2012年7月24日火曜日

話す内容は体験か、個々の問題か、どちらが共感を呼ぶか

久しぶりの長崎の浜町(はまのまち)アーケード街。しばらく人通りを眺めていた。中国の大型汽船が入港しているのか、「熱烈・歓迎」の垂れ幕が注目をひく。それらしい服装の人も行き交っていた。道端に、笠を被って黙々と立つお坊さんを見つけた。エライなあ、が実感。何も語らず、何んのサインも送らず、まっすぐ見詰めて立っている。遠慮してか、誰も寄ろうとしない。修道士の私が眺めて、(とても、私には、出来そうにない)。実行の勇気は湧かない。修道士には、このような「道」を極める修業がない。ニンゲンに大事なのは、「行」の行ないか。心のこもる清掃や、相手への思いやりの礼儀、我が身を整える真面目さなどが大切なのは分かる。それらを常に我が身に果すことで、自己を形成する。ふと自分の話し方を考えた。聖コルベ館で話すとき、自分が体験したことを、相手かまわず、淡々と話すべきか。例えば、「この世で一番大切なのは、イノチと愛だよ」「私が生きてきて一番悲しかったことは、原爆の朝の母親との別れだよ」「人生は色んな人との出逢いでしょう。永井博士、作家の遠藤先生、コルベ神父からイノチを助けられた男性に出逢ったのだよ」と、一方的に話してきた。それで、いいのか。それとも、ニンゲンには色々な苦しみがある。①孤独の苦しみ。誰からも愛されないのは、耐えられない。②人が信じられない苦しみ。だまされた時の悔しさは、最も悲しいだろう。③苦しいときは誰でも「神も、仏も、あるもンか」と悩む。④生活困窮者の苦しみは深刻だろう。「慰めの言葉よりも、お金をくれ」が、ホンネでないか。⑤思いがけない苦しみに遭遇したとき、「なぜ、オレだけ、こんな苦しみに会うのだろう」と嘆くのも本当だ。そういう個々のテーマから話を進めたら良いのか、2つの道に悩む。もちろん話す内容に共感を及ぼすのは、体験であろう。そんなことを考えた半日だった。

2012年7月23日月曜日

押し付けない。ゆっくり休みなさい。またゲンキをもらって

お年寄りの皆さんがやってきた。「世の中で生活して、みなさん、大変ですね。ご苦労が多いですね。オレオレ詐欺もある。人を傷つけることもある。イジメも、病気に、愛の破綻、孤独死など、心配、苦しみ一杯ある。ゆっくり休みなさい。コルベさんのフトコロで、静かに呼吸をしなさい。ゲンキの快復、癒されて、また頑張ろう」。そういう気持ちで皆さんを迎えたい。こちらから、コレダ、アレダと押し付けるのでなく、迎えてあげて、憩わせる。それで、いいと思うんですよ。「皆さん、この世で最も大切なのは、何と思いますか」。お年寄りたちは即答した。「祈りです」「愛です」「清貧です」「え?セイヒン?」と私びっくり。「大東亜(だい・とう・あ)戦争、辛抱しましたからね」。やっぱり、モノがない時代に育った者は心強い。こんなところで、大東亜の名前が出るとは思わない。戦争は2度と、いけないな。

2012年7月22日日曜日

エピソードの中に、神が語りかける神秘性がある。因果の縁

神父は、10数人の顔を見渡してから、聖書を開いて読み上げた。「神の恵みによって、今日の私がある。私は多く働いた。しかし働いたのは私でなく、神の恵みなのです。(コリントⅠ、15-10)」。そして神父は語り始めた。「神の愛とは何ですか?愛は感じるものです。呼び水というのがある。ポンプもそうです。人の心に呼び起こす力は、自分が、ずーっと以前から、愛されていたことに気づく時です。『あなたは、神に愛されている』と、よく言われる。信じるしかない」。神父は一呼吸ついてから、次のコルベ神父の言葉を告げた。「心の内に、愛を宿せば、宿すほど、苦しみの必要性を感じるようになるでしょう」。神父は語気を強めた。「その心は、愛する、兄弟を愛する、神を愛する」。しばらく沈黙がつづいた。神父は、ここで話題を変えた。「出逢いで、目が開かれ、良いものに、大きいものに変えられていく」。私が口を挟んで問うた。「出会いの本質は何ですか?」。神父は答えた。「因果のなかに縁が入る。出会いのなかに、エピソードがある。これはアメリカの学者が言った。『ストリー、スピリチュアル』。エピソードのなかに神秘性がある。エピソードを通して、神が語りかける」。私は心の中で思った。(因果に縁とは何のことだ?出会いに、エピソード。神の語りかけ。これは私に合うことだな)。神父は更につづけた。「いま、自分が、どの位置にあるか、考える。神の、私への愛を味わってほしい。今度は、私の、神の愛を考えてほしい」。神父の話の、私のメモはここで終わっている。2007年8月20日の出来事だった。あれから5年が経過したが、なぜか、私の思いに残っている。

