母親、遠い人ですよ。生きていたら、112歳。昔の人なのに、忘れない。母の思いはタマシイの中に、刷り込まれて生きている。おかしいですね。母親からお乳といっしょに信仰を与えられた。電子板書で、北朝鮮の生まれ育った町の地図を見た。なつかしい山、川、昭和通り、学校、駅など、地図に残っている。北朝鮮の北部は貧困、貧しいとテレビで報道されているが、私の住んだ町は、家々の並びから普通に思えた。この町で、浦上出身の母親は、独り黙々とカトリックの朝夕の祈り、大斎、小斎の務めを忠実、熱心に果たしていた。その真心のある姿を忘れない。人生に大切なものは何か。この歳になってタマシイに残るのは、母から受けたカトリックの教えではないか、それだけを今は見詰めている。人生は決して平坦ではない。修道士とて、迷いもあれば、闇もある。良心に反した行動も行なった。しかし今はすべてを受け入れる。つながりですよ。母につながり、神につながる。つながりが、大事と思います。今朝、聖務日課で祈りました。「あなたがイキを吹き込むと、人は生きるものとなる」。母につながるイノチ。原爆の朝、別れた母親に、今でも会えるか、本当に、つながる母親に会いたいと思います。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年5月31日木曜日
5月、聖母月も終わる。母親が懐かしい。祈る姿が残る
母親、遠い人ですよ。生きていたら、112歳。昔の人なのに、忘れない。母の思いはタマシイの中に、刷り込まれて生きている。おかしいですね。母親からお乳といっしょに信仰を与えられた。電子板書で、北朝鮮の生まれ育った町の地図を見た。なつかしい山、川、昭和通り、学校、駅など、地図に残っている。北朝鮮の北部は貧困、貧しいとテレビで報道されているが、私の住んだ町は、家々の並びから普通に思えた。この町で、浦上出身の母親は、独り黙々とカトリックの朝夕の祈り、大斎、小斎の務めを忠実、熱心に果たしていた。その真心のある姿を忘れない。人生に大切なものは何か。この歳になってタマシイに残るのは、母から受けたカトリックの教えではないか、それだけを今は見詰めている。人生は決して平坦ではない。修道士とて、迷いもあれば、闇もある。良心に反した行動も行なった。しかし今はすべてを受け入れる。つながりですよ。母につながり、神につながる。つながりが、大事と思います。今朝、聖務日課で祈りました。「あなたがイキを吹き込むと、人は生きるものとなる」。母につながるイノチ。原爆の朝、別れた母親に、今でも会えるか、本当に、つながる母親に会いたいと思います。2012年5月30日水曜日
長崎を愛した作家・遠藤周作さん。文学館で2年間、展示
外海の「遠藤周作文学館」の展示が、今年の5月19日から、2年間、遠藤さんと長崎になります。もともと文学館は、遠藤さんの「切支丹の里」「沈黙」「女の一生・一部、二部」をテーマに建てられた。しかし年月を経て、同じ展示でなく、遠藤さんの様々なジャンルで取り上げられ、毎回、多くの入館者を得てきた。この度は、「長崎」ということで、また元に戻った感がある。期待して訪問してよいだろう。私も近々見に行きたい。「女の一生・第二部」で、遠藤さんとは関係があるので、興味がある。遠藤さんは長崎を愛した。文学館から、展示説明の冊子(40ページ)が送られてきたが、コルベ神父の写真や、私の短い原稿も載っている。遠藤先生は私に言った。「小崎サン、あなたはボクに、修道士になる前、原爆で、助けを求める人の手を振り払って逃げた話をしてくれたでしょう。アウシュビッツとよく似た世界の中におられたわけだ。ああいう時、パンを誰も与えることができない。有名なフランクの『夜と霧』に、ごく少数であるが、寝ている病人の枕元に、今日の分のパンを置いていく人たちがあった、とわずか2,3行に書いてある。そういう、ごく少数の任が人間の尊厳を救ってくれた。人間はまだ信じるに足りると思わせてくれた。その頂点に、その結集したものの中に、コルベ神父が居られる感じがしたわけです」2012年5月29日火曜日
岡山から見学の金婚夫妻。騎士誌の愛読者です。お幸せに
2012年5月28日月曜日
