長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年7月24日火曜日
話す内容は体験か、個々の問題か、どちらが共感を呼ぶか
2012年7月23日月曜日
押し付けない。ゆっくり休みなさい。またゲンキをもらって
2012年7月22日日曜日
エピソードの中に、神が語りかける神秘性がある。因果の縁
神父は、10数人の顔を見渡してから、聖書を開いて読み上げた。「神の恵みによって、今日の私がある。私は多く働いた。しかし働いたのは私でなく、神の恵みなのです。(コリントⅠ、15-10)」。そして神父は語り始めた。「神の愛とは何ですか?愛は感じるものです。呼び水というのがある。ポンプもそうです。人の心に呼び起こす力は、自分が、ずーっと以前から、愛されていたことに気づく時です。『あなたは、神に愛されている』と、よく言われる。信じるしかない」。神父は一呼吸ついてから、次のコルベ神父の言葉を告げた。「心の内に、愛を宿せば、宿すほど、苦しみの必要性を感じるようになるでしょう」。神父は語気を強めた。「その心は、愛する、兄弟を愛する、神を愛する」。しばらく沈黙がつづいた。神父は、ここで話題を変えた。「出逢いで、目が開かれ、良いものに、大きいものに変えられていく」。私が口を挟んで問うた。「出会いの本質は何ですか?」。神父は答えた。「因果のなかに縁が入る。出会いのなかに、エピソードがある。これはアメリカの学者が言った。『ストリー、スピリチュアル』。エピソードのなかに神秘性がある。エピソードを通して、神が語りかける」。私は心の中で思った。(因果に縁とは何のことだ?出会いに、エピソード。神の語りかけ。これは私に合うことだな)。神父は更につづけた。「いま、自分が、どの位置にあるか、考える。神の、私への愛を味わってほしい。今度は、私の、神の愛を考えてほしい」。神父の話の、私のメモはここで終わっている。2007年8月20日の出来事だった。あれから5年が経過したが、なぜか、私の思いに残っている。2012年7月21日土曜日
夏休みか。子ども達がやってくる。いい子になれよ
2012年7月20日金曜日
聖コルベ館には出逢いがある。座っているだけで、恵みがある
2012年7月19日木曜日
予約の診察。医院を回る。生きてこそ、喜びも、ある
朝から3つの病院へ向かう。①泌尿器科へ予約の診察。これが一番、気持ちが重い。ボウコウの細胞診は(Ⅱ)、お医者さんは大丈夫と言う。問題は腎臓の、フニャ、フニャ、カタマリです。ビール色の尿は、幸い、黄色い尿に戻った。出る度に、一喜一憂するのは、疲れる。お医者さんが、尿の異変があったために、病院に来れないときのために、抗生剤を処方してくれた。ボウコウは今のところ治まり、さあ、今年はゲンキになるぞと、気合が入っていたのに、急に腎臓に異変が生じ、尿が全く出なくなる騒動が数回も起こって、ダメージを受けた。なんとか、この現状を切り抜けたい。出会う人は皆、「ダイジョウブですか、カラダは」と案じてくれる。「お顔の血色は、いいようですね」「あたり前たい」。次いで、②心臓のクリニックへ向かう。不整脈のクスリを処方してもらう。待合室には30人ほど居て、長い時間、待った。③耳鼻科へ移動。耳の治療を行なう。時計は12時30分になっている。新大工町のシーボルト通りで、ウドン屋へ入り、冷やしソーメンを注文した。スル、スルっと、ノドに入って行った。おいしい。果物屋で、スイカの切れ端を買って、午後1時30分に帰った。午後は休みます。
2012年7月18日水曜日
若者は、笑う。老人だって、笑え。スベッタ話でも憶するな
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