2012年7月7日土曜日

活字は誰が、どこで、読んでいるか、わからない

今朝も、食卓で、「トマさんのブログを見て、騎士誌の読者が増えている」と、別の、誰かの声がした。私は黙って、うなずいた。今の時代は、パソコンやテレビが生活に大きな影響を与えている。しかし活字もまだまだ役割を果たしている。活字の文章が、どこで、誰に、読まれて、生きる力になっているか、書いている本人には全く分からない。書くときには、概論でなく、実際の体験を、自分の足が地に着いた言葉で書きたいと思う。さて、この絵は、永井隆先生が描いた「長崎の港」です。手前の丘に、ずらっと並んだ十字架がある。言わずと知れた、日本26聖人の殉教の絵です。これは紙芝居の1枚になっている。私の所に年に数回、古本屋から「古本のカタログ」が届く。先日、届いたなかに、「路上の人・日本26聖人・原画・永井隆」があった。4.500円。資料になると思って、買いました。この他、よく買う古書に、戦前の、昭和10年ぐらいから20年ぐらいの本を時々買っている。それは少年時代に、どんな本が出ていたのか、教育されていたのか、いま知りたい、興味があるからです。戦争を始めたとき、私たちは何を考え、価値ある生き方と考えていたのか。振り返ることは、すごく楽しい。昭和11年の日本・内地の人口は、6925万人とある。


2012年7月6日金曜日

どう表現するか。コメントが難しい。天の配在だな

写真は、長崎の港です。長崎は、海が、きれい。島も、点在する。いいところですよ。タレントの石田純一さんが、長崎に来た。JR長崎駅の構内に、天蓋のついた小さな広場がある。純一さんが来る、ということで、その辺の人々が集まった。特設の台にあがった純一さん、やっぱりスタイルがいいね。コメントだよ。これが割りと難しい。長崎は、島々が点在して、美しいじゃないですか。特に夕暮れなどは、ね。純一さん、司会者から、「長崎の、いい所は?」と訊ねられた。普通なら、キレイというが、さすが有名タレント、テレビ馴れしている。彼が、とっさに言った言葉に感心したよ。「長崎の、いい所・・・島が、天の、配在(はいざい)だな。うっとり」。そして彼は優しい目をみんなに投げかけながら、言った。「どうやったら、モテルか。恋の、さ、し、す、せ、そ。《さすが》《信じられない》《すごーい》《せっかく、ですから》《そうなんだ》。これで、相手を肯定させ、相手のココロをつかむのです」。タレントさん、さすが、マイッタよ。

2012年7月5日木曜日

原爆の話を3度聞いた。またお願いしたい。できますか?

10年ほど前に、長崎・原爆資料館で、平和学習の語りべをしていた頃の写真です。昨日のことでした。「モシ、モシ、小崎さんですか。ブログを見て、電話を知りました。福岡で、公立小学校の教師をしています。もう何年も前に、別の学校に居たとき、修学旅行で小崎さんの話を聞きました。たいそう感動しました。3年つづけて指名して、話を聞きました。覚えていますよ。大きな絵を使って、紙芝居のように話してくれました。お母さんとの別れ、3人の女の子を看護して、とうとう亡くなって、棺おけがないので、タンスの引き出しに納めて、最後に荼毘にふした悲しい話や、見捨てた女学生に、10年後に再会した話など、今でもよく覚えています。今度、今の小学校へ来て、秋に修学旅行へ長崎へ行きます。また原爆資料館でお話しをお願いします」「ありがとう。覚えてくれて、嬉しいです。もう原爆資料館での話は引退しました。聖コルベ館では、健康に応じて、話をしています。殆どキリスト教関係の学校で、公立の中学校は、市内の学校に限ります。修学旅行での、ここでの話は、教会という場所がら、訪問するのは再考が要るでしょう。父兄の関係もあります」と告げると、「そうですね」と電話は切れた。それにしても、何年も前に語った被爆の語りを覚えて、電話をくださった女性先生に感謝した次第です。よくぞ覚えてくださった。うれしい。こんなことは珍しい。

2012年7月4日水曜日

日記を読んで、騎士誌を購入。嬉しい読者が増えている

今朝の食卓で、「トマさんのブログを見て、騎士誌の注文する人が居ます」と、声が上がった。(嬉しいことだ)と心中、思ったが、その声には応じず、黙っていた。先日も、このようなコメントが寄せられている。「20年ぶりに、騎士誌を手にしました。前は、教会が購入したときに、読んでいましたが、その後は遠ざかっていました。ほんの数ヶ月前に、小崎修道士の日記を見つけて、毎日、楽しみにするようになりました。そして、また騎士誌を手にしたいと思って、購読を申し込みました。お引き合わせに、感謝しています」。日記がきっかけで、騎士誌を読んでくださるのは有りがたい。嬉しい限りです。さて、食事が終わって、改めて、騎士誌の戦後史を思い出した。私が入会と同時に出た「戦後の再刊号」だから、よく覚えている。表紙を書いたのは、ペトロ石橋孟修道士さんだった。戦争が終わった翌年の、昭和21年、1946年の12月には、早々と雑誌が発行された。これは異例な出来事だった。長崎は原爆で廃墟になっている。印刷の紙は不足し、アメリカ軍の検閲が厳しかった。アメリカ軍も修道院発行の雑誌には目が届かないらしく、永井隆先生の「原子野録音」や、石橋修道士の原爆記「廃墟の鐘」を堂々として載せている。これはアメリカ軍にとっては、原爆を公けにしない方針から、掲載は許されない記事だった。永井先生は毎月、原稿を寄せてくださり、昭和25年の帰天されるまで続いた。マリアさまのお恵み一杯の騎士誌は、コルベ神父創刊から、通巻895号続いている。