新聞記者が「マリアの信仰」。6月3日の記事、お楽しみに
2012年5月27日日曜日
ルルド祭。聖母マリアは多くの人を恵みに包み込んだ
今朝は、快晴です。10時30分から、ロザリオが始まり、ルルドへの坂を、祈りながら登りました。コルベ神父がルルドを開いたのは、1932年(昭和7年)5月1日、80年前になります。いろいろな歴史があります。戦前はルルドのマリア像が度々壊された。戦争中は憲兵隊から監視され、ポーランド修道士たちは苦難でした。原爆後、被爆医師・永井隆博士は、負傷した傷をルルドのお水で癒された。永井博士は「ルルドの奇跡」の原稿を書いた。戦後の繁栄の陰には、心に苦しむ人も多かった。ルルドの聖母への祈りで力づけられた。ルルドは時代を超えて、変わりません。多くの信徒が集い、聖母マリアへの賛美歌と祈りが捧げられた。聖コルベ館にもお客さんが多かった。アメリカ軍の陸軍大佐夫妻、ポーランド出身の大学教授、大阪・境から30年間、年に2回、必ず参加している80歳の男性、心臓に器械を入れているので、5、6回休まないと登れないと嘆いていた。マリアさまは優しくこれらの人を皆、包み込まれていた。約200人の信徒が祈った。
2012年5月26日土曜日
話の裏に隠された基本的な項目に、興味がある。沢山知りたい
オバマの温泉へ行ったとき、左側の女性(先生)が色々な話をしました。その話のなかで、2つのことが心に残りました。①信仰が、有るか、無いかで、違うこと。②いま苦しくても、その苦しみには、意味があること。①の話。純心の会長さん、江角先生。亡くなる2週間ほど前、病気のため苦しかった。見舞いに来た人が「先生、苦しいときは、苦しいと言った方が、楽になりますよ」。江角先生は、「ありがとう」と感謝されて、「どうしても天国へ行きたいので、がまんします」と。私はこの話を聞いて、これこそ信仰者の言葉です、と思いました。なぜなら、以前、私が病で苦しんだ経験から、病人に対して、10の苦しみがあれば、7ぐらい忍耐して、あと3は文句を言ってもいいのだよ、と言っていたからです。やっぱり全部忍耐するのが信仰者です。②の話。この女性先生は、県立女専を出たあと、女専に残って助手を勤めた。あるとき校長と意見の対立があって、解雇になった。傷心の先生は、学校の坂を下っていると、下から初めて見るシスターが来られて、ぐう然出合ったのが、きっかけで、純心の英語の先生を30何年勤め、信仰にも入った。神さまのお恵みではないですか。本当によかったですね。あの校長さんが解雇にしなければ、また人生は変わっていたかも。私は話を聞きながら思うんです。★信仰が有るか、無いかの違い。★苦しみにも意味がある。その基本が私には、いま興味がある。話しは、あとで、付いてくる。
2012年5月25日金曜日
リフレッシュ、深呼吸をしよう。さあ、また始めよう
海風に吹かれて、さわやかな気分になった。天草灘を渡ったときの写真だ。リフレッシュだよ。ニンゲンって、現実を離れて、自然の恵みに接すると、身も心も清らかになる。気持ちも落ち着く。5月16日、泌尿器科の主治医は書いた。「平成21年(2009年)以後、膀胱ガン再発は認めない。再発確認の定期検査は必要と考える」。お医者さんも「治った」と書いてくれた。あてから3年が経っている。新しい診断書を、市役所の原爆対策課に出した。ボウコウばかり気にしていたら、今年は腎臓で3回入院し、苦慮した。だが、その後は、安定し、今は、尿もきれいになった。この分だと、今年はゲンキになるぞ。そんな気持ちが湧いてくる。聖コルベ館での出会いを楽しもう。妻子さんが来て言った。「深呼吸をしなさい」「ああ、それは賛成だな。少年の頃、肋膜炎で水が溜まったから、肺活量が低下している。やってみよう」「小崎さんは、小崎さんで、いいんです」とも言う。それも賛成だ。私は、私だけのジンセイだ。今朝の祈りました。「病気に苦しむ人、からだの不自由な人を慰め、力づけてください。ニンゲンの弱さの中に示された、あなたの力を知り、希望をもって試練に耐えることができますように」
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