦しみが始まります。コルベ神父を愛する皆さん、私たちは、コルベ神父さまの殉教を思って、祈りながら、殉教の日まで、8月14日まで過ごしましょう。祈り。「神よ、あなたは、アシジの聖フランシスコの忠実な弟子・聖マキシミリアノ・マリア・コルベを無原罪の聖母信心の使徒として、私たちに与えてくださいました。私たちにも自分のすべてを惜しむことなく、あなたに委ねる力をお与えください。栄唱1回、アヴェ・マリア1回」