2012年7月3日火曜日

神戸の尼さん。やあ、お元気で。パワーをください。ハイ

ふくらっとした、お顔。そり落とした、アタマ。清楚な、衣服。「神戸の尼さん」で、通っている。もう、この尼さんと知り合って、10何年なるか。年に、2回は必ず、聖母の騎士へ来る。尼さんの服を着ての参加だから、目を引く。5月のルルド祭と、10月のロザリオ祭に参加して、もう10年。加えて、年に数回は、必ず、立派なお花を「対(つい)」で贈ってくる。聖コルベの祭壇に飾るのです。時折、こうして姿を見せる。ルルドで祈り、小聖堂で祈り、祈り三昧。祈りは「私が話すのでなく、ただ沈黙のうちに、ぬかずくだけです」と、おっしゃる。優しい尼さんですよ。自ら病気を病んでいると言われるが、病気には負けないね。パワーが伝わってくる。12年前、ローマ、アシジ、ルルドの巡礼の旅に参加した。ルルド祭に参加すると、「アヴぇ・マリア」の祈りも、ロザリオも唱える。信心熱心な尼さんです。寄り添う私も、「負けちゃ、おられん」。何事も、信じることが、大切なんです。尼さんは言われる。「巡礼の重要さは、どんな小さな巡礼でも、普段、教会に行くより、持ち物も、祈りも、すべてにおいて何かを用意して行くということです。一つでも多く愛のある行為をとか、一連でも多くロザリオを捧げるとか、この一つでも多く、何かを捧げることに、喜びを感じます」。今日は、聖トマ使途の祝日です。ミサで祈りました。「見ずして、信じる者は、幸いなり」

2012年7月2日月曜日

老人の顔だな。やっぱり、肌が、カサカサだよ

なんだか、カラダが、おかしいんです。夕食後になると、微熱が出る。まあ、僅かな熱ですけど、老人には気になります。医院のクスリ、残り物のカゼ・クスリを1錠飲むと、夜中に、カラダが暑くなり、寝汗が出る。2回ほど、上の肌着を着替える。深夜の3時頃になると、5度代に下がる。なぜ、なんだ?おかしいですよ。夜が明けるころには、6度2分になる。起きるのは、抵抗は、ない。「黙って、居るより、行動、せよ」と言い聞かせ、原爆検診へ出かける。ここでは数値的に、よく調べてくれる。医院に回って、事情を説明すると、点滴を打ってくれた。昼食は、町の「定食屋」で、食べました。パチリ、写したのが、今日の顔です。すみません。まあ、なんとか、イキをつないでおります。長崎は、今日は、1日、雨が降っている。雷も鳴った。梅雨明けは、近いのか。

2012年7月1日日曜日

見事なマンゴーが届く。何も、尽くしていないのに、カンシャ

嬉しいじゃないですか。見事なマンゴーが届いた。神奈川県の男性からです。学園の後輩です。毎日、ブログを読んでくれているそうです。電話で、お礼を言うと、「メキシコ産のマンゴー」だそうです。マンゴーって高価な果物でしょう。「なにも、あなたの為に、尽くしていないのに」と言うと、「イヤ、イヤ、日本26聖人のDVDを貰ったので、神父さんに申し出て、教会で上映したら、これが評判で、信仰の証となった。特に、神父さんが大いに気に入って、感動し、涙を流して、その後、喜んだ。先輩のおかげで、本当に良かったですよ」と電話の奥で、メッチャ喜んでくれた。人と、人のつながりは、有りがたい、お恵みですね。今朝のミサの祈願。「キリストの言葉を通して、イノチの意味を悟り、イノチのパンをいただいて、生きる喜びを新たにしよう」。なんと、これは簡単・明瞭、ニンゲンの生き方のエッセンスじゃないですか。イノチの意味とは、生きていく意味のことでしょう。最近は、少々微熱あり、夜に寝汗をかき(あまり良くない、自分でも分かっている)、胸も重い。これから先、どうなるか、健康には不安があるのは確かです。弱音を吐いたり、また浮き上がったり、耐えて、泳いで行くわけです。どん底までは、まだ落ちてはいない。周りには、気にかけてくださる人々がまだ居られる。有りがたいと思い、感謝しよう。