2012年7月21日土曜日

夏休みか。子ども達がやってくる。いい子になれよ

夏休みになったので、小学生たちがやってきた。かわいいね。もちろん、コルベ神父の話を語る。そこから何かの教訓を考えたい。コルベ神父は「家族愛を大切にした」「兄弟、仲良くした」「人を助けた」「困難があっても逃げなかった」「勉強もがんばったよ」「病気にも負けなかった」。子どもたちにとっては、思い当たることだろう。ところが「ナチの悪い兵隊までも、許してあげた」と言いつつ、この場では、ちょっと、ためらいが胸をよぎった。悪い人間、イジメた相手を、早々許していいものか。グーっと、言葉が詰まる。悪いことは許せない。「悪を憎んで、人を憎まず」という言葉がある。イジメはダメだよ。コルベ神父さんのように、心の優しい人に成りなさい。乗り合いバスで来たという。坂を登って、疲れたね。小1の女の子が、大きなアクビをした。シスターが連れて来ただけあって、祈りは大きな声で唱える。コルベ神父の机に皆、寄りかかって、うれしそう。手で机の上をこすって、胸を撫でよ。するとパワーが伝わるよ。アタマも撫でよ。アタマが良くなるかも。ハ、ハ、ハ。子どもは正直だね。オレにも腕白な時代もあった。友だち、お互い気を使っていたもんだった。

2012年7月20日金曜日

聖コルベ館には出逢いがある。座っているだけで、恵みがある

見学者が来る。私を知っていると言う。うれしいじゃないですか。私が御地の教会を訪問したとき、「案内しました」「ええ、そうなの?」。主任司祭は、日本人で、バヨリンを弾く人。神父さんが弾けば、愛犬が「ウオー、ウオー」と泣いた。もう、神父さんは亡くなった。26聖人の映画を覚えている。私の手紙も大事にしている。ご縁はつづいている。「コルベ神父のビデオ(8分)を見せますから」。コルベ神父は誰からも愛され、慕われる。聖人だからね。この記念館も聖人になったから、資料室が出きた。小さな記念館だが、世話人が要る。それが私だ。座っているだけで、見学者との出逢いがある。お恵みですよ。「ルルドのお水を汲んで帰ります。ロザリオの祈りも唱えます。目的は、ここと、永井博士の記念館です」。いま、世の中が求めているのは何か。経済の発展はあった。物は溢れている。心が失われていないか。情が薄れていないか。若者から、心、精神の教育が必要だ。物資やお金だけでは、人は幸せになれない。心が動いてこそ、道も開ける。通り過ぎた台風の影響か、雨が降り出した。

2012年7月19日木曜日

予約の診察。医院を回る。生きてこそ、喜びも、ある

朝から3つの病院へ向かう。①泌尿器科へ予約の診察。これが一番、気持ちが重い。ボウコウの細胞診は(Ⅱ)、お医者さんは大丈夫と言う。問題は腎臓の、フニャ、フニャ、カタマリです。ビール色の尿は、幸い、黄色い尿に戻った。出る度に、一喜一憂するのは、疲れる。お医者さんが、尿の異変があったために、病院に来れないときのために、抗生剤を処方してくれた。ボウコウは今のところ治まり、さあ、今年はゲンキになるぞと、気合が入っていたのに、急に腎臓に異変が生じ、尿が全く出なくなる騒動が数回も起こって、ダメージを受けた。なんとか、この現状を切り抜けたい。出会う人は皆、「ダイジョウブですか、カラダは」と案じてくれる。「お顔の血色は、いいようですね」「あたり前たい」。次いで、②心臓のクリニックへ向かう。不整脈のクスリを処方してもらう。待合室には30人ほど居て、長い時間、待った。③耳鼻科へ移動。耳の治療を行なう。時計は12時30分になっている。新大工町のシーボルト通りで、ウドン屋へ入り、冷やしソーメンを注文した。スル、スルっと、ノドに入って行った。おいしい。果物屋で、スイカの切れ端を買って、午後1時30分に帰った。午後は休みます。

2012年7月18日水曜日

若者は、笑う。老人だって、笑え。スベッタ話でも憶するな

お祝いの日の夕べの食卓。四角いテーブルに、12人が集まった。サシミが出て、飲みものが出て、話題が盛り上がった。20代の前半から、80代半ばの私まで、年令も、さまざま。とにかく話題は、失敗談がおもしろい。サカナ釣りから、昔の島の生活、ブドー酒の思い出、祈りの話、いろいろと失敗がある。「もう、むかしだけど、詩篇の祈りに『スコテ(旧約の谷間の町)の谷を、測り分けよう』というのが、ある。それを、ステテコの町と言ったから、祈りのとき、みんな、笑っちゃったよ」と、誰かが言うと、突然「ワッー」と、爆笑が舞い起こった。一度、笑い出すと、ニンゲンは良く笑いの渦に巻き込まれる。楽しい夕食だった。テーブルの一角に居ながら、みんなの話を聞きながら、気が付いたことがある。老いてくると、耳が遠くなる。口が開かず、声が出なくなる。アタマの回転も、ニブクなる。早い話が、みんなに着いて行けなくなる。これでは当然、負の現象だ。もっと前に、出ろ。進め。「空気が、読めない」とか、「スベッタ話だな」に憶するな。老人には、豊かな過去だあり、経験があるわけだ。自分も心から愉快になり、おもしろい話の、3つや、4つは、胸に秘めておらないと、いかんな、と思った次第です。